リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第7話前編『虚構を奪う声1』

1 舞台前の観測

 

 王都中央劇場は、開演前から異様な熱気と喧騒の渦に飲み込まれていた。

 

 平土間を埋め尽くす市民たちは、これから与えられるであろう「美しい結末」を待ち望み、熱に浮かされたように囁き合っている。

 バルコニー席を占める貴族たちもまた、今日この場で王宮の権力図がいかに塗り替わるのかという下世話な期待を隠し、舞台の幕が上がるのを待ち構えていた。

 

 第一王子と宰相令嬢の悲恋を謳う連続劇『白百合の檻と暁の星』。その最終公演の舞台挨拶に、「特別な令嬢」が登壇するという大々的な告知は、王都の空気を爆発寸前まで膨張させていた。

 

 その熱狂を、劇場二階の最奥に設けられた豪奢な貴賓席から、第一側妃ヒルデガードは、扇越しに、冷ややかな優越感をもって見下ろしていた。

 

「……民草というのは、本当に純粋で御しやすいものね。王家の品位と、美しい愛の物語という見せかけの飾りに、これほどまで心を打たれているとは……」

 

 それは、周囲に控える侍女たち、そして隣に座る令嬢に向けた言葉であった。

 

 ヒルデガードの傍らには、第一側妃宮を象徴する豪奢なドレスを纏ったセシリアが控えていた。彼女は一切の感情を排した完璧な淑女の微笑みを顔に貼り付けたまま、瞬きすら忘れたかのように微動だにしない。

 

 ヒルデガードにとって、この熱狂は絶対に手放せない命綱であった。第一側妃宮は王妃や他派閥からの警戒に晒され、その影響力を著しく低下させている。

 だからこそ、王宮の正規の手続きが及ばない「大衆の熱狂」を盾にし、この娘の口から直接「第一王子の傍らに仕える意思」を宣言させ、それを側妃入りの承認として世間に定着させる必要があった。

 

「セシリア。貴女も第一側妃宮での行儀見習いを立派に務め上げたわ。今日の舞台挨拶は、その研鑽の成果を皆様に披露する良き機会となるでしょう。期待しているわ」

 

「はい、第一側妃様。すべては、御心のままに」

 

 感情の抜け落ちた声に、ヒルデガードは満足げに頷き、貴賓席の扉が開く微かな音に、続いて衣擦れが重なった。

 

「――第一側妃殿下。大衆がこれほどまでに熱狂するとは、見事な文化事業へのご後援ですわね」

 

 現れたのは、西の公爵令嬢にして第一王子の正式な婚約者、ヴィオラリア・オルネ・クロムハルトであった。完璧な淑女の礼を執る彼女の碧眼には、一切の感情が浮かんでいない。

 

「あら、ヴィオラリア様。王立オセロ協会の総裁殿が、このような俗な場へ足をお運びになるとは思いませんでしたわ」

 

「お招きいただき感謝いたします。王都の民が何に興味を示し、どのような物語に価値を見出しているのか。大衆の娯楽の動向を数字として把握することも、協会運営には不可欠な実務ですので」

 

 ヴィオラリアは淡々と返し、ヒルデガードから勧められた席へ優雅に腰を下ろした。

 

 第一王子の正式な婚約者であるヴィオラリアがこの場にいることは、ヒルデガードにとって「第一王子陣営が自分の筋書きを追認した」という見え方を作るための好都合な要素であった。

 

「ええ、大変立派な心掛けだわ。将来、グラクト殿下の隣に立つ者として、民意を知ることは重要ですものね」

 

 ヒルデガードは扇で口元を隠し、試すような問いを投げかけた。

 

「……ところで、ヴィオラリア様。貴女もご存知の通り、王家の血脈をより強固にし、殿下をお支えするには、妃が一人では心許ないもの。王家の安定のため、殿下が新たに側妃をお迎えになることについて、婚約者として貴女はどうお考えかしら?」

 

 実質的な牽制であった。ここで嫉妬を見せれば王家の品位を欠くと断じ、王妃としての適性を問う構えだ。

 

 しかし、ヴィオラリアは表情を一切変えることなく、冷然と答えた。

 

「王家の安定と継承秩序を保つため、子を為す手段を複数ご用意されることは、王宮の制度として必要なことと存じます。私個人の感情が、王家の利益に優越することはございません」

 

 その言葉に、ヒルデガードは会心の笑みを浮かべた。

 

(……この小娘も、大衆の熱狂と王宮の制度を前に、側妃を受け入れるしかないのね。これでグラクトの周囲は、セシリアを通して再び私の影響下に置かれる)

 

 ヴィオラリアが述べたのは、王家の継承制度に関する原則論にすぎない。セシリアを側妃として認めたわけではなかった。

 

(……完全に自分がこの劇の支配者だと思い込んでいるわね)

 

 ヴィオラリアはその判断を表情に出さず、第一側妃が舞台への執着を深めるままに任せた。

 

 その時――けたたましいファンファーレが鳴り響き、劇場の重厚な幕がゆっくりと上がり始めた。

 

 連続劇『白百合の檻と暁の星』、最終公演の開演である。

 

   ◇

 

 貴賓席で第一側妃が自らの筋書きの完成を待つ間、その企てを止める者たちは、劇場の内外でそれぞれの役目に就いていた。

 

 劇場外の暗がりには、身分を隠すため意匠を抑えた外套を纏った第一王子グラクトと、側近であるエドワルドが待機していた。二人の前には、第一王子付き近衛の精鋭たちが武具を鳴らすこともなく整列し、命令を待っている。

 

 その先頭に立ち、現場の動線を最終確認しているのは、ライオネルであった。

 

「――いいか。俺たちの目的は、セシリア嬢本人の『帰還の意思』を、妨げられずに実行できるようにすることだ。レオンハルト殿が舞台へ上がる動線を確保し、その意思が確認され次第、第一側妃殿下の護衛を盾と体術で抑えて退路を作る。剣は抜くな。民衆に怪我をさせれば、第一王子殿下が武力でセシリア嬢に発言を強いたみられる」

 

「はっ!」

 

 第一王子付きの近衛たちは、セシリア本人の意思が命令の発動条件であり、救出のためであっても武力を先行させてはならないと理解し、低く応じた。

 

   ◇

 

 一方、劇場内では、離宮の面々が熱狂する大衆に紛れ、それぞれの役割に応じた位置を占めていた。

 

 最前列の左側、舞台の細部と舞台袖へ続く出入り口まで見渡せる特等席には、第二王子リュートと、東の公爵令嬢アイリスが座っていた。彼らは劇の内容には一切興味を示さず、舞台袖へ出入りする第一側妃の護衛の動きと、舞台上の構造を冷ややかに観察している。

 

 舞台の開幕をまつ観客の意識が舞台へと吸い寄せられていたその時。平民の外套を深く被り、群衆に擬態したスピネルが音もなくリュートの背後に近づき、その耳元で短く囁いた。

 

「ルリカ様が、お仕事を完了されました」

 

 周囲の誰に聞かれてもただの雑用としか思われない、秘匿された報告。だがそれは、別働隊として動いていたルリカが、無事に宰相を縛る『鎖』の奪取に成功したという報告であった。

 

 リュートは舞台から視線を外すことなく静かに頷くと、予定に変更はないことを各員へ伝達するよう命じて、座席に深く腰掛け直した。その隣でその短いやり取りを聞いていたアイリスも、張り詰めていた肩の力を抜き、密かに安堵の息を吐いて思考を再び劇場の方へと戻した。

 

  ◇

 

 そして、客席の右最後尾。劇場全体を俯瞰できる位置には、第一王女リーゼロッテと、内務卿の娘ユスティナが静かに並んでいた。

 

「……始まりましたわね、ティナ」

 

「はい、リーゼ様。各員は予定の位置に就いております。第一側妃の護衛部隊も、今のところ想定した範囲から動いておりません」

 

 リーゼロッテは、プラチナブロンドの髪をフードで隠しながら、二階の貴賓席を真っ直ぐに見上げた。視線の先にいるのは第一側妃ではなく、その傍らで声を奪われている一人の少女だった。

 

(震えても構いませんわ、セシリア様。……ただ、自分の足で立ちなさい。第一側妃が用意した悲劇の檻を、貴女自身の声で叩き壊すのです)

 

 リーゼロッテがセシリアを救い出すために策を巡らせてきた理由は、単なる権力闘争の勝利ではない。第一側妃によって逃げ場を奪われ、誰の声も届かぬ密室で命を落としたルナリア。その『二人目』を決して作らないためであった。醜聞という傷まで引き受け、自らの意思を示すと決めたセシリアの姿を、リーゼロッテは思い返す。

 

(貴女が踏み出したその一歩を、私たちは決して見捨てません。だから……恐れずに、世界を拒絶しなさい、セシリア様)

 

 それぞれの思惑と覚悟が交錯するなか、虚飾の舞台は、万雷の拍手と熱狂の渦と共に進行していった。

 

 

 

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