リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第4話『檻の白百合6』

6 面会のお茶会

 

 数日後。王宮の広大な敷地の一角に設けられた、第一側妃宮の専用庭園。

 

 春の柔らかな陽光が降り注ぎ、色とりどりの花々が咲き誇るその場所は、一見すると地上の楽園のように美しかった。だが、高くそびえる石壁と、等間隔に配置された近衛兵の存在が、ここが外界から完全に隔絶された「鳥籠」であることを無言で主張している。

 

 純白の軍服に身を包んだレオンハルト・デイル・アイゼンガルトは、精緻な彫刻が施された白亜の東屋の席につき、背筋を伸ばして待っていた。彼が先日の訪問で預けた深紅の薔薇は、見事なクリスタルの花瓶に生けられ、テーブルの中央を彩っている。

 

 やがて、白石の小道を歩いてくる足音が聞こえた。レオンハルトは弾かれたように立ち上がり、振り返った。

 

「セシリア」

 

 そこにいたのは、愛してやまない婚約者の姿だった。淡い藤色のドレスに身を包んだ彼女は、春の妖精のように可憐で、美しかった。その顔には、レオンハルトが何よりも待ち望んでいた、花が綻ぶようなたおやかな微笑みが浮かんでいる。

 

「お久しぶりですわ、レオン様。……学園での一年間、本当にお疲れ様でございました」

 

 鈴を転がすような、清らかで優しい声。レオンハルトの胸の奥で、全寮制の学園で過ごした日々の緊張が、雪解けのようにほどけていくのを感じた。

 

「ああ。君も、変わりないようで安心したよ。学園の寮を出て邸に戻って、真っ先に君の顔が見たかったんだ。王宮での生活はどうだ? 少し痩せたのではないかと心配していたんだが……」

 

 レオンハルトが破顔して歩み寄ろうとした、その時である。

 

「アイゼンガルト侯爵令息様。恐れ入りますが、お席へお戻りくださいませ」

 

 冷ややかな、それでいて有無を言わせぬ硬質な声が間に割って入った。セシリアの斜め後ろに、影のようにぴったりと張り付いていた年嵩の侍女である。先日、門前でレオンハルトを追い返したあの取次役の女官とは別の、さらに厳格な空気を纏う第一側妃の腹心だった。

 

「これより、お茶の時間を始めさせていただきます。王宮の作法に則り、私共がお仕えいたしますので」

 

 侍女の言葉に、レオンハルトは小さく息を吐き、自らの逸る気持ちを戒めた。

 

(そうだった。ここはいつものヴァルメイユ邸の庭園ではない。第一側妃宮の奥所であり、彼女は今、王家の品位を学ぶ身なのだ)

 

「……ああ、失礼した。作法に従おう」

 

 レオンハルトが席につくと、セシリアもまた、音もなく優雅な動作で対面の席へと腰を下ろした。

 

 侍女が手際よく茶を淹れ、二人の前にティーカップを置く。その間、セシリアは膝の上で両手を上品に重ね合わせ、完璧な姿勢を保ったまま、穏やかな微笑みを崩さなかった。

 

「素晴らしいお花を、ありがとうございました。私のお部屋を、とても華やかにしてくださっていますの」

 

 セシリアが、テーブルの中央にある深紅の薔薇を見つめながら言った。

 

「君に喜んでもらえて良かった。学園から帰る道すがら、生花店で見つけてね。すぐに君の顔が浮かんだんだ」

 

 レオンハルトは照れくさそうに笑いながら、紅茶を口に運んだ。香り高い高級な茶ではあったが、あの日、彼女が自分のために淹れてくれた紅茶の味とは違った。しかし、それは些細なことだ。彼女が目の前にいて、自分に向けて微笑んでくれている事実こそが重要だった。

 

「王宮での生活はどうだい? 厳しい教育だと聞いている。無理はしていないか?」

 

 レオンハルトが気遣うように問いかけると、セシリアは小さく首を横に振った。

 

「お心遣い、感謝いたしますわ。ですが、無理などしておりませんの。第一側妃様からは、王家の品位と淑女としての心構えを、大変丁寧にご指導いただいております。毎日が学びの連続で……充実しておりますわ」

 

 よどみない、完璧な答えだった。それを聞いて、レオンハルトは安堵の息を漏らした。彼女が過酷な環境で苦しんでいるのではないかという懸念が払拭されたからだ。

 

「そうか。君が立派に務めを果たしていると聞いて、鼻が高いよ。俺も学園で、次期元帥にふさわしい成績を修めてきた。来年、君が教育を終えて学園に入学してくる時には、胸を張って迎えに行けるようにね」

 

「ふふっ。頼りにしておりますわ、レオン様」

 

 セシリアは、愛しい人を見るような、極めて自然で温かな視線をレオンハルトに向けた。二人の間に流れる空気は、傍から見れば、互いを深く敬愛し合う理想的な婚約者の語らいそのものであった。

 

 だが。

 

 会話が十数分ほど続いた頃、レオンハルトの胸の奥に、針の先で突かれたような小さな違和感が生じ始めた。

 

(……何かが、違う)

 

 レオンハルトは、王国軍の次期元帥として、幼少期から苛烈な武の教育を受けてきた少年である。

 

 大人の権力闘争にはまだ疎い。だが、「目の前の人間の微細な変化を捉える」という武人としての観察眼は、年齢に不釣り合いなほど研ぎ澄まされている。相手の呼吸の浅さ、筋肉の僅かな強張り、視線の僅かな揺らぎ。剣を交える際、それらを見落とせば死に直結するからだ。

 

 そして今、その武人の直感が、愛する少女の挙動に対して警告を発していた。

 

「セシリア。そういえば、父上……ヴァルメイユ侯爵閣下はお変わりないか? 最近は王宮の執務が激務だと耳に挟んだが。君からも、無理をなさらないよう手紙などで伝えて……」

 

「そのような俗事には、疎く存じますわ」

 

 レオンハルトの言葉を、セシリアが柔らかな微笑みと共に遮った。その対応は、あまりにも滑らかだった。

 

「私は今、第一側妃様のもとで淑女としての研鑽を積む身。外の政の動きや、実家のことなど、私の耳に入ることはございませんの。父も、私が立派に教えを受けることだけを望んでおりますから」

 

「あ、ああ……そうだな。その通りだ」

 

 レオンハルトは同意しながらも、テーブルの下で己の拳を微かに握り込んだ。言葉は、極めて丁寧だ。態度も、王家の品位を学ぶ令嬢として完璧だ。だが、目の前のセシリアは、いつもの彼女ではない。あの日、ヴァルメイユ邸の庭園で、自分が演習の話をした時のセシリアを思い出す。

 

 彼女は両手でティーカップを包み込みながら、身を乗り出すようにして瞳を輝かせていた。彼女は深窓の令嬢でありながら、外界への強い好奇心を持ち、そして何より、父親を深く敬愛し、その体調を誰よりも心配する心優しい少女だったはずだ。

 

 それなのに今の彼女は、自分の言葉に対して、まるで「用意された台本」を読み上げているかのように、寸分違わぬ完璧な受け答えを返してくる。言葉の中に、彼女自身の『感情の揺れ』が一切存在しないのだ。

 

(王宮の教育というものは、ここまで人を型にはめるものなのか? いや……違う)

 

 レオンハルトは、セシリアの顔を真っ直ぐに見据えた。彼女の藤色の瞳の奥にある、自分を思う情は本物だ。その光だけは、嘘をついていない。レオンハルトの真っ直ぐな魂が、それだけは確実に感じ取っていた。ならば、なぜ彼女は、その情を必死に『隠す』ようにして話しているのか。

 

 彼女の完璧な笑顔は、自分に向かって開かれているのではない。自分と彼女の間に引かれた『目に見えない壁』の内側から、こちらを安心させるために張り付けられた仮面のようだった。

 

 その時、レオンハルトは決定的な違和感の正体に気づいた。セシリアが話すたびに、一瞬だけ、背後に立つ侍女の影を気にするように視線を揺らすのだ。侍女は、一言も発さず、彫像のように控えている。だが、その冷ややかな視線は、セシリアとレオンハルトの会話の一言一句を、監視し、評価し、束縛している。

 

 このお茶会は、久闊を叙する二人のための場ではない。第一側妃宮という権力が、セシリアを管理し、レオンハルトを安心させて退かせるために整えた、不自然な場だったのだ。

 

(……彼女は、見張られているのか)

 

 レオンハルトの背筋に、冷たい汗が流れた。自分の前で完璧な笑顔を浮かべるセシリア。充実していると語るその言葉。それらすべてが、背後の侍女――すなわち第一側妃ヒルデガードの意に沿うように、彼女が『演じさせられている』ものだとしたら。

 

 では、彼女はなぜ、自分に助けを求めないのか。なぜ、無理をしてまで完璧な笑顔を作り、自分を安心させようとしているのか。

 

(俺を……巻き込まないためか?)

 

 レオンハルトの武人としての直感が、真実の断片に触れた。もし彼女がここで助けを求めれば、自分は間違いなく剣を抜く。そして、第一側妃の権力と正面衝突することになる。セシリアはそれを防ぐために、あえて完璧な笑顔を作っているのではないか。

 

「……セシリア」

 

 レオンハルトの声が、微かに震えた。今すぐ、その後ろに立つ忌々しい侍女を叩きのめし、彼女の手を引いて王宮から連れ出したい。己の内に眠る白獅子の血が、猛烈な怒りと共に沸き立とうとしていた。

 

 だが、セシリアの瞳が、僅かに見開かれた。彼女の藤色の瞳の奥が、必死に訴えかけていた。

 

 気づかないふりをして、今は帰ってください、と。その瞳に込められた痛ましい覚悟に、レオンハルトは息を呑んだ。彼女が命懸けで守ろうとしているものを、自分の軽率な行動で台無しにするわけにはいかない。ここで自分が暴れれば、彼女がここまで保ってきた振る舞いが、すべて無に帰す。

 

「……すまない。少し、寮生活の疲れが出たようだ」

 

 レオンハルトは、沸き上がる怒りと衝動を、鋼の意志で腹の底へと押さえ込んだ。そして、何も気づいていない婚約者の顔を作って微笑み返した。

 

「君が元気そうで、本当に良かった。王宮での教育は大変だろうが、君なら必ず完璧な淑女になれると信じている。……俺は、ずっと待っているからな」

 

「ええ。ありがとうございます、レオン様」

 

 セシリアの完璧な笑顔の奥に、ほんの一瞬だけ、安堵の光が過ったのを、レオンハルトは見逃さなかった。

 

「お時間でございます、アイゼンガルト侯爵令息様」

 

 侍女の無機質な声が、無慈悲に面会の終わりを告げた。レオンハルトは静かに立ち上がり、貴族としての完璧な礼を尽くして一礼した。

 

「本日は、面会の機会をいただき感謝する。セシリア、また会おう」

 

 東屋を後にし、第一側妃宮の門を抜けるまで、レオンハルトは決して振り返らなかった。だが、門を抜け、王宮の敷地を出た瞬間、彼の両拳は、痛みを覚えるほど強く握りしめられていた。

 

(……俺は、何も知らなすぎる)

 

 王都で何が起きているのか。第一側妃が何を企み、宰相家がどのような圧力に晒されているのか。そして、愛する少女が、どれほど追い詰められながら、自分を守るためにあの笑顔を作ったのか。

 

 真っ直ぐにしか生きられなかった武門の少年は、初めて、大人たちが作り上げた権力闘争の泥濘に気づいた。

 

 このまま無知でいれば、確実に彼女を失う。彼女を取り戻すためには、ただ剣を振るうだけではなく、あの冷酷な侍女の背後にある仕組みそのものを知らなければならない。

 

「……調べなければ。この王都の裏で、一体何が起きているのかを」

 

 レオンハルトの瞳から、あどけない少年の光が消え去った。

 

 その眼差しは、未知の敵を見据える武人のものへと、鋭く研ぎ澄まされていた。愛する者を守るため、若き白獅子は自らの意志で、複雑怪奇な政治の暗がりへと足を踏み入れる覚悟を決めたのである。

 

 

 

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