リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第3話『神輿からの脱却5』

5 王と王妃への進言

 

 ゼノビア侯爵家の別邸を辞したその日の午後、第一王子から国王と王妃への取次ぎが出された。

 

 名目は簡潔だった。王都秩序と継承安定に関する意見具申。だが、グラクト自身には分かっていた。

 

『――――これは単なる具申ではない』

 

 ここで何をどの理屈で差し出せるかによって、侯爵家の扱いも、第一王子派という発想そのものも、現実へ踏み出せるかが決まる。

 

 通されたのは、小規模な内々の会議に使われる一室だった。公的な謁見の間ほど華やかではない。だが、その分だけ、ここで交わされる言葉は飾りを剥がれ、すぐに政治の形を取る。既に席についていた国王ゼノンと王妃マルガレーテの前へ進み、礼を終え、着席の許しを得た後、グラクトは前置きを置かなかった。

 

「陛下、王妃殿下。申し上げたいのは、ゼノビア侯爵家の限定起用についてです」

 

 侯爵家の名が、この場で最初に出るとは思っていなかったのであろう国王の眉がわずかに動いた。だが、その名がどの理屈で差し出されるのかを先に見ている王妃は動かない。

 

「第一側妃派を救いたいのではありません。いま問題なのは、第三側妃の宮と魔導卿家が、第一王子にも第三王子にも強い影響力を持っているように見えていることです」

 

 グラクトは、あえて第三側妃本人の是非には触れなかった。争点を人ではなく、宮廷がどう読むかに置かなければ、この進言はただの派閥争いに落ちる。

 

「この見え方が固まれば、実務を担う者は第三側妃派へ寄った方が得だと読む。逆に、他派は将来締め出されると見て反発を強める。寄る者と反発する者が同時に増える。だから均衡が崩れます」

 

「第三側妃の宮が、あまりに強く見えると」

 

 王妃は、グラクトの言葉を一度だけ短く受けた。

 

「はい。ゆえに、第一王子の側には第三側妃派とは別の有力家門もあると、宮廷へ見せ直さねばなりません。その第一歩として、ゼノビア侯爵家を限定的に起用したいと考えます」

 

 好き嫌いではなく、その起用が何を回復し、何を刺激し、どこまでを制御可能と見ているのかを測っているのであろう沈黙がしばらく落ちた。やがて、曖昧さを許さぬ形で王妃が問いを置く。

 

「侯爵家に、何を任せ、どこまでの権限を与えるおつもりです」

 

「名目だけを与えるつもりはありません。王都巡察、夜警の再編、近衛内部の規律立て直し、治安出動の臨時統括。その範囲では、実働を伴う職務と裁量を持たせることを希望します。ただし、近衛全体の恒久的人事権、王族近侍の全面選定権、内廷と後宮への広い出入り裁量までは求めません」

 

 そこで初めて口を開いた国王が、低く問うた。

 

「近衛の麻痺も、そこまで重いと見ているか」

 

「はい、陛下。いま近衛は、最終裁可こそ王家の手元にありますが、日々の調整を宰相と内務卿が分担して抱え、現場では副長級が暫定で回す形に陥っていると承知しております。ですが、誰も全体の責任を引き受けていない。だから命令が遅れ、誰も動かず、現場だけが麻痺している。侯爵家を使うべき理由は、見え方の是正だけではなく、その麻痺を解くためでもあります」

 

 第一王子が家名だけを欲しているのではなく、王都の空白をどの家で埋めるかという言葉で話し始めたことを確認したのであろう、王妃の視線がここで初めてわずかに細くなった。

 

「そこまで見えているのなら、別案も理解できるはずです。ユスティナ・セイラ・メルカトーラを第一王子殿下の側へ入れる。そうすれば、内務卿家を通じて実務官僚の線まで一気に引ける。侯爵家という扱いの難しい武門を先に動かさずとも、第一王子の側を厚くすることはできます」

 

 エドワルドは沈黙したままだった。ここは主君が自分で答えるべきところだと分かっているのだろう。

 

 グラクトは、すぐには答えられなかった。

 

 ユスティナ・セイラ・メルカトーラ。その名は、エドワルドとの整理にはなかった。内務卿家の実務線としてなら、有効であることは分かる。だが、それは同時に、また一人の令嬢を第一王子の側へ置くという意味でもあった。

 

 この場で私情を語ることはできない。だが、その私情こそが、いまの政治判断から切り離せない。自分が欲しているのは、王家が女性を均衡材料として扱う構図を変えるための影響力である。ここで安易に受け入れれば、レティシアへ手を伸ばす前に、また別の女性を均衡材料として受け入れることになる。グラクトは、その拒絶を、内務卿家を退ける理由ではなく、順序の問題として差し出すしかなかった。

 

「ユスティナ嬢の案が有効であること自体は、否定いたしません。内務卿家を第一王子の側へ接続できれば、実務官僚の線は太くなります。王妃殿下がその案をお考えになる理由も理解できます。ですが、今ここで重ねれば、意味が変わります」

 

 そこまでは、王妃の示した別案を退ける余地がなかった。だからこそ、グラクトは否定ではなく、順序を切った。

 

「ゼノビア侯爵家の件だけなら、失脚家の限定起用であり、近衛と王都治安の立て直しという名目も立つ。しかも、いまの私の側には既にエドワルドもおります。第三側妃派から見ても、直ちに自派を締め出す攻勢とまでは読み切れないでしょう」

 

 ゼノビア侯爵家だけなら、宮廷はまだ様子見を選べる。だが、内務卿家まで重ねれば、様子見で済む余地をこちらから潰すことになる。

 

「そこへ内務卿家まで重ねれば、宮廷家職侯爵家が二家まとめて第一王子の側へ出る形になります。そうなれば、静観していた者たちにも、ここで動かなければ削られるという理由を与えてしまいます」

 

 低く置かれた国王の確認は短かった。

 

「それを避けたいと」

 

「はい。いま必要なのは、第一王子が独自に立っても影響力を維持できると見せることです。まず侯爵家だけを置き、その見え方のまま固めます。その間、第三側妃派には、まだ様子見でよいと思わせておきたい」

 

 受け取った理屈をさらに研いで返すように、王妃が問う。

 

「第一王子の近辺を厚くすることより、第三側妃派に過剰な警戒を与えぬことを優先するのですね。今後、内務卿家が必要な時が来ると考えているのですね」

 

「はい。不要ではありません。ですが最初の一手ではない。武と治安の側を先に立て直し、その上で必要になった時に、実務官僚の線を厚くする。その順であるべきだと考えております」

 

 拒絶ではなく、順序の是非を測っているのであろう沈黙がしばらく続いた。やがて、王妃が、少なくとも退ける理屈ではないと認めた時、場の重心が一度変わった。王命による限定起用。その言葉を出した時、王妃の視線がわずかに動いた。グラクトは、そこで先に言葉を足した。

 

「もちろん、侯爵家を第一側妃の宮へ戻すつもりはありません。表へは、王都秩序と近衛再編のための王命による限定起用として出します。第一側妃の宮には触れず、侯爵家の旧い家職を戻すとも言いません。実務は宰相と内務卿の協議を通し、最終裁可は陛下に残します」

 

 それは答えであると同時に、危うい逃げ道でもあった。王命を前に立てれば、侯爵家を第一側妃の宮からは切り離せる。だが、その言葉を誤れば、王命を盾に第一側妃の宮を押さえ込む形にも見える。

 

「その上で、第一王子付き近衛に関わる部分だけは、私が選抜案を上申し、拒む責任を負います。侯爵家が第一側妃の宮へ戻るのではなく、王命の下で王都と近衛を立て直し、その一部を私が責任として引き受ける。外へ出す言葉は、その形にします」

 

 だが、王妃が見ていたのは、その先だった。第一側妃の宮から切ることはできる。では、その切り離しを、誰にも排除として読ませずに通せるのか。

 

「ゼノビア侯爵家を第一側妃の宮から切り離すことは必要です。けれど、それを第一側妃の宮から奪ったと見せれば、余計な火種になります。ヒルデガード妃が、自分の実家を取り上げられたと読めば、黙ってはおりますまい」

 

 切り離しは必要だった。だが、排除として見せれば、第一側妃派復権を防ぐ前に、第一側妃本人の反発を招く。

 

「王都秩序と近衛再編のための王命による限定起用。その名目はよろしい。実務を宰相と内務卿の協議へ置き、後宮の経路には載せない。その経路もよろしい。ですが、第一側妃の宮の顔を立てようとして、後からその線を曖昧にすることは許しません。第一王子殿下は、そこまで誓えますか」

 

「誓います。第一側妃の宮の顔を立てるために、侯爵家の経路を曖昧にはいたしません。侯爵家は、王都秩序と近衛再編のため、王命による限定起用として動かします。実務は宰相と内務卿の協議を通し、最終裁可は陛下に残します」

 

 表へ出す名目については答えた。だが、王妃の目はそこで緩まなかった。侯爵家を後宮から切り離せても、その武を誰の責任で背負うのかが残っている。

 

「さらに、侯爵家に実働を与えるだけでは足りません。武は動く。第一王子はそれを背に立つ。だが、その武を自らの責任の下へ置く仕組みがなければ、結局は他人の手で選ばれた刃の結果だけを背負うことになる。それでは、セオリスの件から何も進んでいない。そこまで分かった上で、あなたは何を求めるのです」

 

「第一王子付き近衛に関わる部分について、私に選抜案上申と拒否の権をお与えください。近衛全体の人事権ではありません。自分の側へ置かれる武について、自ら案を出し、拒み、その結果に責任を負える形が必要です。次に同じことが起これば、私自身の不始末として扱われることも受けます」

 

 ここで落ちた長い沈黙は、好悪ではなく制度の勘定そのものだった。王家の秩序を壊さず、どこまでを許容できるか。その線を測った末に、ようやく王妃が言った。

 

「ここまでなら、筋は通っております。侯爵家の限定起用には、必要と認めるだけの理由があります。第三側妃派一強の見え方を削ぐためにも、近衛の麻痺を解くためにも。第一王子殿下の周辺に配される近衛について、殿下に選抜案上申と拒否の権を持たせることも、責任付与の一環として理屈は通る。ただし、条件があります」

 

 王妃は、認める理由と縛る条件を切り分けた。ここから先は、第一王子の意思ではなく、王家がどの形なら許容するかの整理だった。

 

「第一に、表へ出す言葉は、王都秩序と近衛再編のための王命による限定起用に留めます。第一側妃の宮には触れません。侯爵家の旧い家職復帰とも言いません」

 

 最初に閉じられたのは、名目だった。侯爵家は第一側妃の実家として戻るのではない。王命による臨時の実働として戻る。

 

「第二に、侯爵家に任せるのは、王都巡察、夜警再編、近衛規律の立て直し、治安出動の臨時統括までです。近衛全体の恒久的人事権、王族近侍の全面選定権、内廷と後宮への広い出入り裁量は、王家の手元に置きます。実務は宰相と内務卿の協議を通し、後宮の経路には載せません」

 

 次に閉じられたのは、侯爵家が動く経路だった。侯爵家は武門として用いられるが、後宮の顔色で動く家には戻されない。

 

「第三に、第一王子付き近衛については、殿下に選抜案上申権と拒否権を持たせます。ただし、最終裁可は陛下の御手元です。その権を持つ以上、次に同じことが起これば、第一側妃にも侯爵家にも責を逃がしません。第一王子殿下御自身の不始末として扱います」

 

 三つの条件は、すべて同じ結論へ向かっていた。侯爵家を戻す。ただし、第一側妃の宮へは戻さない。第一王子に権限を与える。ただし、王家の秩序からは離さない。

 

「承知しております。私が求めるのは、王家の秩序を離れた私兵ではありません。第一王子の周辺に置かれる武について、自ら選抜案を出し、拒み、その結果に責任を負える形です」

 

 権限を求める以上、逃げ道は失われる。だが、逃げ道が残る権限なら、そもそも求める意味がなかった。

 

「最終裁可が陛下の御手元にあることにも異論はありません。その上で、次に同じことが起これば、私自身の不始末として扱われることも受けます」

 

 最後の条件は、今後の余地そのものに打ち込まれた。

 

「最後に、内務卿家、他の侯爵家、その他の安定手段について、王家が検討をやめるとは思わないことです。あなたが侯爵家だけで足場を作れるというのなら、まず見せなさい。見せられぬなら、こちらは別の手を取ります」

 

 これは、許可ではなく猶予だった。第一王子の案を試す間、王家が他の手段を捨てるわけではない。王妃にとっては、ただ当然の整理だった。第一王子の意思は見る。だが、それだけに国家の安定を賭けるつもりはないという宣告でもある。

 

 王妃の最後の条件に、グラクトは退く余地を持たなかった。猶予である以上、示すものは理屈ではなく成果でなければならない。

 

「承知しております。まず侯爵家の限定起用を実際に機能させます。王都巡察と夜警再編を立て直し、近衛の麻痺を解く。その上で、第一王子付き近衛の選抜を私の責任で整え、第三側妃派に無用な警戒を与えずとも、私が独自に立って影響力を保てる形を示します。そこまでを成果としてお見せします」

 

 ここで初めて口を開いた国王が、王妃へ確認を向けた。

 

「王妃。その条件で通すのだな」

 

「ええ。王都秩序と近衛再編のために、侯爵家を王命で限定起用する。実務は宰相と内務卿の協議に置き、第一王子には限定的な統御責任を持たせる。今の王宮の均衡では、それが最も穏当に均衡を戻せるでしょう」

 

 王妃が認めたのは、侯爵家そのものではなく、侯爵家を置く経路だった。国王はそれを受け、長く息を吐いた後、一言で裁可を下した。

 

「よかろう。王妃の申した条件の通り、王都秩序と近衛再編のため、ゼノビア侯爵家を王命により限定起用する。任は王都巡察、夜警再編、近衛規律の立て直し、治安出動の臨時統括までとし、実務は宰相と内務卿の協議を通せ。加えて、第一王子付き近衛については、グラクトに選抜案上申と拒否の権を持たせる。ただし、裁可は余が下す」

 

 全面復帰ではない。だが、失脚した侯爵家を再び王宮の中へ用い、その起用と一体で第一王子の武の統御権を限定的に制度化するには、十分すぎる一歩だった。

 

   ◇

 

 深く頭を下げた後、退出を許されて一室を出たところで、回廊にはしばらく足音だけが響いた。角を曲がったところで、グラクトが低く口を開いた。

 

「王妃は認めたのではなく、試すことにしただけだ」

 

 エドワルドも、そこは同じように受け取っていたのだろう。声には浮ついたものがなかった。

 

「その通りです。ですが、それで十分です。王命による侯爵家の限定起用。第一王子付き近衛の選抜案上申と拒否の権。そこまで取れれば、最初の足場としては大きい」

 

 回廊へ出ても、胸の内に浮き立つものは何一つなかった。条件付きで認められただけだ。王命による侯爵家の限定起用も、第一王子付き近衛に対する選抜案上申と拒否の権も、いずれも王妃が使える間だけ使うと決めた範囲にすぎない。

 

 だが、それでも重みはあった。これまで他人の手で置かれ、他人の都合で動かされてきた自分の周囲へ、初めて自分の責任で触れられる制度上の足場が打ち込まれたのである。

 

 昔の位置へ戻ったのではない。

 

 第一側妃派を立て直したのでもない。

 

 第三側妃派一強の見え方を削ぎ、近衛の麻痺を解く。侯爵家を、第一側妃の宮ではなく、王命の下で政務の経路へ戻す。その上で、自分の側へ置かれる武について、自ら選ぶ案を出し、拒み、責任を負う権を得た。

 

 小さい。だが、確かな一歩だった。

 

 

 

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