リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
6 書かせる契約
調停の期日を翌日に控えた放課後、ヴィオラは、先日返事を保留したメリアの侍女志願について話を進めるため、自分から日を指定して彼女を自室へ呼んだ。西日が窓枠の影を床へ伸ばし、机の上には授業で使う本と筆記具だけが出ている。
部屋へ通されたメリアは、勧められた椅子へ腰を下ろすと、膝の上で両手を重ね、こちらから口を開くのを待った。その姿勢を見たヴィオラは向かいへ腰を下ろした。
「学園で侍女として仕えるには当人同士で契約を結びますから、私の侍女になりたいのでしたら、その契約書をあなた自身で作って持ってきてください。期限は定めません。読んで納得できるものであれば、そのとき考えます」
重ねていた指にわずかな力が入った。契約書を用意するのは雇う側だと思っていたのだろう。押しかけたときの勢いを見せることもなく、メリアは少し考えてから口を開いた。
「私が用意するのでございますか。魔墨を使うものでしたら、家に購わせることになりますので、そこまでお求めなのかを伺わせてください。誓う内容によっては、すでに結んでいる契約と重なるかどうかも確かめなければなりませんので」
メリアが先に確かめたのは、紙に何を書くかではなく、魔墨を使うのかどうかだった。契約と聞いて第一側妃と結んだ、魔法契約だと思ったため、魔墨の調達まで即座に考えたのだろう。
「魔法契約ではありませんから、魔墨は使いません。紙に条件を書いて、互いに署名するだけです」
「それで、契約になるのでしょうか」
魔法契約しか結んだことがなければ、そう尋ねるのも無理はない。あれは成立したその時から意思ごと縛るのだから、破ろうとすることさえできない。これに対し、紙に条件を書いて署名するだけの契約は、破ろうと思えば破れてしまう。メリアがその違いをどう捉えているのか、推測を重ねるより本人に契約の意味を尋ねたほうが早い。
「メリア様は、契約とは何だと思っていますか」
「一度結べば、決められたことを守らなければならないものだと思っております」
迷いの少ない答えは、第一側妃との契約について、家を残すには受けるしかないと自分で判断したのだと話していたこととも矛盾しない。メリアにとって契約とは、差し出された条件を受けた後、自分をそこへ拘束するものなのだろう。何を条件にするかを自分で作り、その条件を相手にも受け入れてもらうという発想は、少なくとも今の答えには含まれていなかった。
「決めたことを守る必要があるのは、契約が成立した後の話です。あなたが第一側妃様と結んだ紙が燃えずに残ったのは、署名したとき、あなたに迷いも拒みもなかったからでしょう。魔墨を使うか使わないかにかかわらず、人を縛るのは、双方が同じ条件でよいと決めたという、その一点です。ですから、あなたの望みだけを書いた紙では契約になりませんし、私が一方的に並べた条件に、あなたが頷かない場合も同じです」
「では、私が書いたものを、ヴィオラリア様が受け入れられないということも起こり得るのですね」
突き返される場合を先に確かめたのは、自分の書いたものが必ず通るとは思っていないからだろう。差し出された条件を受けるか断るかしか選べなかった者が、自分の出したものを相手がどう扱うかを尋ねている。
「起こり得ます。そのときは、条件を変えてもう一度持ってくるか、この話をやめるかのどちらかです」
メリアはすぐに返事をせず、机の端へ視線を落としたまま、ヴィオラの言葉を頭の中で確かめているようだった。それでも顔を上げて出てきたのは、守らなかったときにどうなるのかという問いだった。
「では、決めたことが守られなかった場合には、どうなるのでしょうか」
「それも、あなたが考えて書いてください。この契約は、魔法契約のように破ること自体を封じるものではありません。だからこそ、約束が守られなかった場合にどうするのかも、あらかじめ条件として決めておく必要があります。そこまで私が一つずつ教えて書き写してもらうのでしたら、初めから私が作るのと変わりませんから」
受け入れる方向で考えること自体は、すでにリュートとアイリスを交えた相談で決めているが、だからといってメリアを四六時中そばへ置くつもりはない。着替えや身の回りの世話まで含めるのか、学園内で必要な用向きだけを受け持つのか、侍女という一語ではいくらでも広く取れてしまうので、その範囲を最初に本人の手で書かせておけば、後から侍女だからという理由だけで立ち入れる範囲を広げることもできなくなる。
求めたのは、契約書を作って持ってくること、読んで納得できれば考えることである。これ以上、契約内容の仔細を説明すれば、メリアはその答えに合わせて書くだけになるのだから、後は本人が何を考えて持ってくるかを見ればよい。
「お話は以上です。書けましたら、持ってきてください」
「承知いたしました」
メリアは椅子から立って丁寧に頭を下げ、扉を閉めるまで従順な態度を崩さなかった。
*
自室へ戻ったメリアは扉を閉め、廊下へ声が漏れないことを確かめてから机へ向かった。断られたわけではなく、契約書の内容次第では考えると言われた以上、ヴィオラリアの侍女になれる見込みは残っているし、次に何をすればよいかも示されているのだから、前回のように相手の返事を待つだけの立場ではなくなっている。
窓の外はすでに暮れかけており、灯りを入れてから紙を一枚引き寄せた。契約する者としてヴィオラリアと自分の名を書き、自分がヴィオラリア様の侍女として仕えるための契約であることまで記すところまでは、手が止まらなかった。次に、侍女として何をするのかを書こうとして、ペン先が紙の上で浮いたまま動かなくなる。
侍女として必要な役務を行う。そう書けば侍女の契約としては形になるが、これで済むのならヴィオラリアは自分に書かせる必要がなく、双方が同じ条件でよいと決めなければ契約にならないと言った以上、ヴィオラリアが受け入れられる条件を書かなければ、この紙は突き返されるだけだった。そして、その条件が何なのかが分からないので、次の一行が書けない。メリアはペンを置き、ヴィオラリアの前で保っていた表情が剥がれた。
「何がお望みかも言わないで、納得できるものを持ってきなさい、ですって」
声に出しても紙の上は一行も進まない。どのような条件であれば受け入れるのかを知らないまま書けば、契約書は突き返される。侍女の仕事ならひととおりできると言い切って押しかけたのに、渡された紙の前で止まっている。
それなら、なぜ書かせるのかを考えるしかない。ヴィオラリアは、次期王妃と目される公爵令嬢でありながら、学園で契約侍女を一人も置いていない。侍女を置きたいのであれば、公爵家を通して相応の者を選べる立場にあるのだから、常に人をそばへ置くこと自体を望んでいないと考えるほうが自然だ。望んでいないのであれば、身の回りのことを何でも引き受けると書くほど断る理由を増やすことになる。
そこまで来て、第一側妃との魔法契約との違いに思い当たった。あちらが定めているのは、第一側妃の侍女となることと守秘の二つだけで、いつ何を行い、何を行わないのかは書かれていない。ヴィオラリアがその形でよいのなら、同じ二行を書かせて署名させれば済むのに、私に作れと言った。
しかも魔墨は使わないという。公爵家が魔墨を購えないはずはないのだから、意思ごと縛ることを望まなかったのだろうか。侍女となることを誓わせるのでも、逆らえなくするのでもないのなら、書かせたいのは、侍女として何をどこまで行うのかという点だろう。
「どこまでを侍女の仕事にするか、それを私に書かせたいわけね。契約を受ける側にしかいたことのない人間に、一から条件を作れと言うの」
悪態をついたところで紙は埋まらないが、求められているものが分かった以上、何を書くかは考えられる。役務の内容を広くすれば、ヴィオラリアに拒否される可能性が増える。
役務を狭く定めれば、ヴィオラリアのそばに拘束される時間が減り、自分で動ける時間は増える。その反面、侍女として近くにいる時間が短ければ、第一側妃へ持ち帰れる情報も少なくなり、期待された働きを果たせなければ叱責を受けかねない。
さらに、誰にでも代われる程度の務めしか引き受けなければ、将来ヴィオラリアが王妃となった後までそばに残る理由がなくなってしまう。正妃となったヴィオラリアに、自分でなければ務まらないと思わせるところまで入り込みたい。正妃の筆頭侍女まで狙うのであれば、自由に動ける時間を取ることだけを考えるわけにはいかなかった。
そもそも、役務を狭くするか広く引き受けるかを決めるには、侍女の契約が普通どこまでを務めとしているのかを知らなければならない。その普通を知らないのだから、自分が書こうとしているものが狭いのか広いのかも分からず、比べようがない。
同じことは、ほかの条件にも当てはまった。いつからいつまで仕えるのか、期間を定める必要があるのかも分からず、対価をどう扱うのかも知らない。守らなかったときにどうするのかを定めて二人で決めるからこそ紙が人を縛る、とヴィオラリアは言ったが、魔法契約はそもそも破ることができない。
このまま思いついた条件だけを並べて持っていけば、何が抜けているのかすら分からないまま提出することになる。必要とされる侍女になろうとしているのに、渡された最初の仕事で、調べる力もないと示すようなものだった。
知らないなら、まず現物を見るしかない。学園には、寮付きではない侍女や従者を生徒同士の契約によって置いている者がおり、同学年にも該当する生徒がいるのだから、実際の契約書を見せてもらえば、役務をどの程度まで具体的に書くのか、期間や対価をどう置くのか、守られなかった場合をどのように扱うのか、その普通の形を確かめられる。比べるものができて初めて、自分の契約書で何を変えるべきかを判断できる。
ヴィオラリアが侍女契約の内容を私に決めさせたいということはわかった。何故決めさせたいのかはわからないままだが、それでも、私が契約の内容、期間と対価を決め、守られなかった場合の扱いまで書いた契約書を作らなければ、侍女にはなれない。
今日ヴィオラリアから渡されたのは侍女の役目ではなく、その役目に就くための条件を自分で作れという課題である。メリアは書きかけの契約書を灯りの外へ寄せると、新しい紙を取り出し、同学年で契約侍女や従者を置いている生徒の名を、思い当たる者から書き始めた。