リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
8 離宮の来季体制
離宮の一室に来季を託す者たちが揃っていた。もとは空き部屋だったところへ卓を運び込み会議の場に仕立てただけの飾り気のない一室である。
だが、この卓を囲むのは王国の表からは決して見えない離宮という一つの勢力の中核だった。リュートとリーゼ、組合を預かるアイリス、技術を担うヴィオラ。孤児院と警備を預かるカイルとルリカ。そして父を切って離宮についたティナ。
リュートはまず王妃との間で交わした話を皆へ伝えた。ルナリアの件は病死で通すこと、リーゼにアレクシスを探る役目が回ってきたこと、そして学園裁判の拠り所をグラクト個人の品位から学園という場の品位へ移す約束を取りつけたこと。
いずれもこの場の者にはすでに筋の通った話ばかりだったので、リュートが要点をなぞるだけで事実は全員の間に行き渡った。
王妃がヴィオラを通じてリーゼへ伝えさせようとした事柄までもが、こうして王妃の知らぬところで離宮の内側へすっかり収まっている。その皮肉をリュートは口には出さず、胸の底でだけ噛みしめた。
次の皇子自身の話に移る前に、リュートには皆と揃えておかなければならない物差しが一つあった。
「その前に、帝国で人がどう見られるかを話しておこう。あちらで公爵や侯爵と呼ばれるのは、王国のような家の身分じゃない。立法、行政、司法の役職に付く名で、職を退けば爵位もなくなる。どれほど名のある家に生まれても、それだけで本人の地位にはならない。家から得られるのは教育や人脈、それを使って実力を示す機会までだ」
王国では生まれた家がそのまま本人の格となる。帝国では、その家から何を得たとしても、それを用いて何を成したかが本人の評価になる。
「皇族も例外じゃない。皇位を争う者には同じ条件の領地が与えられ、自分の家臣団を使って実際に統治させられる。経済や治安だけじゃない。領民の支持を得られるか、自分の勢力に属さない役人までどう動かすか、誰を従者に選び、誰から仕える相手として選ばれるかまで見られる。妻も従者も、その者たちが持つ人脈も含めて一つの勢力だ。皇族本人の実務能力より、それだけの人間を見抜き、集め、使える判断力や統率力の方が重く見られる」
だからこそ、帝国の次代を担う有力な者たちは一人の皇子のもとへ集まらず、それぞれが仕えるに値すると見定めた皇子の側近となって実力を示す。皇子にとって有能な側近を得ることは自らの力であり、側近にとっても一人の皇子を支えて成果を上げることが自らの実績となる。
「だから、アレクシスが魔導船を欲しがったことも、人を値踏みするように見ていたことも、あちらでは皇位を争う者として不思議な行動じゃない。来たるべき統治に使えるものを探し、自分の勢力へ加えるに値する人間を探していると見た方がいい」
共有を済ませたところでリュートが本当に聞きたかったのはその先だった。あの皇子を皆が近くで見てどう感じたか。それが来季の身の処し方を決める。
「それで皆に訊きたい。……あの皇子を実際に近くで見てどう思った」
一日の視察でアレクシスと最も長く対したのはリーゼである。
「あの方は差し出されたものをそのまま受け取って満足なさる方ではございません。むしろ、隠されていると察すれば、その奥を暴かずにはいられないご気性。……一日、わたくしの見せる範囲の内側を絶えず探っておいででした。そして、それだけではございません。あの方の関心はわたくしを通り越して、お兄様ご自身にも確かに向いておりました」
リーゼが感傷でものを言う質でないことをリュートはよく知っている。彼女がそう見たのなら、アレクシスの目はもう自分を捉えかけているのだ。その見立てを海運組合で皇子とその従者に応対したアイリスが裏づけるように継いだ。
「わたくしも同じ感触を持ちましたわ。皇子殿下は魔導船を売れとお求めになって、断られてなお、こちらの断り方から組合の仕組みそのものを読もうとなさいました。ああいう方は一つ入り口を塞がれても、必ず別の入り口を探されます。……ただ、わたくしが本当に気にかけましたのは皇子殿下お一人ではございませんの」
話題が皇子からその傍らに控えていた従者へ移ったことを察し、リュートは先を促した。彼自身、皇子以上に測りかねていたのが影のように従っていたあの男だった。
「イザルトのことだね。……あれも僕の従兄弟にあたる男だが」
その一言に卓を囲む者たちの間へわずかな緊張が走った。アレクシスの母ソラリア、リュートの母ルナリア、そしてイザルトの父は同じ家に生まれた姉弟妹である。ゆえにアレクシス、リュート、イザルトの三人は互いに従兄弟にあたる。少なくともリュートにとってイザルトは血縁上遠い相手ではなかった。
「そのイザルト様が皇子殿下の存在感の大きさに隠れて、傍目には目立たずにおられます。ですが、あの方お一人を取り出して見れば決して侮れる相手ではございませんわ」
商いを預かる者としてアイリスの警戒は手の内を読もうとした皇子よりも、その脇から技術の勘所を正確に突いてきた従者の方へ強く働いていた。
「魔導船の話が出ましたとき脇から口を挟んでこられました。帝国でも魔導船を研究している、航続距離が伸びずに困っていると。……あの言いよう、ただの受け売りではございません。少なくとも、帝国の研究所がどこで行き詰まっているかを知るだけの伝手をお持ちですわ。技術のことにも相当に通じておられる。皇子殿下の存在感が強すぎて皆が見落としますけれど、あの従者は一つの型に偏らぬ方とお見受けしました」
それまで卓の隅で退屈そうに指先で机を叩いていたヴィオラが技術という言葉に初めて顔を上げた。
「技術に伝手があって目端が利く。……それ、一番めんどくさいやつだよ。あたしの演算器も集積装置も、しくみを一目見て『これは何だ』って引っかかられたらそれで終わり。学園でうっかり動かしてるところを見られでもしたら、もうごまかしが効かない。……あの従者が来季こっちに残るなら、あたしは学園で研究をだいぶ引っ込めないと危ないわね」
二人の評はリュートの中で一つの像を結んだ。皇子が思想を探り、その従者が技術を嗅ぎ分ける。二方向から離宮の隠したいものへ同時に手が伸びてくる。
だが、リュートが皆に覚えておいてほしかったのはその能力の話だけではなかった。もう一つイザルトには王宮の勢力でさえ見落としている顔がある。
「能力のことは二人の言う通りだ。……それに加えて皆に覚えておいてほしいのがイザルトの家格のことなんだ」
能力の見極めだけでは来季あの従者と向き合う面々が肝心なところで足をすくわれる。リュートはそう見て、家格というもう一つの物差しを卓の全員の前に置いた。
「イザルトはシュタインヴァルト家の人間だよ。今の帝国で公爵職にある者を出し、皇妃ソラリア妃も出した、あの家のね。だが帝国では、それだけでイザルト本人に何かの地位が与えられるわけじゃない。実績のない今の彼を帝国の物差しで見れば、アレクシスの従者だ。……ところが王国の尺度ではそうはいかない。公爵を出している名門の血筋で、しかも皇妃の近親者となれば、それ自体が本人の格として見られる。この国では、ただの従者として軽々しく扱える相手じゃない」
リュートが重ねて示したのは帝国と王国とで同じ人物の立場が異なって見える危うさだった。
「饗宴でリーデルの取り巻きがそのイザルトに食ってかかった。帝国の物差しでただの従者と見て、口答えのできる下位だと侮ったんだろう。だが、王国の物差しで見れば公爵の嫡男で皇妃の血筋のイザルトに、侯爵家の取り巻き風情が口答えできる道理はない。……あの一件は帝国と王国とで同じ相手の格がまるで違って見える、その食い違いから起きたことだ。僕たちはあの従者の二つの顔をどちらも取り違えないようにしておきたい」
帝国では皇子付きの従者として前に立ち、王国の物差しでは公爵の嫡男として見られる。イザルトが持つその二つの立場を少なくとも饗宴の場にいた者たちは正しく捉えられなかった。この場の面々は来季彼と学園で向き合うことになる。従者として侮っても、公爵の嫡男として扱うことだけに囚われても対応を誤る。リュートはその二つの立場を皆の頭へ刻んだ。
人物の見極めが済むと話は来季の身の処し方へ移った。ここからがこの会議の本題である。リュートは一人ずつの顔を見渡しながら、取るべき道を一続きに説いた。
「リーゼの見立てではっきりした。あの皇子は隠されたものを探る質だ。そこへ僕がこれまで通り学園裁判の表に立ち続ければ、あの目は必ず僕を追ってくる。僕の働きを一つ手繰れば、その先に組合があり、この離宮がある。……皇子の関心を僕という入り口から遠ざけるには、僕がその入り口から離れるのが一番早い。皇子が僕とリーゼの値踏みを続けているうちは、その目は他へ向かない。逆に値踏みを終わらせれば、関心はルナリアの死の真相や、この離宮そのものへ流れていく可能性がでる。だから評価を終わらせず、来季いっぱい引き延ばす。そのうえで王妃に示したとおり、学園裁判で表に立つ役は僕ではなく、リーゼ、君に引き継いでもらう」
これまで学園裁判で訴追官として制度を回してきたのはリュート自身だった。目立たなかったのは裁判長のグラクトへ目が集まっていたからにすぎない。その表の役を来季はリーゼへ渡す。王族が裁判の表に立つのは体面の上でも自然で、皇子への見せ札にもなる。リーゼは静かに頷いてその役を引き受けた。
「承知いたしました。わたくしが表に立てば皇子殿下の目もわたくしに向いたまま留まりましょう。……お兄様を影に置いておくための役目、しかと務めます」
「囮のように言うな。君が表で受け止めてくれる分、僕が裏で全部を回す。……そのための手順はもう組んである」
表向きはリーゼが立ち、その傍らをティナが補佐の体裁で固める。実務のこまごまとしたところはリュートとアイリスが裏で受け持つ。その段取りを確かめると、補佐に就くティナが折り目正しく頭を下げた。
「わたくしはリーゼ様が表でつつがなくお務めになれるよう、記録と日程を整えます。議事は記録に、裁きの根拠は学則に、権限は役職に残しております。表に立つ方が替わっても、定められた手順に従えば裁きそのものは滞りなく回ります。ご懸念には及びません」
ティナの答えが示したのは離宮の仕事が特定の人物の記憶や裁量ではなく記録・学則・役職に残されていることだった。リュートが退き、リーゼが表へ立っても裁きは同じ手順で続く。誰か一人を唯一の要にしないことが離宮の体制を支えていた。
組合と王宮の役割を混同させないため、北から戻ったばかりのカイルが警備の範囲を先に定めた。
「警備のことははっきりさせておきたい。俺たちが受け持つのはあくまで組合の活動を守ることだ。輸送の妨害、拠点への侵入、関係者の拉致、証拠の持ち出し——そういう腕ずくの脅かしに備える。王都の治安そのものは俺たちの持ち場じゃない。そっちはゼノビア侯爵が近衛騎士団長に戻ったことで抑えられる。皇子の滞在中、王宮は帝国の目の前で騒ぎを起こさせたくないからな。俺たちが治安にまで手を出せば、かえって離宮が目立つ」
その線引きはリュートの意図と寸分違わなかった。組合活動の防衛と街の治安とは分けておく。そもそも離宮は混乱を望まない。乱世はこの国を作り替えるという計画そのものを止めてしまうからだ。カイルはその線引きを確かめたうえで孤児院の子らの育成へと話を進めた。
「それと、今すでに組合の警備員として働いている孤児たちの中から、部隊長と指揮官を育てたい。組合の護りを本部の周りだけじゃなく、交易の道中や港の常駐にまで広げるとなると、隊員を育てるだけじゃ足りないからな。道中や港を守り抜くには、部隊を率いる部隊長と指揮官がいる」
個人の武と部隊の指揮を混同させぬため、ルリカは侍女の物腰を崩さぬまま自らが担える範囲を明らかにした。
「兵となる子らを鍛えることはわたくしにもできます。ですが、部隊をどう配し、どう動かして守り抜くか、その指揮の術はわたくしの領分ではございません。わたくしの武はあくまで一人で完結するもの。……ですから隊を束ねる者の育成はカイル様にお任せするのが筋かと存じます」
役割分担は明快だった。侵入や拉致のような腕ずくの脅かしはカイルとルリカの警備が受け持つ。正式な命令、監査、契約、役職の任命といった制度の形をまとった介入には各領分の責任者が権限と手続を確かめて応じる。腕ずくの脅威には警備で、制度を用いた脅威には制度で備える。その二つを分けて受け止めることが来季の方針として定まった。
一通りの確認を終え、来季の体制の骨格は定まった。表の役はリーゼへ渡り、リュートは裏へ退く。記録と日程はティナ、組合の実務はアイリス、警備と育成はカイルとルリカがそれぞれの役目として担う。リュートが表から姿を消しても、離宮の企ては各責任者と定められた手順によって動き続ける。一人が退くことで止まる体制にはなっていなかった。
議事に区切りがついた頃、リーゼはティナの言葉を胸の中で繰り返していた。どなたが表に立っても回るように特定の一人を要にはしない。必要な役目があるからその人をその場に置く。ならば、役目がなくなればそこに置く必要もなくなる。けれど、『必要だからそこに置く』ことと『必要がなくてもそこにいてよい』ことは同じなのだろうか。
その違いに思い至ったとき、リーゼの口元に悪戯を思いついた子供のような小さな笑みが浮かんだ。この問いを今夜の食卓でお兄様へ向けたなら、あの理詰めのお兄様はいったいどんな顔をなさるだろう。
「どうした、リーゼ」
リュートが問うてもリーゼはその笑みを隠すようにそっと目を伏せるだけだった。彼にはその笑みの底までは読めない。ただ、妹が何か一つ掴みかけていることと、その答えが明かされるのがこの会議の卓ではないことだけは分かった。
窓の外はもう暮れかけている。学園が再開すれば、この面々はそれぞれの持ち場でそれぞれの顔を演じ始める。その前夜の最後の静けさが離宮の一室を柔らかく満たしていた。