リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 ソフィアの立候補
重厚な扉が閉まり、帝国の虎が去った白薔薇の間には、ひび割れた自尊心と歪な沈黙が落ちていた。
『……すべて想定通り。王妃様が描かれた「穏便な辞退」という盤面通りに事は運んだわ』
魔導卿の家系に連なる知性派、第三側妃ソフィアは、伏せた睫毛の奥で冷徹に計算を巡らせていた。
王妃が内心で安堵していることも、ヒルデガードが屈辱で硬直していることも、彼女には完全に読み切れている。ここで「王妃様」と名指しで慰めれば、この茶番の真意(アリバイ作り)を理解していない愚か者だと思われる。かといって、ヒルデガードだけを慰めれば無用の角が立つ。
ゆえに、ソフィアは誰の名も呼ばず、ただ室内の淀んだ空気を浄化するように、春の陽だまりのような甘く柔らかな声を響かせた。
「どうか、御心をお鎮めくださいませ」
ソフィアは衣擦れの音も立てずに優雅に歩み出ると、深い憂いを帯びた表情で首を振った。
「あの帝国の女に、王族の繊細な御心を理解することなど、最初から無理な相談だったのです。自らの非礼を正当化するために詭弁を弄する者に、我が国の輝かしい未来をお任せするなど、到底できることではございませんわ」
そして、ソフィアはそっとグラクトの前へと歩み寄り、膝をついた。十三歳の少年の目線に合わせ、とろけるほど甘い瞳で彼を見つめる。
「グラクト殿下は何も間違っておられません。あのような無理解な言葉に、御心を痛める必要など一切ないのです。殿下は神の子であり、誰よりも気高く、素晴らしい方……。すべては、あの女が見識不足であっただけのこと」
ルナリアの氷のような正論に打ちのめされ、自我が崩壊しかけていたグラクトにとって、ソフィアの差し出した「無条件の肯定」は、砂漠で見つけた甘露も同然であった。
「……ありがとうございます、ソフィア妃」
グラクトは、ソフィアの柔らかな手にすがりつくように力を込めた。その瞳からは先ほどの屈辱の涙が引き、代わりに、自分を無条件で肯定してくれる存在への盲目的な熱が宿り始めていた。
「ああ……あなたこそが、僕に相応しい」
少年は、自らの意思で甘い蜘蛛の巣へと絡め取られていく。
グラクトの心身を完全に掌握したことを手の中に感じながら、ソフィアはゆっくりと立ち上がり、上座のマルガレーテ王妃へと向き直った。
息子の精神的な依存先を奪われたヒルデガードを横目に、ソフィアは完璧な淑女の礼をとる。彼女にとって最も重要なのは、この盤面の絶対的支配者である王妃からの「正式な承認」を得ることだ。それがなければ、すべては絵に描いた餅に過ぎない。
「王妃様。もしお許しいただけるのなら……魔導卿の血を引くこのソフィアが、傷つかれた殿下の御心を癒やし、お守りするという聖なるお務めを、喜んでお引き受けいたしますわ」
それは、ルナリアが手放した役目を引き継ぐという、王妃にとっても最も安全で合理的な「予定調和の提案」であった。
マルガレーテ王妃は、静かにソフィアを見下ろした。王妃の冷たい瞳と、ソフィアの優しげな瞳が交錯し、互いの高度な政治的打算が音もなく通じ合う。
「……魔導卿の娘たる貴女であれば、王家の伝統と、殿下の繊細な御心を正しく理解していることでしょう」
王妃は、事もなげに頷いた。
「ソフィア妃。第一王子グラクトを導く情交奉仕者の任、貴女に命じます。ゆめゆめ、その期待を裏切ることのないように」
「はっ。身命を賭して、殿下にお仕えいたしますわ」
ソフィアは深く頭を下げた。
王妃の承認という絶対の免罪符を得て、グラクトをヒルデガードの手から完全に引き剥がした第三側妃。その伏せられた口元には、王宮の新たな権力を手中に収めた、妖しくも美しい毒蜘蛛の笑みが浮かんでいた。