リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 従者の格
生徒会室へ通されると、イザルトはアレクシスの半歩後ろで足を止め、卓を囲む面々へ順に目を走らせた。正面には会長のグラクト、その傍らには実務を支えるエドワルドが座り、副会長のリュートは会長と向かい合う席に静かに座っている。他の役員を一通り確かめたところで、イザルトの視線は最初から見ると決めていた第二王子へ戻った。
皇妃ソラリアの警告を受けたアレクシスから、リュートに関する情報を改めて洗い直せと命じられている。だが、目の前の第二王子から受ける印象は変わらず、黒髪と赤眼は王国の中では否応なく目につく色であるのに、本人は自然体を崩さず、イザルトはまだ何一つ掴めない。
今ここでリュートだけを見続けても材料は増えない。イザルトは視線をリーゼロッテへ移した。法理を交わしたアレクシスが対等な相手と認め、婚約交渉の当事者としても向き合っている第一王女は、この場では帝国側との窓口を担う。
彼女は来客を迎える王女として姿勢を崩さず、アレクシスを迎えたあと、その半歩後ろに控えるイザルトにも一度目を向けた。護衛だからと存在を省かず、かといって必要以上の関心も示さない。
そこからアイリスへ目を移すと、オルディナ公爵令嬢は視線を受けても表情を変えず、一度だけイザルトと目を合わせた。帝国が彼女の能力に関心を持っていることを王国側も承知しているなら、露骨に避けることも、必要以上に応じることも相手へ材料を与える。アイリスは礼を失わない程度に応じただけで視線を戻し、隣のテオドールも反応は見せなかった。
イザルトはそこで観察を切り上げ、今日まず確かめるべき、生徒会がアレクシスをどのような条件で迎えるのかへ意識を戻した。何を見せ、何を内部へ残すのかには、この組織が帝国の皇子を前にしても自分たちの判断を保てるかが表れる。
「本日は、お時間をいただき感謝します。こちらの申し出に対し、正式に場を設けていただいたことにも礼を申し上げます」
生徒会への参加を望んだのはこちらであり、その申し出を王国側が協議した以上、まず便宜へ礼を返すのが筋である。アレクシスはそれ以上の要求を重ねず、相手から示される条件を待った。
生徒会側ではエドワルドが手元の書類を確かめてグラクトへ視線を送り、グラクトもそれを受けてアレクシスへ向き直る。外国の皇子をどの条件で迎えるかの判断を外客の前で引き受けるのは会長自身の役目である。
「昨日の協議により、アレクシス殿下を今期生徒会の客員としてお迎えすることを決めました。ただし、御覧いただける範囲には制限を設けます。公開の学園裁判と再審、公開の場で行う規律違反への対応には御同席いただけます。一方で、個別の相談や調停、誰をどの違反について調べるかという事前の協議は、生徒会内部に留めます。また、御参加の際には役員一名が同行し、客員として御意見を伺うことはあっても、執行そのものをお願いすることはありません」
帝国の皇子を迎える条件としては明確に狭い。それでもイザルトは、グラクトが自分の口で制限を告げたことを正しいと見た。相手の身分を理由に内部情報まで差し出せば、生徒会を預かる者として責任を果たしたことにはならない。反対に、皇子だからと曖昧に拒めば、客員として迎えると決めた意味そのものが失われる。
何を見せ、何を内部に残すかを定めたうえで、その制限を側近に読ませず会長自身が告げる。少なくともこの件について、グラクトは決定者としての立場を外客の前でも手放していなかった。
「承知しました。客員である以上、王国側の職務へ私が直接手を入れるべきではないでしょう。見せていただける範囲が定められていることにも異存はありません。こちらが王国を見るだけでなく、私がどのように振る舞うかも見ていただけるということでしょう。その程度の制限を嫌うようでは、客として席を頂く資格もありません」
制限された側が不満を示せば、王国側はさらに警戒する。こちらも見られる側だと認めて受け入れれば、警戒そのものを争わずに次へ進める。相手の制限を力で退けず、自分に課された条件まで観察の材料へ変えるのはアレクシスらしい受け方だった。
これで客員をめぐる確認は終わるはずだったが、リーデルが礼を保ったまま口を開いた。饗宴で退出を命じられた苦い記憶はこの男の側にこそ残っているはずだが、リーデルはそれを面に出さず、また同じ品位を持ち出そうとしていた。会長が条件を示し、客員本人が受け入れたあとでなお何かを付け加えるのであれば、その内容だけでなく、何を自分の役目と考えて発言しているのかも見ておく価値がある。
「殿下が御理解くださるのであれば、私からも一つだけお願い申し上げます。先日の饗宴では、王国と帝国で品位に対する考え方が異なることもございました。ここは王国の生徒会であり、学園もまた王国の秩序の中にあります。客員として御参加くださるのであれば、その点にも御配慮いただければ、余計な行き違いを避けられるかと存じます」
外国の客へ自国の慣習を尊重してほしいと頼むだけなら、それ自体は不自然ではない。問題は会長がすでに参加条件を告げ、アレクシスも受け入れたあとで、一役員が別の条件を付け加えたことにある。それでは外客の前で、グラクトが示した判断だけでは足りないと受け取られかねない。
しかもリーデルが持ち出したのは、先日の饗宴でも自ら判断を誤った品位だった。単に失態を取り返そうとしているというより、あるべき秩序へ寄せる役目があると考えているようにイザルトには見えた。饗宴でも、皇子に詫びを促そうとした自分の試みを損なったのは横から口を挟んだ従者の方だとこの男は捉えているのだろう。その筋書きの中には、皇子にはじめから詫びる意思などなかったという事実は入っていない。
ならば、その品位がどこまで一貫したものなのかを確かめると同時に、リーデルが自分をどの位置に置いているのかも見ておいてよい。アレクシスの後ろに控える自分を同じ基準で測っているなら、問い方を少し選ぶだけで、その判断を本人の口から出させられる。イザルトは一歩も前へ出ず、あえて自分の身分には触れないまま、先日の饗宴で実際に見た行動だけを材料にした。
「先日の饗宴で、リーゼロッテ殿下は、ご自身に責任があるから頭を下げられたのではなかったと記憶しております。それでも饗応を預かる王女として、場を収める責任を御自分で引き受けられた。私があの場で見た限り、この国の品位というものは、上に立つ者が下位の者へ責任を押しつけるためではなく、自ら負うべき責任を引き受けることで示すこともできるように見えました」
ここで責任の大小だけを問えば、リーデルは王国の慣習を説明して終えることもできる。イザルトが知りたいのは、目の前の相手が品位を誰に対して、どのような上下関係として使うかだった。そこで、自分を含めても答えざるを得ない形まで問いを狭めた。
「もしそうであるなら、身分が低いと見た相手を軽く扱うことは同じ品位にかなうのでしょうか。上に立つ者ほど多くの責任を負うべきだという考え方と、下にいる者だから軽く扱ってよいという考え方は、私には両立するように思えません」
「従者の分際で、私に王国の品位を説かれるおつもりですか。私はセラフィナ侯爵家の直系です。殿下にお仕えする身であるあなたが、王国の侯爵家に対して上下を論じるのであれば、まず御自身の分をわきまえていただきたい」
予想した方向へ答えが出たことで、イザルトは自分が何を基準に測られていたのかを確認できた。リーデルはシュタインヴァルトの名を知らないか、少なくとも帝国でどの位置にある家なのかを理解していない。アレクシスの半歩後ろに立ち、護衛として付き従っている。その事実だけを見て、自分を侯爵家の直系より下に置いていた。
帝国では皇位を争う者が高位の家の者を側近として置くこともある。だがリーデルは、自国で身につけた主従の見方をそのまま帝国人へ当てはめ、それだけで相手の位置まで決めていた。
「イザルト」
アレクシスに名を呼ばれ、イザルトはそこで口を閉じた。欲しかった確認はすでに取れているうえ、ここから自分で家格を並べれば、侯爵令息との言い争いに帝国公爵家の威を持ち込んだように見える。誤認を正す必要があるとしても、帝国側が自ら誇示するより、王国側が誤りとして処理した方が後に余計な対立を残さない。
リーゼロッテはリーデルを責める言葉を重ねず、彼の発言が前提としていた身分関係だけを正した。
「リーデル殿。一点、認識を改めてください。イザルト殿は、ファブリス帝国シュタインヴァルト公爵家の嫡男です。皇妃ソラリア様の甥であり、アレクシス殿下の従兄弟でもいらっしゃいます。殿下の護衛を務めておられることと、御本人の家格とは別のことです」
帝国内でシュタインヴァルト家がどれほどの位置にあるかまで並べれば、誤認の訂正を越えてリーデルを辱めることになる。リーゼロッテはそこまで踏み込まず、従者であるという事実から本人の身分まで決めた前提だけを崩した。
リーデルはすぐには言葉を返さなかった。その沈黙へさらに追及を重ねるのではなく、グラクトは自分の立場から事態を引き取った。イザルトにとって重要なのは、誤った役員をその場で責めるかではなく、生徒会という組織が客への失礼を誰の責任として処理するかだった。
「アレクシス殿下、イザルト殿。生徒会の一員が、お迎えした客人に対して礼を失しました。会長である私からお詫び申し上げます。イザルト殿の家格を存じ上げていたかどうかはこの件とは別です。どの身分の方であっても、こちらから客員としてお迎えした方に対し、会として定めた条件を越えて一役員が独自に上下を持ち出したのであれば、それを収める責任は会長である私にあります」
先ほど自分がリーデルへ投げた問いを、イザルトは思い返した。上に立つ者ほど責任を負うべきだと、王国の品位を借りて問い返したばかりである。グラクトがその言葉を意識して動いたのかまでは分からない。
ただ、目の前の第一王子は部下の誤りを理由に自分の責任を減らさず、相手が帝国公爵家の嫡男だったから頭を下げるのでもなく、生徒会を預かる者として謝罪している。少なくともその行動は、リーデルが示した上下の扱いより、先ほどイザルト自身が口にした理屈とよく噛み合っていた。
「謝罪を受けます。こちらも客として招いていただいた以上、この場の秩序を乱すことを望んではおりません。そのうえで、一つお願いしてもよろしいでしょうか。客員として公開の学園裁判を見せていただけるのであれば、過去の裁判記録も拝見したい。王国側で差し支えない範囲に限って構いませんので、閲覧をお認めいただけないでしょうか」
学園裁判は、アレクシスが以前から設計者の存在を疑っている制度の一つである。リュート本人を観察しても何も得られないなら、本人だけを追う必要はない。実際の運用が残した記録を読めば、少なくとも制度そのものを別の方向から確かめる材料にはなる。何かしらの事実が読み取れるかは、実際に記録を見てから判断すればよい。
グラクトは即答せずエドワルドへ顔を向けた。許可を出す立場にあることと、保存記録を外客へ見せても差し支えないかまで把握していることは同じではない。エドワルドはすぐにグラクトの傍らへ寄ると、他の者には届かないほど声を落として短く何かを伝え、グラクトは説明を聞き終えると一度頷いてイザルトへ向き直った。
イザルトには一語も聞き取れなかったが、求められた判断材料をその場で返せる程度には、エドワルドが記録の扱いを承知していることだけは分かった。
「閲覧を認めます。保存記録は個人を特定する情報を残さない形式ですので、先ほど非公開と申し上げた個別相談や事前調査の情報をお渡しすることにはなりません。客員として御覧いただいて差し支えありません」
「ありがとうございます。では、後日お願いしましょう」
許可を得たイザルトは、同時にエドワルドへの評価を一段改めた。記録の閲覧を求められた直後、彼は席を外さず、誰かへ確認することもなく、会長が可否を判断するための材料を渡している。記録管理を直接担っているのか、制度そのものにどこまで関わっているのかまでは分からない。
しかし、会議の進行を補佐するだけの側近ではなく、生徒会の実務について即座に判断材料を出せる程度の理解を持っている。そのことだけなら、今のやり取りから確認できた。
話が終わるまで、リュートは一度も口を挟まなかった。リーデルが客へ品位を持ち出し、リーゼロッテが誤認を正し、グラクトが会長として謝罪し、エドワルドが記録閲覧の判断を支えても、副会長である第二王子は必要以上に前へ出てこない。働きの場なら何かが見えるかと考えていたイザルトにとって、その点だけは謁見のときと変わらなかった。
ただ、王国側から得たものがなかったわけではない。リーデルのように自国の序列をそのまま外国へ当てはめる者がいる一方で、リーゼロッテは必要な事実だけを使って誤りを収め、グラクトは役員の失態を会長の責任として引き受けた。
さらに、その判断を実務の側からすぐに支えられるエドワルドもいる。誤りを起こす者だけでなく、その誤りを組織の中で修正できる者もいることは、この世代を測るうえで無視できなかった。
リュート本人からは、今日も何一つ得られなかった。しかし、本人を直接読むことだけが調査ではない。学園裁判の記録を読む許可を得た以上、次は制度が実際に残してきたものを確かめればよい。
イザルトはそこから何が見つかるかをまだ決めつけず、次に読むべきものだけを定めたまま、アレクシスの半歩後ろで生徒会室を辞した。