リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 母へのプレゼン:王の目を欺く「道楽」
翌日の午後。リュートはルナリアの私室を訪ねていた。
部屋には優雅な薔薇の香りが漂い、ルナリアは窓辺の長椅子で刺繍の手を休め、息子が差し出した一枚の羊皮紙を眺めていた。
そこには、昨夜の実験で砕け散った船の改良案――より流線型になり、素材や動力炉の設計図が緻密に書き込まれたスケッチ――が描かれている。
「……あら、随分と可愛らしい絵ね。昨夜、泉で遊んでいた『おもちゃ』の続きかしら?」
ルナリアはくすりと笑い、羊皮紙をテーブルに置いた。
「でも、これを作るには木材じゃ足りないわね。ミスリル合金に、帝国の魔導機関……。王宮の予算を申請するには、少し大掛かりすぎるんじゃない?」
リュートは母の向かいに座り、紅茶を一口飲んでから静かに答えた。
「はい。だからこそ、母上にお願いしに来ました」
直球の要求に、ルナリアは片眉を上げた。
「私に? ……理由を聞かせてもらおうかしら。まさか、ただの子供のわがままで欲しがるわけじゃないでしょう?」
リュートはカップをソーサーに戻し、黒髪の奥の赤い瞳で母を見据えた。そこには甘えの色はなく、冷徹な計算があった。
「お母様。もし僕がこれを『新規事業の計画書』として父上(国王)に提出すれば、どうなると思いますか?」
「……そうね。成功の見込みが高ければ、陛下は決して第二王子の功績にはさせないでしょう。事業ごと取り上げて内務卿の管轄に置くはずよ。……というか、王妃様が確実にそう仕向けるわね」
「その通りです」
リュートは頷き、指を立てた。
「陛下と王妃様はそうするでしょう。第二王子が力を持つことを望まない。……だから、僕はこれを『商売』としてやるつもりはありません」
彼は羊皮紙のスケッチを指先で弾いた。
「これはあくまで、世間知らずな第二王子の『道楽』です。海の上を滑る変な船を作って遊びたい。採算など度外視した、金食い虫の子供の戯れ。……そう偽装すれば、父上はどう思うでしょうか?」
ルナリアの瞳が、面白そうに細められた。リュートは続ける。
「父上はきっと鼻で笑うでしょう。『愚かな息子が、また無駄金を使って遊んでいる』と。……警戒するどころか、政治に興味を持たない『無害な王子』として、監視の目を緩めるはずです」
商売としてやれば潰される。だが、道楽としてやれば見逃される。
王の傲慢さと、子供への侮りを計算に入れた「擬態」のロジック。
それは十歳の子供が語るにはあまりにも老獪で、しかし、この冷たい王宮で生き抜くためには不可欠な「生存戦略」だった。
ルナリアはしばらく沈黙した後、ふっと吹き出した。
「あはは……! 本当に、貴方って子は」
彼女は立ち上がり、ドレッサーの奥にある隠し引き出しを開けた。取り出したのは、重厚な装飾が施された小箱だ。鍵を開けると、中には帝国の紋章が刻まれた金貨が、眩いばかりに敷き詰められていた。彼女が嫁いでくる際、実家である帝国皇帝から「万が一の時のために」と持たされた、秘密の持参金だ。
「いいわ、リュート。その『悪知恵』に免じて、投資してあげる」
ルナリアは小箱を閉じ、息子の前にドンと置いた。
「好きに使いなさい。船でも、港でも、あるいは国一つでも買い取れる額よ」
リュートは小箱を受け取り、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、母上。……必ず、倍にしてお返しします」
「いいえ、返す必要はないわ」
ルナリアは息子の頰に手を添え、妖艶に、しかし鋭く釘を刺した。
「ただし、条件が一つ。……絶対に、陛下と王妃に尻尾を掴まれないこと。もし王の不興を買ってしまったら……その時は私が直々におしおきするわよ?」
言葉とは裏腹にその瞳は笑っていたが、リュートは背筋を正し、真摯に答えた。
「肝に銘じます。……この道楽は、あくまで『子供の火遊び』として完遂させます」
リュートは重たい小箱を抱え、母に一礼して部屋を出た。
その背中には、莫大な軍資金と、王の目を欺くための「仮面」が備わっていた。
離宮の廊下を歩く少年の足取りは軽い。これで、井戸の壁を登るための梯子は手に入った。あとは、外の世界へ飛び出すだけだ。