リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第6話『虚飾の舞台へ4』

4 欠けた指揮官

 

 中央劇場での最終公演を二日後に控えた、本宮の第一王子執務室。

 

 分厚い樫の机には、劇場の精緻な見取り図と近衛の配置案が広げられ、第一王子グラクトは重い疲労を滲ませながら眉間を揉みほぐしていた。

 

「……駄目だ。どう配置を練り直しても、現場を完全に統制しきれない」

 

 グラクトの吐き捨てるような声に、向かいに立つ第一王子の側近、エドワルド・シーン・カルネリアも、理知的な氷青の瞳を細めて頷いた。

 

「同感です。劇場の出入り口の封鎖、観客の動線管理、そして有事における第一側妃殿下の護衛との衝突回避。……机上の計算や配置の根回しであれば私でも整えられますが、数万の群衆が入り乱れる流動的な現場で、近衛たちを臨機応変に動かすことは、文官である私には不可能です」

 

 第一王子付き近衛は、新設されたばかりだった。編成に際して近衛長を置けば、近衛騎士長を家職とするゼノビア侯爵家との権限関係に、後々不要な対立を生むおそれがある。そのため、あえて常設の近衛長は置かず、王子付き近衛の本来の職務もグラクト個人の護衛に限定していた。部隊を小規模に分ける運用は想定せず、エドワルドが配置を管理し、グラクトが全体を指揮する体制を整えることに、これまで時間を費やしてきた。

 

 だが、今回のような人混みを前提に小規模の部隊で動く作戦行動において、実働の「現場指揮官」が欠落している構造は、致命的な機能不全を起こしている。さらに決定的な問題があった。机の傍らに控えていた白獅子の騎士、レオンハルトが静かに口を開く。

 

「明後日の舞台。セシリアの前に出るのは、私です」

 

 セシリアが舞台で側妃入りを宣言させられる直前、レオンハルトは劇の進行を破って舞台へ入り、脅迫の材料が失われた事実を告げたうえで、彼女自身の帰還の意思を公に確かめなければならない。それは、現在の第一王子陣営で最も武力と統率力に優れたレオンハルトが、作戦の当事者として現場指揮から完全に外れることを意味していた。

 

「私が舞台に上がれば、第一側妃様は私とセシリアの捕縛を命じるでしょう。それを防ぐには、第一王子付き近衛の一隊を動かし、セシリアを保護していただかなければなりません。しかし、グラクト殿下は後方で近衛全体を指揮し、民衆へ被害が及ばないよう判断する役目から離れられず、エドワルド殿は各部隊への伝令を統率しなければならない。……人混みを制御しながら退路を確保する現場指揮官が、どうしてももう一人必要です」

 

 指揮官の欠落。この構造的な弱点を前に、執務室は重い沈黙に包まれた。

 静寂を破ったのは、レオンハルトだった。

 

「……一人だけ、心当たりがあります。身分が確かで、現場の兵を束ねる度胸があり、同時に部隊の動かし方を知っている男。……南のヴィレノール公爵家嫡男、ライオネル殿です。彼の能力なら、この配置図の穴を埋められます」

 

「ライオネルだと?」

 

 グラクトは、ライオネルの実務能力を学園で知っていたからこそ、その名が持つ政治的な重さを先に考えた。南の次期公爵に第一王子付き近衛の現場指揮を任せれば、能力だけでは処理できない家格上の意味が生じてしまう。

 

「軍事上の必要だけで決めるには、政治的な配慮が足りないぞ、レオンハルト。南の次期公爵を、一時的とはいえ第一王子付き近衛の指揮下に置くというのか? 公爵令息を第一王子の部下として扱ったと見られれば、王家と公爵家との均衡を崩し、他の公爵家にも不要な警戒を与える」

 

「それは……」

 

 軍事上の必要を優先していたレオンハルトは、公爵家の立場を損なわずに助力を得る方法までは答えられず、言葉に詰まった。だが、王宮の権力関係を知り尽くすエドワルドは、能力の必要と公爵家への礼を両立させる名目を即座に組み立てた。

 

「いいえ、グラクト殿下。レオンハルト殿の提案は、現場の必要としては極めて正しい。公爵令息を第一王子の部下にせず、その助力を得る形も整えられます。ライオネル殿を近衛の正式な指揮官には任命せず、『新設された新設された第一王子付き近衛の戦術訓練について、ヴィレノール公爵家との友誼に基づき、臨時の助言を求める』のです」

 

 エドワルドは、図面の上を指でなぞりながら、当日の権限関係まで定めていく。

 

「部隊長の権限はあくまで殿下に残し、ライオネル殿には戦術顧問として現場判断を補佐していただく。これなら公爵家の嫡男を第一王子の部下として扱わず、必要な指揮能力だけを借りられます。南の公爵家から公然と助力を得る形にもなり、第一側妃への牽制としても機能するでしょう」

 

 レオンハルトが現場で必要な能力を示し、エドワルドが公爵家の立場を損なわない権限関係を整えた。名目は第一王子付き近衛への臨時の戦術助言。実際には、グラクトの指揮権の下でライオネルが現場判断を担い、第一側妃の実力行使からセシリアの帰還意思を守る体制だった。

 

「……なるほど。理には適っているな。呼べ。私が直接頼む」

 

 グラクトの決断に迷いはなかった。

 

   ◇

 

 一時間後。執務室に招き入れられたライオネルは、机の上に広げられた劇場の図面と、グラクトたちの深刻な表情を見るなり、すべてを察したように快活な笑みを浮かべた。

 

「お呼びとあらば何処へでも。……で? 俺を近衛の『戦術指導』に招聘したいという公的な書状を頂きました。この物々しい図面を見るに、まさか本当に素振りの指導をしてくれという話ではないのでしょう?」

 

「ごまかすつもりはない。腹を割って話そう、ライオネル。明後日の最終公演、私は第一側妃の暴走を止める。レオンハルトとセシリア嬢の未来を、大衆の前で取り戻す」

 

 ライオネルの快活な笑みが薄れた。離宮から託されたのは作戦への協力だけではない。グラクトが母の威光から離れ、自らの責任で立てるかを見極めることも、彼が第一王子派へ入る目的の一つだった。

 

「……それはつまり、第一王子殿下ご自身が、生みの母である第一側妃殿下と公に敵対するということで間違いありませんね?」

 

「そうだ。そのための近衛は整えたが、当日、兵を動かす現場指揮官が足りない。……君の腕を見込んで頼む。私の近衛を動かし、レオンハルトを舞台へ送り届け、セシリア嬢の帰還意思を守る盾になってはくれないか」

 

 それは、第一王子が公爵家の嫡男へ、自ら責任を負うことを示したうえで助力を求めるに等しい言葉だった。ライオネルは、第一王子派が離宮の見立てどおり自分を必要としたことを悟ったが、その内心を隠し、南の公爵令息として慎重に問い返した。

 

「グラクト殿下。公には『戦術訓練への助言』という形を取るにしても、俺が現場で兵を指揮し、第一側妃殿下の近衛を妨害すれば、ヴィレノールは明確な恨みを買います。……俺に、第一側妃殿下の怒りという泥を被れと?」

 

 その鋭い追及に対し、グラクトは一切の躊躇なく首を横に振った。

 

「その責任を君やヴィレノール家に負わせるつもりはない。部隊の長は、あくまで第一王子である私だ。……この作戦を理由に第一側妃が君へ不利益を与えようとした場合、その追及には私が矢面に立つ」

 

 グラクトの声には、退路を断った者の持つ凄絶な重みがあった。

 

「責任は私が負う。だが、現場の兵を活かすためには、君の力がどうしても必要なんだ。……私に、力を貸してくれ」

 

 他者へ責任を押しつけていたかつてのグラクトとは異なり、助力を求める側として、自分の責任範囲を先に示す言葉だった。ライオネルは、その宣言が実際の行動に耐えるかを見極めるように数秒間グラクトを見つめ返し、やがて小さく息を吐いた。

 

「……第一王子殿下にそこまで言われて、損得勘定だけで退くほど南の男は肝が小さくありませんよ。いいでしょう。そういう話であれば、喜んで現場の指揮を執らせていただきます」

 

 レオンハルトが安堵の声を漏らすと、ライオネルはすぐに実務家の顔に切り替わり、机上の図面へと身を乗り出した。

 

「ただし、俺が指揮を執る以上、曖昧な動きは許しません。レオンハルト殿が舞台へ上がるための安全な動線と退避経路は、俺が確保します。エドワルド殿には、文官として事後の抗議を制度の言葉で処理する役をお願いしたい。現場の兵の統率と物理的な防衛線は、俺が引き受けます」

 

「承知した。兵の動かし方は貴殿に一任し、私は外部への対応に専念しよう」

 

 エドワルドが役割分担を受け入れたことで、現場指揮を担うライオネルの確認は、部隊長であるグラクトの覚悟へ移った。

 

「グラクト殿下。俺たちがどれだけ現場で動いても、部隊の長である貴方が舞台の正面で堂々と立ち、第一側妃殿下の威圧を弾き返してくださらなければ、すべての防衛線が崩壊します。……腹を括れますか?」

 

 南の令息からの不遜とも言える問いかけに対し、グラクトは力強く頷いた。

 

「当然だ。母上の前に立つのは、私の役目だ」

 

 ライオネルが舞台袖への動線、退避経路、第一側妃側の近衛と接触した際の部隊分担を書き込むと、グラクトが全体の判断、エドワルドが伝令と事後対応、ライオネルが現場指揮を担う役割分担が図面上に定まった。

 

 表向きは第一王子付き近衛への戦術助言であり、実際には王妃が示した帰還の原則を守るため、第一側妃の実力行使に備える体制だった。第一王子派はここで初めて、不足していた現場指揮を南の公爵家嫡男の協力によって補った。

 

「……これで、作戦実行に必要な人材は揃った」

 

 ライオネルが書き加えた役割分担を見下ろし、グラクトは、自分が舞台の正面で第一側妃と向き合う位置を確かめた。

 

 第一王子派は、最終公演でセシリア本人の帰還意思を守り、第一側妃の実力行使を止めるための体制を整えた。残るのは、二日後の舞台でグラクトが自ら定めた責任の範囲を、実際の行動として示せるかどうかだった。

 

 

 

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