リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第8話『誤解の謁見3』

3 控え室の密約:意図的な「落第」計画

 

 バタンッ!!

 王宮の控え室。厚い樫の扉が閉ざされ、従者たちが下がった、その瞬間だった。

 重苦しい沈黙など、一秒たりとも訪れなかった。

 

「――ちょっと、どういうつもり!?」

 ヴィオラリアは、父親である公爵の胸倉を鷲掴みにし、ガクガクと揺さぶった。金色の髪を振り乱し、知的な瞳には「殺意」と「絶望」が渦巻いている。前世の技術者としての理性が、今、明確な「損失」として状況を解析し、警報を鳴らしまくっていた。

 

「娘を小銭で売るとは何事ですかッ! 私の実験時間をどうしてくれるの!? 王妃教育? 刺繍? ふざけないで! あの研究資金など、私の魔導機関の『稼働率低下』に比べれば、ただの燃料ロスに過ぎないわ!」

 彼女の声には、「効率」「ロス」「制御」といった技術用語が自然に混じっていた。

 

 彼女にとって、王家への婚約など、単なる「非効率な摩擦係数の増大」以外の何物でもない。実験室の魔導炉、回転軸の微調整、熱流体の最適化——それらこそが彼女の存在意義であり、血統や品位など、すべてが無意味な「装飾部品」なのだ。

 

「落ち着けヴィオラ! 首が、首が取れる!」

 ディーゼルは娘の手を振りほどき、公爵としての威厳……ではなく、狂った科学者の目で娘を見つめ返した。今この瞬間、娘の未来より「領地の技術革新(予算)」が優先されるのは、彼の中では絶対的な正義だった。

 

「いいか、よく聞けヴィオラ。これは『娘を売った』のではない。『短期出向による資金調達』だ」

「はあ!? 何よそれ!」

「計算してみろ。お前のガサツさ……いや、『独創的な性格』なら、王家の窮屈な礼儀作法など、三ヶ月と持たずに破綻するだろう?」

 ディーゼルは、ニヤリと悪党の笑みを浮かべた。

 

「つまり、これは『王妃教育で失敗して、向こうから婚約破棄されること』を前提とした契約だ。王家は面子があるから、すぐには追い出さん。だが、お前が刺繍の針で指を刺し、ダンスで王子の足を踏み、マナー講座で居眠りをすれば……いずれ向こうから『願い下げだ』と言ってくるはずだ!」

「……!」

 ヴィオラの動きが止まった。彼女の脳内で、即座にシミュレーションが回る。

 

「その間、王家からは『研究資金』が西に流れ続ける。お前が破談になって戻ってくる頃には、我々の金庫はパンパンだ。最新の設備、最高級の素材……すべてが揃った状態で、お前は再び研究に戻れるのだ!」

 ディーゼルの論理は明快だった。

 

『予算だけもらって、製品(ヴィオラ)は納品しない(返品させる)』。

 これは、王家に対する史上最大規模の「食い逃げ詐欺」である。

 ヴィオラは、ハッとした顔をした。

 

 前世の記憶が蘇る。予算確保のためだけに体裁を整え、実行段階でうやむやにして逃げる「デスマーチ案件の損切り戦術」。政治的報復? 家門の破滅? そんな「政治的変数(ノイズ)」は、彼女の機能主義の世界観では計算外だ。

 

『……なるほど。意図的に「赤点(エラー)」を出して、強制終了(退学)させればいいのか。それなら……王宮での生活は、ただの「有給休暇付きの出張」になる!』

 ヴィオラの瞳から怒りが消え、代わりに冷徹な計算の光が宿った。

 

「……つまり、お父様。私は王宮で『無能な令嬢』を演じ、王妃様の期待を裏切り続ければいいのね? そして、愛想を尽かされたところで、慰謝料(手切れ金)代わりに予算を持ってトンズラすると」

「その通りだ! お前の『社会不適合スペック』をフル活用しろ! 素のままでいれば、三ヶ月で放り出される!」

 

「失礼ね! ……でも、その計算は正しいわ」

 ヴィオラはゆっくりと息を吐き、ニヤリと笑った。そこには、先ほどまでの悲壮感はない。あるのは、システム(王家)のバグを突くハッカーのような、歪んだ共感だった。

 

「……わかったわ、お父様。破談前提の資金調達。……効率は悪くないわ」

「うむ! さあ、行ってこい我が娘よ! そして盛大に失敗して、笑顔で帰ってこい!」

 

 ガシッ!!

 

 二人は力強く握手を交わした。政治的リスクを完全に無視した、技術者特有のバグった思考回路。血統と品位を絶対視する王国において、これほど危険な「無自覚な劇薬」はない。

 娘を売った父と、売られた娘は、互いにこれが「合理的な勝利」だと信じて疑わなかった。

 

 扉の向こうでは、まだ王妃マルガレーテの冷徹な指示が響いているかもしれない。だが、この控え室で交わされた密約は、すでに王家の盤面に小さな、しかし致命的な亀裂(勘違い)を刻み始めていた。

 彼らはまだ知らない。王妃マルガレーテの教育(スパルタ)が、「赤点を取って逃げる」などという甘えを許す生易しいものではないことを。そして、一度入ったら二度と出られない「王宮」という名の監獄の恐ろしさを。

 

 

 

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