リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
5 離宮の布陣
中央劇場での最終公演を二日後に控えた、深夜の離宮。
第一王子グラクトが執務室で警備体制を固めていたその頃、円卓を囲む離宮の面々は、第一側妃宮への潜入と、劇場でセシリアの意思を守るための最終確認に入っていた。
「……できたわ。共鳴解錠器と、局所熱腐食の魔薬よ。徹夜の突貫作業だったけれど、型番漆式に合わせた調整は済ませたわ」
目の下に深いくまを作った西の公爵令嬢ヴィオラリアは、二つの小さな木箱を卓上へ置いた。徹夜の疲労は隠せなかったが、その碧眼には、完成させた道具への確信が残っていた。
「第一案は、登録された魔力波長を総当たりで探る無音解錠。第二案は背面の装甲を溶かす最終手段だけれど、破壊すれば全周波数の警報音が鳴る。……ルリカ様、渡した消音魔導具の範囲を過信しないで。第二案へ移った時点で、隠密は破綻したものとして離脱してちょうだい」
「御意。第一案で開かなければ、警報が兵を呼ぶ前に証拠を奪い、離脱いたします」
ルリカは木箱を恭しく受け取り、自らの装備の奥底へ厳重に仕舞い込んだ。金庫を開ける手段は整った。だが、第一側妃の居室へ潜入するには、より根本的な問題がある。
円卓の上には、第一側妃宮の巨大な図面が広げられていた。
「第一側妃殿下の私室は、ただの一室ではありません。複数の控え室、衣装部屋、侍女の待機所が入り組んだ、それ自体がひとつの『迷宮』です。手探りで金庫を探していては、残された侍女や護衛に見つかります。金庫を不用意に扱えば、警報を作動させる危険もあります」
内務卿の娘であり、離宮の記録整理を担うティナは、過去の建築記録から起こした平面図のうち、私室の奥部に当たる箇所を指した。公的な記録から分かるのは部屋の配置までであり、後から設けられた隠し扉や金庫の位置までは記されていなかった。
「だからこそ、セシリア様が第一側妃宮で確かめた情報が必要になるのよ」
リーゼロッテが、自らペンを取り、ティナの平面図に精緻な経路を描き込んでいく。それは、セシリアが「自我を砕かれた人形」を演じながら、第一側妃の傍らで虚ろな瞳の奥に焼き付けてきた、居室の奥底の構造だった。
「お姉様、この経路と金庫の位置を完全に頭へ入れてください。第一側妃がセシリア様を伴って最終公演へ出向いている間に、一切の迷いなく金庫へ到達し、誓約書を奪って離脱してください」
「承知いたしました」
記録から割り出した金庫の仕様と、セシリアがリーゼロッテへ伝えた居室内の情報が重なり、ルリカが金庫へ到達する経路が定まった。
◇
「ルリカの潜入経路は定まった。……次は、劇場側の動きだ」
劇場側の調整を担えるのは、第一王子付き近衛の現場判断を任されたライオネルだけだった。リュートが視線を向けると、第一王子執務室から帰還したばかりの彼は、円卓から少し離れた壁際で報告を待っていた。
「第一王子派の準備は整った。エドワルド殿が警備配置を組み、正式な指揮権はグラクト殿下に残したまま、俺が現場判断を担う。王妃殿下の『本人が帰還を望むなら留められない』という原則を根拠に、レオンハルト殿がセシリア嬢の意思を公に確かめ、グラクト殿下がその帰還を第一王子の責任で守る手筈だ」
第一王子派が知らないのは、僕たちが金庫から誓約書を奪うことと、セシリア嬢がすでに自らの意思で拒絶すると決めていることだね」
レオンハルトが知っているのは、宰相が職を退いたことだけだった。そこから、セシリアを縛っていた脅迫も効力を失ったはずだと推測し、彼女を舞台から連れ出そうとしている。第一王子派は、誓約書の存在も、離宮が証拠を奪う計画も知らない。
「……ライオネル様。第一王子派の行動を止める必要はありませんわ。ただし、レオンハルト殿を舞台へ送り出すのは、セシリア様がご自身の拒絶を口にした後にしてくださいませ。彼が先に現れれば、観客は彼女の決断を、騎士に救われた令嬢の物語として受け取ってしまいます。セシリア様の言葉を、誰かの救出に従属させてはなりませんわ」
リーゼロッテが求めたのは、第一王子派へ離宮の計画を明かすことではない。ライオネルに委ねられた現場判断の範囲で、セシリア本人の拒絶をレオンハルトの救援より先に成立させることだった。
「分かった。レオンハルト殿は舞台袖まで通すが、セシリア嬢が自分の言葉を発するまでは進入の合図を出さない。第一側妃殿下や侍女が発言を力で封じようとした場合は、第一王子付き近衛を間へ入れる。拒絶が大衆へ届いた後、レオンハルト殿を舞台へ送り出す」
ライオネルは、第一王子派から任された現場判断を保ったまま、離宮の真意を明かさずに登壇の時機を遅らせる役を引き受けた。」
「……リーゼ。組合警備隊の配置は済んでいるか?」
リュートが確認したのは、第一王子付き近衛が動けない場合に限って使う、最後の備えだった。リーゼが視線を向けた先には、カイルの訓練を受けた海運組合警備隊を率いる小隊長、テトラが控えていた。身寄りのない境遇から引き上げられた者たちを含む警備隊は、いまでは自らの任務と指揮系統を理解する集団となっている。
「はい。警備隊の基本任務は、観客として静観することです。ただし、セシリア様が発言しようとした際に、第一側妃宮の侍女や護衛が実力で妨げ、第一王子付き近衛も動けない場合は、ライオネル様の合図に従います。各通路の隊員が観客の流れを作って護衛の進路を塞ぎ、その間にセシリア様の退路を確保します」
組合警備隊が独断で動けば、セシリアの選択そのものが離宮の仕組んだ騒乱に見える。リーゼが確認したのは、介入条件を正規の近衛が機能しない場合に限定し、命令をライオネルの合図へ一本化することだった。
組合警備隊が独断で動けば、セシリアの選択そのものが離宮の仕組んだ騒乱に見える。リーゼは、介入条件を第一王子付き近衛が機能しない場合に限り、指示をライオネルの合図へ一本化した。当日は私服の観客として主要な通路へ分散し、正規の近衛が動けない場合だけ、セシリアの退路を開く。それが、離宮が用意した最後の備えだった。
金庫の位置と解錠手段、レオンハルトを舞台へ送り出す時機、客席に潜ませる組合警備隊まで、離宮が担う役割は一つずつ定まった。
「第一王子派は、王妃殿下が示した帰還の原則を使い、レオンハルト殿による救出と、兄上の責任による保護を成立させようとしている。僕たちは、セシリア嬢が誰かに救われる前に、自ら第一側妃を拒絶する瞬間を守る。彼らの作戦を利用しつつ僕たちの目的を達成しよう」
リュートは、第一側妃宮の平面図から、円卓に集まった者たちへ視線を巡らせた。誓約書を奪い、レオンハルトの登壇を遅らせ、セシリア本人の拒絶を先に大衆へ届かせる。離宮の役割は、第一王子派とは別の情報と判断のもとで結ばれていた。
第一王子派が離宮の真意を知らないまま、二つの陣営はそれぞれの思惑を抱え、数万の大衆が集う最終公演へ向かおうとしていた。