リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
6 謁見の暴露
謁見の間は、王国の心臓部にふさわしい荘厳さで満たされていた。
天蓋の下の御座に国王、その傍らに王妃マルガレーテ。左右へ延びる席次には王族と高位貴族が家格の順に居並び、大理石の柱の間を、色とりどりの礼装が埋めている。御座の配置と序列——そこだけは、寸分の狂いもなく王国式だった。
だが、式そのものは違う。
開式の口上は短く、進行は刻限通り。長々しい家系の朗誦も、香も、様式のための様式もことごとく削ぎ落とされ、要のみが帝国の礼式で運ばれていく。式を預かる宰相の捌きは正確で、無駄な淀みがひとつもない。
(……ここまで、貫き通したか)
玉座の前へ進み出ながら、アレクシスは口の端にごく薄い笑みを乗せていた。王女の言った「道理」は、この国の最奥まで通っている。少なくとも、式の形の上では。その皇子へ、御座の国王が口を開く。
「アレクシス皇子。遠路の来訪、王国を挙げて歓迎する。両国の親善が、貴殿の代においてさらに深まらんことを願う。……娘の饗応に、不足はないか」
「勿体なきお言葉。我が帝国もまた、貴国との縁を何より重んじております。……この度の婚約交渉が実りあるものとなるよう、滞在の間、誠意を尽くす所存です。不足どころか。王女殿下のご采配は、我が帝都の宮廷へ持ち帰りたいほどのものでした」
国王が満足げに頷き、王妃マルガレーテが型の内で正確に言葉を添える。飾りに聞こえて、含みの位置をひとつも外さないやり取りだった。頂に立つ者たちが無能でないことは、二言三言で知れる。
——そして、それゆえにこそ。
アレクシスは、広間に満ちる「目」の温度を、正確に測り続けていた。式は帝国式。応対は完璧。だが、居並ぶ貴族たちの視線は、式次第の外側にある。
好奇。値踏み。そして——そこへ薄く溶け込んだ、覆いようのない侮り。黒髪に、赤眼。帝国の色をまとった皇子へ向けられる眼差しの底に、それは確かに沈んでいた。柱の陰の囁きが、鍛えられた耳へ切れ切れに届く。曰く、所詮は成り上がりの武の国。曰く、亡きルナリア妃と同じ、一段劣る血の色よ——。
(……ああ、やはりな)
都の応対がどれほど「今」の帝国式であろうと、骨の髄に染みた血統の序列は、一朝では変わらない。金髪金眼のみを光と仰ぎ、それ以外のすべてを影と数える。この国の建前は、装いの下で確かに息をしている。事前の情報は、誤りではなかった。要職の者は有能で、国は安定し——そして貴族たちは、傲慢だった。
アレクシスの視線が、ゆっくりと王族の席へ流れる。第一王子グラクト。堂々たる体躯と、正統の金。次期王の名に恥じぬ佇まいだ。その、さらに端。列の影へ溶けるように、一人の王子が立っていた。黒髪。伏せがちの、赤眼。
(——見つけた)
均されすぎた空白。洗っても何も出ない綴りの主が、初めて実体を持って視界にある。気配が、薄い。存在を消しているのではない。場にいながら、場の計算から自然に外れていく——そういう立ち方だった。完璧な、影の品位。
広間の誰も、第二王子を見ていない。その事実そのものが、アレクシスの内で静かに火を点けた。最高位の血を、影と数えて顧みない傲慢。ならば——教えてやろう。お前たちが影と呼び、足蹴にしてきたものの、本当の色を。
打つべきか、否か——計算は、一瞬で終わった。
この暴露は、帝国の側には何の傷も残さない。王国には、抜けない棘だけが残る。侮った者たちには、恥を。そして、かつてルナリアへ害意を向けた何者かがこの広間のどこかにいるのなら、その喉元へ皇妃の視線という氷を突きつけることになる。費えはなく、得るものは多い。
視界の端で、イザルトと目が合った。従者は、止めなかった。ただ観測の構えを、一段深くしただけだった。公式の口上が一巡し、進行が親善の辞へ移った、その継ぎ目だった。
アレクシスは半歩、前へ出た。予定にない動きに、宰相の眉がわずかに動く。皇子は構わず、広間の隅々まで届く声で、朗々と語り始めた。
「国王陛下。此度の歓待、帝国皇子として、心より御礼申し上げる。貴国の礼式には、我が国への深い敬意が隅々まで行き届いていた。……そのうえで、この善き日に。両国の縁の深さを示す事実をひとつ、この場の皆に披露する栄誉を、いただきたく存ずる」
国王が鷹揚に頷く。貴族たちの視線が集まる。予定調和の美辞が続くものと、誰もが疑っていなかった。アレクシスは笑みを深め——刃を、抜いた。
「この王国には、我が帝国の最も貴き血が流れている。……亡きルナリア妃は、我がファブリス帝国シュタインヴァルト公爵家の姫にして——我が母である現皇妃ソラリア陛下の、実の妹君であらせられる。すなわち、ここにおわすリュート王子殿下は——帝国皇妃の、実の甥君。両国を結ぶ、何よりの証にあらせられる。皇妃陛下は、妹君の忘れ形見を——常に、気にかけておいでだ」
一拍の静寂ののち、謁見の間が、割れた。どよめきが波となって柱の間を走る。扇が鳴り、衣擦れが渦を巻き、誰かの杖が石床を打った。第一王子グラクトですら、驚愕を隠しきれずにいる。影と数えてきた第二王子が、帝国皇妃へ直結する血縁を持つ——『一段劣る』と侮ってきた色が、帝国では皇妃の一族として遇される。王国の血統至上主義が拠り所としてきた序列の物差しを、その物差し自身の論理が、公衆の面前で狂わせた瞬間だった。
そして、視線の雪崩が起きた。昨日まで——いや、つい先刻まで、そこに人がいることすら数に入れていなかった貴族たちが、一斉に広間の端を見る。値踏みの物差しが音を立てて裏返り、侮りの残滓と、追従の芽と、計算の走る気配とが、幾百の瞳の中で渦を巻いた。
側妃たちの席で、扇がひとつ、乾いた音を立てて閉じられた。
(——一矢、返したぞ)
昏い愉悦が胸を満たす。だがアレクシスは、酔わない。この一撃の本当の目的は、溜飲ではない。観測だ。皇子の赤眼が、騒然の中でただ一点——広間の端の、影へと据えられた。斜め後ろに侍るイザルトも、同じ一点を見ている。主従の視線が挟み撃ちにした、その先で。
リュートは——動かなかった。驚愕もない。動揺もない。誇らしげでも、迷惑げでもない。呼吸は乱れず、指先は揺れず、赤い瞳は静かに前を向いたまま。広間中の視線が矢のように突き立っても、第二王子はただ、礼式の求める正確さで一度だけ浅く頭を垂れ——それきり、影の品位のまま静止した。
(……揺れない、だと?)
イザルトの観察眼が、対象を微細に分解していく。瞬きの間隔。肩の線。重心の移ろい。嚥下。人が驚きを噛み殺すとき、必ずどこかに軋みが出る。だが、挙げた徴候のどれもがない。抑え込んでいるのではない。最初から、波そのものが立っていない。
アレクシスは、あえて視線を外さなかった。広間の騒めき越しに、まっすぐ第二王子を射抜く。一瞬——赤と赤の目が、合った。
敵意はない。好奇もない。怯えも、媚びも、探りすらない。礼を失しない正確さでこちらを見返し、それ以上の何ひとつを渡してこない瞳。目が合ったはずなのに、そこから何かを読み取ったという手応えだけが、どこにもなかった。
(……こちらが、映っていないのか? いや——)
映したうえで、返していないのだ。周囲では国王が場を鎮めにかかり、宰相が進行を立て直し、王妃の短い一声が貴族たちの浮足を凍らせていく。玉座の国王、その傍らの王妃、式を預かる宰相——揺れなかったのは、その三人と、渦の中心にいる影だけだった。
(考えられることは、二つ)
アレクシスは騒めきの表層へ完璧な微笑を保ったまま、思考だけを冷やしていく。
一つ。この男は、この暴露を読んでいた。帝国皇子が何を材料として持ち込み、式のどの継ぎ目で切るか——そこまでを予測し、動揺を見せずに済むだけの備えを終えていた。だとすれば、それは異常としか呼びようのない思考力だ。
二つ。この男には、場に応じた感情を演じる能力が欠けている。為政者ならば、ここは『驚いてみせる』場面だ。周囲と歩調を合わせ、大衆が期待する顔を作り、場を自らの物語へ取り込む——感情の演技は、人の上に立つ者に不可欠の技能である。それを、しないのではなく。
(——できない、のか?)
読み切った怪物か。それとも、致命的な何かが欠け落ちた出来損ないか。どちらであっても、『無害な影』などという結論だけは、もはや成立しなかった。
——実際のところ、帝国の主従の観測は、半ば正しく、半ばまだ浅かった。
リュートは、この程度の揺さぶりで思考を乱すような人間ではない。論理を組み、虚実を織り、限られた相手を言葉で導く能力ならば、彼は極めて巧みに扱う。離宮の密室で共犯者たちを導く声も、法の条文を編み上げる筆も、光の当たらぬ場所では完全に機能する。
だが、驚いてみせる。感極まってみせる。大衆の心を掴む顔を作る。前世より持ち越した冷徹な法学者の精神と、影であることを強いられ続けた生い立ちは、彼から人前で感情を演じる能力を、決定的に削ぎ落としていた。
そして彼自身が、誰よりもそれを知っている。人を惹きつけ、束ね、担がれる——「組織の長」としての求心力が、自分には欠けている。ゆえに、孤児院の顔はリーゼに。組合の長はアイリスに。自らは決して旗にはならず、旗を立てるための土台——制度の設計者に徹する。それが、欠落を自覚した男の敷いた、最も合理的な布陣だった。
だが、この日。その徹底された「無」は、初めて、最悪の観客の目に留まった。謁見は、宰相の巧みな進行によってどうにか型の内へ戻り、閉式の辞をもって幕を下ろした。控えの間へ戻る回廊で、アレクシスは前を向いたまま、低く問うた。
「イザルト。見たか。評価は」
「保留します。悠然、と呼ぶには——悠然が過ぎる。あれは胆力の色ではありません。強いて言うなら……欠落の色かと」
アレクシスは足を止め、回廊の窓から光の都を見下ろした。赤眼の奥で、獲物が、初めて輪郭を結びかけている。
「——この滞在で、見極める」
「は。宴での観測項目を、組み直しておきます。……あの空白の隣に、誰が立ち、誰が立たないのか。それも含めて」
回廊の先では、王女の遣いが謁見直後の皇子を待ち受け、間を置かずに声をかける。
「アレクシス殿下。王女殿下より、宴までのお時間に——ぜひ、と」
言葉少なな招きに、アレクシスは口の端で笑う。謁見の秩序を揺らした直後に、間を置かず次の席を差し出してくる。恐れて距離を取るでもなく、抗議に色をなすでもなく——ただ、予定通りに。
(……いい国だ。退屈だけは、しそうにない)
皇子は遣いへ鷹揚に頷き、光の落ち始めた回廊を歩き出した。