リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 母の愛と武装:夜会への出立
離宮のルナリアの私室は、今宵も甘い白百合の香りと、暖炉の柔らかな火に包まれていた。
リュートは母の前に立ち、静かに切り出した。
「お母様。東のオルディナ公爵家が主催する夜会に、出席したいのです」
ルナリアが刺繍の手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
「あら……。珍しいわね。あんなに人混みを嫌っていた貴方が」
「はい。以前お話しした『道楽』……あの船の事業には、どうしても協力者(パートナー)が必要です。公爵家の令嬢に、少し『ご挨拶』をしておこうかと」
リュートはあくまで「道楽のため」という建前を崩さなかった。
だが、ルナリアはその奥にある息子の決意――獲物を定め、その喉元に食らいつくための第一歩であること――を瞬時に察したようだ。
彼女の赤い瞳が、妖艶に、そして歓喜に揺らめいた。
「……ふふ。ついに、リュートの社交界デビューね! 待っていたわ、この時を!」
ルナリアは立ち上がり、ウォークインクローゼットの奥から一着の礼服を取り出した。
それは王国の流行とは一線を画す、帝国の最新モードを取り入れたものだった。
深く艶やかな漆黒のベルベット生地に、細密な銀糸で蔦模様の刺繍が施されている。王国の貴族が好むパステルカラーや金ピカの装飾とは対極にある、冷たく、鋭い美しさ。
「さあ、着てごらんなさい。王国の人形たちは、貴方のその黒髪と赤い瞳を『不吉』だなんて言うけれど……」
ルナリアは着替えを終えたリュートの前に跪き、その襟元を整えながら、愛おしそうに頰を撫でた。
「教えてあげるわ。帝国ではね、黒は『夜の支配者』、赤は『鮮血と生命』を象徴する、最も高貴な色なのよ」
鏡の中に映るのは、不吉な忌み子ではない。
闇を纏い、冷たい銀の光を放つ、若き魔王のような少年の姿だった。
その姿は、周囲を威圧し、同時に目を離せなくさせる危険な魅力を放っていた。
ルナリアはリュートの額にキスを落とし、耳元で甘く、しかし狂気じみた声で囁いた。
「ああ、なんて美しいの……! 胸を張りなさい、リュート。誰よりも気高くありなさい。もし、誰かが貴方の髪の色を笑うようなことがあれば……お母様が、その家ごと地図から消してあげるから」
その愛は重く、深く、そして過剰だった。
普通の子供なら押し潰されてしまうかもしれない。だが、冷たい離宮で育ったリュートにとって、この狂気じみた愛こそが唯一の「体温」だった。
(……ありがとう、母上。貴女のその重い愛だけが、僕の心を凍らせずにいてくれた)
リュートはその愛を「鎧」として受け入れ、静かに微笑んだ。
「行って参ります、母上。……貴女の息子として、恥じぬ振る舞いをしてきます」
◇
重厚な扉を開け、廊下に出ると、そこには護衛用の礼服に身を包んだカイルが待っていた。
彼はリュートの姿を見るなり、小さく口笛を吹いた。
「へぇ……。馬子にも衣装とは言いますが、これじゃあ『魔王の御曹司』ですな」
カイルは皮肉っぽく笑ったが、その目には明確な称賛の色があった。
ただの子供ではない。王国の常識(カビの生えたセンス)をねじ伏せ、場を支配するだけのカリスマ性が、その漆黒の装いによって完成されていた。
「似合っているかい、カイル」
「ええ。これなら、あの古臭い貴族どもも腰を抜かすでしょうよ」
カイルは恭しく一礼し、エスコートの手を差し出した。
「参りましょうか、殿下。……獲物は東の令嬢でしたな」
「ああ。行くぞ」
リュートはカイルの前を歩き出した。
その背中は、もはや離宮に閉じ込められた被害者ではない。明確な意志を持って盤面を動かしに行く、プレイヤーの背中だった。
「これが僕たちの、最初の『戦闘服』だ」
二人の影が、長く廊下に伸びる。
冷遇された第二王子と、腐った元エリート騎士。
王国の異物たちが今、華やかな夜会という名の戦場へ、静かに出撃した。