リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 王妃会議
春の夜気はまだ冷えていた。
王宮の奥まった一室に灯が絞られている。人払いを済ませた会議の間では上座に王妃マルガレーテが座り、その前の大きな卓を招かれた四人が囲んでいた。
第一王子グラクトとその側近エドワルド。第二王子リュート。そしてグラクトの婚約者でもあるクロムハルト公爵家のヴィオラリア。灯りの届かぬ壁際は暗い。
後宮の統制は王妃たる自分の本分にほかならない。ルナリアが命を落としたのは後宮の一角にある離宮である。誰の庭でもない、自分の庭で起きたことだからこそ自分が始末をつける。上座から一同を見渡す彼女の面にはその当事者としての静かな覚悟だけがあった。
ここに集めたのは第一王子とその側近、第二王子と次期王妃たるべく育ててきた娘。命令として言い渡すだけではいずれ誰かの胸に不服が残る。そして、この件で不服が一つでも漏れればそれは王家の破滅に直結する。だから今宵、彼女がなすべきは全員になぜこれを伏せねばならぬのかを得心させることだった。
「今宵急に集まってもらったのは他でもありません。ルナリア妃の死。あれを病死として通します。……知っての通りあれは病ではない。ですが、その事実を知り、学園で帝国皇子と交流をもつであろうこの四人とリーゼロッテはこの事実を胸に留め置かねばなりません」
なぜそこまでするのかを問われる前に、彼女は事実が知られたときに生じる危険を順を追って示す。
「わかっているとは思いますが、理由はルナリア妃にあります。ルナリア妃が帝国皇妃の妹であること。これは先の謁見であの皇子の口からすでに表に出てしまいました。しかし、それ自体は問題ではありません。王家に嫁いだ公爵令嬢がこの王国で殺された。この事実が公になり帝国へ渡ればどうなるか」
あえて言葉を切り、マルガレーテは卓上の反応を推し量った。第一王子たるグラクトに動揺がないか、底知れぬ第二王子の目に計算が走っていないか。それぞれの腹の底を値踏みするように視線を滑らせてから重い事実を突きつける。
「帝国はこの国を攻める大義を手にします。皇妃の血の繋がった公爵令嬢の妹が他国で害された。これほど分かりやすい口実はありません。……病で亡くなった。その事実を通すだけでこの国を不要な争いから遠ざけます。皆に口を噤んでもらうのは王家の体面のためではありません。この国と民を守るためです」
そこまで説かれて伏せることの重みは卓の全員に伝わった。だが第一王子としてグラクトにはなお確かめておくべきことがあった。伏せると決めた以上、伏せきれなかったときの備えまで整えねば危機への構えとして片手落ちになってしまう。
「よく分かりました。ですが王妃陛下。……伏せると決めても伏せきれぬことはございます。万一それが帝国へ渡ったとき我らは何に備えるべきでしょうか」
軍事の見立ては王都の駆け引きに明け暮れる者には出せない。しかし、王妃は北のアイギスに生まれ最前線の現実を知る者だからこそ確かに言えることがある。
「即座に兵が来る心配はいりません。……この国と帝国の間には海竜の海と魔の森が横たわっています。大軍の渡海を海竜が阻む。大部隊の展開を魔の森が阻む。まともに軍を送り込むことは今の帝国にはできません」
北の軍務を束ねるアイギス家出身の彼女が言うからこそグラクトもその軍事的な見立てには裏付けを感じ取っていた。しかし、戦のみが敵対の方法ではなく、まだ残る危機は確かに存在する。
「恐ろしいのは正面から来ぬ手のほうです。……そちらはわたくしよりも帝国の思考を冷静に読める者に聞くのがよいでしょう」
王妃の冷ややかな眼光が第一王子から第二王子へと移った。北の将家の血を引く彼女が断言できるのはあくまで武力の限界までだ。そこから先の大国の悪意が外交や暗闘という形をとって忍び寄る様を予測するには軍事とは別の理知が要る。
それのみならずこれは踏み絵でもあった。帝国の血を引くこの少年が母親の祖国をどれほど冷徹に客観視できるか。同席する者たちの前で彼自身の口からその「脅威」を語らせることで王国の者としての立ち位置を明確にさせる。その意図を読んだかのようにリュートは表情一つ変えず慇懃な口調で王妃から言葉を受け取った。
「畏れながら。兵を向けられぬのであれば帝国は正面に出ぬ手を選びます。国交の断絶。進めております婚約交渉の破談。あるいは要人の暗殺や内から崩す工作。さらには、魔の森を超えられる少数ずつ王国に侵入させ数が揃った段階で蜂起させる。……露見が向こうへ渡ればそうした手が見えぬところで動き始める。そう見ておくべきかと存じます」
淀みのない読みだった。マルガレーテはその明晰さを頼もしく聞いた。この子はよく見えている。ルナリアが死んだあの折、王家を相手取って一歩も退かずその知恵を見せつけたときから彼女はリュートの頭を侮ったことがない。優秀さだけを言うなら兄のグラクトさえ及ぶまい。
――だからこそ、と彼女の胸を一筋の影がよぎった。これほどの頭が王家の内側を知り尽くしてもし王国を見限ったなら、あの子の握る事実はそのまま帝国への手土産になる。実際にそうするとは思わない。だが危機管理として頭の隅に置いておかねばならぬ相手ではある。
……ゆえに繋ぎ止めておかねばならない。グラクトを王に、この子をその補佐に。この形こそがこの国を最も安んじあの聡さを内に留めておく。リュートの働きが兄の継承をめぐる汚点を雪ぐ実績となり、それが補佐の分をわきまえている限り、彼女はそれを頼もしい忠勤として、また繋ぎ止めるべき才として見ていた。
その影を面を内心に隠しつつマルガレーテは次の話へ進めた。事実が帝国へ渡ったときこの国が何をどこまで引き受けるのか。その最も重い結末だけは口にしなかった。それはこの子らに負わせるものではない。伏せきれなかった先の始末は自分一人が胸に置いておけばよい。
「そこで備えは二つです。まずは露見させぬこと。それでもあの皇子に知られたときは帝国へ伝えぬよう口を噤ませることです」
帝国の皇子を黙らせる。その一言に疑問を差し挟んだのはグラクトではなくその側近のエドワルドだった。王家に直に連なる身ではないからこそ、彼は得心せぬまま頷くことを自らに許さなかった。
「畏れながら王妃陛下。……相手は帝国の皇子でございます。こちらが口を噤めと願って素直に従う相手とは思えません。いかにして黙らせるのでしょうか」
品位を至上とするならば、他国とはいえ皇子の口を噤ませるという方法を取ること自体が、己には不可能であるとエドワルドは自問したゆえの発言であった。もっとも、マルガレーテは問いの無礼を咎めるどころかそこを問うてこそ側近だと内心で頷いた。
「人は利のある側へ動きますよ、エドワルド殿。ここにいる皆には話してもいいでしょうが、帝国の王位継承の方法は継承権者の実力によるものです。もし王国が他の継承権者を差し置いてアレクシス殿を帝国皇帝へ後押しすると約せば、かの者の利益となります。リーゼロッテとの婚姻もその後押しの一端となり得ます。また、あの皇子が心からリーゼロッテを欲するようになれば話は早い。この国と事を構え力ずくで奪うより婚約を整え穏便に迎えるほうがよほど得だと分かるからです。欲しいものがこの国の内にある。ならばその国と敵対するのは自らの望みを自らの手で焼くに等しい。……皇子はそう考えるだけの賢さを持っています」
春の冷気が満ちる室内で王妃の声だけが静かに響く。いかに理を重ねても皇子の感情に賭ける以上、まだ机上の策にすぎないことをマルガレーテ自身も承知していた。
「今はまだそこまでではありません。あの皇子がリーゼロッテに執着しているとは言えない。……だからこそ執着させるのです。そう仕向けるのがこれからのリーゼロッテの役目になります」
その役目をリーゼロッテにどう伝え、どう担わせるか。マルガレーテはそこでヴィオラリアへ目を向けた。
外から見ればリーゼロッテに事を伝える役は実の兄であるグラクトが担うのが筋だろう。だがマルガレーテはあえてヴィオラリアを選んだ。この娘を次期王妃たるべく自らの手で教え育ててきたのはほかならぬ自分である。その器量も口の堅さも事を運ぶ賢さも彼女はよく知っていた。リーゼロッテの上に立ち彼女を導く役としてこれほど適した者はいない。マルガレーテはその娘へ二つの役目を託した。
「ヴィオラリア。あなたにお願いします。ルナリア妃の件を病死で通すことをリーゼロッテに伝え得心させること。そしてもう一つ。リーゼロッテにあの皇子を探らせなさい。好み、気性、癖。使えるものは何でも。……表向きは婚約を進めるための下調べ。その実はいざというときあの皇子を動かし繋ぎ止めるための手がかりです」
控えめに座していたヴィオラリアはその役目をまっすぐに受けた。そしてただ諾と答えるだけでなく自ら段取りを一つ添えた。
「承知いたしました。……王女殿下もおよそのことはお察しでございましょう。ですが事が事でございます。早い時期にしかるべく時間をいただいて学園においてじっくりとお話しいたします」
これで会議の骨子は定まった。秘密を守る理由を説き、即座の大軍侵攻は困難であり警戒すべきは正面に出ぬ手だと共有した。さらに皇子を繋ぎ止める手がかりをリーゼロッテに集めさせる手筈も整えた。理を尽くして説き疑問にも答えた以上、誰の胸にも不服は残っていない。少なくともマルガレーテにはそう思えた。これで春は越えられると自らの差配に確かな手応えを覚えていた。
彼女が伝える役を託したのはヴィオラリアであり探る役を委ねたのはリーゼロッテだった。ヴィオラリアにリーゼロッテを得心させることによって2人の関係をヴィオラリア上位に据えるという布石を、それがならなかったとしても帝国に渡るであろうリーゼロッテとヴィオラリアに交友関係を結ばせ将来の帝国との関係を良好に保たせることまでを見据えていた。そして、ヴィオラリアを介せば伝達も皇子の情報も自分の手元に来る。彼女はそう信じて疑わなかった。
卓の下でリュートの指がほんの一度だけ静かに組み替えられた。己の望む通りに盤面が配置されたことを確認するその微かな仕草に、灯を絞った部屋で気づいた者は誰もいない。マルガレーテは労いの言葉とともに一同に退出を促した。しかし、四人が席を立ちかけたところでリュートだけを引き留めるため静かに一言を添えた。
「リュート殿はもう少しお話がございます。……残ってくださいますか」
その一言が何を指すのか。グラクトもエドワルドもヴィオラリアも問い返しはしなかった。ここから先がこの場に残る二人だけの話であることを三人は心得た顔で部屋を辞していった。
扉が閉まり、灯を絞った一室に王妃と第二王子だけが残る。窓の外にはなお冷たい春の闇が広がっていた。