リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第8話『誤解の謁見4』

4 後宮調整室の攻防:通学(自由)の死守

 

 王宮の奥深く、「調整室」。

 午後の薄明かりが重いビロードのカーテンを透かし、机上の羊皮紙に淡い影を落としていた。壁に刻まれた王家の紋章が冷たく輝き、空気は墨と古い薔薇の香りに満ちている。

 

 ここは王妃マルガレーテ直属の、後宮の秩序を司る聖域。

 権力の形式が息苦しく張りつめるこの部屋で、ヴィオラリアは父ディーゼルの袖を無意識に強く握りしめ、顔面を蒼白にしていた。

 彼女の目の前に座るのは、王妃付き首席礼典調整官、イゾルデ・レン・ヴァルンハイム子爵夫人。一切の情を排した冷徹な眼差しを持つ、後宮の教育と管理を取り仕切る辣腕の女傑だ。

 イゾルデは手元の書類を一枚ゆっくりとめくり、氷のような声で宣告した。

 

「ヴィオラリア嬢。王家への婚約が正式に決定した以上、候補者として『後宮内住み込み』が宮廷正典の原則です。朝の起床から夜の就寝まで、宮廷の空気の中で王妃教育の全課程を体得していただきます。……これより、その生活に入っていただきます」

 

「――っ!」

 ヴィオラリアは息を詰めた。彼女の脳内で、巨大な警告音が鳴り響く。

 

『す、住み込み!? 二十四時間監視!? 冗談じゃないわ! それじゃ工房に帰れない! スパナも触れない! 機械油の匂いを嗅がずに三日も放置されたら、私の精神回路が焼き切れて死んじゃう!』

 彼女の「機能主義の本能」が、生存の危機を訴えていた。先ほど父と結んだ「赤点を取って退学する」という密約も、自室(工房)という安全地帯があってこそ成立するものだ。監獄のような王宮に二十四時間閉じ込められては、ストレスで計画を遂行する前に発狂してしまう。

 

『断らなきゃ! 何としても「通い」に持ち込まないと! でも、どうやって!? 「エンジン回せないと死にます」なんて言ったら即座に不敬罪でしょ!? ええと、貴族の言葉! 脳内辞書検索! 相手を刺激せず、かつ私がダメになることを伝える「品位ある言い訳」を……!』

 小さな肩を震わせ、ヴィオラは冷や汗を流しながら必死に言葉を紡ぎ出した。

 

「……し、子爵夫人閣下。どうか、ご容赦くださいませ」

『よし、出だしはOK! 次! 「無理です」の丁寧語!』

「王宮での住み込みは、私には……と、到底、叶いません。私のような者が、慣れない石の部屋で、その、毎日王妃教育を受ければ……必ずや、第一王子殿下の『品位』を……汚すことに、なると存じます……」

 

『翻訳:慣れない環境で二十四時間稼働させられたら、確実にバグを起こして殿下の顔に泥を塗る大暴走をしますよ!』

 ヴィオラは震える声で哀願した。挑発ではない。切実な、命乞い(メンタル防衛)だった。「工房を離れ、図面と実験に触れられなければ、私の頭はまったく働かなくなる」という事実を、慣れない貴族語のオブラートで必死に包み込んで訴える。

 

「どうか……王都の邸宅から『登城』する形を……っ。お許しいただけないでしょうか……!」

 必死に頭を下げる娘の姿に、ディーゼルも慌てて援護射撃に入った。彼にとっても、娘が完全に王宮に軟禁されてしまっては、夜間の「極秘プロジェクト(新内燃機関の開発)」が進まなくなってしまう。

 

「む、娘の申す通りです! クロムハルト家の技術は、工房という土壌でこそ花開きます! 王都の邸宅からの『登城』――日中の教育と会談のみを王宮でこなし、夜は工房に戻る形であれば……王家の実益も損ないません!」

 イゾルデ子爵夫人は、細い眉をピクリと寄せ、書類に目を落とした。

 

 王妃の指示は「候補者を宮廷に閉じ込め、ルナリア派など外部の影響を断つこと」だ。

 だが、クロムハルト家の技術力という「実利」は無視できない。無理に環境を奪って娘を壊し、西の公爵家との関係(ひいては海運利益から還流する予算)に亀裂を入れるのは、王家の計算に合わない。

 彼女はゆっくりと息を吐き、冷徹な計算のもとに妥協の線を引いた。

 

「……王妃殿下のご慈悲により、特別に認めましょう。王都のクロムハルト邸からの『登城(通い)』を許可します」

「っ……!」

 ヴィオラと公爵の顔に、パッと希望の光が差す。

 だが、イゾルデの言葉は終わっていなかった。

 

「ただし、条件があります。第一王子殿下との定期的な交流――『週に三度の茶会と散策』。および、住み込みと同等レベルの『王妃教育の詰め込み式課程』を、すべて完遂すること。……万一、遅刻や態度に不備があれば、猶予なく直ちに『住み込み』に切り替えます」

 イゾルデの目が、刃のようにヴィオラを射抜いた。

 

「これが、王家の品位を損なわぬ、最低限の譲歩です」

「……っ、承知……いたしました……」

 ヴィオラは唇を噛み締め、深く頭を下げた。王妃教育の詰め込み。王子との強制デート(週三回)。スケジュールは絶望的なまでに過密になるだろう。

 

『でも、工房(ホーム)への帰宅権……自由時間だけは死守できたわ!』

 彼女の瞳に、深い疲労と、しかし計算された冷たさが宿る。これで「破談前提の資金調達」を実行する最低限の環境は整った。技術者の聖域を守るための、歪んだ、しかし絶対に必要な勝利だった。

 調整室の扉が静かに閉ざされる。外では、王宮の鐘が重く鳴り響いていた。

 

 王家の枠組みは、依然として鉄のように固い。だが、ひとりの天才技術者の「バグった生存本能」が、そこにわずかな亀裂(通い婚という特例)を生じさせたのだ。

 この小さな歪みが、完璧な王宮のシステムにどれほどの致命的なエラーを引き起こすか――まだ、誰にも予測できなかった。

 

 

 

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