リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第6話『虚飾の舞台へ2』

2 離宮の技術

 

 王宮の東の果てに位置する離宮。

 深夜の円卓には、第一側妃宮と大衆の熱狂を出し抜くための見取り図と帳簿が広げられていた。

 

 第二王子リュート、第一王女リーゼロッテ。離宮の絶対の盾である灰髪の護衛ルリカ。そして、南の公爵家嫡男ライオネルと、西の公爵令嬢ヴィオラリアが顔を揃えている。

 

 ここには王宮の重圧も、非効率な礼儀作法もない。だからこそ、誰もが役割だけで席に着いていた。リュートは全員の視線が円卓へ集まったのを待ち、第一側妃宮の見取り図へ指を置いた。

 

「――明後日の最終公演。第一側妃ヒルデガードが劇場へ赴けば、第一側妃宮の奥に空白が生まれる。その時間こそが、宰相の不義を示す誓約書を金庫から奪取できる唯一の機会だ」

 

 その結論に異を唱える者がいないことを確認してから、リュートは第一側妃宮の見取り図の奥、金庫が置かれているはずの区画へ指を移した。

 

「ヴィオラ。ルリカを金庫まで到達させる潜入経路は整えてある。問題は、肝心の金庫をどう開けるかだ。そこは君の魔導技術が頼りになる。確実に開けられる?」

 

「結論から言うと、今のままじゃ動けないわね。第一側妃が自室の奥底に隠している最高レベルの金庫。問題は『鍵の仕様』よ。物理的なシリンダー錠なのか、魔導具による波長認証なのか。……それが分からないと、無音で開けるための専用ツールを準備できない。当てずっぽうで挑めば防衛呪縛が作動して、ルリカが閉じ込められるわ」

 

 リュートが別の手段を問う前に、円卓の傍らで帳簿を抱えていたユスティナ・セイラ・メルカトーラが、一歩だけ前へ出た。彼女は誰に許可を求めるでもなく、分厚い革張りの帳簿を見取り図の隣へ置く。

 

「仕様を知るためならば、『過去の記録』を紐解けば済みます。第一側妃殿下のような猜疑心の強い方が、備え付けの金庫などに自身の生命線を預けるはずがありません。必ず、実家から持ち込んだ『特注の金庫』を使用しておられるはずです。……入内記録の第六項、大型家具の欄。ここに『東部クロムハルト工房謹製・特注魔力認証型重金庫(型番漆式)』とあります」

 

 ユスティナが開いたのは、数十年前、ヒルデガードが第一側妃として輿入れしてきた際の持ち込み品を記した帳簿だった。王宮が儀礼として残した古い記録の中に、第一側妃が今も隠し通せると信じている金庫の出所が、工房名と型番まで冷たく残っている。ユスティナの指先がその行を示した瞬間、ヴィオラリアの目から、社交の色が消えた。

 

「……信じられない。入内時の持ち物リストから、工房と型番をここまで正確に割り出すなんて。ティナ、あなた本当に記録室が歩いているみたいね」

 

「恐縮です。記録と情報の整理が、私の職務ですので」

 

 ユスティナは淡々と一礼し、帳簿を開いたまま一歩下がった。第一側妃が隠したつもりの私物も、入内の時点で王宮の記録に残っている。その事実を読み取ったヴィオラリアは、もう金庫を未知の障害として見ていなかった。

 

「型番漆式。基本構造は『登録者個人の魔力波長』を鍵とする純粋な生体認証よ。つまり、第一側妃本人の魔力がないと正面からは絶対に開かない。でも、型番さえ分かればこっちのもの。……私が独自に編み出した技術なんだけどね。この世界の人間は『魔力波長』を魂や血統のような神秘的なものとして捉えているけれど、私の理論では、魔力波長も結局は音と同じ『振動(周波数)』に過ぎないのよ」

 

 それは、ヴィオラリアが異世界の科学知識からたどり着いた、魔力波長を測定し再現できる振動として扱う、全く新しい魔法工学の理論だった。

 

「音を合わせるように、波長を合わせればいい。漆式の基本術式は私の頭に入っているから、それに合わせてあらゆる魔力振動を自動で総当たりする『共鳴解錠器』を作れるわ。これが第一案。数分でカチリと開く。無音で、傷一つつけずにね」

 

「見事だね。ただ、長年の間にヒルデガードが認証回路へ細工を施していた場合や、想定外の不具合で共鳴解錠器が弾かれた場合はどうする?」

 

 リュートが失敗時の条件まで口にしたことで、ヴィオラリアの表情から笑みが消えた。第一案だけで済むなら、それが最善であることを、彼女自身が一番よく分かっていた。

 

「そのための第二案……『物理的破壊』よ」

 

 解錠ではなく破壊。その言葉は、ヴィオラリア自身が先ほど危険として挙げた防衛呪縛と正面からぶつかっていた。だからこそ、ライオネルは眉をひそめた。

 

「待て。さっき自分で『当てずっぽうで壊せば防衛呪縛が作動する』と言ったじゃないか」

 

「ええ。でも実は、漆式には壁に埋め込まれる『背面』の特定座標にだけ、工房が緊急回収する時のための物理的な救済措置が仕込まれているの。……金庫所有者が急死して、相続人が中身を取り出したい時のための極秘仕様よ」

 

 ヴィオラリアは手元の羊皮紙に、金庫の背面を描き込んだ。指先が示したのは、正面の認証術式とはまったく別の、壁に埋もれるはずの一点だった。

 

「私が作ったクロムハルト製の熱腐食の魔薬をそこに塗れば、背面の鋼鉄だけが溶ける。裏から手を入れて中身を取り出すことはできるわ。……ただし、その瞬間に全周波数の警報音が鳴る。消せないほど大きな音よ。工房側からすれば、正規の相続人が自室で開けるならどれだけ爆音が鳴っても問題ないでしょ? むしろ『泥棒が金庫の裏側から無音で破ることは絶対に不可能である』という事実こそが、クロムハルトの金庫の絶対的な信頼になっているのよ」

 

 リュートは、ヴィオラリアが示した背面の一点から、第一側妃宮の退路へ視線を移した。開ける方法は見えた。残る問題は、音が鳴った後、証拠をどこまで運べるかだった。

 

「なるほど……。技術の粋を集めた金庫だからこそ、壊された時には大音響が鳴るよう設計されているわけだね」

 

「そういうこと。一応、最高精度の『消音魔導具』も持たせるけど、気休め程度に思ってちょうだい。あれは本来、密談の話し声を打ち消すためのもので、物理破壊による全周波数の爆音を完全に網羅して殺し切れる保証はないわ」

 

 ヴィオラリアは、背面図の一点に印を付けてから、羊皮紙をルリカの方へ向けた。そこから先は、技術者が保証できる領域ではなく、証拠を抱えて走る者の領域だった。

 

「だから、第二案である物理破壊は本当に最終手段。もし背面に穴を開けて爆音が漏れたら、後宮の近衛が殺到してくる。その時は証拠を鷲掴みにして、即座に王宮から脱出しなさい」

 

「御意。……もし爆音が鳴れば、必ずや警報が兵を呼ぶ前に証拠を抱えて離脱いたします」

 

 ルリカは深く首を垂れた。無音で開けるか、音を背負って逃げ切るか。どちらに転んでも、自分が最後に証拠を抱えて走る役であることを、彼女は一言で引き受けた。

 

   ◇

 

 金庫の退路まで定まると、リュートは第一側妃宮の見取り図を脇へ押し、中央劇場の図面を円卓の中央へ引き寄せた。

 

「証拠奪取の算段はついた。次は、舞台挨拶そのものをどう抑えるかだ」

 

 第一側妃は大衆の同調圧力を利用し、セシリアに側妃化を宣言させることで既成事実を作ろうとしている。だが、劇場の図面を見たヴィオラリアは、そこで楽しげに口角を上げた。

 

「舞台挨拶については、先日、レティシアから常識外れだけれど、筋の通った演出論を聞いているわ。要は、劇場の中心で愛を叫ばせるの。……理屈は通っている。第一側妃の武器は『悲恋の物語に対する、大衆の熱狂と同調圧力』。ならば、大衆の目を覚まさせる必要はない。逆にその熱狂を『上書き』してしまえばいい。……レオンハルト卿が舞台に乱入し、セシリア様を奪い返す。その際、第一側妃が権力で介入する前に、二人の真実の愛を『劇の本当の結末』として大衆に見せつけるの」

 

 ヴィオラリアはそこで一度言葉を切り、中央劇場の図面に置いた指を客席から舞台へ滑らせた。熱狂を奪うだけでは足りない。奪った瞬間、その熱狂を誰へ向けるかまで決めておく必要があった。

 

「ローゼンタリアの民衆は、高度な劇場演出を知らない。だから、私が事前に劇場の音響と照明に『出力操作の魔導具』を仕込む。レオンハルト卿が上がった瞬間、第一側妃の拡声魔法を強制切断し、照明とすべての音響を主役たる二人だけに集中させる」

 

 それは、第一側妃が握るはずだった舞台の主導権を、技術によって奪い取る策だった。

 

 大衆が二人の愛に涙し、拍手喝采を送ってしまえば、それが新たな「世論の既成事実」となる。第一側妃が激昂して近衛を動かそうとしても、感動に沸く数万の観客を強引に敵に回すことは不可能だ。リュートは深く頷いた。

 

「……物語を奪い返すわけだね。筋は通っている。ただ、レオンハルトを劇場の舞台袖まで確実に到達させる必要がある。加えて、兄上の動向も見なければならない。兄上が本当に第一側妃と決別し、レオンハルトの行動を『正当な帰還』として引き受ける覚悟を持てるのか」

 

 レオンハルトが強引に舞台へ上がる以上、その後ろ盾となる第一王子派の連携が不可欠だった。劇場側の実働に話が移ったところで、ライオネルが応じた。

 

「その点は心配いらない、リュート。……グラクト殿下の動向と、第一王子派の近衛の動きは、俺が押さえる」

 

 その言い方は協力者のものだったが、ライオネルが見ているのは、レオンハルト個人ではなく第一王子派の近衛と動線だった。

 

「あの陣営の弱点は、舞台警備や近衛の動きを現場で束ねる指揮役が足りないことだ。俺はそこを突いた。レオンハルトには俺が指揮を支援すると伝え、彼自身に俺を戦術顧問としてグラクト殿下へ推薦させる。俺はレオンハルトの協力者という名目で、第一王子派の動線を把握する。舞台袖までの安全な経路を整えてレオンハルトを送り出し、同時に、第一王子の側で、あの方が本当に腹を括れるかを見極める」

 

 それなら、ライオネルは第一王子派の近衛を外から止めるのではなく、内側から遅らせることができる。だが、リュートの視線はまだ劇場の出口から離れなかった。

 

「……もし、兄上が責任を負う覚悟を持てず、また昔のように傍観者に成り下がって何もしなかったら?」

 

 ライオネルは、第一王子派の動線を書き込んだ位置から指を離した。そこから先は、グラクトの覚悟を前提にしない手順だった。

 

「その時は、第一王子派には頼らない。ヴィオラの演出通り、レオンハルトに舞台でセシリアへの意思を示させ、大衆を味方につける。そして、激昂した第一側妃殿下が自らの近衛を使って二人を捕縛しようとした瞬間に――組合の警備隊を動かす」

 

 リーゼロッテは、劇場の客席図へ視線を落とした。名を出された子どもたちを兵としてではなく、観客の流れとして配置するなら、自分の役目はすでに決まっていた。

 

「……なるほど。カイル様とお姉様で鍛え上げた、集団行動に長けた子たちですね。彼らには警備隊としてではなく、ただの『平民の観客』として私服を着せ、客席の主要な通路に小隊規模でバラバラに配置しておきます」

 

「そうだ。第一側妃が自分の護衛を動かすとき、彼らには『劇の展開に興奮して舞台へ押し寄せた観客』として動いてもらう。小隊ごとの連携で大衆の壁を作り、近衛の進路を物理的に塞ぐ。……近衛が熱狂する平民を斬り捨てるのを躊躇っている隙に、俺が舞台袖からレオンハルトたちを連れ出す」

 

 それは武力衝突ではなく、大衆の熱狂に紛れた通路封鎖だった。剣を抜けば、近衛は熱狂する平民を斬ったことになる。離宮は、兵が兵であることを示す前に、人の流れそのものを盾に変えるつもりだった。

 

「ライオネル。もう一つ、確認したい。兄上が動かず、君の足止めも突破された場合は、どうする?」

 

 ライオネルはすぐには答えなかった。人の流れを割られ、正規の近衛が舞台を包囲した場合、もはや観客の熱狂だけでは押し返せない。その沈黙を、リュートは答えとして受け取った。

 

「その時は、僕が直接舞台に上がり、セシリア嬢を連れ出す」

 

 声を荒げた者はいなかった。だからこそ、その一言は円卓の全員に、離宮が表に出る覚悟として届いた。

 

「……お兄様! それでは、離宮が表立って第一側妃殿下と敵対することに……!」

 

「構わない。離宮の目的のために彼女の人生を危険に晒しておいて、策が崩れた途端に見捨てるような真似は、為政者として許されない。それに、第一側妃の護衛は元からついている近衛と王宮から外出用に貸し出される近衛だから、護衛が護衛対象の命令に応じて傍を離れることなどありえないだろう。しかも、今はゼノビア侯爵も復帰して失態が許されない状況だ」

 

 グラクトが動かず、想定外の失態まで重なったなら、第二王子である己がすべての泥を被ってでも彼女を救い出す。それが、リュートなりの責任の取り方であった。ただし、彼は同時に、その事態に至る可能性が低いことも示していた。しかし、それを遮ったのは、アイリスの凜とした声だった。

 

「――その提案は拒否させていただきますわ。リュート様。貴方が直接舞台へ上がり、令嬢を強引に救い出すなど、絶対に許しません。……万が一の時は、私がセシリア様を連れ去ります」

 

 アイリスが前へ出たのは、東の経済を背負う公爵家令嬢としてだけではない。リュートと魔法契約を結んだ第一の共犯者として、その危険を彼自身へ返すためだった。

 

「アイリス、君が?」

 

 リュートが問い返しても、アイリスは笑みを崩さなかった。止めるための感情を、最初から論理の形へ整えてきた顔だった。

 

「政治的な建前として、第二王子である貴方が公の場で女性を強引に奪えば、第一側妃と表立って敵対するだけでなく、王家の品位を著しく欠く『他家の令嬢を私的に囲い込む王子』として王妃殿下から断罪されます。貴方の政治的失脚は、新制度構想そのものの死を意味します」

 

 アイリスはそこで、リュートではなく王妃の名を円卓に置いた。彼を止めるために必要なのは、情ではなく、王家の品位という逃げ場のない刃だった。

 

「ですが、東の公爵家令嬢である私が動けば話は別です。セシリア様は後宮での行儀見習いであり、『退去自由』な身。……私が『劇の展開とセシリア様の言葉に心打たれ、熱心な観客として手引きしてしまった』と主張すれば、それはただの令嬢の美談と暴走に過ぎません。第一側妃殿下がどれほど怒りを募らせようと、退去の自由がある以上、我がオルディナ家の資本力を前に、表立って私を罪に問うことなど不可能です。それに、可能性としては低いのでしょう?」

 

 つまり、同じ強行突破でも、第二王子が動けば王家の醜聞になり、東の公爵令嬢が動けば熱狂した令嬢の逸脱で済む。アイリスは、自らの胸元――リュートから受けたプロポーズの証であり、互いの利益と責任を結びつけた『魔法契約』の刻まれた場所を、ドレス越しにそっと撫でた。

 

「それに……絶望の淵にある令嬢を、王子様が自ら命懸けで救い出す。……そんな真似をすれば、セシリア様が貴方にどのような『非論理的な恩義』と『感情』を抱くか、火を見るよりも明らかです」

 

 その言葉だけは、政略ではなく私情だった。だがアイリスは、それを恥じる気配も、隠す気配も見せない。リュートと結んだ契約が利益と責任の結びつきである以上、その隣へ余計な物語を差し込ませるつもりはなかった。

 

「私は貴方の契約者です。これからの新国家の経済を回す私たちの間に、不確定な感情は不要です。……だから、私がやります。女の私が泥を被って強引に彼女を連れ出せば、セシリア様が貴方に余計な恋心を抱く余地など完全に消え失せますから」

 

 嫉妬をしていない、とは言わない。けれど彼女は、その嫉妬さえも、リュートを守るための役割へ変えて円卓に置いた。

 

 リュートは数秒だけ目を丸くした。やがて、そのあまりにも人間臭く、そして合理的な我が儘に、喉の奥で小さく笑った。

 

「……はは。そう来るか。自分の感情まで政治の盾にするなんて、本当に君らしいね。分かった、アイリス」

 

 からかう声ではなかった。アイリスが差し出した嫉妬と責任を、彼は同じ重さで受け取っていた。

 

「いざという時の強行突破は、君に任せる。ただし、東の資本を担う君を失えば、僕の法治国家構想も立ち行かなくなる。必ず僕の合図に従って動いてくれ。命を捨てるような無茶だけは、絶対にしないでくれ」

 

「はいっ……! お任せください、リュート様」

 

 アイリスは、商人の顔でも公爵令嬢の顔でもない、年相応の少女の笑みで頷いた。ライオネルは呆れたように肩をすくめたが、その視線はもう劇場の図面へ戻っている。ヴィオラリアもまた、笑みを浮かべたまま、音響魔導具の配置を図面へ書き込み始めていた。

 

 記録から金庫の型番を暴き、技術で劇場の音と光を奪う。人の流れで近衛を止め、最後は契約者の少女が泥を被る。

 

 王家の品位と大衆の熱狂。その二つを武器にする第一側妃に対し、離宮は一つの大きな力で対抗しようとはしなかった。記録、技術、人の流れ、そして責任を引き受ける者の意地を重ね、明後日の千秋楽へ向けた反撃の形を整えていった。

 

 

 

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