リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 夜会の招待状:接触の切掛
東のオルディナ公爵邸の夜会会場は、眩いばかりの光に包まれていた。
天井を埋め尽くすほどのクリスタルシャンデリアが輝き、楽団の奏でる優雅なワルツが響く。色とりどりのドレスを纏った貴族の令嬢たちが、扇を片手に談笑し、紳士たちがグラスを片手に政治を語る。
そこは王国の富と権力が集まる、華やかで、そして空虚な戦場だった。
だが、その空気は一人の少年の登場によって一変した。
「……あら、あの方は?」
「まさか、噂の第二王子……?」
「なんて不吉な黒髪……。でも、あの瞳、吸い込まれそうだわ」
ざわめきが波紋のように広がる中、リュートは会場の入り口に姿を現した。
漆黒のベルベットに銀糸の刺繍が施された礼服。その姿は、パステルカラーや金銀の装飾が溢れる会場において、異質な存在感を放っていた。まるで、真昼の太陽の中に現れた「夜の支配者」のように。
リュートは周囲の好奇と嘲笑の視線を完全に無視し、優雅な足取りで会場を進んだ。その傍らには、護衛のカイルが油断なく周囲を警戒している。
(……見つけた)
リュートの赤い瞳が、会場の隅にあるバルコニー近くを捉えた。
壁の花となって佇む、一人の少女。
透き通るような銀髪に、知性を湛えたアメジストの瞳。その身なりは公爵令嬢として完璧だが、どこか退屈そうで、周囲の会話に加わろうとしない。
アイリス・ルーナ・オルディナ。
「臆病公爵」の娘にして、あの高度な引換証システムを構築した天才少女。
彼女の周りには取り巻きがいない。それは彼女の人気がないからではなく、彼女の放つ冷徹な知性が、凡庸な貴族たちを寄せ付けないからだ。
(……予想通りだ。彼女は退屈している。この『品位』だけの世界に)
リュートは躊躇なく彼女に近づいた。周囲の令嬢たちが息を呑む。不吉な第二王子が、東の大公女に接触しようとしているのだ。
「……ごきげんよう、アイリス嬢」
リュートは彼女の前で立ち止まり、流れるような所作で一礼した。アイリスは驚いたように顔を上げたが、すぐに完璧な令嬢の微笑みを作った。
「ごきげんよう、リュート殿下。……まさか、このような場所にいらっしゃるとは」
その声は鈴のように美しいが、どこか事務的で、壁を作っている。
「ダンスを一曲、いかがかな?」
リュートは手を差し出した。
アイリスは一瞬ためらったが、断れば王族への不敬になる。彼女は小さくため息をつくのを堪え、その手を取った。
「……喜んで」
二人はフロアの中央へと進み出た。音楽に合わせてステップを踏む。リュートのリードは完璧だった。母ルナリア仕込みの帝国のステップは、王国のそれよりも鋭く、情熱的だ。
「……お上手ですね、殿下」
アイリスが少し驚いたように囁く。
「離宮に閉じ込められていると伺っていましたが」
「暇を持て余していたのでね。……ところで、君の『引換証』は見事だ」
ピクリ、とアイリスの足が止まりかけた。リュートは強引に、しかし自然に彼女の腰を引き寄せ、回転させた。
周囲には優雅なダンスに見えているが、二人の間には張り詰めた緊張が走る。
「……何のお話でしょう?」
アイリスの声が低くなり、笑顔が消えた。リュートは彼女の耳元に唇を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。
「とぼけなくていい。あの透かし技術、そして『領内限定・譲渡無効』という朱印。王家の通貨発行権を侵害しないギリギリのラインを攻めた、見事な法的防壁だ」
アイリスの瞳が大きく見開かれた。誰にも気づかれていないはずの、彼女だけの秘密。それを、この不吉な少年は一目で見抜いたのだ。
「……ですが、あの朱印は頂けないな。あれでは領内の『内需』しか回せない。外の世界……王都の関所を越えて、王の喉元まで届く『本当の武器』にはなり得ない」
リュートは彼女を見つめ、ニヤリと笑った。
「続きが聞きたければ、迷宮庭園の奥へ。……誰にも聞かれない場所で、『数字』の話をしよう」
アイリスは息を呑んだ。
その提案はあまりにも危険で、しかし、彼女がずっと求めていた「理解者」の言葉だった。彼女はリュートの手を強く握り返し、覚悟を決めた瞳で見上げた。
「……参りましょう。殿下」
ダンスが終わると同時に、二人は人目を避けるように会場を後にした。
華やかな夜会の裏側で、国を揺るがす密談が始まろうとしていた。