リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 側近への告白
自室へ戻ると、グラクトは呼鈴へ手を伸ばしかけ、そこで一度だけ指を止めた。命じるだけなら、以前の自分にもできた。だが、今から呼ぶのは、都合よく動く側近ではない。自分の考えが現実の手順に耐えるかどうかを測る相手だった。
控えの侍女が姿を見せると、グラクトは声を荒げずに告げた。
「エドワルドに、今来られるか確かめてくれ」
命じた後も、グラクトはすぐには椅子へ戻らなかった。窓際まで歩き、夜の庭を一度見下ろす。そこに答えがあるわけではない。ただ、今から口にすることが、願望では済まないことだけは分かっていた。
ほどなくして扉の外にエドワルドの気配があり、入室を許された彼は、いつも通り隙のない所作で礼を取った。学園では生徒会役員としてグラクトを補佐し、王宮では文書と取次ぎの流れを読む。同年でありながら、気安さで崩れぬ距離を長く保ってきた相手だった。
机の前の席を示し、エドワルドが腰を下ろすのを待った。しばらく沈黙が落ちた。灯火の揺れだけが、机上の書類の影を細かく震わせている。
「レティシアを迎えたいと思っている」
最初にそれだけを言うと、エドワルドの目がわずかに細くなった。だが、口は挟まない。
「……しかし、ヴィオラから、答えられない問いを受けた。レティシアを傍へ置きたいのなら、彼女にどのような立場を与えるつもりなのか、と。私は答えられなかった。婚約者にするのか、側妃として置くのか、奉仕者として管理下へ組み込むのか。どれも違うと思いながら、では何を与えるのかを言えなかった」
表情は変わらなかった。ここで軽く頷けば、グラクトは私情を吐き出しただけで終われる。だが、この問いに答えを出せるのは、レティシアを望む本人であり、第一王子であるグラクトだけだった。聞き漏らすまいとするように、エドワルドは姿勢を崩さずに待っていた。
「今の王家の制度のままで私が彼女へ手を伸ばせば、彼女は一人の女性としてではなく、第一王子の近くへ置かれる立場として扱われる。生母であれ、奉仕者であれ、婚約者であれ、側妃候補であれ、名目は違っても、結局はどの派閥が王家へどこまで影響力を持つかを示す位置になる。私はその制度の中で育った。だから、そこから外れた言葉を持っていなかった」
そこでようやく、視線が返ってきた。レティシアへ与える名目を探しているのではない。王宮の内側で育った者には見えにくい、制度の外側の言葉を探しているのだと、エドワルドは受け取ったらしい。
「今さらではありますが、そこまで言葉にされた以上、殿下が変えねばならぬと考えておられるのは、一人の令嬢の処遇ではなく、第一王子の周囲へ女性を置く王家の制度そのもの、ということですか」
「そうだ。第一王子が既存派閥の均衡材料である限り、誰を近くへ置いても、その者は派閥の意味を背負わされる。第一側妃派へ戻っても、第三側妃派へ寄っても、私は別の派閥の神輿になるだけだ。そうである限り、何も変えられない」
ゼノビア侯爵に言われたことが、再び胸の内で固い言葉になった。第一王子の名と責任は、最初から自分のものとして持っていたわけではなかった。
第一側妃派とゼノビア侯爵家の配置が崩れたのは、単にセオリスが暴走したからではない。あの配置が、第一王子自身の判断と責任の下にあったものではなく、第一側妃派が第一王子を担ぐためのものであったからだ。だから事件一つで崩れた。
「だから、第一側妃派に戻るつもりはない。第三側妃派へ寄るつもりもない。どちらへ行っても、私は別の神輿になるだけだ。そのままでは、レティシアを迎えても、彼女をまた派閥の材料にしてしまう。私自身の判断と責任で、第一王子の名と影響力を扱えるようにならねばならない」
それまで主君の告白を聞いていた沈黙が、そこで変わった。グラクトが『第一王子の名と影響力』と口にした瞬間、エドワルドの目は側近のものではなく、実務を組む者のものになった。
「その意味を、殿下はどこまで定義しておられますか。名だけの独立では、王宮は動きません」
「第一王子の名と影響力を、第一側妃派にも第三側妃派にも勝手に使わせないということだ。私の名で誰が動き、誰が近づき、誰が利益を得るのかを、私自身が知らぬままにしてはならない。影響力を持つとは、好きに使える力を得ることではない。その力が何を動かし、どこで責任を生むのかを、自分で引き受けることだ」
その言葉に、エドワルドの視線がわずかに下がった。感情ではなく、言葉の形を測る沈黙だった。
「そこまでは、筋が通っております。ですが、理念だけでは何も動きません。殿下は、まず何を論点に据えるべきだとお考えですか」
すぐには答えられなかった。独立した第一王子派が必要だという認識と、それをどう作るかは別問題だった。だが、ここで曖昧な願望を語れば終わることも分かっていた。
「ただゼノビア侯爵家を戻せば、私は別の家門の神輿になるだけだ。必要なのは、ゼノビア侯爵家を私の背後に置くことではない。私が責任を負う形で、あの家に失われた役目の一部を担わせられるかどうかだ」
初めて、エドワルドの眉が軽く動いた。彼は、机上の白紙を一枚引き寄せた。懐から細い筆を取り、白紙の上に三つの短い言葉を並べる。『必要性』『侯爵本人』『陛下と王妃』。書かれた文字は少ない。だが、それだけで会話の順序は定まった。
「ゼノビア侯爵家を戻す話にするなら、論点は三つです。第一に、戻す必要性。第二に、ゼノビア侯爵本人をどう説得するか。第三に、陛下と王妃殿下へどう通すか。この三つを分けなければ、復帰範囲を詰めても意味がありません」
白紙の一行目に目を落とした。まず問うべきは、ゼノビア侯爵家を戻す必要があるのかだった。
「必要性は分かっている。第三側妃派一強の見え方を削ぐことだ」
「それだけでは足りません。第三側妃派一強の見え方を削ぐためだけなら、陛下も王妃殿下もお認めにはならないでしょう。均衡のために失脚家門を戻すなど、露骨すぎます。必要なのは、政治的な見え方と、実務上の空白が同じ方向を向いていることです」
返答は早かった。声は荒くない。だが、そこだけは曖昧にさせないという強さがあった。
「ゼノビア侯爵家の失脚後、近衛は最終的な裁可を王家に残したまま、日々の調整を宰相と内務卿が分担しています。宮廷側の調整は宰相、王都治安との接続は内務卿、現場運用は副長級が暫定で回す。誰も全体を引き受けていない。だから、命令が遅れ、責任の所在が曖昧になる。そこに、侯爵家を戻す実務上の理由があります」
白紙に書かれた『必要性』の一行が、先ほどとは違って見えた。それは第三側妃派への牽制だけではない。王都と近衛に空いた責任の穴を、誰が埋めるのかという問題でもあった。
「つまり、ゼノビア侯爵家を戻す理由は二つだな。第三側妃派一強の見え方を削ぐこと。そして、近衛と王都治安に空いた責任の穴を埋めること」
「その二つがそろって、初めて話になります」
白紙の二行目『侯爵本人』へ筆先を移した。
「次は、ゼノビア侯爵本人です。ここを飛ばして陛下と王妃殿下へ持ち込めば、空論になります。しかも、ただ受けていただくだけでも足りません。そうなれば、第一側妃派として戻すことになってしまいます。それは殿下の独立ではなく、第一側妃派の復権になります」
その通りだった。ゼノビア侯爵家を戻すという言葉だけなら、王宮は即座に第一側妃派の復権と読む。自分がそれを望んでいないと言っても、見え方は勝手に走る。
「セオリスの件を、側近の暴走として処理するだけなら、侯爵は殿下を主としては見ません。殿下が、自分の近くに置いた武を制御しなかった責任を認める。その上で、今度は自分の責任で武を置き、結果を引き受けると言えるかどうかです」
ゼノビア侯爵の別邸で聞いた言葉が、ふたたびグラクトの胸を打った。危険性を知っていた。知っていながら制御しなかった。事後に主として責任を引き受けず逃げた――その三つの事実を、ただ痛みとして持っているだけでは足りない。侯爵を動かすなら、それを自らの言葉にしなければならない。
「ルナリア様の事件にも触れるべきか」
問いを受けて、エドワルドは少しだけ目を伏せた。ルナリアの事件の真実について、違和感は抱いていた。だが、軽く扱える名ではない。
「必要になるでしょう。ただし、責任を誰かへ押しつけるためではありません。第一側妃の関与を語るなら、同時に、殿下がセオリスを危険なまま側に置いた責任も語らなければならない。そうでなければ、侯爵にとっては、殿下がまた外側の説明へ逃げたように見えます」
すぐには言葉を返せなかった。第一側妃の関与を語るだけなら、責任は外へ出せる。だが、それではまた同じ場所へ逃げることになる。セオリスを危険なまま側に置き、制御せず、結果を引き受けなかった非は、自分のものとして差し出さなければならない。
「つまり、侯爵には、真相と責任を同時に出す」
「はい。第一側妃派の復権ではない。第一王子殿下が、自分の責任で近衛の一部を立て直す。そのために、ゼノビア侯爵家へ役目を戻す。そういう形でなければ、侯爵本人を説得する理由になりません」
二行目の横に、『真相』『責任』『条件』と短く書き添えられた。その文字を見つめる。必要なのは、侯爵本人に、自分が今度こそ責任を引き受けると示すことだった。
白紙の三行目へ筆先を移した。
「そして最後が、陛下と王妃殿下です。陛下にとって重要なのは、王家の警護と王都の秩序です。ゼノビア侯爵家を戻すことが派閥の復権ではなく、空いた責任を埋める処置であると示せれば、聞く余地はあります。また、王妃殿下には、均衡策として出すべきです。第三側妃派一強の見え方を防ぎ、第一王子周辺の力を一派に偏らせないためであると」
そこで、筆が置かれた。論点は三つ出た。必要性、侯爵本人、陛下と王妃殿下。ここまで来て初めて、復帰範囲を口にできるのだと、グラクトにも分かった。
「では、戻す範囲は、侯爵本人と、陛下および王妃殿下への説得が可能な限度で決まるのだな。ただし、侯爵家の実働復帰を進言するなら、私の周辺へ置かれる武については、私自身にも、選抜案を出し、拒否する権限が必要になる。第一王子の周辺に配される近衛については、結果を引き受ける形にしたい。しかし、自分の側へ置かれる武を自分で選べぬまま、結果だけ引き受けるのでは、また同じことになる」
すぐには答えが返らなかった。第一王子に近衛の人事権を一部でも渡せば、国王と王妃は間違いなく『私兵の囲い込み』だと警戒する。その拒絶を『責任付与』という理屈でどこまで押し返せるか、エドワルドは頭の中で反発と通し方を組み替えていた。
「通せる余地はあります。近衛全体の任免権は、なお陛下の御手元に置く。その形は崩せません。ですが、第一王子付き近衛の選抜案上申権、ならびに第一王子周辺へ配される人員への拒否権であれば、責任付与の一環として十分に通り得ます。第一王子殿下の側へ置かれる武について、殿下に選抜案上申と拒否の権限を持たせることは、権限付与であると同時に責任付与でもある。その理屈なら、陛下にも王妃殿下にも説明できます」
そこまで聞いて、ようやく次の一手の輪郭を掴んだ。
侯爵家へ返す実働は、王都治安と近衛再建に限る。その範囲であれば、第一側妃派の全面復権ではなく、空いた責任の穴を埋める処置として通せる。だが、その武が第一王子の周辺へ戻る以上、今度は自分が選び、自分が拒まなければならない。誰かに置かれた武の結果だけを引き受けるのでは、これまでと同じだった。
「まず、侯爵本人に示すべき条件です。ここを飛ばして陛下と王妃殿下の内諾を先に取れば、殿下はまた、責任を王家の決定へ預けた形になります。その上で、陛下と王妃殿下へ通す理屈を整え、復帰範囲と第一王子付き近衛の権限を詰める。そこまで固めて初めて、進言案になります」
白紙が、グラクトの方へ向けられた。そこには、『必要性』から始まり『第一王子付き近衛』に至る五つの項目が並んでいる。
最初は三つだった行が、いつの間にか五つに増えていた。だが、今度は散らばっていない。すべて、第一王子の影響力を第一王子自身が責任を持って扱うための順序だった。
この夜に見えたのは、第一王子の名で実務を動かすための最初の骨格だった。侯爵家を戻し、近衛の責任を引き受け、第一王子の名を他派に使わせない。そこまで固めて初めて、レティシアを迎えるための権力基盤に手が届く。だが、白紙はまだ閉じられていなかった。