リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
5 設計者の椅子
入学式を終えた午後、生徒会室に残っていたグラクトのもとへ、帝国第二皇子アレクシスの来訪が告げられた。
春の宴で、既に言葉を交わした相手である。あの謁見でリュートの血筋を衆目の前へ晒してみせた、あの皇子だ。次代の者を値踏みするその目を、グラクトは自分にも向けられている。今日わざわざ足を運んできたのが、単なる表敬のためであるはずがない。そう構えて、グラクトは皇子を迎えた。
入ってきたアレクシスは、護衛を兼ねた側近イザルトを斜め後ろに従えていた。宴の夜と同じ、感情を読ませない静かな面持ちで、まず一礼する。
「今日はわざわざ時を割いていただいたこと、まず礼を申し上げます、グラクト殿。こうして直に話せる機会は、ありがたく思っています」
格の釣り合った相手への、隙のない礼だった。グラクトも第一王子として応の礼を返し、向かいの席を勧める。アレクシスはそれに従って腰を下ろし、イザルトはその斜め後ろに控えた。グラクトの側に残るのはエドワルド一人で、式の後片付けの指示を終えたばかりである。
「今日の式で、生徒会長みずから説明された学園裁判について、確かめたいことがあって参りました。生徒どうしの争いを、家格ではなく学則によって解く。あの仕組みが、実際にどこまで働いているのか。外から眺めているだけでは、動いている中身までは見えません。そこで、お願いがあります。私を生徒会に加えてはいただけないでしょうか。中に入って、学則とその運用が実際どう回っているのかを、この目で確かめたいのです」
帝国が実力によって物事の当否を定める国であることは、互いに承知している。その国の皇子が、家格ではなく規則で争いを裁く仕組みに関心を寄せるのは、表向き、筋の通った話ではあった。
それでも、承諾の一言は喉の手前で止まった。生徒会の内側を見せること自体に、案じるほどのものはない。引っかかるのは時期だった。
いま、訴追官の座をリュートからリーゼロッテへ移している最中である。その移し替えの途中を、よりによってこの皇子に初めから見せれば、表から退いていくはずのリュートへ、かえって目が向く。
それが何を手繰り寄せかねないかは、あの王妃の会議に連なった自分が、誰より分かっていた。ここで軽々に承諾できない。
もっとも、その移し替えの実務に、グラクトはほとんど関与していない。皇子を一人加えることが、どこにどう障るのか、その見極めまではつかなかった。実務の内側を握る者に確かめるほかなく、グラクトはエドワルドへ目をやった。いま加えて障りはないか。その一点を、視線で問う。
「アレクシス殿下。お申し出は生徒会にとっても得難いものと存じますが、時期について一つ、ご猶予を願いたく存じます」
グラクトの意を受け取ったエドワルドは、リュートから繋がりなねないルナリア死の真相からアレクシスを遠ざけるために、もっともらしい言葉を並べた。
「今年から民事の相談を受ける役務が加わり、誰にどの役目を割り振るかを、いままさに定めている最中でございます。さらに新入生の役務も整えきれておりません。このままお迎えしては、殿下が学ぼうとされるものを正しい姿でお見せできません。私の差配が行き届かぬがゆえのこと、体制が整うまで、いましばらくのご猶予を頂戴できませんか」
実務の不備を、エドワルドは自らの至らなさとして引き受けてみせた。おかげで、グラクトが答えに迷った一瞬は、体制がまだ整わぬという筋の通った理由の下に隠れた。
そのあいだ、イザルトが主人の斜め後ろから、エドワルドへ視線を移していた。言葉の運びを検めるように、一拍そこへ目をとどめる。
やがて何も言わず元の構えへ戻ったが、ただ耳を傾けているだけの者は、そういう目の据え方をしない。エドワルドの言い分のどこかに、この従者は引っかかりを見つけている。グラクトの目には、その一拍がそう映った。
「事情は分かりました、グラクト殿。体制が整うのを待ちましょう。学ぶために来た身です、こちらの都合で場を急かすつもりはありません」
温和にそう引いて、アレクシスは生徒会加入の話を収めた。だが、椅子を立つ気配はない。話が収まったその間合いを選んで、彼はもう一つの問いを置く。
「せっかくの機会です、もう一つ伺いたい。あの学園裁判は、家格ではなく学則で争いを裁くという、王国では珍しい試みです。あれを最初に形にされたのは、どなたなのでしょうか」
問いそのものは、素朴な形をしていた。だが、宴で弟の血筋を暴いてみせた皇子が、制度を最初に作った者を尋ねている。その一致を、偶然と受け取るほどグラクトは甘くない。リュートの名を、この場で出すことは戸惑われた。
「あれは、当時の生徒会に集った役員が、幾度も議を重ねて形にしたものです。誰か一人が思いついて据えたというものではありません。学則の一条ごとに、皆で言葉を練っていきました」
嘘は言っていない。学則は生徒会の合議を経て編まれている。ただ、その議のどこに芯があったかにだけは触れず、設計の主を一人へ絞らせない。生徒会という合議へ溶かし込むことが、リュートを役員の中へ紛れさせる、精一杯の答え方だった。
「では、その議に加わったお一人として、グラクト殿のお考えを聞かせていただきたい。今日の式辞と、配られた冊子を拝見しました。そこで言われている学園の品位というものが、私の知る王国の品位と、どうにも重ならないのです。私の知る王国の品位とは、家の歴史と家格に根ざすもの。ところが、あの学園裁判が拠って立つ品位は、その家格から切り離されているように見えます。同じ品位という言葉を使いながら、拠りどころが違う。グラクト殿は、いかなるお考えに立って、王国の品位とは異なるあの形を選ばれたのでしょうか」
問いは、制度が何を目指すかではなく、その制度を何によって基礎づけたいのかを、正面から突いていた。狙いのありかを、グラクトは読み取る。読み取った上で、答えた。
「学園の秩序を保ち、生徒が学びに専念できるようにする。それが、あの制度の目指すところです。家格の高下で裁きが揺れれば、生徒は落ち着いて学べない。だからこそ、家格から離れた学則という共通の物差しを据えました」
「家格でないことは、冊子を拝見すれば分かります。私が伺いたいのは、その先なのです。家格を退けられたのであれば、あの学園の品位は、いま何を拠りどころに立っているのでしょうか。グラクト殿の言われる品位とは、突き詰めれば何なのか。そこを伺いたいのです」
問いが一段深いところへ届いているのは、グラクトにも分かった。分かった上で、返す言葉を探す。
「……学園という場で、生徒がどう振る舞うべきか。それを定め、その通りに責任を負わせる。会長として、私が果たすべきはそこにあります。学園の品位とは、その、あるべき振る舞いのことです」
答えながら、グラクトは、自分が同じところを回っているのに気づいていた。あるべき振る舞い、と言ってはみたものの、では何をもってそれをあるべきと定めるのか。家格でないのなら、その物差しは何に根ざしているのか。皇子が指しているのは、まさにそこだった。責任を負わせる、とは言える。学園の秩序のため、とも言える。
だが、その責任を、何を根拠に負わせるのか——実力ゆえか、生まれながらの権威ゆえか、それとも別の何かか——と問われれば、自分の内に、答えを支える根元がない。
学則を承認したのは自分だ。ならばその学則は、突き詰めれば自分の考えに拠っているはずだった。にもかかわらず、その自分の考えの中身が何なのかを、自分でも言い当てられない。
アレクシスは、その答えを静かに受け止め、それ以上は問い重ねなかった。追ってこないことが、かえって、いまの答えが的の手前で止まっていたことを、グラクトに突きつける。
「よく分かりました。時を割いていただいた上に、こちらの問いにまで答えていただいたこと、礼を申し上げます、グラクト殿。生徒会のお返事は、急がず待たせていただきます」
温和にそう述べて、アレクシスはイザルトを伴い、生徒会室を辞していった。
残されたグラクトは、閉じた扉をしばらく見ていた。あの皇子が何を確かめに来て、何を得て帰ったのか、そこまでは読み切れない。
ただ、問われて答えきれなかったという後味だけが、はっきりと残る。学園の品位とは、突き詰めれば何なのか。自分が作り、自分が拠って立つはずのその品位の中身を、自分は言葉にできなかった。
その居心地の悪さの正体を、グラクトはまだ、掴みかねていた。