リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 市場調査:王都の現実と噂
契約成立から数日後。
リュートは王宮の煌びやかな世界とは無縁の、土埃と喧騒にまみれた王都の下町・中央市場に立っていた。
身なりは粗末な麻の服に、深く被ったフード。顔には薄汚れた化粧を施し、どこにでもいる「商家の見習い少年」になりすましている。
傍らには、同じく傭兵風の外套を纏ったカイルが付き従っていた。彼の目はもう死んでいない。周囲の視線、スリの動き、衛兵の巡回ルートを油断なく監視する、プロフェッショナルの「仕事人」の目に戻っていた。
「……酷い有様ですね、殿下」
カイルが口元だけで囁く。
「ここを通る荷車の三台に一台が、難癖をつけられて止められています」
リュートは無言で頷いた。
市場の入り口にある関所では、王家の紋章をつけた徴税官たちが、東の方角から来た商隊を足止めしていた。
『おい、この荷は申告より重いぞ。超過税だ』
『そんな、規定通りです!』
『うるさい。王家の道を使うなら、王家の「品位」に見合う礼儀(賄賂)を見せろと言っているんだ』
商人は泣く泣く、懐から金貨袋を取り出し、徴税官の手に握らせる。ジャラリ、と重い音がした。
(……効率が悪い)
リュートは冷徹に観察する。
(現物貨幣(金貨)は重く、輸送コストがかかる上に、こうして物理的にカツあげされるリスクが高い。あの『貨物引換証』があれば、こんな理不尽な搾取は回避できるはずだが……)
リュートは市場の中を歩き回り、東の特産品を扱う店をいくつか覗いた。
だが、どこにもあの「魔法の紙片」は見当たらない。ここ王都での決済は、すべて古臭い金貨と銀貨で行われていた。
やはり、あれは『領内限定』として徹底的に管理されている。
リュートは、荷下ろしをして休憩中の初老の商人に目をつけた。馬車にはオルディナ公爵家の紋章。彼は先ほどの関所で、ごっそりと売上を持っていかれ、地面に座り込んで毒づいていた。
「……まったく、やってられねえ。これじゃあ利益なんざ出やしない」
リュートは子供の無邪気な仮面を被り、とてとてと駆け寄った。
「おじさん、大変そうだね。お水、飲む?」
革袋の水筒を差し出す。商人は驚いた顔をしたが、リュートのあどけない笑顔に毒気を抜かれ、礼を言って水を受け取った。
「ありがとよ、坊主。……はぁ、王都は魔窟だ。汗水垂らして運んでも、右から左へ税金に消えちまう」
「酷い話だね」
リュートは隣に座り込み、世間話のように切り出した。
「でも不思議だな。おじさんの雇い主は、あの東のオルディナ公爵様でしょう? 噂じゃ『経済の怪物』って呼ばれる大貴族だって聞いたよ。王様に掛け合って、税金を負けてもらったりできないの?」
商人は水を吹き出しそうになり、苦々しい顔で手を振った。
「はっ! 『怪物』だあ? どこの馬鹿だ、そんな寝言を吹いて回ってんのは」
商人は声を潜め、周囲を警戒しながら吐き捨てた。
「いいか坊主。あのお方はな、誰よりも王家を恐れている『臆病公爵』だよ。先代の失敗で家が傾いて以来、王様の顔色を窺うことだけに必死で、新しいことには何一つ手を出さない。関所でいくらむしり取られようが、公爵様は『王家の不興を買うよりマシだ』って、へらへら笑って頭を下げるんだ」
「ふうん……。頭を下げるのが好きなんだ」
リュートの相槌に、商人は呆れたように続ける。
「情けない話だろ? でもな、領内の商売だけは妙に手堅いんだ。噂じゃ、公爵様じゃなくて、長女のアイリス姫様が裏で帳簿を回しているらしい。あの便利な『引換証』も、姫様が『お父様が王家に叱られない範囲なら』って条件で作った、苦肉の策なんだとよ」
「へえ……。その姫様が、本当のボスなんだ」
「しっ! めったなこと言うな。公爵家の顔はあくまで旦那様だ。……ま、俺たちにとっちゃ、誰がボスでもいいから税金をどうにかしてほしいもんだがな」
商人は「喋りすぎたな」と立ち上がり、荷あしらいに戻っていった。
リュートはカイルと視線を交わし、静かにその場を離れた。
雑踏に紛れながら、リュートの瞳が鋭く光る。
(……なるほど。「へらへら笑って頭を下げる」、か)
リュートは商人の言葉を鵜呑みにはしなかった。
「誇り高い貴族」が頭を下げることを恥としないのなら、それは無能なのではなく、「利益のためならプライドすらドブに捨てられる」という強烈な信念の表れだ。
(公爵もまた、僕と同じだ。「無害で臆病な臣下」を演じ、王家の警戒を解くための「擬態」をしている可能性がある)
だとすれば、あの「引換証」の考案者が誰なのかも慎重に見極める必要がある。
本当に娘のアイリスが天才なのか。それとも、自分の才覚を隠すために、まだ政治の表舞台に出ていない娘の名前を隠れ蓑(スケープゴート)に使っているのか。
(……どちらにせよ、公爵(本丸)のガードは堅い。だが、娘(アイリス)なら隙がある)
社交界デビュー前の令嬢。まだ政治の表舞台に出ていない彼女なら、接触もしやすく、本音を引き出しやすいはずだ。
もし彼女が本物なら手を組む。もし彼女がただの看板なら、そこから公爵本体への糸口を探る。
「……カイル。ターゲットが決まったよ」
「ほう。あの『臆病公爵』ですか?」
「いや、その娘だ。公爵は古狸すぎて尻尾を掴ませないだろう。まずは窓口(娘)から攻める」
リュートは東の空を見上げた。
「……帰ろう。招待状(チケット)を手に入れる準備が必要だ」
リュートは外套を翻し、離宮への帰路についた。その背中には、明確なターゲットを定めた狩人の気配が漂っていた。