リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

95 / 315
第3話『論理の刃5』

5 ヴィオラの沈黙と葛藤(すれ違う歯車)

 

(数日前――離宮、ルナリアの私室)

「……というわけで。数日後の茶会で、ルナリア様に『殿下の情交奉仕者となれ』という公式な打診が行われます。ヒルデガード様が仕組んだ罠です」

 ヴィオラは声を潜め、王宮の裏で進められているシナリオをルナリアに告げた。

 

 話の内容が「王族の性的なお役目」という生々しいものであったため、十二歳のリュートには「大人の政治のお話ですから」と一時退席してもらっている。

 室内に残っているのは、ヴィオラとルナリア、そして本宮での仮面を外し、冷たい瞳で茶器を見つめているリーゼロッテだけであった。

 

「……実の息子に、父の側妃をあてがうという王宮の狂った制度。第一側妃は、その正当性を盾にしてルナリア様を完全に支配下に置き、兄様の王位を盤石にするおつもりなのですね。反吐が出ます」

 リーゼロッテが、冷徹な政治的打算と、それに利用される制度そのものに心底からの嫌悪を滲ませる。離宮勢力にとっても、グラクトの王位継承は生存圏確保のための大前提であるからこそ、この盤面は厄介だった。

 

 しかし、当のルナリア本人は、優雅に紅茶のカップを傾け、ふわりと余裕の微笑みを浮かべていた。

 

「ご心配には及びませんわ、ヴィオラ様、リーゼ。……相手がどのような大義名分を用意しようと、反論できない政治的理由(建前)をもって、優雅に辞退するだけのこと。何も問題はございません」

 ルナリアの頼もしい言葉にホッとしつつも、ヴィオラにはふと別の疑問が浮かんだ。

 

「あ、あの……ちなみに、同じ年頃のリュート殿下の……その、情動の管理などはどうされているんですか? 本宮の者がそこを突いて、彼に情交奉仕者を送り込んでくる可能性は……」

 すると、ルナリアは全く悪びれずに微笑み、背後に控える護衛のルリカに視線を向けた。

 

「問題ないわよね、ルリカ?」

「はい。リュート殿下は夜な夜な、ご自身で適切に『処理』されておりますので、付け入る隙はございません」

 ルリカの淡々とした報告に、ヴィオラは純粋な心配から一転、「あ、はい……」と口ごもった。

 

『そっか、いくら頭の回転が早くて大人びて見えても、中身は普通の思春期の男の子だもんね……お疲れ様です』

 ヴィオラは、少しばかり同情の混じった生温かい目を向ける。

 一方、兄を完璧な存在として信じ切っていたリーゼロッテは、ボンッと音が鳴りそうなほど顔を真っ赤にして硬直していた。

 

「お、お兄様が……ご自身で……ふ、不潔ですわ……っ!」

「男の子だもの、当然よ」

 鷹揚に笑うルナリア。

 この場において、彼女たちにとってこの問題はその程度の「よくある生理現象」に過ぎなかった。だからこそ、ルナリアもヴィオラも、王宮の狂気をどこか甘く見てしまっていたのだ。

 

   ◇

 

(現在――白薔薇の間)

「では、私はこれにて失礼いたします。……殿下の健やかなるご成長と、王家の弥栄を、心よりお祈り申し上げますわ」

 

 バタン、と。

 ルナリアが優雅に退室し、重厚な扉が閉まる。

 一部始終を壁際で見届けていたクロムハルト公爵令嬢ヴィオラは、表面上は完璧な貴族の微笑みを貼り付けたまま、内心で盛大な頭を抱えていた。

 

『ルナリア様、完全論破! ぐうの音も出ないほどの完璧なロジック! ……でも、ああもう、面倒なことになった!』

 王妃が「穏便な辞退」として裁定した以上、ヒルデガードが即座に暗殺といった物理的暴挙に出ることはない。ルナリアも王妃も、そこは「論理的な損得勘定」で線引きをして高を括っている。

 

 だが、前世の記憶を持つヴィオラは、理不尽な人間関係のバグ(嫌がらせ)の恐ろしさを知っていた。

 

『この狂った王宮で、正論で管理者のプライドをへし折ったら、絶対に面倒な裏工作をしてくるのに。直接的な手出しはなくても、あのヒルデガード様のことだから、ネチネチと陰湿なちょっかいをかけてくるの確定じゃない……』

 さらにソフィアがちゃっかりとグラクトを取り込んでいるのを見て、ヴィオラの中で葛藤が生まれた。

 

『……このお茶会の詳細、やっぱりリュートにも相談しておくべき? あの子、王宮の陰謀に囲まれて育ったせいか妙に勘が鋭いし、言えば何か良い対策案を思いつくかも……』

 だが、ヴィオラはすぐにその考えにブレーキをかけた。

 

 ヴィオラは前世の記憶を持つ、精神的にはとうに成人を超えた女である。対するリュートは、優秀とはいえまだ十二歳の普通の少年だ。

 いくらなんでも、「第一側妃がお前の母親を、お前の兄の性処理兼教育係にしようとして論破された」などというドロドロの昼ドラ以上に生々しく醜悪な話を、思春期真っ盛りの少年に直接するのには、日本人としての強烈な抵抗感(倫理観)があった。

 

『私自身、あの子から「自分の足で立て」って背中を押されたばかりじゃない。何でもかんでも彼に頼ろうとするのは違う。……ルナリア様も自信満々だったし、王妃様もリスクヘッジしてくれたんだから、当面は私たちが注意して見ていれば大丈夫なはず』

 それが、ヴィオラの出した結論だった。

 

 理知的な者たちが「愚者の感情」を侮った隙。そして、ヴィオラが「良識ある大人」として引いた境界線。

 その小さな判断の保留が、リュートから「最悪の事態(ルナリアの暗殺)を未然に防ぐための情報と時間」を奪うことになるとは、この時のヴィオラは知る由もなかった。

 

 白薔薇の間に満ちる、権力者たちの歪な熱気。

 この日、リュートに相談しなかったという些細な引け目は、やがて取り返しのつかない悲劇を以て彼女の魂を打ち砕き、一生消えない『贖罪の十字架』として、彼女を冷徹な王妃教育へと駆り立てていくことになるのである。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。