リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第6話『反転攻勢4』

4 合理的な「権利譲渡(ゴミ捨て)」

 

 商人と貴族夫人たちの猛攻から逃れるため、クロムハルト一家は屋敷の最奥、窓のない「第三資料室」に立てこもっていた。

 

 重厚な樫の扉はバリケードで封鎖され、外の喧騒が遠雷のように微かに響いている。部屋の中は、薄暗く、澱んだ空気に満ちていた。床には飲み干された冷たいコーヒーのカップと、書き損じの計算用紙が雪崩のように散乱している。

 

「……もう、限界だ」

 部屋の隅、積み上がった図面の山の上で大の字になっていたクラヴィアが、天井を見上げたまま乾いた声を漏らした。彼は手の中で、リバーシの石――あの元凶となった白と黒のコインを、カチッ、カチッ、と虚ろなリズムで弾いている。

 

「父上、ヴィオラ。……僕たちは、もう十分稼いだんじゃないか? 深海銀の借金は返せる。クリムゾン・コアも確保した。最新の旋盤も発注済みだ。……なのに、なんでまだ、こんな騒音(ノイズ)に耐えなきゃいけないんだ?」

 

「……うむ。全くだ」

 部屋の中央、書類の山に埋もれるように突っ伏していた公爵が、ゾンビのようにのろりと顔を上げた。最高級のシルクの服はシワだらけで、自慢の金髪も鳥の巣のようになっている。

 

「研究がしたい……。静かな場所で、ただ歯車が回る音だけを聞いていたい……」

 公爵は震える手で目元を覆い、深いため息をついた。その姿は、西の雄たる大貴族の威厳など欠片もなく、ただの疲れ切った中年男性の哀愁が漂っている。

 

 クラヴィアは、指先で弄んでいた石を天井に向かって放り投げ、パシリと掴んだ。

 

「……ねえ、父上。もうこれ、誰かにあげちゃいましょうよ」

「……あげる?」

 公爵の碧眼が、焦点の定まらないまま息子を捉えた。

 

「そう。権利も、在庫も、製造法も、全部。誰かに押し付ければ、商人も貴族もそっちに行きますよ。そうすれば、僕たちの平穏(サイレント)が戻ってくる」

「ふむ……」

 公爵は顎をさすり、少しだけ理性の光を取り戻した。

 

「一理あるな。今の我が家にとって、このブームは有害な放射熱だ。遮断すべきだろう」

 彼はよろめきながら立ち上がり、ホワイトボード(魔導黒板)に向かった。

 

「だが、誰にあげるんだ? 東のオルディナ公爵家か? 彼らなら商売は上手いが……」

 

「違いますわ、お父様」

 それまで部屋の隅で膝を抱えていたヴィオラが、ゆらりと身体を起こした。彼女の顔色は悪いが、その碧眼だけは、極限状態ゆえの冷徹で鋭い光を宿している。

 

「オルディナに渡せば、『西が東に屈した』とか言われて政治的に面倒です。それに、あの家の公爵(臆病者)じゃ、この狂乱を抑えきれませんわ」

 ヴィオラはふらつく足取りでテーブルに近づき、地図の上にリバーシの石を置いた。場所は、王都の中心。

 

「じゃあ、どうするんだ?」

「……王家です」

 ヴィオラは石を指で強く押し付けた。

 

「王家に『献上』してしまえばいいのです」

「……王家に?」

 公爵とクラヴィアが顔を見合わせる。

 

「ええ。考えてもみてください」

 ヴィオラは地図上の王宮を指先でトントンと叩きながら、淡々と説明した。

 

「王家が権利元になれば、商人は文句を言えません。貴族夫人たちも、『王家の遊戯』になれば、私なんかに気軽に『教えて』とは言えなくなります。管理、製造、クレーム対応……その全てを、王宮の官僚たちに『丸投げ(アウトソーシング)』できるのです」

 その言葉は、澱んだ空気を切り裂く稲妻のように、公爵の脳髄を貫いた。面倒な事務作業の、国家的規模での外部委託。それは、今の彼らにとって「福音」以外の何物でもなかった。

 

「……それに、お父様」

 ヴィオラはニヤリと唇を歪めた。その笑顔は、疲れ切った聖女ではなく、狡猾な悪魔のそれだった。

 

「もし、この『莫大なドル箱』を無償で差し出せば……王家はどう思うかしら?」

「……む?」

「お兄様の『検問所改造の罰金(借金)』。……もしかしたら、チャラにしてもらえるかもしれませんわよ?」

「!!」

 公爵がガタッと椅子を蹴倒して立ち上がった。その顔に、生気が、そして強烈な欲望の色が戻ってくる。

 

「……そ、そうか! その手があったか! これだけの利益を生む『金の卵』だ。罰金相殺どころか……」

 公爵の口元が、だらしなく緩んだ。

 

「……ぐふふ。上手くいけば、王家から『特別研究助成金(ボーナス)』まで引っ張り出せるかもしれんぞ……?」

「その通りですわ。名誉なんていりません。欲しいのは『現金(予算)』と『時間』だけ」

 ヴィオラの言葉に、クラヴィアもまた、寝転がっていた図面の上から飛び起きた。

 

「賛成だ! いい案だ父上! 今すぐやろう!」

「よし、決まりだ!」

 公爵は、散乱していた書類の裏紙を掴み、猛然と羽ペンを走らせ始めた。先ほどまでのゾンビのような動きが嘘のように、その筆致は力強く、速い。

 

「宛先は国王陛下! 品目は『リバーシに関する一切の権利』! 理由は……『王国の安寧と文化発展のため(という建前)』! ……よし、これを執事に持たせて、今すぐ王宮へ叩き込んでこい!!」

「「「イエッサー!!」」」

 薄暗い資料室に、三人の元気な声が響き渡った。

 

 彼らはハイタッチを交わし、互いの健闘を称え合う。その顔には、一点の曇りもない笑顔が輝いていた。

 

 政治的影響力? 派閥バランス? そんなものは知ったことではない。彼らはただ、「ゴミを捨てて、ついでに小遣いをもらおう」としただけなのだ。

 

 それが、東のオルディナ公爵家(アイリス)を激怒させ、王宮の古狸(ヒルデガード)を歓喜させる「歴史的な失策」になるとは、夢にも思わずに。

 

 

 

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