リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 夜更けの工房:量産化への試行錯誤と絆
公爵邸の地下にある魔導工房は、深夜になっても熱気と油の匂い、そして羊皮紙のインクの匂いに満ちていた。
翌朝の「実演」に向け、リュートとアイリスは小型艇の最終調整に没頭していた。
工房の作業台には、無数の設計図と計算書が散乱している。アイリスは帳簿を片手に、眉間に深い皺を寄せていた。
「……殿下。この試算、通りませんわ」
彼女は羽ペンを走らせ、冷徹な現実を突きつけた。
「水中翼の素材に『ミスリル合金』を指定されていますが、これでは採算が取れません。ミスリルは高価すぎます。試作機一隻ならともかく、将来的に船団を組んで量産すれば、初期投資だけで赤字……事業として破綻します」
彼女は顔を上げ、リュートを睨んだ。
「性能を落としてでも、安価な鉄鋼に変えるべきです。……空を飛ぶ夢を見る前に、足元の収支を合わせてください」
リュートは油にまみれた手で図面を修正しながら、即座に首を横に振った。
「ダメだ。鉄では強度が足りない。水面からの離着水時、翼には数トンの衝撃がかかる。鉄では金属疲労で三ヶ月も持たずに折れる。……船が沈めば、それこそ事業は終わりだ」
「ではどうしろと!? 赤字を垂れ流しながら海に出ろとおっしゃるの!?」
アイリスの声が荒らげる。彼女も必死だ。公爵家の命運を預かっているのだから。
リュートは手を止めず、脳内の知識を総動員した。
前世の材料工学。複合素材。コストカットと強度の両立。この世界の「魔法」と、前世の「科学」を融合させる解法を探る。
「……なら、こうしよう」
リュートは新しい羊皮紙を引き寄せ、猛烈な勢いで数式と構造図を描き殴った。
「素材は『銅合金』だ。鉄より粘りがあり、ミスリルより遥かに安い」
「銅? 重いうえに柔らかすぎますわ!」
「ベースはな。だが、その表面に『魔導銀』の微粉末を定着させ、強化回路を焼き付ける」
リュートは図面をアイリスに見せた。
「表面硬度はミスリル並み。芯は銅の粘り強さを持つ。これなら強度は確保できる。……コストはどうだ?」
アイリスは目を丸くし、即座に珠を弾く計算盤を取り出した。
パチパチパチパチッ! と乾いた音が工房に響く。彼女の指は目にも止まらぬ速さで動き、数秒後、ピタリと止まった。
「……嘘でしょう?」
アイリスが息を呑む。
「コストは……鉄の約一・二倍まで圧縮できますわ。ミスリルの十分の一以下……これなら、損益分岐点を余裕で超えます」
「採用か?」
「ええ。……採用です。文句のつけようがありません」
アイリスは帳簿を閉じ、ふぅっと深く息を吐いた。そして、改めてリュートを見た。
その顔には、先ほどまでの「疑念」は消え失せ、代わりに戦慄にも似た「敬意」が浮かんでいた。
「……貴方、本当に何者ですの? 王族がなぜ、こんな鍛冶屋のような知識を?」
「ただの『道楽』だよ」
リュートは笑って誤魔化し、顔についた煤を拭った。
ふと見れば、完璧な令嬢であるはずのアイリスの頰にも、黒い汚れがついていた。ドレスの裾は汚れ、髪も少し乱れている。だが、その姿は夜会の時よりも遥かに生き生きとして美しかった。
二人は顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「ふっ……あはは! ひどい顔だ、アイリス嬢」
「貴方こそ。……魔王のような王子様が、まるで炭焼き小屋の少年ですわ」
そこにあるのは、甘い恋心ではない。
「こいつは使える」「この計算は裏切らない」という、実務能力への全幅の信頼。孤独な天才同士が、初めて「数字」が通じる相手を見つけた安堵感。
『……ああ、心地いい』
リュートは思った。彼女となら、背中を預けられる。彼女は僕の設計を否定せず、数字で現実にしてくれる。
アイリスもまた、同じことを思っていた。この方は、私の計算を超える解を出してくる。父のように怯えず、私の数字を武器に変えてくれる。
「……あと数時間で夜明けですわ、パートナー」
アイリスはハンカチでリュートの額の汗を拭い、不敵に微笑んだ。
「準備は整いました。……世界を驚かせてやりましょう」
「ああ。……僕たちの『船』でね」
夜更けの工房で、二人の共犯者は固い握手を交わした。
その手は汚れていたが、どんな宝石よりも輝く「確信」を掴んでいた。