リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 帝国の虎の論破
王妃からの非情な宣告と、グラクトの傲慢な視線を一身に浴びながら、ルナリアはわずかに赤い瞳を見開いた。
『……なるほど。ヴィオラ様の仰っていた通り、本当にこの狂った打診を「公式な手順」として通そうというのですね』
事前に知らされていなければ、ここで激昂して外交問題を引き起こしていたかもしれない。だが、相手の手札も王宮の意図も完全に把握しているルナリアは、一切の怯えも見せず、優雅なカーテシーをとったまま静かに口を開いた。
「過分なる光栄、身に余る思いでございます。……ですが王妃様、私は不適格につき、そのお役目をお受けすることができません」
その涼やかな最初の拒絶に、白薔薇の間の空気がピシリと凍りついた。
すかさず進み出たのは、第一側妃ヒルデガードである。彼女は扇子を優雅に打ち鳴らし、深夜の黒書庫で得たばかりの知識を武器に、ルナリアを無知な異邦人として見下した。
「……帝国の公爵令嬢たるルナリア様には、我が国の深遠なる歴史がご理解いただけていないようですわね。情交奉仕者という制度がいかに神聖で、名誉あるものかをご存知ないのでしょう」
ヒルデガードは、誇らしげに王国の伝統を語り出す。
「この制度は単に欲求を満たすためのものではありません。十五歳の学園入学を控えた未成年の殿下を、悪意ある甘い罠から確実にお守りする『絶対の盾』。そして、精神を導く『第二の母』となる極めて重大な役目なのです。これ以上の名誉がどこにありましょう? それをあっさりと拒むなど、いささか見識が甘いのではなくて?」
歴史の重みと教育という大義を掲げた、見事な演説であった。ヒルデガードは『これで異国の女も反論できまい』と内心で勝ち誇る。
しかし、ルナリアの美しい顔に浮かんだのは、怯えでもなく、感情的な制度批判でもない。相手の論理をそのまま首に巻き付ける、極めて冷徹な「政治の逆手」であった。
「……なるほど。それほどまでに神聖で、王家の未来を左右する名誉あるお役目なのですね」
ルナリアは優雅に首を傾けた。
「ならば尚更、理由は明確です。私は黒髪の異国人ですわ。純血と王家の伝統を至上とする保守派の皆様が、未来の国王の初めての導き手として『異国の血』を選ぶことなど、王家の品位に対する重大な矛盾ではありませんか?」
「……っ」
上座の王妃と、保守派の筆頭であるヒルデガードがわずかに目を細める。自らの派閥の存在意義(純血主義)を盾にされれば、彼女たちは口が裂けても「構わない」とは言えない。
「加えて、私は帝国公爵家の娘です。両国の友好の証として嫁いだ私を『避妊薬を服用させた慰み者』として扱えば、我が国はそれを名誉ではなく、明確な『属国扱い(侮辱)』と受け取ります。保守派の顔を立て、かつ帝国との無用な摩擦を避けるためにも、私はこのお役目に『最も不適格』であるはずです」
王妃の意図した「穏便な辞退」のラインを守りつつ、相手が絶対に反論できない完璧な政治的退路。勉強してきた歴史の大義名分を、現実の政治カードで完封されたヒルデガードは言葉を失った。
だが、ルナリアはここで終わらなかった。彼女は、当事者であるグラクトへと視線を向けた。その瞳に宿っていたのは、未来の王の成長を願うという建前に包まれた、極めて純粋で残酷な「一般論」であった。
「それに、グラクト殿下。殿下はいまだ十三歳、自らの情動を制御する術を学ばれる途上です。『いざとなれば相手が薬を飲んでいるから大丈夫だ』という安全な保険を与えられた環境では、真の自制心など育ちません。己の行動と結果に責任を持つこと。それは、年端のゆかぬ市井の子供たちでさえ、日々の生活の中で転びながら学んでいく当たり前の義務です」
ルナリアの心中には、自らの足で立ち、論理を以て世界を生き抜こうとする愛しき子供たちの姿があった。だからこそ彼女は、「どんな子供でも成長の過程で当然身につけるべき最低限の自律」として、ごく当たり前の真理を口にした。
「失敗させないための無菌室で、情動の処理を他者に委ねてはいけません。殿下には、自らの意志で欲望を律する強い王になっていただきたいのです。……その未熟な歩みを助け、立派な大人へと導くのは、他でもない実のお母様の神聖なるお役目でしょう」
ルナリアは最後にヒルデガードへ視線を向け、「ご自身の大切な息子様なのですから、どうかご自身の手でしっかりと教育なさってくださいませ」と、微笑みかけた。