リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 ヴィオラの絶望とおねだり
食堂に、冷たい風が吹き抜けたような静寂が戻った。
先ほどまでの「技術的勝利」の熱狂は消え失せ、残ったのは「財政的敗北」という焼け野原だけだ。公爵は魂が抜けたようにテーブルに突っ伏し、クラヴィアは視線を泳がせて柱の木目を数え始めている。
そのお通夜のような空気の中で、ヴィオラだけが、まだ諦めていなかった。
彼女は自分の研究プロジェクト――「新型魔導内燃機関」の開発が、あと一歩で完成することを思い出していたのだ。必要なのは、あと一つの高価な魔石だけ。
『……待って。お兄様が予算を使い果たしたってことは、まさか私の分も?』
ヴィオラはゴクリと唾を飲み込んだ。
正面突破では無理だ。父は今、絶望の淵にいる。ならば、娘としての最強の武器――「可愛さ」という名の精神攻撃で、隠し予算を吐き出させるしかない。
ヴィオラは席を立ち、突っ伏している父のそばに寄った。そして、その最高級シルクの作業着の袖を、ちょこんと掴んだ。
「……ねえ、お父様?」
ヴィオラは上目遣いで父を見上げた。
碧い瞳をウルウルと潤ませ、小首を傾げる。前世の記憶にある「あざとい女子」の仕草と、現世の美少女スペックをフル活用した、渾身の「おねだり」だ。
「私の新型エンジンのための『深紅の魔石(クリムゾン・コア)』の予算は……残っていますわよね? 私、あれがないと実験が進まないの。……お父様なら、可愛い娘のために、こっそり残してくれていますよね?」
「ぐはっ……!」
公爵が胸を押さえて身悶えした。
『なんだこの天使は! 煤けた顔で上目遣いなど反則だろう! 今すぐ国中の魔石を買い占めて足元に積み上げてやりたい!』
親バカの回路が焼き切れそうになる。
公爵は震える手で娘の頭を撫でようとし――そして、ピタリと止まった。
脳裏に浮かぶのは、先ほどの請求書の数字。そして、金庫の中にあるはずの、虚無。
公爵は血の涙を流さんばかりの形相で、しかし技術者としての冷徹な事実を告げた。
「……すまん、ヴィオラ」
公爵は娘の手を、そっと、しかし力強く握り返した。
「お前は可愛い。世界一可愛い。だが……無い袖は振れんのだ」
「えっ」
「金庫は空だ。真空だ。完全なる『無』だ。クラヴィアの『完璧な仕事』の前に、お前の魔石代も、来月の食費も、全て事象の地平線の彼方へ消え去ったのだ……!」
「そ、そんな……」
ヴィオラの手から力が抜けた。おねだり作戦、失敗。物理的に金がない父には、どんな精神攻撃も通用しない。
ヴィオラの表情から、スッ……と「可愛い娘」の仮面が剥がれ落ちた。
代わりに浮かんだのは、研究を阻害された技術者の、どす黒い殺意だった。彼女はゆっくりと首を回し、柱の陰に隠れようとしている兄・クラヴィアを睨みつけた。
「……お兄様?」
「ひっ」
クラヴィアがビクリと震える。
「その無駄な〇・〇〇二秒のために、私のプロジェクトを半年止める気? 私の実験時間を奪うなんて……万死に値するわ」
「で、でもヴィオラ! 回路は美しかったんだよ!? あの輝きを見れば君だって……!」
「うるさい! 輝きでエンジンは回らないのよ!!」
ヴィオラは頭を抱えて叫んだ。
終わった。全てが終わった。次の予算が下りるまで半年。それまで指をくわえて待てというのか? 旋盤を止めろというのか? そんなの、技術者にとって死刑宣告と同じだ。
前世において、合理性を極限まで追求するシステムエンジニアだったヴィオラにとって、「美しい」とは最小のコストで最大のスループットを出すことだ。転生して公爵令嬢という「潤沢なリソース」を持つ立場になったはずが、現実は甘くなかった。
「ああ、もう! どうすればいいのよ! 家は頼れない。王家に泣きつけば『下請け仕事』を押し付けられるだけ……」
ヴィオラは食堂の中をグルグルと歩き回った。
金がいる。今すぐ、まとまった現金が。それも、王家の認可や魔導具審査といった面倒な手続きをスルーできて、原価がかからず、馬鹿スカ売れる何かが。
『認可不要……魔力を使わない……原価ゼロ……』
ヴィオラはブツブツと呟きながら、前世の記憶(データベース)を高速検索した。
地球の知識。日本の娯楽。単純で、奥が深くて、暇を持て余した貴族たちが飛びつきそうなもの。
「……あ」
ヴィオラの足がピタリと止まった。
彼女の脳裏に、白と黒のコントラストが鮮やかに浮かび上がった。
あれだ。あれなら、工房の裏に転がっている端材で作れる。魔力なんて欠片もいらない。ルールは子供でもわかる。
ヴィオラはゆっくりと顔を上げた。その唇に、悪魔的で、かつ極めて合理的な笑みが浮かぶ。
「……あったわ。お父様、お兄様。私、自分で稼ぎます」
「え? 稼ぐって、何を……?」
「ふふふ。見ていらっしゃい。王都の貴族たちの財布から、研究費を根こそぎ回収してやりますわ」
ヴィオラはドレスの裾を翻し、食堂を飛び出した。
向かう先は、実験室ではなく「廃棄物置き場」。
西の公爵家に、新たな(そして余計な)伝説が生まれようとしていた。