リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 王妃の真意と、教え子のドライな仮面(反省会)
第一側妃ヒルデガード、第三側妃ソフィア、そしてグラクトが退出した後。
むせ返るような白薔薇の香りが漂う密室には、マルガレーテ王妃とヴィオラの二人だけが残されていた。
重厚な扉が完全に閉ざされたのを確認すると、マルガレーテ王妃は小さく息を吐き、先ほどの氷のような威圧感をふっと解いた。その瞳には、絶対的な管理者としての冷酷さではなく、手塩にかけた教え子に向ける静かな評価の色が浮かんでいた。
「見事でしたよ、ヴィオラ」
思いがけない称賛の声に、ヴィオラは僅かに目を瞬かせた。
「国家の外交リスクまで見据えた視野の広さ。そして何より、王宮の絶対的なタブーに論理だけで踏み込んだその胆力。西の公爵令嬢たる貴女の聡明さは、私の期待以上です」
「……恐れ入ります、マルガレーテ王妃様。ですが、私は……」
「ええ、分かっています。貴女はあの狂った制度に本気で嫌悪を抱いたのでしょう」
マルガレーテ王妃は残っていた紅茶を一口含み、初めてその内にある本音を覗かせた。
「私も、あれが人間を消費する悪習であることは理解しています。ですが、王家の安定を保つためには、時に『ガス抜き』という一定の手順を踏まねばならないのです」
王妃は静かに盤面の構造を語り始める。
「第二側妃ルナリアは、異国の出でありながら特別に離宮を与えられ、後宮のしがらみから外れた特異な存在となっています。保守派の貴族たちは、その特別扱いを快く思っていません。ここで王家が公式な序列を無視してまで彼女を守れば、保守派から一斉に激しい突き上げを食らうことになります。だからこそ、あくまで『正式な手順』を踏む必要があるのです。彼女自身に辞退させることで、保守派の不満を逸らすための通過儀礼として」
ヴィオラは黙って頷いた。王妃のロジックは、国家のバランサーとしては極めて正しい。
「ですが、ヴィオラ」
不意に、マルガレーテ王妃の声音が、厳しい指導者のそれへと一段階下がった。
「貴女の思考と論理は正しくとも、あの場での発言は少しばかり迂闊でした。会議の真の意義を理解し、表立って波風を立てずに上手くまとめることも、次期王妃として欠かせない手腕です」
王妃の氷青の瞳が、ヴィオラを真っ直ぐに射抜く。
「貴女の発言は極めて論理的でしたが、わざわざ保守派の筆頭である第一側妃ヒルデガードに聞かせ、彼女に『外交リスク』という新たな知見を与える必要はありませんでした。正論は強力な武器ですが、敵の前で自らの手札を晒し、緻密に保たれた派閥の均衡にイレギュラーな波風を立てるべきではない。……次期王妃として、発言の場と相手は見極めなさい」
それは、愛弟子を権力闘争の泥沼から守り、完璧な後継者として育て上げようとする、マルガレーテ王妃なりの不器用で真摯な助言であった。
『……なるほど。王妃様は本気で私のことを優秀な次期王妃として評価し、育てようとしてくれているのね』
ヴィオラは恭しく頭を下げ、真摯に教えを乞う態度を示した。
しかし、頭を下げた彼女の内心では、技術者としての極めてドライな計算式が弾き出されていた。
『でも、残念だけどその忠告は私には響かない。だって私、この欠陥だらけの王宮(システム)を管理する気なんて、最初から一ミリもないもの』
ヴィオラにとって、王妃教育も、この派閥均衡の維持も、すべては「後で気高く身を引くため」の布石に過ぎない。リュート殿下と結んだ自己決定の契約に基づき、最終的にはこの完璧な仮面を灰かぶり姫に譲り渡し、全権を放棄して研究室へ逃亡するのだ。
国を背負う覚悟を持つ王妃の教えは、この国を捨てるつもりの技術者には、どこか遠い世界のしきたりにしか聞こえなかった。
「……肝に銘じます、マルガレーテ王妃様。未熟な私に貴重なご助言を賜り、心より感謝申し上げます」
ヴィオラは一切のブレのない完璧な令嬢の微笑みを浮かべ、見事に「教えを乞う愛弟子」の台本(スクリプト)を出力した。
こうして、各々の思惑と決定的なすれ違いを孕んだまま、王宮の運命を狂わせる残酷な会議は、静かにその幕を下ろしたのだった。