リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 影のハッキング:灰かぶり姫のスキーム
完全な手詰まりを前に、ヴィオラが深い絶望の吐息を漏らした直後だった。
暖炉の炎を背にしたリュートが、静寂を切り裂くように、ひどく冷徹で、しかし絶対的な確信に満ちた声を落とした。
「君から婚約を破棄するから、王家への不敬になる。ならば……グラクト兄上に、『王家の品位を一切損なうことなく』婚約を破棄させればいい」
その言葉に、ヴィオラは弾かれたように顔を上げた。
「……は? グラクト殿下に破棄させる? そんなこと、あの王妃様や取り巻きの貴族たちが許すわけないじゃない! 私という『緩衝材』を手放せば、派閥の均衡が崩れるのよ?」
「ああ、普通に考えれば許さない。政治的メリットが皆無だからね」
リュートは一歩前へ歩み出ると、赤い瞳に微かな嗜虐の光を宿し、冷酷なハッカーのように唇を歪めた。
「だからこそ、彼らが自ら進んで君を手放さざるを得ない『大義名分』を盤面に仕込むんだ。政治的メリットを凌駕するほどの、圧倒的な感情と正当性……ヴィオラ嬢、君は『灰かぶり姫』の物語を知っているね?」
突然の童話の引き合いに、ヴィオラは眉をひそめた。
「ええ、知っているわ。身分違いの可哀想な少女が、魔法の力で着飾って舞踏会に行き、最後は王子様に見初められて結ばれる……美しくて非現実的なお伽話でしょう?」
「その通り。大衆が愛してやまない、運命の恋の物語だ」
リュートは冷たく頷き、言葉を続けた。それは、前世の法廷で検察官が矛盾を突く時のような、容赦のない論理の刃だった。
「……だが、これを現実の政治闘争として考えた場合、物語には決定的な『空白』が存在する」
リュートはわざとらしく一呼吸置き、ヴィオラの瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「王子が灰かぶり姫と結ばれた裏で、元々王子にあてがわれていたはずの『高位貴族の婚約者』はどうなると思う?」
ヴィオラはハッとして息を呑んだ。
童話では決して描かれない、権力構造の裏側。王子には当然、国益のために選ばれた婚約者が存在しているはずなのだ。
リュートは冷徹な事実を淡々と告げる。
「もしその婚約者が、身分違いの小娘に王子を奪われたと怒り狂い、彼女を害そうとすれば……王家の品位を傷つける『悪役』として処断され、実家ごと破滅するだろう。それが権力者の論理だ」
そこまで語ると、リュートは再び意図的な間を空けた。
「だが、もしその婚約者が……一切の怒りを見せず、気高く微笑んでこう言ったらどうなる? 『殿下の真実の愛のために、私は喜んで身を引きます。どうか、お二人の幸せを』と」
ヴィオラの脳内で、バラバラだった情報が一本の線で繋がった。
システムを内側から破壊する、極めて悪辣で完璧な「論理のバグ」。
「……彼女は、悲劇のヒロインになる。身分違いの恋というロマンチックな物語において、自らの立場を犠牲にして王子の愛を祝福した……気高く美しい『聖女』として称賛されるわ」
「ご名答だ」
リュートは満足げに微笑んだ。
「王宮は『品位』を絶対視する。ならば、自己犠牲という最高位の品位を見せつけた令嬢を、どうして不敬罪で裁けようか。裁けば、大衆の支持を得た真実の愛の物語に泥を塗り、王家自身が『悪』に堕ちる。つまり、大衆心理と品位のルールを逆手にとれば、王家のシステムは君を罰することができなくなるんだ」
ヴィオラは背筋にゾクゾクとする悪寒と、それ以上の高揚感が這い上がるのを感じていた。
『王家の敷いた絶対に逃げられない迷宮……その壁を壊すんじゃなくて、迷宮のルールそのものを逆手に取って、管理者(王家)に「出口の鍵」を開けさせる……!』
それはまさに、既存のシステム(人治)を熟知した上で、その構造的欠陥を突く「影のハッキング」だった。
ヴィオラは、目の前に立つ少年が、ただの不遇な王子などではないことを完全に理解した。彼は、この国のシステムそのものを根底から書き換えようとしている、冷酷な怪物なのだと。