リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 工房の勘違い(勅命の受領)
【西のクロムハルト公爵領・第三魔導実験室】
王宮の奥深くで、ヴィオラの運命が勝手に決定されていた、まさにその時。当の西の公爵邸は、相変わらず駆動音と魔力の焦げる匂いに包まれていた。
「……同期、完了。排気弁の誤差修正、コンマ以下」
ヴィオラは、唸りを上げる試作エンジンの前で、魔導液にまみれた前髪を無造作にかき上げた。その碧眼は、恋人を見つめるよりも遥かに熱っぽい視線を、目の前の鉄塊――クリムゾン・コアを心臓部に据えた新型内燃機関に注いでいる。
リバーシの献上によって屋敷には静寂が戻り、借金も一時的とはいえ解消された。研究に没頭できる至福の時間。まさに天国だ。
そこへ、控えめな咳払いが、エンジンの轟音の隙間を縫って響いた。
「……旦那様、お嬢様。お取り込み中、失礼いたします」
執事が、盆に乗せた一通の書状を恭しく差し出している。その表情はいつになく硬い。
作業台の奥で図面の山に埋もれていた公爵が、片眼鏡(モノクル)の位置を直しつつ、億劫そうに顔を上げた。
「なんだ、今いいところなのだがな……。請求書なら暖炉にくべておけ」
「いいえ、旦那様。王都より早馬です。……陛下より直々の『召喚状(勅命)』でございます」
その言葉に、公爵の手が止まった。
彼は魔導液で汚れたままの手で厚手の封筒を受け取ると、ペリペリと封蝋を砕く。中から現れたのは、王家の紋章が入った最高級の羊皮紙だ。
「……ふむ。『クロムハルト公爵、及び令嬢ヴィオラリア。次回の謁見の間に参内せよ』か」
公爵が読み上げた内容に、ヴィオラは露骨に顔をしかめた。手に持っていたスパナを、カランと作業台に置く。
「謁見、ですか? ……正直、気が進みませんわ」
彼女はため息混じりに肩をすくめた。
「どうせリバーシの件でしょう? 『よくやった』というお褒めの言葉なら、郵送で十分ですのに。王都までの往復で三日……その時間があれば、燃焼室の再設計ができてしまいます」
「全くだ。王家は技術者の時間単価(コスト)というものを理解しておらん」
公爵も深く頷き、召喚状を雑に――書き損じの図面の山の上へと放り投げた。まるで、不要な部品を捨てるかのような手つきだ。
だが、羊皮紙が滑り落ちる直前、公爵の動きがピタリと止まった。碧い瞳の奥で、何かが計算された音がした。彼はゆっくりと、ニヤリと口角を吊り上げる。
「……待てよ、ヴィオラ。これはチャンスかもしれんぞ」
「チャンス?」
「うむ。我々はリバーシという『金の卵』を、丸ごと献上したのだ。陛下も鬼ではない。わざわざ呼び出したということは、単なる言葉以上の『実利』を用意しているはずだ」
公爵は、まるで新しい実験のアイデアを思いついた時のように、声を弾ませた。
「そう、例えば……『特別研究予算』の増額とか。あるいは、お前が喉から手が出るほど欲しがっていた『王立魔導研究所の最新鋭旋盤』の使用許可とか」
その言葉は、ヴィオラの脳髄に電流のように走った。
ガタッ、と椅子が鳴る。彼女は立ち上がっていた。その反応速度は、自慢の兄にも引けを取らない。
「行きます。お父様、私、行きますわ!」
先ほどまでの気だるさはどこへやら。彼女の瞳は、最高出力の魔力炉のように輝き始めている。
「陛下に直接プレゼンして、旋盤……いえ、予算をもぎ取ってきます!」
「その意気だ! よし、すぐに準備だ。出発は明日ぞ!」
二人は薄汚れた作業着のまま、ハイタッチを交わした。
実験室の空気は一変し、新たなプロジェクトへ向かう熱気に包まれる。だが、その方向性は、王宮が期待する「婚約に向けた顔合わせ」とは、絶望的なまでにズレていた。
「お嬢様、ドレスのご用意を! 今年の流行は……」
慌てて駆け寄ってきた侍女の言葉を、ヴィオラは図面を丸めながら遮った。
「去年の社交シーズンに着た青いのがクローゼットにあるはずよ。身長も変わってないし、カビも生えてないなら、あれで十分だわ」
「えっ、で、ですが……」
「顔を洗って、髪をとかせばいいの。どうせ誰も見てないし、今回の目的は『営業』だもの」
ヴィオラにとってドレスは単なる「正装という機能を持つ布」に過ぎない。彼女が本当に大事そうに抱えたのは、宝石箱ではなく、分厚い円筒形の図面ケースだった。
「それよりもお父様、プレゼン資料は?」
「抜かりはない!」
公爵もまた、重そうな革袋を作業台にドスンと置いた。
「新型エンジンの設計図と、リバーシの『改良案(拡張パック)』だ! ただ褒美を待つのではない。我々の技術がいかに有用かをアピールし、来期の予算枠を拡大させるのだ!」
「了解です! 私も試作品のパーツを持っていきます!」
彼らは目を輝かせ、まるで遠足に行く子供のように――あるいは、大口の出資者に会いに行くベンチャー企業の社長たちのように、意気揚々と準備を進めていく。
彼らは、その優れた頭脳の片隅にも疑っていなかった。
まさか王家が、予算ではなく「結婚指輪(首輪)」を用意して待ち構えているとは。そして、自分たちが「無欲な聖女」などという、身に覚えのない過大評価を受けていることなど、夢にも思わずに。
馬車は翌朝、西の街道を駆け抜けるだろう。希望と野望(予算)だけを乗せて、王都という名の魔窟へと、全速力で突っ込んでいくのだ。