リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第3話『調停相談1』

1 相談

 

 東翼の突き当たりにあてがわれた空き部屋は、廊下の音がここまで届かない代わりに、西向きの窓から午後の日が斜めに入って卓の右半分だけを明るくしている。リーゼロッテは椅子を二つとも光の当たらない側へ寄せ、水差しと杯と白紙の綴りだけを卓へ載せた。

 

 日が卓の縁まで動いたころ、扉が二度、軽く叩かれた。

 ユスティナが立って扉を開けると、薄茶の髪を後ろで束ねた小柄な少女が、両腕で綴りの束を抱えて立っていた。開いた扉の向こうに侯爵家の令嬢と王女の姿を認めるなり、少女は束を抱えたまま礼をとり、敷居をまたいでもう一度頭を下げた。

 

「ジェーン・ラ・リットンと申します。リットン男爵家の一年生でございます。突然お伺いいたしまして、失礼をいたします」

 

「本日はわたくしが相談員としてお話を伺います。こちらはユスティナ、わたくし付きの文官ですわ。どうぞお掛けになって」

 

 勧められて椅子まで歩いてくるあいだも、少女は背を伸ばしたままだった。ただ、腰を下ろすときに、卓と膝とを目を二度往復させて抱えていた束を、結局は膝の上へ載せた。

 

 学園の内では家格を持ち出さないと会長が告げていても、目の前にいるのが王家の者だという事実は消えないのだろう、ジェーンは両手を重ね黙ったまま話し始める様子はない。ここで身分を気にせずともよいと口で言えば、かえってその身分を意識させてしまうことになる。

 座ってなお束から手を離せずにいるジェーンへ、リーゼロッテは相談内容を告げるよりも容易であろうと思い、ジェーンの膝の上にある紙束に視線を向けた。

 

「何をお持ちになりましたの」

 

 ジェーンは膝の上の束を両手で持ち上げ、そのまま卓へ置いた。上に載っているのは両家の印と署名の並んだ紙で、表題には侍女役務契約とある。その下に折り畳んだ手紙が二通、束ねたまま重なっていた。

 

「先週、一つの包みで届きました。契約書の写しと、ドルリス様のお手紙と、父の手紙でございます」

 

 差し出した手はすぐには引っ込まず、束の端に載ったままになっている。リーゼロッテは優しく紙束を引き寄せ、その契約書および手紙二通に目を通した。

 

「では、今確認したことを述べますね。違っていたら、途中でもお止めください。ドルリス様が交流の機会を持ちたいと御実家へ相談され、テンダレス伯爵からジェーン様のお父上へ話が渡って、両家の協議で婚約を前提として、この契約の形になった。ドルリス様は、これを学園へ登録なさりたいとお考えである。ここまでで、違うところはありますか」

 

「……ございません。ただ……経緯を知りましたのは、父の手紙が初めてでございます。それまでは、何も」

 

 その一言は相違点ではなかったがリーゼロッテが受ける新たな情報ではあった。通常交流の機会を持ちたいのならば相互が共同で家に確認を取るものである。少なくとも話を通しておくことが礼儀のはず。

 

「では、ドルリス様から先にお話はなかったのですね」

「ございません。あの方は、そういう方でございますので」

 

 そういう方、で止められては何も確かめたことにならないが、リーゼロッテはそこをあえて確認せずに流した。もっとも、ジェーンとドルリスがまったく知らない間柄ではないことはわかったからである。

 

「ジェーン様。今の確認により、現状がどのような状況かはわかりました。そこで、ご相談の内容を伺いますわ。この契約についてどのような点がご相談の内容ですか」

 

 ジェーンは口を開いて、そのまま閉じた。指がまた写しの角へ戻り、同じところを三度撫でる。ジェーンは顔を上げたが、リーゼロッテと目が合うとすぐにまた伏せるが、ようやく声が出た。

 

「……怖いのでございます。……けれど、このように申し上げては、ドルリス様が悪いことになってしまいます。あの方は何もなさっておりません。何もなさっていないのに、わたしにはこうとしか申し上げようがなくて」

 

 その一言を聞いて、リーゼロッテは怖いという語をそのまま綴りへ載せるのをやめた。怖いということと悪くないということが繋がらないからだ。普通に受け取れば、ドルリスは何もしていないが怖がられているということになる。なにか原因があるはずだと、リーゼロッテはジェーンの次の言葉を待つ。

 

「……先月、校舎の階段で名を呼ばれました。遠くから、大きなお声で。驚いて、足が止まりました。お怒りではございませんでした。ただ、お声が大きくて……また、図書室を出たところにも、立っておられました。わたしが出てくるのをお待ちだったのだと存じます。わたくしが黙っておりましたら、近づいてこられて、それで、わたしは……逃げました」

 

 言葉は尻窄みに小さくなっていく。ジェーンは自分の対応を客観的に言葉にしてみて、自分の言葉がいかにひどいことかを知ったように顔を歪める。

 

「……こうして申し上げてみますと、やはりあの方は何もなさっておりません。分かっているのでございます。わたくしが勝手に怖がっているだけで」

 

「勝手かどうかは、いま決めなくてよろしいのですわ。ドルリス様とは、幼い頃からのお付き合いだと手紙にございましたけれど」

 

 入室したときからの感じた決して活発とはいえない令嬢が必死に言葉で伝えようとしている。それを受け取ったリーゼロッテは感じた事自体に善悪はないと示すように優しく、続きを促す。

 

「家が近く、子供の頃は何度もお会いいたしました。ただ、話したことはあまりございません。……久しぶりにお会いいたしましたら、背も肩もすっかり大きくなっておいででした。わたしにはドルリス様が何かをなさるからではなく、考えていることが見えないというか、分からないということが……」

 

 一息で言い切って、ジェーンは自分の口から出た言葉に追いつけていない顔をしている。リーゼロッテはそこまでを書き留め、契約書のほうへ手を戻した。この娘は話しているあいだ、ずっと写しの角を指で撫でていた。

 

「この契約書には、お世話の中身も、期限も時刻も書かれておりませんわね。これですと、ドルリス様に求められるたび、その都度応じることになりますでしょう」

 

 契約書に書かれていないことを先に言われて、ジェーンは紙の面へ目を落としたまま動かなくなった。自分でも薄々そう思っていたことである。

 

「……そうなると思います。不甲斐ない話ではございますが、ドルリス様に期限や時刻を決めて欲しいとお願いする勇気は、わたしにはございません」

 

 ジェーンの指が写しの端へ行き、今度は撫でるのではなく爪の先でつまんだ。それでも、先ほどのように口が止まりはしない。

 

「そもそも、放課後がそれで塞がってしまいますと、困ることがおありなのですか。それとも、交流自体を拒否したいのですか」

 

「先程申し上げたように、恐ろしいのです、叶うのならば交流の席につくのも怖いです。放課後は………物語を書いております………冬に劇場で、『白百合の檻と暁の星』を見て、それがヴァルメイユ家の御令嬢が著作されたと聞いて感銘を受けまして、それで書き始めました。このようなことを申し上げれば、婚約より自分の書きものを取っていると思われてしまいますので、父にも秘密にしております」

 

 そこまで話したところで、ジェーンは膝へ目を落とした。よくないことを申しましたか、と続きそうな顔である。リーゼロッテはそこへ何も返さず、筆を取った。

 

「放課後の時間にご自身を高めるために研鑽を行っている、とだけ書くことにします。物語を書くことも、自己の知識の幅を広げ、文章に起こすことも学問の1つであることは疑いがありませんから」

 

 いたずらっぽい表情とともに優しく微笑み、そのことを綴りに書き終えてから、リーゼロッテは手つかずのままの杯へ手を向けた。

 勧められて、ジェーンは杯を両手で取り、一口飲んだ。杯を戻す指は、部屋へ入ってきたときのようには強張っていない。

 

「最後に一つだけ。この契約に反対しておられる方は、どなたかいらっしゃいますか」

 

「父は大賛成でございます。テンダレス様のような家からこのようなお話をいただけるとは思わなかったと申しております。あちらも、伴侶は気心の知れた穏やかな者がよいと、かねてよりお考えだそうでございます。……ですから困っております」

 

 その言い方に、リーゼロッテは覚えがあった。魔導卿家から縁組の打診があったと知らされたとき、自分も望んだ覚えのないところで話が進んでいた。両家が調え、誰も否まず、当人だけが後から知る。

 もっとも、今受けている相談の場合とは状況が違いすぎる。お母様の手助けがあったとはいえ自分が王女であった事が大きい。魔導卿が引いたとしても王家の品位を保ったとして誰も魔導卿を非難できないからだ。解決策を考える必要があるが、まずは事実の確定を優先すべきである。

 

「解決策については、考えます。今はこのわたくしが書いたものをご覧ください。事実と異なっている点があればお教え下さい。相違なければ、この部分にご署名をお願いいたしますわ。これを前提として、どのような主張ができるかを考えてまいります」

 

 リーゼロッテは綴りの向きをジェーンのほうへ変えた。綴りを目で追っていったジェーンは、自分がドルリスを怖がっていることが柔らかく記載されていることと、物語を執筆していることが記載されていないことを確認して、たしかにそこに署名した。

 

「それではここから、どのような言い分が立つかを組みます。少し時間がかかりますけれど、まとまればこの場でお示しできますわ。お待ちいただけますか。お話して気が楽になったかもしれませんが、それでは何も解決していないでしょう。いくつかの解決方法を考えてみます。少々、お待ちいただけますか」

 

「……はい。待たせていただきます」

 

 綴りを引き寄せ、リーゼロッテは頁を頭から繰り直した。怖いということ、放課後に書く時間が欲しいということ。この娘が自分の口から出したのは、その二つである。

 考える手が止まらないのを見て取ると、ユスティナは部屋を出た。戻ってきた手には湯気の立つ杯があり、それがジェーンの前へ置かれる。

 

 両手で杯を受けたジェーンは、そのまま卓の向こうで頁を繰る手のほうへ目を戻した。

 頁を繰り終えて、リーゼロッテは指を止めた。怖いということ、放課後に書く時間が欲しいということ、契約、両家の賛成。構成は考えついた、選択肢は与えられる。さて、この娘は自らの意思で選択できるだろうか。

 顔を上げると、ジェーンが杯を置いて背を伸ばした。

 

 

 

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