リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
7 責任の在処
グラクトの執務室に朝の光が差し込む頃にはエドワルドは進言すべきことを胸の内で組み上げ終えていた。
昨夜の宴でリーデルは看過できぬ失態を晒した。皇子を自分より下に置いて恩を売ろうとし、序列を取り違えて場を凍らせ、饗応役の王女に退場を命じられた。エドワルドの答えは、使えぬ駒を盤から下げることこそが、主家の益を守る側近の当然の算段に思えた。
ただし、その算段を彼は結論として押しつけるつもりはなかった。外した後の段取りまで自分が並べ立てれば、処遇を決める者まで自分になり、グラクトは敷かれた道を歩くだけの主に見えてしまう。問題だけを差し出し、決断はグラクトに委ねることが、側近としての引き際と定めていた。
「昨夜の宴で序列を取り違えて王女殿下に退場を命じられ、いまだ誰にも詫びていないリーデルを、あのまま側近に置いておかれますか。務めを果たせぬ者は外すのが道理かと存じますが」
グラクトはすぐには答えず、窓の外へ目をやったまま、しばしエドワルドの進言を吟味しているようだった。やがて、沈黙を終えて静かに息を継ぐ。
「確かに、お前の言うことは道理だ。リーデルが己の失態を詫びてもいないことはその通りだ。リーデルの行いは第一王子の側近として、その品位に及ぶ」
まず進言の正しさをまっすぐ認めたうえで、グラクトはエドワルドが想定していなかった判断を口にした。
「切ることも一つの責任の取り方だと分かっている。だが、私はまだあれを信じてみたい。リーデルの知識は確かだ。足りないのは、自分で状況を見極め、その知識を主のためにどう使うべきかを判断する力だ。誤ったなら自らそれを認め、正すところまでを己の務めとできる側近になってほしい。それなら、まだ教え直せる余地がある」
苦い記憶が蘇ったため、グラクトはそこで一度間を置き、それを振り払うように、意を決した表情で居住まいを正す。
「……それにな、エドワルド。私は以前、側近の不始末をその者一人に負わせ、庇うことも罰を与えることもせず国王の叱責を受けて手を引いたことがある。切るのと逃げるのは違う、今のリーデルを切るのがあのときと同じ面倒からの逃げでないと言い切れるまでは切ることはできない。あれに正す機会を与え、その結果まで自分で引き受けたいのだ」
この方は、切ることが責任を果たす選択になるのか、かつてと同じ逃げになるのか、その境を見極めようとしているのだ。
あの日への悔恨があるからこそ、今度はリーデルをまず信じ、その結果まで引き受けることで、かつて放棄した責任と向き合い直そうとしている。
「幸い来季からリーデルは学園に入るため、あの場でお前に教育を任せて鍛え直させよう。だが、また誤れば信じて側に置き続けた私の落ち度として、結果の責めは私が負う」
その一言を聞いた瞬間、エドワルドの脳裏にセオリスの名がよぎった。
かつてグラクトの側にあり、主の益を図って独断し、破滅した側近である。あのとき王家はセオリスの起こしたことを本人一人の責任として処理し、グラクトも自己保身からその処理に従い、自らの管理責任を放棄した。
その経緯を知るエドワルドは、今回の決断が単なるリーデルの処遇に留まらぬことが分かった。グラクトは、判断を下してもその責めは下の者に取らせるという、これまでの次期王としてのありようから降り、自ら選んだ側近の結果まで引き受けようとしている。
さらに言えば、ゼノビア侯爵を口説き落とし、その復帰を国王に認めさせた日、グラクトが侯爵に「今度は逃げない」と誓ったことも、エドワルドは知っている。その献策をしたのはほかならぬ自分だった。あの誓いをいまリーデルという一人の側近の処遇でも貫こうとしている。
「昨夜、あれの不始末を収めてくれたリーゼロッテには、私から詫びておく。第一王子が王女に詫びるなど公にはできない以上、非公式になるがな」
側近の失態を収めたリーゼロッテへの詫びまで自ら引き受けるという選択に、エドワルドは先ほどと同じ変化を見た。その一方で、リーデルの背後に残る魔導卿との派閥上の結びつきをどう扱うか、エドワルドは一段声を落として問いただす。
「承知いたしました。……ですが殿下、リーデルを抱えればあれに絡む魔導卿の糸もそのままお側に残ることになりますが、それはよろしいのですか」
グラクトは責任を負う覚悟を先に処遇の理由として置き、その選択が生む政治的な利を後から語った、間を置かずに視線を返す。
「切り捨てれば魔導卿のもとへ返るだけのリーデルを、手元に置いて私の下で使えば、彼が仰ぐ相手は私になる。……私はリーデルを外すのではなく、リーデルを魔導卿派の人間ではなく、私の側近とするのだ」
グラクトの理屈は明快だった。リーデルを切れば、側近をはずされるという不名誉を与えたグラクトに不満をもったまま、魔導卿に彼を渡すことになる。逆に、側近として手元に置き、自分を派閥より上位に位置づけさせることができれば、リーデルを自分へ向け直せる。次期魔導卿となるであろうリーデルを側近として残すことにより、将来の魔導卿派にグラクトが影響力を持つことができ、理には適っている。
しかし、人を信じて抱え、その政治的な価値を用いることは両立しうるが、それにはリーデル自身がグラクトを主として選ぶ意思が要る。リーデルがその意思をもちえるのだろうか。
グラクトには、レオンハルトの前例がある。王宮の都合によってセシリアを奪われようとしていた彼に対し、グラクトはその責任を自ら負ったうえで、セシリアを自らの手で選び取ることを認めた。その行動を受けて、レオンハルトは第一王子だからではなく、グラクト自身を主として仰ぐことを選んだ。
おそらくグラクトは、今回も同じように、自ら責任を負ってリーデルを残し、教育することで、その忠誠を得られると考えている。だが、二つは同じなのだろうか。レオンハルトの心を動かしたのは、グラクトが責任を負ったという事実だけではない。その行動が、レオンハルト自身の望みを受け入れ、その意思を叶えるものだったからこそ、彼は自らグラクトを選んだのだ。
リーデルに対して、グラクトはまだ何を望んでいるのかさえ確かめていない。責任を負い、正しく育てれば、その先で自分を選ぶはずだと考えているのなら、レオンハルトが自ら主を選んだことと、その主にグラクトを選んだ理由とを、まだ分けて捉えられていないことになる。
もっとも、エドワルドはその未完成さを言葉にはせず、まだ結論を下さなかった。それがこの方の限界なのか、それとも変わりゆく途中のほんの一時の名残なのか——今の彼にはまだ判じようがなかった。
協議が一区切りつき、エドワルドはいま交わされたやり取りの順序をもう一度たどり直した。
グラクトはまず、リーデルを信じて残すなら、その結果の責めを自分が負うと決めた。
その後で、リーデルを手元に置けば、魔導卿が彼に及ぼしている影響を弱め、忠誠を自分へ向け直せるという政治的な利を見いだした。
責めを負う覚悟から処遇を決め、その選択が生む利を後から見いだす——その順序が、ただ有能な支配者と、下の者が進んで従いたいと願う主とを分けるのかもしれなかった。
もっとも、この判断が王として有能なものであったかどうか、エドワルドにはまだ分からなかった。リーデルを信じたことが吉と出るか凶と出るかは、来季の学園が明かすことだ。グラクトが自分の判断の責めを己のものとして引き受けようとした、その変化だけは、いまのエドワルドにも確かに見て取れた。
そしてエドワルドはもう一つ、自らも口には出さず、主も語らなかった願いへ思いを向けた。他者の意思を尊重する覚悟も、自らの選択の責めを負う覚悟もない者に、一人の女性へ『生涯を自分に委ねてほしい』と請う資格はない。
グラクトが自らの判断の責めを己に置こうとしている背景には、リーデルの処遇だけでなく、その願いに向き合うため自らを変えようとする思いもあるのだろう。二人の間で交わされてきた長い経緯を知るエドワルドは、その女性の名を口にはせず、静かに主の横顔を見つめる。
朝の光が執務机の上を静かに照らしている。第一王子は、自ら答えを探しながら一歩ずつ先へ進もうとしていた。その歩みはまだ未完成だとエドワルドは知っているが、少なくとも答えを探し始めた者の歩みであることは、確かに見て取っていた。