リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第1話『禁断の紙片3』

3 離宮警備隊長:自由への壁

 

 翌朝、離宮の空気は澱んでいた。

 華やかな王宮とは異なり、ここは「忘れられた王族」が住まう場所だ。訪れる者といえば、物資を運ぶ業者か、あるいは左遷された役人くらいのものである。

 

 リュートはルリカを伴い、裏手にある通用門へと向かった。

 懐には母から受け取った軍資金。身なりは簡素な外出着。王子の権威ではなく、ただの「裕福な家の子供」として門を抜け、下町で素材と職人を探す算段だった。

 

 だが、その目論見は、たった一人の男によって阻まれた。

 錆びかけた鉄格子の前。そこに、灰色の壁のような背中があった。

 

 離宮警備隊長、カイル。

 本来ならば直立不動で警備にあたるべきその男は、あろうことか長槍を杖代わりにして、猫背で欠伸を噛み殺していた。

 

「……おや。どちらへお出かけですか、リュート殿下」

 背後から近づいた気配に、カイルは振り返りもせずに声を上げた。その声には敬意も緊張感もなく、ただ「面倒事」を嫌う倦怠だけが滲んでいる。

 リュートは足を止め、愛想よく微笑んだ。

 

「やあ、カイル隊長。いい天気だから、少し散歩だよ。城下の空気でも吸おうと思ってね」

「散歩、ですか」

 カイルはようやく振り返った。無精髭の浮いた顔。そして何より、その瞳――まるで死んだ魚のように白く濁り、光を失った瞳がリュートを見下ろした。

 

「城下は王族の散歩コースに入ってませんよ。……外出許可証は?」

「ないよ。だから、こっそり頼みに来たんだ」

 リュートは一歩近づき、懐から一枚の金貨を取り出した。帝国の紋章が刻まれた、純度の高い金貨だ。それを指先で弾き、チラリと見せる。

 

「数時間で戻る。門番の君が『見て見ぬふり』をしてくれるだけでいい。……悪い話じゃないだろう?」

 賄賂。腐敗した王国の兵士ならば、尻尾を振って飛びつくはずの額だ。

 

 だが、カイルの反応は予想外だった。彼は金貨に一瞥もくれず、まるで纏わりつく羽虫を払うかのように、シッシッと手を振ったのだ。

 

「勘弁してくださいよ」

 カイルは深く、心の底から面倒そうにため息をついた。

 

「金なんて貰っても、使う暇がありゃしませんよ。それにね、もし殿下が誘拐されたり、馬車に轢かれたりしたらどうなります? 俺が始末書を書かされるんです。いや、最悪の場合は首が飛んで、その処理書類を部下が泣きながら書くことになる」

 彼は槍の石突で地面をコンと叩き、再び死んだ目を向けた。

 

「俺はね、仕事が大っ嫌いなんです。特に『無駄な仕事』がね。……殿下を通してトラブルになるリスクと、この門を閉じたまま昼寝をするメリット。比べるまでもありません」

 

「……仕事熱心だね」

「いいえ、怠惰なだけです。……さあ、お部屋にお戻りください。俺の平穏な時間を奪わないでいただきたい」

 カイルは再び背を向け、門柱に寄りかかって瞼を閉じかけた。

 その態度は不敬極まりない。だが、そこには「絶対に動かない」という岩のような意思があった。

 リュートは金貨を懐にしまい、ルリカに目配せをして一歩下がった。

 

(……力ずくでは勝てないな)

 リュートの観察眼が、カイルの身体的特徴を冷徹に解剖していく。

 

 だらしない立ち姿に見えるが、重心は常に安定している。槍を握る手のひらには、長年の訓練で培われた分厚いタコがある。足運びには無駄がなく、背中を見せているようでいて、殺気には即座に反応できる間合いを保っている。

 

 この男、ただの無気力な兵士ではない。王宮騎士団でも上位に食い込めるだけの手練れだ。

 

(実力があるのに、なぜこんな閑職で腐っている?)

 リュートの脳裏に、王国の現状が重なる。

 

 正義を口にすれば煙たがられ、実力を示せば出る杭として打たれる。この国にあるのは「法」ではなく、王の「気分」と「品位」という名の理不尽だけだ。

 カイルのその死んだ目は、単なる怠慢ではない。ルール無き世界に絶望し、戦うことを放棄した者の目だ。

 

(彼は『規則』を守っているんじゃない。規則を盾にして、自分の心を閉ざしているだけだ)

 金も、権威も通じない。今のリュートには、この「絶望の壁」を壊すためのカードが足りなかった。

 

「……分かった。今日は戻ろう」

 リュートはあっさりと引き下がり、踵を返した。

 

「賢明なご判断で」

 カイルの気のない声を背中に受けながら、リュートはルリカと共に屋敷へと戻るふりをして、建物の影へと滑り込んだ。

「リュート様。よろしいのですか?」

 

「いや、正面突破は無理だ。彼は『損得』では動かない。彼を動かすには、別のなにかが必要だ」

 リュートは通用門の方角を睨みつけた。外に出るには、あの男をどうにかしなければならない。だが今は、そのための材料がない。

 

 その時、通用門とは別の方向――物資の搬入口の方から、重たい馬車の車輪の音が響いてきた。

 

「……東の馬車か」

 リュートの瞳が怪しく光った。

 外に出られないなら、外から入ってくる情報を毟り取るまでだ。彼は足を止め、搬入口へと進路を変えた。

 

「行こう、ルリカ。……カイルを攻略する前に、まずは『武器(情報)』を拾いに行く」

 

 

 

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