リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 相手方の主張
申立人側の主張から見ていくと告げたアイリス様の声が止んだ。卓上では、代理人申請書の申立代理人欄に私の名――リーゼロッテ――があり、その隣に申立書が置かれていた。
別室との間の窓は、調停室側から見えないよう背の高い鉢植えで隠されている。その向こうでジェーン様が聞いていると思えば一度は目を向けたくなったが、窓のほうを見ればドルリス様に別室の存在を悟らせかねないため、私は申立書だけを見た。
ここではジェーン様が選んだ求めを、私が自分の名で引き受けて述べるほかない。私は申立書を取り上げ、書かれた文言から外れないよう、句読点に従って読む。
「申立人は、両家の契約および交流を否定せず、在学中に負う役務の範囲を明確にすることを求めます」
読み終えて申立書を卓へ戻し、契約書の写しにある「世話」の一語へ指先を置いた。時間も場所も内容も書かれていない以上、申立人がどこまで役務を負うかは、この一語をどう読むかで決まる。
顔を上げると、卓の向かいでは大きな身体のドルリス様が、黙ったままこちらを見ている。
申立人の境遇を訴えるように声を落とせば、ジェーン様が選んだ求め以上の訴えに聞こえかねず、ドルリス様を責めるように声を強めれば、契約と交流を残すという求めから外れて聞こえかねない。
訴えにも責めにも聞こえないよう声を整え、「世話」に置いた指先はそのまま動かさなかった。
「本件の契約は、両家の当主が交わしたもので、申立人は条件の取り決めに加わっておりません。この国では、家の当主が結んだ契約にはその娘も従うものとされます。したがって申立人は、条件を選ぶ機会のないまま、この契約に半ば従わざるを得ません」
ジェーン様自身が聞いている前で、『半ば従わざるを得ません』と口にする直前に一度だけ息を入れたが、速さは変えずに言い切った。
するとドルリス様が、先ほど記録に個人名を載せないと説明されたときと同じように、エドワルド様へ視線を向ける。
私の言葉が届いたことは分かったが、何を聞いてその視線を向けたのかまでは読み取れず、エドワルド様も書面から目を上げなかった。私は二人の反応をそれ以上決めつけず、声を崩さないまま言葉を継いだ。
「条件を選ぶ機会のなかった者に役務を負わせるのであれば、契約書が定めていない部分については、その者の意思が尊重されるべきです。本件では、世話の時間も場所も内容も定められていません。求められるたびに応じるものと解釈すれば、定められていない部分を相手方の求めのみに左右されることになり、申立人の意思はどこにも入りません。したがって、その解釈は採るべきではありません」
アイリス様は委員席の契約書の写しに目を落とし、「世話」と記された一文を確かめて小さく一度頷いた。
その隣でテオドール様の筆が動き始めたのを見て、一つ目の根拠は受け取られ、書き留められていると感じ、私は「世話」に置いていた指先を「在学中」へ移した。
「また、契約書はこの役務を『在学中』のものと定めています。会長は入学式で、学びを生徒の本分と述べられました。であれば、在学中に負う役務は、学業と両立する範囲で解釈されるべきです」
アイリス様の目が契約書の「在学中」へ移り、テオドール様の筆も止まらないのを見て、私は二人から目を離さなかった。
「役務が学業にどれほどの負担になるかは、放課後や休日をどう使っているかによって一人ひとり異なり、申立人本人にしか分かりません。申立人の意思が尊重されるべきである以上、その負担は、申立人自身が述べるところによって量るべきです。申立人は、そのうえで世話の時間、場所、内容を明らかにし、学業に過度な負担を生じさせない範囲に定めることを求めます」
最後の求めに入るところで、契約や交流を拒むのではなく、世話の範囲を定めることだけを求めているとドルリス様にも聞き取れるよう速さを落とし、時間、場所、内容と一語ずつ区切った。
三つを言い切ったあともテオドール様の筆はしばらく動き続け、やがて筆が止まると、アイリス様も契約書の写しから顔を上げた。
申立人側として述べるべきことはこれで尽き、あとは相手方の答えを聞くほかないと思いながら、私は「在学中」に置いていた指先を離した。
「申立人側は、条件を選べずに役務を負う申立人の意思を尊重し、申立人自身が述べる学業上の負担から世話の範囲を定めるよう求めておられるのですね。相手方代理人は、この『世話』をどのように解釈しておられるか、お答えください」
アイリス様は一文ごとに短く間を置き、「意思」「負担」「範囲」という私の語を言い換えずに相手方へ渡した。
私が述べた形のまま問いが向こう側へ移るのを聞き、次はエドワルド様が答える番だと身構える。
私が卓の向かいへ意識を向けると、エドワルド様は書面から目を上げ、ドルリス様を見ないまま委員席へ向き直った。
その姿に、相手方の言葉はここでもこの人が引き受けるのだろうと見て、受理の席で必要な書面を一式に揃え、役員が確認する順まで整えていたことを思い出す。
今回も資料を伴って主張を組んでいるはずだと、私はエドワルド様の手元へ視線を移した。
「両家は本件で、侍女役務契約という形を選び、役務を『世話』という語で定めています。当事者が選んだ語は、その語が通常もつ意味で解釈されるべきです。学園の侍女・従者の契約では、時間や場所などの範囲を定めず、『世話』とだけ記すのが通例です」
エドワルド様は手元を確かめることなく、言葉を探して止まる様子もない。
そのまま綴りを開き、契約書の写しをまとめた束と、契約書のないものについて報告内容を書き出した紙の束を卓へ揃え、さらに一枚、二つ折りにした紙だけを開かず左手の下へ残した。
私はその一枚から目を離せないまま、用意を尽くしてきた相手への警戒を崩さずに続きを聞く。
「仕える側が相手の人柄を見たうえで契約を結ぶため、あらかじめ細目を置く必要がなく、また民事が学園で扱われるのは今年からですから、争いを見越して細目を記す習いもありませんでした。教師のもとには侍女・従者の契約を結んだ生徒から報告が上がっており、匿名を条件に、契約書の写しや報告の内容をお借りしております」
エドワルド様が二つの束をアイリス様へ差し出し、アイリス様が目を通したあと、その両方が私の前へ回ってきた。
私は写しを繰り、どの契約書にも「世話」の一語のほかに時間も場所も内容も書かれていないことを確かめ、続けて報告の束にも目を通した。
契約書のない例でも役務は同じく「世話」とされており、自分が争っている解釈の拠りどころが、少なくとも示された資料の中には実際にあると認めざるを得ない。
確認を終えた二つの束を揃えてアイリス様へ戻したところで、エドワルド様が左手の下に残していた二つ折りの紙を開き、私の注意はその一枚へ戻った。
「当方も、この学園が学業の場であることは申立人側と同じように考えております。教師の記録では、侍女・従者の役務を契約で負っている生徒の成績の平均は、学園全体の平均を上回っております」
成績の平均という数字は、役務が学業にどれほどの負担になるかは申立人本人にしか分からない、という私の二つ目の根拠へ向けられている。
教師の記録そのものをこの場で確かめる手立てはなく、数字だけを争う材料もない。
しかし、申立人側が拠りどころにしたのは全体の平均ではなく、条件を選べないまま従う申立人の意思を尊重し、負担を申立人自身の言葉で量ることだった。
私は膝の上で指を組み直し、その違いを崩さないまま続きを待った。
「したがって、通例の世話は学業と両立しており、『在学中』の文言は、通例の世話を在学中に負うことを定めたものと解釈できます。本件の世話も通例の世話と解釈し、当方は申立人にその範囲での履行を求めます」
アイリス様は委員席へ戻された二つの資料束と本件契約書の写しへ順に目を落とし、成績の数字を聞いたあともどちらか一方へ反応を示すことなく、私とエドワルド様を見て口を開いた。
「双方とも、契約書には世話の時間、場所、内容が具体的に記されていないことは認めておられますが、その範囲を定める拠りどころが異なっております。どちらの拠りどころで世話の範囲を定めるべきか、申立代理人、相手方代理人の順に、お考えをお聞かせください」
私は両手を膝の上で重ね、アイリス様へ向き直った。相手方が示した数字に意識を取られていた指先も、そこでようやく静まった。
「契約書が役務の範囲を具体的に定めていないときに拠るべきなのは、その役務を負う者の意思です。申立人が条件を選べないままこの契約に従わざるを得ない以上、定められていない部分では申立人の意思が尊重されるべきであり、役務が学業にどれほどの負担になるかも、申立人自身の言葉で量るほかありません。ですから申立人側は、申立人自身が述べる学業上の負担から世話の範囲を定めるのが正しいと考えます」
私の答えに間を置かず、エドワルド様は体ごとこちらへ向いた。両手は手元の綴りの上へ平らに置かれ、ここまで委員へ向けていた顔が私へ向く。
初めて直接向けられた視線を受け、私は姿勢を崩さずエドワルド様を見返した。
「申立代理人。世話の範囲を定めるときに拠るべきなのは、本人の申し出だけではなく、誰が見ても確かめられる基準です。両家が選んだ『世話』という語の意味は学園の通例が示し、その世話が学業の妨げにならないことは教師の記録が示しております。契約書の語は、読む者によって意味が変わるべきではありません。ですから相手方は、学園の通例と教師の記録から世話の範囲を定めるのが正しいと考えます」
直接向けられた言葉に、私はすぐ口を開きかけた。
けれど、返せるのは、従わざるを得ない申立人の意思を尊重すべきだという先ほどの理由だけで、それを重ねても新しい根拠にはならない。
私は言いかけた言葉を呑み込み、口を閉じた。
アイリス様が本件契約書の写しを申立人側へ、エドワルド様から提出された二つの資料束を相手方側へ寄せると、それぞれの側に分けて置かれたように見える。
アイリス様はどの書面にも手を置かないまま顔を上げた。
「申立代理人は、条件を選べずに従う申立人の意思を尊重し、申立人自身が述べる学業上の負担から世話の範囲を定めるべきだとしておられます。相手方代理人は、学園の通例と教師の記録という、誰が見ても確かめられる基準から定めるべきだとしておられます。本人の申し出に拠るか、確かめられる基準に拠るかは、この席でどちらか一方に定まることはないと存じます。わたくしから調停案をお示しすることを望まれるか、お答えください」
相手方の席を見ると、ここまで答えてきたのはエドワルド様であり、その隣でドルリス様は口を閉じたまま椅子に着いていた。
この件の当事者であるドルリス様が何を考えているのかは、まだ本人の言葉として一つも出ていない。
調停の前、私はジェーン様に『ドルリス様を、よく見てくださいね』と告げた。窓の向こうのジェーン様も、ドルリス様自身の考えをまだ聞けていない。
私が確かめるつもりでいたものは、まだ一つ残っている。アイリス様の問いに答える前に、私は相手方の席を見た。