リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第4話『全権委任6』

6 全権委任:執行者アイリスへの信頼

 

 太陽が高く昇り、朝霧が晴れた頃。

 オルディナ公爵邸の正門前には、東の港町へ向かう豪奢な馬車が待機していた。公爵とテオドール、そして家臣たちが見守る中、リュートは出発直前のアイリスに向き合った。

 

「……これを持って行け、アイリス」

 リュートは懐から、分厚い革袋を差し出した。中には、船の設計図の原本、帝国の資金、そしてあの『特権状』の写しが入っている。この事業の全てであり、リュートの切り札そのものだ。

 

「船の設計、活動資金、法的防壁。……盤面は整えた。必要なカードは全てここにある」

 リュートはアイリスの瞳を真っ直ぐに見据え、静かに告げた。

 

「アイリス嬢。君を、この海運組合の全権執行者に任命する。現場の判断、資金の運用、航路の決定……実務と運営の全てを君に任せる」

 

「……全て、ですか?」

 アイリスが革袋の重みに少しだけ眉を動かした。

 

「私の一存で失敗すれば、この資金も特権状も紙屑になりますわ。……私を監視しなくてよろしいのですか?」

 

「必要ない。君の計算能力は僕以上だ」

 リュートは即答した。そして、声を潜めて、彼女にだけ聞こえるように囁いた。

 

「それに……僕は王都(離宮)から出られない。特権状という『空飛ぶ馬車』の御者台に座って、陛下に金を献上し、政治的な雨風を凌ぐのが僕の役割だ」

 リュートは自らの首筋を指先でトン、と叩いた。

 

「いいかい、アイリス。もし事業が失敗し、王家の不興を買った時は……この首を差し出す。責任は全て発起人である『第二王子の道楽』が被る。君の家には火の粉が飛ばないよう、契約書と遺書はすでにルリカに預けてある」

 アイリスが息を呑む。

 

 リュートはニヤリと笑った。それは、愛する女性を守る男の顔ではなく、最強の駒を盤面に解き放つ棋士の顔だった。

 

「僕の首を担保にする。だから君は、王家の顔色など窺うな。父上の機嫌も、品位も、全部無視していい。……好きにやれ。君のその優秀な頭脳が導き出す『数字』だけを信じて、海で暴れてこい」

 恐怖からの完全な解放。

 

「責任は僕が取る。君はただ、正解を選び続けろ」。それは、臆病な公爵家で育ち、常に「失敗したら家が潰れる」という恐怖に縛られてきた彼女にとって、何よりも欲しかった言葉だった。

 アイリスはしばらくリュートを見つめていたが、やがてふぅっと息を吐き、艶やかに微笑んだ。それは、社交界の令嬢の仮面が完全に剥がれ落ちた、野心に満ちた「海の女傑」の顔だった。

 

「……ふふ。馬鹿なパートナーですこと。自分の命をチップにするなんて、割に合わない賭けですわよ?」

 彼女は革袋を宝物のように胸に抱き、不敵に言い放った。

 

「いいでしょう。その首、私が預かります。貴方が処刑台に上がる前に、私が王家の金庫を金貨で埋め尽くして、陛下に文句の一つも言わせないようにして差し上げますわ」

 

「頼もしいな。期待しているよ」

「見ていてください、私の王子様。三年後、私たちは海に流す『帳簿上の数字』だけで、この王国を支配してみせます」

 アイリスは優雅に一礼し、翻るドレスと共に馬車へと乗り込んだ。

 御者が鞭を振るう。

 

「ハイッ!」という掛け声と共に、馬車が動き出す。窓から顔を出したアイリスは、もう振り返らなかった。彼女の視線はすでに、東の海平線を見据えていた。

 

   ◇

 

 馬車が街道の向こうへ消えていくのを、リュートは見送った。

 隣で控えていたカイルが、ぽつりと呟いた。

 

「……行ってしまわれましたな。とんでもない女傑を野に放ったものです」

「ああ。彼女ならやってくれるさ」

 リュートは肩の力を抜き、いつもの無害な少年の表情に戻った。

 

「さて、帰ろうかカイル。僕たちは再び『離宮の檻』に戻り、無害な第二王子の仮面を被る時間だ」

「へいへい。……ですが殿下、退屈はしなさそうですな」

「もちろんだ。水面下で、世界を変える準備は整ったのだから」

 

 リュートは背を向け、静かに歩き出した。

 物理的には離れ離れになった二人。だが、その絆は「契約」と「命がけの信頼」によって、どんな鎖よりも強く結ばれていた。

 

 東の空には、新しい時代の風が吹き始めていた。

 

 

 

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