リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 東方貿易商会:証拠の確保
離宮の裏手にある搬入口は、土埃と馬の匂いが混じり合っていた。
そこには、見慣れない豪奢な装飾が施された大型馬車が停まっている。荷台には東のオルディナ公爵領から運ばれてきた最高級の織物や陶器が積まれ、離宮の職員たちがせっせと運び込んでいた。
少し離れた場所では、警備隊長のカイルが槍を枕にして、木陰で大あくびをしながら空を眺めていた。荷物の搬入などという退屈な実務には、欠片も興味がないらしい。
(……好都合だ。あの怠惰な門番のおかげで、僕は自由に動ける)
リュートは外套のフードを目深に被り直し、ルリカを手で制して一人で馬車へと近づいた。足取りは軽く、好奇心旺盛な子供そのものだ。
馬車の陰では、恰幅の良い東の商人が、帳簿を片手に額の汗を拭っていた。彼は周囲を警戒するようにキョロキョロと見回した後、懐からこっそりと「一枚の羊皮紙」を取り出し、帳簿の数字と突き合わせ始めた。
チャリン、という硬貨の音ではない。
カサリ、という乾いた紙の音だ。
(……なんだ、あれは?)
リュートの目が鋭く細められた。
商取引の決済に使われるのは、王国の金貨か銀貨のはずだ。だが、商人が持っているのは、複雑な透かしが入った小さな紙片。それを彼は、まるで金貨そのものであるかのように大切に扱っている。
リュートは瞬時に表情を切り替えた。計算高い観察者の顔を捨て、無邪気で世間知らずな「王子の顔」を被る。
「ねえ、おじさん。それ、なあに?」
「ひっ!?」
背後から声をかけられ、商人は飛び上がるように驚いた。慌ててその羊皮紙を背中に隠し、振り返る。そこにいたのは、黒髪に赤い瞳の少年――この離宮の主、第二王子リュートだ。
「で、殿下!? こ、これは……その、ただのメモ書きでして……!」
商人は脂汗を流しながら弁解する。明らかに動揺している。ただのメモなら隠す必要はない。リュートは首を傾げ、可愛らしくねだった。
「へえ、メモなんだ。でも、キラキラしてて綺麗な紙だね。僕、珍しいものが大好きなんだ。それ、僕のコレクションにしたいな」
「い、いただけません! これは……帳簿の整理に必要なもので……!」
商人は必死に拒む。それが外部に見せてはいけない「何か」であることを如実に物語っている。
リュートは懐から、母に貰った帝国の金貨を一枚取り出し、指先で弄んだ。黄金の輝きに、商人の目が釘付けになる。
「……おじさん。その紙切れ一枚と、この『本物の金貨』。どっちが価値あるものかな?」
リュートは無邪気に笑ったまま、しかし逃げ場のない圧力をかけた。
「僕はお母様に頼まれて、ここを通る荷物の『検分』をしているんだ。……もしその紙を見せてくれないなら、カイル隊長を呼んで、荷物を全部ひっくり返して調べてもらおうかな? 『不審物を持っていた』って」
商人の顔色が青ざめた。
東の公爵領からの荷物は、ただでさえ王都の関所で高い税と賄賂を毟り取られている。ここでさらにトラブルになれば、商売上がったりだ。
「わ、分かりました……! どうぞ、お納めください……!」
商人は震える手で、隠していた羊皮紙を差し出した。
リュートは素早く金貨を商人の手に握らせ、その紙片を奪い取るように受け取った。
「ありがとう。……この取引は、僕たちだけの秘密だよ」
リュートは口元に指を当ててウィンクし、すぐさま踵を返した。
遠くでは、まだカイルが呑気に欠伸をしている。彼の怠慢のおかげで、王国の根幹を揺るがしかねない「証拠」が、王子の手に渡ったことに誰も気づいていない。
◇
自室に戻ったリュートは、直ちにその羊皮紙を机の上に広げた。
ルリカがランプを近づけ、その表面を照らす。
それは一見すると、ただの「貨物引換証」に見えた。上質な羊皮紙に、複雑な透かしと魔導印が施されている。
「……すごいな。偽造防止技術は王宮の公文書レベルだ。東の公爵領は、これを組織的に運用しているのか」
リュートは指先で紙の感触を確かめながら、そこに記された文言を読み解いていく。
『最高級絹織物・壱反相当』という価値の裏付け。
そして、紙の隅に押された、真っ赤な朱印。
『領内限定。譲渡(裏書)無効』
ルリカが不思議そうに首を傾げた。
「リュート様。この『譲渡無効』とは? これでは、他人への支払いに使えないただの引換券ではありませんか?」
「いや、違うよルリカ。これこそが、この紙片を作った人間の『天才的な防壁』だ」
リュートの瞳が、感嘆の色を帯びて輝いた。
「もし、これを誰にでも譲渡可能(無記名式)にしてしまえば、それは『紙幣』そのものになる。そうなれば、父上(国王)は『王家の通貨発行権を侵害した』として、即座に東へ軍を差し向けるだろう」
リュートは朱印を指でなぞった。
「だが、ここに『譲渡禁止』と明記することで、法的にはあくまで『商人と公爵家の、一対一の私的な預かり証』という体裁をとっている。……つまり、言い訳ができるんだ。『これは通貨ではありません。ただの荷物の引換券です。だから王家の権利など侵害していませんよ』とね」
「なるほど……。法の抜け穴、でございますか」
「抜け穴じゃない。王家の喉元ギリギリの『境界線』だ」
リュートはニヤリと笑った。
実際には、東の商人たちはこの信用ある証券を、裏取引で事実上の通貨として回しているはずだ。重い金貨を持ち歩いて関所で没収されるリスクを回避するために。
だが、表面上は完全に合法。王家が難癖をつけてきても、法廷で論破できるロジックが組み込まれている。
「……やるなぁ。ここまで高度な『有価証券』の原型を組み上げ、かつ王の逆鱗に触れないラインを見極めている」
リュートは椅子に深く腰掛け、その紙片を透かして見た。
ただの臆病者には、ここまでの芸当はできない。経済の仕組みを熟知し、法を理解し、その上で王という理不尽な権力と渡り合うための「知恵」と「度胸」を持った誰かが、東にいる。
(公爵か? ……いや、あの古狸にこれほどの柔軟な発想はない)
リュートの脳裏に、母が言っていた言葉がよぎる。東の公爵には、非常に聡明な娘がいると。
まだ見ぬその人物への興味が、リュートの中で急速に膨れ上がっていった。
「……会わなければならないな。この美しい『法的な防壁』を設計した賢者に」
カイルという武力。そして、この紙片を作った知恵。
離宮の外には、リュートが求めていた「力」が転がっている。
少年は窓の外、東の空を睨みつけた。
「待っていろ。……君がどんなに深く牙を隠していても、僕には同類の匂いが分かる」
リュートはその紙片を丁寧に折りたたみ、懐へとしまった。
それは、彼にとって金貨以上の価値を持つ「同志への招待状」だった。