リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第4話『全権委任4』

4 湖畔の実演:ハイドロフォイルの覚醒

 

 翌朝、オルディナ公爵邸の裏手に広がる広大な私有湖は、深い朝霧に包まれていた。

 

 湖畔には、分厚い外套を纏ったオルディナ公爵と、数名の重臣たちが不安げな表情で佇んでいる。彼らの視線の先には、一隻の奇妙な小型艇が浮かんでいた。

 

 既存の船とは違う。帆はなく、船体は極端に細長い。船底からは昆虫の足のような金属製の翼(フォイル)が水中に伸びている。

 美しくも、あまりに頼りなく見えるその「木の葉舟」に、リュートとアイリスが乗り込んでいた。

 

「……本当に行くのか? 動力の出力は不安定だぞ」

「問題ありませんわ。昨夜の調整で、銅合金の翼は完璧に仕上がっています」

 操縦席のアイリスが魔導機関に魔力を充填し始める。微かな駆動音が湖面に響く。リュートが合図を送ろうとした、その時だった。

 

「――待て!! 出航は認めん!!」

 岸辺から鋭い声が響いた。

 テオドール・ルディ・オルディナだ。昨夜の寝間着姿とは打って変わり、公爵家の正式な騎士甲冑に身を包み、水際まで馬を乗り入れていた。

 

 彼は姉に向けて叫ぶのではなく、公爵とリュートに向けて、理路整然と、しかし必死に叫んだ。

 

「父上! あの船を見てください! あんな華奢な構造で、外洋の荒波に耐えられるはずがありません! 姉上を乗せて沈めばどうするのです! ……言葉で言っても分からないなら、僕が証明して見せます!」

 テオドールは杖を構え、湖面に切っ先を向けた。

 

「水よ、荒ぶれ! 『拒絶の逆波』!!」

 

 ドォォォン!!

 

 テオドールの魔力が炸裂し、静かだった湖面が激しく隆起した。彼の意図は「攻撃」ではない。「海上の荒波」を人工的に再現し、この船がいかに脆く、航海に不適格であるかを証明して、出航を物理的に阻止することだ。高さ二メートル近い波が、船の行く手を阻む壁となって迫る。

 

「テオ! やめなさい!」

 アイリスが叫ぶが、波は止まらない。公爵が狼狽える。

 

「いかん! あれでは船が転覆する! テオを止めろ!」

 だが、リュートは冷静だった。むしろ、口元に獰猛な笑みを浮かべた。

 

「……構いません、公爵。止めないでください」

 彼はアイリスの肩を叩いた。

 

「好都合だ、アイリス。弟君が『最高の試験環境』を用意してくれたぞ。……見せてやれ。僕たちの船は、波ごときに喧嘩を売ったりしない」

 アイリスは一瞬驚いたが、すぐにリュートの意図を理解した。彼女は恐怖を飲み込み、操縦桿を限界まで押し込んだ。

 

「……ええ、そうですわね。――『全速前進』!!」

 小型艇が唸りを上げ、迫り来る波の壁へと突っ込んでいく。

 

「馬鹿な! 自殺行為だ!」

 テオドールが叫ぶ。普通の船なら、波に衝突して砕け散るか、転覆するタイミングだ。

 だが、衝突の衝撃は来なかった。

 

「――浮上!!」

 リュートが魔力回路を解放した瞬間、船底の水中翼が揚力を生み出した。

 フワッ。

 船体が水面から離れ、宙へと浮き上がる。

 

「な……っ!?」

 テオドールが、公爵が、その場にいた全員が目を見開いた。

 船は波にぶつかるどころか、波のうねりの「上」を、滑るように通過していったのだ。

 

 波が高いほど、翼の下を通り抜ける空間が広がるだけ。船体は水面の凹凸など存在しないかのように、空中のレールを滑走していく。

 水飛沫すら上がらない。

 ただ風を切る音だけを残して、船はテオドールの起こした荒波をあざ笑うかのような速度で加速した。

 

 湖の中央を旋回し、戻ってきたリュートは、呆然とする公爵の前に船を寄せ――着水することなく、浮いたまま静止(ホバリングに近い滑走)してみせた。

 

「公爵、ご存知ですか?」

 リュートは船上から、父を見下ろすように語りかけた。

「水は、空気の約八百倍も密度が高いのです。普通の船は、その重たい『泥』の中を、莫大なエネルギーを使ってかき分けて進んでいる。だから波に足を取られ、抵抗に苦しむのです」

 リュートは船体を叩いた。

 

「ですが、この船は違います。重たい泥を捨てて、翼で『風』になったのです。水面に触れていなければ、波などただの凸凹した地面に過ぎない。……これが物理の理(ことわり)です!」

 圧倒的な事実。

 

 テオドールの魔法による「荒波」すら無効化した安定性と、見たこともない速度。それは「信用」という概念を、物理現象でねじ伏せる瞬間だった。

 公爵は口にくわえていた葉巻をポロリと落とし、震える指でその船を指差した。

 

「……浮いて……いる……。本当に……魔法の船だ……」

 その横で、テオドールはずぶ濡れになりながら、それでも仁王立ちで船を睨みつけていた。リュートは、そんな彼を船上から見下ろし、ふと口元を緩めた。

 

『……いい度胸だ。あんな至近距離で、姉のために全魔力を放出するなんて』

 リュートは離宮育ちだ。周りにいるのは母と侍女のルリカ、そして先日配下に加わったカイルくらい。「同年代の男」など、これまで接点が皆無だった。

 

『生意気で、うるさくて、情緒過多。……でも、嫌いじゃないな』

 リュートの中に芽生えたのは、初めて見る「弟分」への奇妙な親近感だった。

 

 アイリスとの結婚など政治的に面倒すぎて微塵も考えていないが、この「小生意気な義弟(仮)」となら、悪くない関係が築けるかもしれない。

 テオドールは肩で息をしながら、リュートを指差して叫んだ。

 

「……勘違いするなよ! 黒髪の!」

 彼は悔しげに顔を歪めながらも、騎士としての誠実さで事実を認めた。

 

「……その船の性能は、認めてやる! 僕の魔法が通じなかったのは事実だ! だがな、お前自身を認めたわけじゃないぞ!」

 テオドールは地団駄を踏み、子供のように吠えた。

 

「姉上をたぶらかす黒い悪魔め! 船はすごくても、お前なんかに姉上は渡さん! 僕の目が黒いうちは、絶対に『義兄上』なんて呼んでやらないからなーっ!!」

 その捨て台詞に、リュートは思わず吹き出した。

 

「くくっ……。厳しい審査員だ。合格点はまだ遠いらしい」

 隣でアイリスが呆れたように額を押さえる中、リュートは心地よい風を感じていた。最強の盾(テオドール)を突破した船は、朝日の中、確かな勝利の輝きを放っていた。

 

 

 

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