リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
第2話後編『今期生徒会』
5 囲う手
図書室の奥にある保管庫は、以前リュートとヴィオラが互いを転生者だと確かめた場所だった。今日はそこにアイリスまでいる。三人が人目を避けて集まっていると知られれば、それだけで離宮の内側にある繋がりを探る材料になる。人の絶える刻を選び、図書室の出入りはテトラを中心にスピネルたちが見ていた。
昨夜、自分の部屋へ持ち込まれた話は、ヴィオラ一人で処理すれば離宮全体へ跳ね返る。だから短い電報で二人を呼んだ。相談を持ちかけた本人として、まずは二人が判断できるところまで事情を渡す必要があり、ヴィオラは卓に指先を置いたまま昨夜の訪問者から話し始めた。
「昨夜、メリア・ニル・ローディスっていう新入生が来たの。ローディス子爵家の令嬢。家への援助と引き換えに第一側妃と魔法契約を結んでいて、命令には逆らえない。私のところで見聞きしたことを報告しないとも約束できなかった。それでも、私の侍女になりたいって」
メリアを受け入れなかったとしても、第一側妃がこちらを探るのをやめるとは限らない。アイリスは組んだ指をわずかに動かし、まず受け入れるか否かを比較できる形にする必要がある。
「お断りしても、第一側妃の関心までなくなるわけではございませんものね。でしたら、受け入れずに次の手を待つのと、メリア嬢をこちらで抱えるのと、どちらが扱いやすいかを先に見た方がよさそうですわ」
二つを比べるなら、次はメリアという既知の報告経路をどこまでこちらの側から使えるかを、リュートが判断する必要がある。リーゼが学園へ来た今、離宮は王宮、とりわけ後宮の内側を拾う手まで薄くなっている。彼は椅子の背から少し身体を起こし、送り込まれた監視役を排除するのではなく、その線ごと利用する方へ視点を移した。
「僕なら、受け入れる方を選ぶかな。第一側妃がわざわざこちらまで繋いでくれた線なら、切るより使った方がいい。メリア嬢に見せるものを選べば、向こうに掴ませる情報もこちらで選べる。必要なら偽情報を混ぜてもいいし、事実の一部だけを見せて、こちらが望む方向へ誤認させてもいい。その情報をどう使うか見れば、第一側妃が何を考えているかも拾える。それに、今の僕たちは王宮の中へ伸ばせる手が少ない。後宮へ繋がる伝手を一本持てるなら、それだけでも手放す理由はないよ」
その案を実際に回せるかは、メリアを自室へ置くヴィオラがどこまで制約を飲めるかにかかる。二人の視線を受け、ヴィオラは昨夜もっとも重く見積もっていた設計から考え直した。
「一番困るのは設計ね。でも、今すぐ仕上げなきゃいけないものはないし、作業する時間をずらせば何とかなる。前みたいに好きな時に触れなくなるだけよ」
昨夜は、メリアを生活圏へ入れることと技術開発を止めることをほとんど同じものとして考えていた。だが実際に増えるのが作業上の制約なら、失うのは技術そのものではなく自由と速度である。ヴィオラが一人で見積もっていたほど重い損失ではなかった。
その程度なら、ヒルデガードが差し込んできた線を離宮の側から使うというリュートの判断を、ヴィオラも受け入れられる。だが、自分の侍女として引き取るなら話は別だった。離宮に利があるから手元へ置くのではなく、その先で生じるものまで自分の選択として負う以上、ヴィオラ自身にも引き取る理由が必要になる。
「そのくらいなら、私も受け入れられる。でも、私がメリアを引き取るなら、離宮の都合で使うだけでは終わらせたくないの。メリアって、レティシアと境遇がよく似てる。どっちの家も、私たちが起こした相場暴落に耐えられるだけの資金力がなかった。ローディス家の方が、先に持たなくなっただけよ。だったら、レティシアに渡したのと同じ機会をメリアにも渡して、自分で選べるところまでは連れていきたい」
二人を分けたのは、沈む速さと、その先で拾い上げた相手だった。レティシアを引き取ったときも、グラクトへの備えというこちらの都合があった。今度も変わらない。
沈む者が出ると分かって相場を崩したのだから、そこに負い目はない。離宮が壊した盤面の巻き添えを、すべて拾う気もなかった。同情は手を伸ばす入り口にはなっても、拾う理由にはならない。
それに、今のメリアの望みはまだヒルデガードの命令の内側にある。ヴィオラの侍女になりたいという言葉だけでは、ヒルデガードとヴィオラのどちらを本人が選ぶのかまでは分からない。
だからこそ、引き取ると決めた後にヴィオラが負うのは、メリアの答えをこちらで決める責任ではない。春休みにリーゼがセシリアへしたように、選択できるところまで連れていき、その先を本人に委ねることだった。
どちらへ転ぶか分からないまま手元へ置くだけなら、余計なことを教えない方が防諜上は安全である。それでもヴィオラがその先まで引き受けるというなら、本人が選べるだけの知識を与えるところまでがその選択に含まれる。アイリスはそこから、メリア自身がまだ理解できていない契約へ目を向けた。
「でしたら、最初に必要なのは契約を理解させることですわね。今のままでは、自分がどこまで縛られているのかも判断できないでしょう」
昨夜ヴィオラが確かめられたのは、命令に逆らおうとする意思そのものが拘束されることまでで、契約から離れる条件が存在するかどうかまでは分かっていない。本人に選ばせる余地を作るなら、その未知の部分はリュートも考える必要がある。
「僕も少し考えてみるよ。契約そのものを解除できるのか、拘束される範囲の外に本人が選べる部分が残っているのか、それとも何か条件を満たせば選び直せるのか。今はどれも分からないけど、メリア嬢自身が残るか離れるかを選べる余地があるなら、探しておきたい」
「本人が選び直せる余地」という言葉が出たところで、アイリスの視線がわずかに変わった。婚約を政治上の契約として持ちかけたのはリュート自身である。その本人が、他人の契約について抜けられる余地を探すと言い始めたのだから、目の前の婚約者についても一つ確かめておきたくなるのは、ヴィオラにも分かった。
「……そういう抜け道をお考えになるのは、メリア嬢のためだけですの?」
「いや、そういう意味じゃない。僕とアイリスの契約に僕だけが抜けられるような条件なんて入れてないし、そもそもあれは僕から持ちかけた以上、僕の都合が悪くなったら解く前提で結んだわけじゃない。東を僕の側へ繋ぐための契約だったことも、それで君の人生まで巻き込んだことも分かってる。だから今言っているのは、メリア嬢が第一側妃の命令の外で残るか離れるかを自分で選べる余地がないかって話で、君との婚約に抜け道を作ったとか、あとから作ろうとか、そういうことじゃなくて――」
尋ねられたのは一つだったはずなのに、リュートは婚約を持ちかけた動機から自分だけ逃げるつもりがないことまで、ほとんど一息に説明していた。
いつもなら必要なところだけ切って話すくせに、今日はずいぶんよく喋る。アイリスに疑われた途端これなのだから、何を気にしているのかは説明されるより分かりやすかった。
「わたくしは、メリア嬢のためだけですの、と伺っただけですわ」
アイリスの口元には薄い笑みが残っていた。あれだけ説明された後では、もう何を確かめたかったのかを重ねて聞く必要もないらしい。
リュートは自分が余計なところまで喋ったことにようやく気づいたのか、咳払いを一つして視線を卓へ戻した。
解除の道を探すのはリュートに任せても、メリアを実際に引き取るヴィオラには、本人が契約を考えられるところまで教える役目が残る。今から始められるものなら、自分の側で形にする必要がある。
「最初は学園の規則と契約の基本からね。その上で、私との契約は自分で書かせればいいんじゃない? 雛形はなし。侍女として何を引き受けるのか、自分で考えて、自分で書かせるの」
解除できるかどうかとは別に進められるなら、その部分は先に動かせる。リュートはヴィオラの案から、魔法契約そのものに触れずにできる範囲を拾った。
「それなら、解除できるかどうかとは切り離して進められるね」
アイリスも、本人に契約を書かせる以上、出来上がった文面そのものを教育の材料にできる。
「書いたものを見れば、メリアが侍女という役目をどう捉えているかも分かりますわ」
ヒルデガードとの契約をどこまで動かせるかは、まだ分からない。それでも、これからヴィオラのもとで負う役目については、メリア自身が条件を考えられる。命じられた契約の中で動くだけではなく、自分で契約を作る側へ回る経験を持たせることなら、今からでも始められた。
メリアを引き取れば、これまで自分が個別に見てきたレティシアの教育も同じままでは通せない。そこまで自分の生活圏に属する問題である以上、変更案を出すのもヴィオラになる。
「普段の仕事も普通に振るわ。使いに出てる間に設計を進めて、部屋にいる時は秘匿技術を出さない。それなら技術は回せる。ただ、レティシアの方は同じやり方じゃ無理ね。二人で会い続けること自体が目立つもの。実務と経済は士爵ネットへ移したいんだけど、アイリス、引き取れる?」
自分の側へ移されるなら、個別教育を別の一対一へ移すだけでは意味がない。アイリスは、レティシア一人を浮かせずに同じ知識を広げられる形へ組み替えた。
「引き取れますわ。商業帳簿から始めて、複式簿記まで扱いましょう。組合や商会へ入る子にも使えますから、レティシア一人のための講義にもなりません。参加者はリーゼに選んでもらって、内容は外へ出さないことを条件にいたしましょう」
教育の形を変える以上、その理由をレティシア本人へ説明するのは、これまで教えてきたヴィオラが引き受ける。
「レティシアには、私から先に話すわ。王妃教育とは別に、組合で働けるだけの実務が身につくなら、あの子にとっても意味があるしね」
個別教育そのものを守るのではなく、学ぶ場所と担い手を変える。そうすれば監視への対処だけでなく、レティシアに用意していた王宮の外の道を残したまま、同じ知識を士爵ネットにも広げられる。
教育まで人目を前提に組み替えるなら、自室に残す物も同じ基準で見直さなければならない。
ヴィオラは懐へ手を入れ、小型の魔導電報機を取り出そうとした。ところが先に卓へ出てきたのは、折り畳んだままのメモ、小さな留め具、短い導線だった。二度目に探ってようやく目当ての電報機が出てくる。
何事もなかったように電報機だけを卓の中央へ置いたが、アイリスの視線が一度、横に散らばった細かな物へ落ちたことには気づいていた。
メリアを自室へ入れるなら、秘匿技術だけ隠せば済むわけではない。この電報機は、ヴィオラ自身の立場から見ても部屋に残しておける物ではなかった。
「……これも預かって。これを見ただけで術式構成を追って、通信原理まで割れるとは思ってないわ。でも、送受信する魔導具だって分かるだけで十分まずいのよ。第一王子の婚約者が、正規の経路を通さず誰かと直接連絡を取れる手段を持ってるってことでしょ。相手を追われれば離宮まで辿られるし、そこまで分からなくても、誰と何をしてるのか好きに勘繰られるわ」
技術そのものを隠すだけなら、ヴィオラの自信どおり簡単には解析されないかもしれない。だが、通信手段を持っている事実まで隠すとなれば、自室に置いておく理由はない。リュートは電報機へ手を伸ばした。
「僕が預かるよ。今後の連絡はリーゼを通そう。君たちが会っていること自体は不自然じゃない」
リュートは電報機だけを取った。横に残った留め具や導線まで拾ってくれる気はないらしく、ヴィオラは自分で一つずつ懐へ戻すしかなかった。
昨夜は、メリアを迎えることを、これまでのやり方を手放す話として見ていた。実際に必要なのは、人目を前提に運用を組み替えることだった。メリアを手元へ置く代わりに、こちらも自由の一部を失う。そのうえで、自分が引き取ると決めた相手には、いつか自分で選べるところまで教える。その責任まで含めるなら、ヴィオラにも引き受けられる。
最後の留め具を懐へ押し込んだところで、ヴィオラは自室の机を思い出した。設計紙、工具、途中まで組んだ試作品。どれを隠すべきか以前に、人を住まわせる部屋としてどうなのかという問題が残っている。
「……その前に、部屋片づけないとね」
アイリスの口元が、今度は隠す気もなく緩んだ。さっき卓へ転がり出た物を見た以上、その問題だけはヴィオラ本人より先に想像できていたらしい。
「それは今さらでしょう。電報機一つ出すのに何が出てきたか、ご自分でもご覧になったでしょうに」
リュートは反論する代わりに、預かった電報機を懐へ収めた。卓に散らばった物を一つも手伝わなかった男から援護を期待する方が間違っていたらしい。
「……侍女が必要なのだけは、前よりよく分かったわ」