リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 予見という価値
進行役の教師に総代として名を呼ばれ、リーゼロッテは壇へ進んだ。
正面に立つと、先ほどまで兄が見ていたであろう眺めが、そのまま自分の前に広がった。前方に上位貴族の子弟、後方へ下位貴族と特待生。壇上からは、どの席がどの言葉に身じろぎするかまで見て取れる。兄がこの位置から何を確かめながら話していたのか、いまなら分かる気がした。
「新入生を代表して、ご挨拶を申し上げます。本日、この学園に学ぶことを許されましたこと、まずは深く光栄に存じます」
一礼してから、リーゼロッテは顔を上げ、まっすぐに前を向く。王族としては一段劣るプラチナブロンドの髪をもつが、それを思わせないような美しさと威厳を備えた立ち振舞であった。
「わたくしがこの学園で修めたいのは、物事を、その場かぎりの感情や思いつきではなく、筋道によって捉える力です。なぜそうなるのか、その理由まで遡って考え、確かめる。そうした学びを、ここで身につけたいと願っております。もっとも、願いを口にするのはたやすくとも、それを修めるのはこれからです。この場には、すでに一年、二年とその研鑽を積んでこられた先輩方がおられます。王家に連なる身ではございますが、学問においては、わたくしは今日ここに入ったばかりの後進にすぎません。先輩方に一日でも早く追いつけるよう努めますので、どうかご指導を賜りたく存じます」
王女が在校生へ指導を請うという言葉に、後方の席のいくつかが、わずかに姿勢を正した。だがリーゼロッテは、その謙譲をただの儀礼で終わらせず、そこから話を継いだ。
「そして、その指導を、わたくしは早くも一つ、頂戴いたしました。先ほどの生徒会長のお話です。何をすれば守られ、何をすれば咎められるのか、その線引きを学則によって明らかにする。この学園裁判のお考えについて、わたくしなりに受け止めたところを僭越ながら申し述べます」
挨拶が、いつのまにか制度への論へ移っていた。だが、指導を請う流れの延長に置かれたことで、その移り変わりに不自然さはなかった。
「人が落ち着いて物事に取り組めるのは、自分の行いがこの先どう扱われるかを、あらかじめ見通せるときです。ある振る舞いが咎められるか否かが、その場になってみなければ分からないのであれば、人は常に身構え、力を出し惜しみます。逆に、何が許され何が咎められるかを前もって知ることができれば、人はその範囲の内で安んじて力を尽くせる。行いの帰結を先に見通せること。これが保たれてこそ、わたくしたちは学業に専念できるのです。学則によって線引きを明らかにするとは、この見通しをすべての生徒へ等しく与えるということにほかなりません。わたくしが会長のお考えに賛同いたしますのは、この一点のゆえです」
挨拶とは名ばかりの、理屈の筋道だった。だが、その運びには、聞く者を退屈させない張りがあった。
「加えて、会長は、その定めた学則にご自身も縛られると仰いました。わたくしは、この一点をこそ重く受け止めております。見通しは、定めた者が例外であってはなりません。上に立つ者が気分次第でその見通しを裏切れるのであれば、それはもはや見通しではなく、ただ一時の恩恵にすぎない。定めた者すら等しく縛られてこそ、その見通しは初めて信じるに足るものになります」
そこで、リーゼロッテは生徒会役員席に座るリュートに自身を持った視線を向ける。そして、一度言葉を置き、再び正面へ視線を戻した。
「わたくし自身は、この学則が定められる場に居合わせたわけではございません。作った者の一人でもございません。ですが、いま申し上げた見通しの価値に、わたくしは心から賛同いたします。賛同する以上、その恩恵だけを受けて、拘束からは逃れるというのでは筋が通りません。ですからわたくしは、王家に連なる者として、この学則の拘束を自ら進んで受け入れます。わたくしもまた、この見通しの内に立つ一人でありたいと願うのです」
言い切って、リーゼロッテは静かに頭を下げた。
「この試みが、わたくしたちの学びを確かに支えるものと信じております。素晴らしいお試みと存じます。以上をもちまして、新入生代表の挨拶といたします」
拍手が起こる前に、わずかな沈黙があった。いま述べられたものが、単なる祝辞ではなく、一つの筋の通った主張だったことを、聞いた者たちが遅れて理解した間合いだった。やがて講堂に拍手が満ちるのを背に、リーゼロッテは壇を下りた。
自分の言葉が、王家に連なる者として学則に従うという宣言になったことを、リーゼロッテは承知していた。学則の定めの外に足を残し、母を死なせたあの秩序の側にとどまるくらいなら、自ら進んで兄が作ったこの見通しの内側へ入るほうが、よほど得心がいった。壇を下りるリーゼロッテの表情は、公の場にふさわしく、静かに保たれていた。
◇
貴賓席でその挨拶を聞いていたアレクシスは、教師たちに囲まれた席で、わずかに身を起こしていた。
留学生である彼は、新入生でも在校生でもなく、授業の始まる日から席に加わることになっている。今日の入学式には、王国の次代を一望できる機会として、来賓の位置から臨んでいた。第一王子の挨拶も、続く総代の挨拶も、彼にとっては、これから見極めるべき者たちを品定めする材料だった。
第一王子の話は、実感に根ざした統治者の言葉だった。何が守られるか分からぬ場では人は学べない、という筋は明快で、聞く者を納得させる力があった。だが、それはあくまで、現場を見てきた者が経験から語る言葉の域にとどまっていた。
王女の挨拶は、質が違った。彼女は、兄の語った内容をそのまま受けて称えたのではない。行いの帰結を前もって見通せること、その見通しが人の力を引き出すこと、定めた者すら例外であってはならないこと。
彼女は、兄が経験として述べたものを、なぜそれが価値を持つのかという理屈にまで遡って組み直していた。実感を理論へ翻訳してみせたのだ。この若さで、他人の言葉をその場で理の骨組みへ組み替えられる者が、王国の第一王女である。それだけでも、ソラリアの警告を裏づけるに足る観察だった。
だが、アレクシスが本当に引っかかったのは、その鮮やかさの裏にあった。
彼女は、見通しという価値を、なぜそれが価値なのかという根拠から辿って組み上げた。理論を語る者の作法として、それは正しい。
ならば、その理屈が最後に行き着くはずの拠りどころ――何を基準にその見通しが立てられるのか、その基準はどこから正しさを得るのか――にも、当然触れてしかるべきだった。理由から順に積み上げていく者が、最後の一段の理由だけを口にしないのは、理屈の建て方として不自然に映る。兄の話にも、配られた冊子にも、学則の拠りどころとして一つの言葉が据えられていたはずだ。にもかかわらず、王女はその言葉を、ただの一度も口にしなかった。
もっとも、と彼は思い直した。祝辞の場で、制度の根拠をどこまで語るかは話し手の裁量だ。理由の最後の一段を省いたところで、それだけで裏があるとは限らない。アレクシスは、その小さな引っかかりを、いったん脇へ置いた。
当面の確かめるべきことは決まった。王女が理屈の骨組みまで賛同してみせた学則の中身である。配られた冊子には、制度の趣旨と枠だけが記されており細目は載っていない。しかし、その末尾に学則の原本は生徒会に保管され閲覧を求めれば応じる、との一文があった。第一王子が会長を務め、あの王女も、そして記録にほとんど残らぬあの第二王子も、さらにはおそらく次代の王国の中枢を担う者たちが生徒会に集うのだろう。次代の王国を担う者が一つ所に会するのであれば、その内側から見るに勝る機会はない。
アレクシスは、傍らのイザルトへのちほどグラクト殿に生徒会への参加を諮る旨を短く告げた。学則の中身を検めるという表向きの理由は誰に対しても筋が通る。その理由の下で、彼は次代の中枢そのものを間近で観察するつもりだった。