リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第2話『影の光3』

3 離宮での生活

 

 離宮の生活は、静かで狭かった。

 四歳を過ぎた頃から、私は胸の奥に冷たい霧のようなものを感じるようになった。

 夢の中で、誰かが刺される瞬間。血の味。

 

『人間なんて、みんなわがまま』――そんな言葉が、頭の奥で繰り返される。

 五歳になる頃、記憶ははっきりとした形を取った。

 

 前世の自分。

 人間の身勝手さ、強欲さ、言い訳の数々。

 誰も本当の意味で他者を思いやらない。

 それが、この世界でも変わらないことを、私は直感的に理解していた。

 

 ――この世界も、同じだ。

 離宮の窓から中庭を見下ろしながら、私は現状を静かに見つめた。

 私は第二王子、リュート・セシル・ローゼンタリア。母は第二側妃ルナリア。

 同じ年に金髪金眼の完璧な血統を持つ第一王子グラクトが生まれたことで、すべてが後回しになった。

 

 宮廷の序列は、光の強さで決まる。グラクトの存在があまりに眩しいから、こちらは自然と薄くなる。それだけのことだ。

 専属の侍女であるルリカは、現在十二歳。母の祖国である帝国から付き従ってきた彼女は、母への絶対的な忠誠を誓っているが、それ以外の人間には心を許していない。

 

 他に二十代前半の王国人侍女が二人いるものの、彼女たちは丁寧に振る舞うだけで、私たち母子とは明確な距離を置いていた。母の指示に機械的に従うだけで、個人的な関心は抱いていないようだ。

 私の移動範囲は離宮の建物と中庭だけ。王宮本館へはほとんど行けない。

 

 国王ゼノンとはほとんど面識がなく、会ったのは儀式の遠くから数回だけ。

 第一王子グラクトとは一度だけ対面した。金髪金眼の「光」。周囲の廷臣が熱狂的に讃え、笑顔を向けていた。あの光景は、前世の「身勝手な称賛」と同じだった。

 情報収集には限界がある。

 離宮の外に出られない以上、ルリカや王国人侍女の会話からしか得られない。

 最近聞いた断片が、耳に残っている。

 

「第一王子殿下は、剣術の師範をお呼びになって……」

「金髪金眼の皇子は、宮廷で謁見の練習を……」

「第二王子様は……離宮で静かに……」

 私は心の中で吐き捨てる。

 

 ――光は称賛され、影は無視される。

 誰も本気で影を気にかける者はいない。母とルリカだけが例外だ。

 でも、それもいつまで続くのか?

 部屋に母が入ってきた。

 いつものように微笑み、私を抱き寄せる。ルリカも後ろから寄り添い、三人で小さな円を作る。

 母は私を膝の上に乗せた。

 

 日課である読み書きを教わると、すぐに私が待ち望む物語の時間になる。簡単な数字を紙に書いて一緒に数える程度の算術を終えると、母は古い書物を広げた。

 母は私の小さな手を握りながら、ゆっくりと線を引く。

 ルリカは隣で同じ紙を広げ、私のペースに合わせて一緒に書く。

 

「リュート様、ここはこうですよ」と小さな声で囁き、間違ったところを丁寧に直してくれる。

 そして、王国物語の朗読。

 母の腕の中で、私は体を預ける。ルリカも反対側から寄り添い、母の膝に頭を乗せるようにして一緒に聞く。

 母は私の頭を胸に寄せ、ルリカの髪も撫でながら、穏やかな声で読み始める。

 

「昔、光と影があって……光はすべてを照らし、影はそれを支えた……」

 物語の言葉が、部屋に柔らかく広がる。

 母の心臓の音が耳に響く。髪を梳く手が、ゆっくりと動く。

 時折、私の頰にキスが落ち、ルリカの頭にも手が触れる。

 読み終えると、母は私を強く抱きしめ、ルリカも一緒に引き寄せた。

 

「リュート……今日の物語、どうだった?」

 私は目を伏せたまま、しばらく黙っていた。

 母は急かさず、私の髪を梳き続ける。ルリカも、私の袖を握ったまま、静かに待つ。

 やがて、私が小さな声で答えた。

 

「……光が強すぎて、影が見えなくなってる」

 母は小さく笑った。その笑みは、慈愛に満ちていて、少しだけ寂しげだった。

 

「そうね。光が強すぎると、影は隠れてしまうわ。でも、物語の中の影は、最後には光を支えてるでしょう? 光だけじゃ、世界は回らないのよ。影がいるから、光は輝ける……それが本当の形だと思うの」

 私は母の胸に顔を埋めた。

 言葉は出なかったが、胸の霧が少しだけ薄くなった気がした。

 母は私の背中を軽く叩きながら、続けた。

 

「リュート、あなたは今、影にいるように見えるかもしれない。でも、私にとっては、あなたは光そのものよ。この離宮で、あなたとルリカと一緒にいられるこの時間が、私の一番の光なの。あなたが生まれてきてくれただけで、私は毎日、胸がいっぱいになる。……あなたは、私のすべてよ。どんなに世界が冷たくても、私だけは、あなたを絶対に守るから」

 

 ルリカが、口を開いた。声は小さかったが、はっきりしていた。

「リュート様……私も、同じです。ルナリア様に拾われてから、ずっと一緒にいられて……リュート様が生まれたときから、ずっとそばにいられて……私、リュート様のこと、好きです。影だって言われても、私にとっては、リュート様が一番大事です」

 母はルリカの頭を撫で、私をもう一度強く抱きしめた。

 

「ねえ、リュート。今日の物語で、影が光を支えたところ、覚えてる? 私たちは三人で、そういう関係になりたいわ。光も影も、どちらもなくてはならない。あなたがいて、ルリカがいて、私がいる……それで、いいのよ」

 私は、母の胸の中で、ゆっくりと息を吐いた。

 言葉は出なかったが、霧が少しだけ、溶けた。

 母は私の耳元で囁いた。

 

「明日も、一緒に物語を読もうね。あなたがどんな気持ちで聞いても、どんな言葉を言っても、私は全部、受け止めるから。……あなたは、一人じゃないわ」

 ルリカも、私の袖を握ったまま、頷いた。

 部屋に、確かな温もりが満ちた。

 人間不信の塊は、まだ完全に溶けていない。

 でも、この瞬間だけは、少しだけ、信じてもいいかもしれないと思った。

 

 母の腕の中、ルリカの小さな手。

 この狭い離宮が、今の私のすべてだった。

 胸の奥の冷たい霧は、静かに、しかし確実に、薄れ始めていた。

 

 

 

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