リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第8話『誤解の謁見2』

2 謁見の間:王の切り札と親父の裏切り

 

 重厚な大理石の柱が天井を支え、壁に刻まれた王家の紋章が冷たく輝く「謁見の間」。

 天窓から細く差し込む午後の光は、床の絨毯に金色の帯を落としているが、それは希望の光というよりは、逃げ場のない「檻」の格子のようだった。

 

 空気は鉛のように重い。権力の重圧が肌にまとわりつく中、クロムハルト公爵ディーゼルは胸を張り、娘ヴィオラリアを背後に従えて立っていた。リバーシ献上の褒美(予算)をもらい、これでようやく工房に戻って実験ができる――そんな安堵が、彼の表情を緩ませている。

 

 だが、玉座の配置は、彼らの退路を断つように完璧だった。王妃マルガレーテは優雅に腰を下ろし、一切の隙を見せぬ氷の微笑みを浮かべている。第一王子グラクトはその右手に控え、第一側妃ヒルデガードは扇で口元を隠し、冷ややかな視線を送る。

 

 そして何より、中央の玉座に深く沈み込む国王ゼノン。その瞳は、獲物を値踏みする老獪な光を宿していた。

 沈黙を破ったのは、王妃マルガレーテだった。その声は鈴のように美しいが、逃げ場のない圧力を帯びていた。

 

「ヴィオラ嬢。先ほど、グラクトとの語らいの場でどのような思いを抱かれましたか? ……率直に、お聞かせください」

「……っ!」

 ヴィオラリアは一瞬、石化した。前世の日本でさえ社交辞令など一度も必要とされなかった技術者の本能が、即座にシステムエラーを呼び起こす。頭の中は、さっき見た王宮の暖房設備の配管構造で埋め尽くされており、適切な王族賛辞など一バイトも検索できない。

 

『ど、どうしよう……! 何か褒めなきゃ……!』

 彼女は必死に、グラクトの「物理的な動作」を機械工学の観点から解析し、褒め称えるしかなかった。声はしどろもどろ、しかし技術者らしい正確さが奇妙に混じっていた。

 

「え、ええと……! で、殿下は、お振る舞いに一切の『ブレ(軸の狂い)』がなく、内なる『出力(熱と魔力)』の制御も完璧でいらっしゃいました……! 無駄な『摩擦(エネルギーロス)』を全く生まないそのお姿は、まさに……究極の『機能美』かと……!」

 言葉が終わると同時に、ヴィオラの顔がトマトのように赤く染まった。

 背後の父ディーゼルが「し、しまった」と小さく咳払いをしたが、すでに遅かった。

 

 王妃マルガレーテの瞳が、わずかに細められた。北の武神の血を引く彼女の脳内では、即座に「好意的な超解釈」が施されていた。

 

『……ブレのない姿勢。内なる情熱の自制。周囲と摩擦を生まない洗練された所作。機能美とはいささか武骨な表現だが、それだけグラクトの王族としての完璧さに圧倒されているということね。……飾らない、素直な称賛だわ』

 彼女は満足げに頷き、視線をディーゼルへと移した。声は穏やかでありながら、決定的だった。

 

「クロムハルト公爵。娘君の言葉を聞き、わたくしは深く満足いたしました。グラクトの伴侶として、ヴィオラ嬢を王家に迎えることを正式に望みます。……婚約の儀を、この場で執り行いましょう」

 王妃マルガレーテの涼やかな声が、決定事項として響き渡った。

 その瞬間、クロムハルト公爵ディーゼルの顔色が激変した。

 

「なっ……!?」

 公爵の脳内で、瞬時に警報が鳴り響く。婚約? 娘を王家にやる?

 冗談ではない! ヴィオラは我が家の最高傑作だ! あの天才的な演算能力、〇・〇一ミリを見抜く眼。それを、みすみす王宮の人質になどやれるか!

 ディーゼルは、玉座の前であることも忘れ、半歩前に踏み出した。その背中は、娘を庇う父親の激情に震えていた。

 

「お、お待ちください、王妃殿下! 恐れながら、そればかりは承服できかねます!!」

 謁見の間がどよめく。公爵が王妃に異を唱えたのだ。

 だがディーゼルは止まらない。彼は血走った目で、娘がいかに「王族に向いていないか」を熱弁し始めた。

 

「ヴィオラは……娘は、まだ王宮に出せるような娘ではございません! いや、むしろ人間として『偏りすぎている』のです!」

「ほう?」

 王妃が片眉を上げる。ディーゼルは必死にまくし立てた。

 

「あの子は、機械いじりしか能のない『社会不適合者』でございます! 朝は誰よりも早く起きて炉の火加減を見極め、夜は星を見上げて数式を解く……頭の中はネジと歯車のことばかり! ドレスの着こなしも、社交辞令ひとつ満足にできません! あの子は、西の工房という特殊な環境でしか生きられない、『取り扱い注意の欠陥品(ジャンク)』なのです!」

 ヴィオラは背後で、父の背中を見つめながら、ブンブンと首を縦に振った。

 

『そうよお父様! もっと言って! 私は社交界のゴミ! 王族の恥! 絶対に王妃なんて無理だって力説して!』

 だが、父のあまりの剣幕と語彙のチョイスに、ふと冷静なツッコミが脳裏をよぎる。

 

『……でもちょっと待って。「不適合者」はいいとして、「欠陥品」とか「ジャンク」とか、実の娘に対して言葉の選び方が容赦なさすぎない? 私、そこまで酷い? さっきまで西の至宝って呼んでたじゃない! ……ま、まあいいわ! これで婚約が破談になるなら、甘んじて産業廃棄物の汚名を受け入れるわよ!』

 

 ディーゼルは止まらない。娘の才能を愛しているがゆえに、彼女が「普通の幸せ(王妃の座)」に耐えられないことを知っている。そして何より、彼女は自分の工房にとって欠かせない「メイン回路」なのだ。

 

「どうか、ご再考を! 娘は……ヴィオラは、私でなければ制御できない『暴れ馬』! そして、西の技術を支えるかけがえのない『心臓部(コア)』なのです! 彼女を奪われては、西の研究は止まってしまいます!!」

 親子の絆と社会性のなさが、王家の理不尽な要求を跳ね返す――誰もがそう思った、その時だった。

 

「――公爵よ」

 中央の玉座から、地を這うような重低音が響いた。それまで沈黙を守り、公爵の親バカぶりをニヤニヤと眺めていた国王ゼノンが、ゆっくりと身を乗り出したのだ。

 

「其の方の娘を想う心、痛いほど伝わったぞ。……確かに、機械しか愛せぬ娘に王族の務めは重かろう。それに、西の技術が止まるのは国益に関わる」

 ゼノンは、わざとらしく「困ったな」という顔を作ってみせた。

 

「そうなれば、西の技術開発は停滞する……。国にとっても大きな損失だ。其の方が懸念するのも無理はない」

「さ、左様でございます陛下! ですからこの話は……」

「そこでだ、公爵」

 王は、公爵の言葉を遮り、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。それを公爵の目の前にヒラリと落とす。

 

「娘が抜けた穴を、そのままにしておくわけにはいかぬだろう? ……知っての通り、東の『海運組合』がもたらす税収で、王家の金庫はかつてないほど潤っておる。その海運利益の一部を割き、西のクロムハルト本家に対して『特別技術開発費』として、毎年定額を支給しようと思うのだが?」

 

「……あ?」

 ディーゼルの動きが、ピタリと止まった。彼の視線が、床に落ちた羊皮紙の数字に釘付けになる。

 

 そこには、海運事業の莫大な利益を裏付けとした、『新型旋盤が毎年十台は買える額』が記されていた。一時金ではない。継続的な、国家予算規模の支援だ。

 

「娘が王家のために尽くす間……公爵、『お前』はその金で、より優秀な職人を雇い、より高度な設備を整え、西の技術を守らねばならぬ。……それが、未熟な娘を送り出す父親の『務め』ではないか?」

 それは、悪魔の囁きだった。

 

「娘がいないと困る?」 ならば、「娘がいなくても困らないだけの金」をやる。新しい回路(娘)の代わりに、もっと高性能な回路(予算)を買えという、逃げ場のない論理。

 

 その瞬間。

 ディーゼルの脳内から、「娘への愛」や「家族の絆」といった情緒的な回路が、物理的に消滅した。思考時間、ゼロ。葛藤、ゼロ。

 彼は、王の言葉が終わるか終わらないかの食い気味(〇・〇〇〇秒)で、床に額を叩きつけた。

 

「――謹んでお受けいたしますッ!!!」

「……は?」

 背後でヴィオラが、口をぽかんと開けたまま硬直した。

 え? 今、なんて? 「取り扱い注意」は? 「かけがえのない心臓部」は?

 

 ディーゼルは娘を振り返りもしない。彼は床に這いつくばったまま、羊皮紙の数字に釘付けになり、恍惚の表情で叫んだ。

 

「娘は王家のために! 私は技術のために! それが最善の配置でございます! 娘などくれてやります! その代わり予算を! 毎年、確実に、現金で振り込んでくださいませぇぇぇッ!!」

「うむ! 苦渋の決断、大儀である!」

 ゼノン王は、膝を叩いて満足げに笑った。

 

「国の未来のため、涙を飲んで未熟な娘を託すその覚悟……まさに忠臣の鑑よ!」

『ち、違う……!』

 ヴィオラは心の中で絶叫した。

 

『こいつ、涙なんか飲んでない! 今、私という生贄と引き換えに手に入れた予算を見て、よだれを飲んだだけよォォォッ!!』

「お、お父様ッ!?」

 ヴィオラが父の背中を蹴り飛ばすが、ディーゼルは「ああ、これで新しい炉が……海運万歳……」とうわ言を呟きながら、羊皮紙に頬ずりしている。完全に、娘を「高値で売れた」ことに満足していた。

 

「では、決まりですね」

 王妃マルガレーテが冷ややかに手を叩き、ここで初めて、王妃としての「教育的指導」を口にした。

 

「ヴィオラリア。これより貴女は王宮に留まり、まずはマナーと歴史、そして刺繍の特訓から始めていただきます。……当然、王族となる者が魔導液にまみれるなどあってはなりません。未熟な貴女が立派な王妃になれるよう、わたくしがじっくりと『矯正』して差し上げますわ」

「…………」

 ヴィオラの目の前が真っ暗になった。

 

 父は予算に夢中で助けてくれない。王妃は矯正(地獄)を宣告してくる。そして、その予算の出処は、リュートが稼いだ金だ。

 グラクト王子が歩み寄り、絶望で白目を剥いているヴィオラの手を優しく取った。

 

「ありがとう、公爵。君の宝物は、僕が責任を持って守り抜くよ」

 王子の爽やかな笑顔が、ヴィオラには死神の微笑みに見えた。

『……詰んだ』

 こうして、西の天才技術者は、実の父親による「光速の人身売買」によって、リュートが稼ぎ出した「海運利益」という名の高値で売り飛ばされたのだった。

 

 

 

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