リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第8話『空白の設計者3』

3 饗応役の裁量

 

 本宮の議場に、朝の光が高く差し込んでいた。

 磨き抜かれた大理石の床。歴代の王を描いた天井画。金糸の垂れ幕。王国の「品位」を練り上げて固めたようなその広間に、国王臨席の対策会議が召集されていた。議題はただ一つ——帝国皇子アレクシスの来訪への対応である。

 

「帝国との婚約交渉は、我が国にとっても望ましい。ルナリアが身罷った今、帝国との外交経路を失うことは許されぬ。もっとも、此度は帝国皇子の学園留学に伴う来訪だ。婚約交渉も、ただちに厳しい局面へ入ることはあるまい」

 

 玉座の国王が重く告げると、居並ぶ重臣たちが一斉に頭を垂れた。

 口火を切ったのは魔導卿だった。王宮派閥を実質的に束ねる男は、確信に満ちた声で献策する。

 

「陛下。帝国は新興の国なれど、皇子ともなれば本物の格式を知らぬはずがございません。王宮の威信と、伝統に裏打ちされた品位を余すところなくお示しすれば、若き皇子は必ずや我が王家の重みを悟りましょう。格の違いを胸に刻ませることこそ、交渉を有利に運ぶ王道にございます」

「うむ。歴代の例に倣い、最上の格式をもって迎えるがよかろう」

 

 重臣たちが次々と賛意を示していく。謁見の間の設え、序列、饗応の膳、舞踏の式次第——語られる細目はいずれも、王国の外交が幾世代もかけて積み上げてきた作法の粋だった。

 

 誤りではない。

 末席近くに座して聞きながら、リーゼロッテは静かにそう認めていた。しかし、使節団の来訪と帝国皇子の留学を、同一のものとして扱っているのはいただけない。相手が王国の論理で動く国であれば、これは満点の戦略である。上位者の重みを示し、それを認めさせることで交渉の主導権を握る。人治の体制において、外交とはそういうものだ。

 

 (ただし——あの国には、通じない)

 

 実力主義を国是とする帝国にとって、王国が品位と呼ぶ形式は、実利を生まぬ見栄にすぎない。この国の一方的な格式を積み上げるほどに、彼らの目に王国は『中身のない国』と映るだろう。だが、それをこの場で説く意味はない。正しさを声にして権威とぶつかることほど、無駄の多い手はないのだから。やがて国王の視線が、末席の王女へ向いた。

 

「リーゼロッテ。此度の饗応役、そなたに命じる。先の使節団の折も、そなたの采配に不足はなかった。王家の名に恥じぬよう、皇子をもてなすとともに仲を深めるように」

「謹んで、拝命いたします」

 

 リーゼは立ち上がり、一分の隙もない礼を執った。柔らかな微笑。恭順そのものの佇まい。居並ぶ重臣の誰一人として、その完璧な所作の内側を疑う者はいなかった。

 

 会議が散会し、重臣たちが議場を退出していく。リーゼはその流れに逆らわず、しかし最後に残る形で歩を緩め、玉座を降りた国王と、その傍らの王妃マルガレーテの前で足を止めた。

 

「陛下、王妃様。拝命に際し、一つだけお願いがございます。饗応の一切を、わたくしにお任せいただきとうございます。式次第も、調度も、膳も、人の配置も——細目のすべてを、饗応役の裁量のうちに。皆様方のご意向は、このリーゼロッテが責任をもって形にいたします。細事で諸卿のお手を煩わせては、肝心の交渉に障りますゆえ」

 

 権威に異を唱えるのではない。権威の望みを叶えるために、手足の自由を求める。願い出の形式は、どこまでも臣下のそれだった。国王はわずかに思案し、隣の王妃へ目をやった。

 

 マルガレーテの氷青の瞳が、目の前の王女を静かに測る。自ら手を動かすのではなく、任され、人を使って成す——申し出の骨格そのものに、咎めるべきものはない。王妃は短く告げた。

 

「……よろしいでしょう。ただし、王家の体裁だけは、決して崩さぬように」

「無論にございます。王家の威厳こそ、饗応の柱にございますれば」

 

 リーゼは深く頭を垂れた。了承は、取り付けた。

 これで細目の決裁を、いちいち上へ諮る必要はなくなった。波風は、一つも立てていない。

 

   ◇

 

 その日の午後、王宮の一角に与えられた饗応役の実務室では、紙の擦れる音だけが続いていた。執務卓の向こうで手を動かすのは、ユスティナである。表舞台に立つことのないこの令嬢は、内務省の記録と交易報告の山から、必要な紙だけを迷いなく抜き出していく。

 

「リーゼ様。ご指示の抽出、まとまりました」

 

 卓上に並べられたのは、三つの束だった。

 

 一つ目は、帝国の直近ので需要の伸びている品々——すなわち、いま帝国で何が「最新」とされているか。

 

 二つ目は、アレクシス殿下の関心事と趣味嗜好、帝国側が重視する主題。御供の構成、過去の照会記録、書簡で繰り返し触れられてきた主題の一覧。

 

 三つ目は、前例。先の帝国使節団来訪の際、饗応のどの部分が交渉の進展に寄与し、どの部分が空転したかの検証だった。

 

「……十分よ。ありがとう、ティナ」

 

 今回は前例のない留学である。しかし、先の使節団への饗応は、帝国が何を敬意と受け取るかを示している。

 リーゼは三つの束を順に繰り、頭の中で饗応の全体像を組み上げていく。格式を尽くした長い晩餐よりも、簡潔で要を得た進行。装飾よりも、機能と最新。相手の時間を奪わず、相手の関心に沿って場を設える——帝国の規範で『敬意』と読まれるのは、そちらのほうだ。それこそが、帝国の尺度に応じて王国の実力を示す饗応となる。

 

   ◇

 

 夕刻、実務室には饗応に関わる官僚たちが呼び集められた。帝国式を基調とした式次第の原案が配られると、案の定、典礼を預かる古参の官僚が眉を寄せる。

 

「リーゼロッテ殿下。これでは、あまりに……王国の格式が立ちませぬ。歴代の例に照らしましても」

 

「ええ、そのご懸念はもっともです。ですから、まず前例をご覧ください。先の使節団の折、交渉が最も進んだのは、格式を尽くした晩餐の席ではなく、進行を簡素に改めた二日目以降でした。記録に残っております。……次に、こちら。帝国で目下、最も評価の高い様式と品々の一覧です。交易の数字は、嘘を申しません。さらに、皆様は一つ思い違いをなさっておりませんか。今回は使節団の来訪ではなく、帝国皇子ご本人の留学です。何もかも使節団の折と同じに整えれば、皇子殿下を使節団と同列に扱うことになりますわ」

 

 官僚たちが紙面へ目を落とす。そこに並んでいるのは主張ではなく、日付と数字と、彼ら自身の省庁が残した記録だった。

 

「王家の威厳は、謁見の席次と陛下の御座をもって余すところなく示します。そこは一切、崩しません。ですが、それ以外のすべて——出迎え、控えの間、膳、進行——は、皇子殿下が『敬意を払われている』と感じる形に組み替えます。相手に伝わらぬ敬意は、いかに正しくとも、存在しないのと同じにございますから。これが帝国皇子へ示すべきわたくしたちの品位です」

 

 前例があり、数字があり、王家の体裁も守られる。さらに、変更そのものが帝国皇子にふさわしい品位を示すためだと位置づけられ、反対の論拠は一つずつ静かに外されていった。官僚たちは顔を見合わせ、やがて頷いた。声を荒げる者は、最後まで一人も出なかった。

 

 夜。人の引けた実務室で、リーゼは完成した饗応計画の綴りを閉じた。

 表紙に掲げられているのは、王宮の求める「伝統の体裁」。その一枚下に組み込まれているのは、帝国への偽りのない敬意と実務だけで編まれた、無駄のない饗応計画だった。

 

 

 

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