リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第4話『毒蜘蛛の囁き2』

2 歪められた真実と、殺意のコントロール

 

「王宮の……闇……? 第一側妃殿下、それはどういう……」

 真っ直ぐで単純な猟犬は、ヒルデガードの垂らした「見えない敵」という名の蜘蛛の糸に、見事に食いついた。

 ヒルデガードは周囲に人がいないことを確認するように伏し目がちになり、重々しく、そして身内への甘えを孕んだ声で口を開いた。

 

「……セオリス。私の可愛い甥であり、グラクトの絶対の盾である貴方にだけは、真実を知る権利があります」

「叔母上……グラクト様に、一体何があったのですか!」

 肉親としての情に訴えかけられ、セオリスの声に焦燥と鋭い殺気が混じる。ヒルデガードは目頭を押さえ、極秘であるはずの『情交奉仕者選定の茶会』での出来事を意図的に漏洩し始めた。

 

 そして、ルナリアが放った「論理的で正当な辞退」の言葉を、悪意という猛毒で原型をとどめないほどに歪曲し、盛り立てていく。

 

「数日前の茶会で……グラクトを導く神聖な情交奉仕者の任を、あの帝国の女、ルナリアに打診しました。しかし彼女は、その名誉ある務めを鼻で笑って拒否したのです。そればかりか、グラクトの顔を指差し、こう罵りました」

 ヒルデガードは、悲痛な声色を作りながら、わざと支離滅裂な矛盾を孕んだ言葉を紡ぎ出した。

 

「彼女は言いました。『グラクト殿下は、女を薬漬けにしなければ己の欲望も満たせない、見境のない野蛮な獣だ』と。そのくせ、『自分の足で立つこともできない、母親の陰に隠れて怯えるだけの去勢された哀れな赤子だ』と……!」

 

「なっ……!?」

 制御の利かない野蛮な獣だと罵りながら、同時に去勢された怯える赤子だと蔑む。冷静に聞けば、人物像が完全に破綻している矛盾だらけの悪口である。

 さらにヒルデガードの言葉はエスカレートしていく。

 

「さらにあの女は、グラクトの髪を見て言いました。『黒髪の私のような優秀な帝国人が、ローゼンタリアのブロンドのような、出来損ないの血統の相手などする価値もない』と……! ええ、彼女は憎悪に満ちた金切り声を上げながら、同時に氷のように冷たく、グラクトを見下して嘲笑っていたのです!」

 金切り声を上げながら、同時に冷たく嘲笑う。もはや物理的にも状況的にもおかしな描写であった。理知的なヴィオラやリーゼロッテが聞けば、一瞬で「話が盛られすぎている(嘘だ)」と見抜くような三流のデマカセである。

 

 ヒルデガード自身、怒りに任せて言葉を並べ立てたため、自分の作り話が矛盾していることには気づいていた。だが、相手は純粋培養された「脳筋」の甥である。これくらい分かりやすく誇張した方が、彼の導火線には火がつきやすいと理解していた。

 そして、その計算は完璧に的中する。

 

「グラクト様を……獣と呼び、赤子と蔑み……さらには我ら誇り高き血統を出来損ないと……!?」

 セオリスの脳内では、ヒルデガードの語る明らかな矛盾など、一切処理されていなかった。

 

 彼の耳にはただ、「見境のない獣」「哀れな赤子」「出来損ないの血統」「嘲笑った」という、主君を貶める暴力的なキーワードだけが突き刺さっていた。思考力を持たない猟犬にとって、複雑な論理の整合性などどうでもいい。ただ「グラクトが帝国の女に侮辱された」という事実だけが、彼の脳髄を真っ白に焼き焦がしていく。

 

「あの子は、生まれて初めてあのような醜悪な悪意をぶつけられ……男としての純粋なプライドを、これ以上ないほど残酷に踏み躙られたのです。だから、あのように……」

 ヒルデガードがわざとらしく嗚咽を漏らすと、セオリスの両眼が一瞬にしてドス黒い怒りで血走った。限界まで握りしめられた木剣の柄が、彼の常軌を逸した握力によってミシミシと悲鳴を上げ始める。

 

「……あの、異国の雌犬が……ッ!!」

 理性を完全に手放した猟犬の殺意が、道場の空気をビリビリと震わせた。

 

 ギリギリ、ミシッ……。

 極限まで圧縮されたセオリスの怒気が、握りしめられた樫の木剣にひび割れを生じさせる。

 その獣のような荒い息遣いを聞きながら、ヒルデガードは『よし、あともう一息ね』と冷酷に計算し、とどめとなる「決定的な一撃」を放った。

 

「私が……いいえ、グラクト本人が最も許せなかったのは……」

 ヒルデガードは、さも思い出すだけで身の毛がよだつというように、自らの腕を抱きしめて震えてみせた。

 

「あの女が、グラクトの顔をまじまじと見つめて……『クスッ』と嘲笑ったことです。まるで、おむつも取れていない哀れな赤子を汚い物を見るかのように蔑み、鼻で笑ったのです。……誇り高き、神の子であるあの子を……っ」

 

 バキィィィィッ!!

 道場に、破裂するような凄まじい音が響き渡った。

 セオリスの手の中で、訓練用の分厚い樫の木剣が、握力だけで無残に真っ二つにへし折られていた。砕けた木片が床に散らばるが、彼の手のひらに刺さったトゲや流れる血など、今のセリオスは微塵も感じていなかった。

 

「……殺す……ッ!!」

 喉の奥から絞り出されたのは、人間の言葉というより、理性を完全に喪失した狂犬の咆哮だった。

 主君の誇りを、男としての尊厳を、「クスッと笑う」というこれ以上ないほどの侮蔑で踏み躙った異国の女。グラクトがどれほどの血の滲むような鍛錬に耐え、己を高めようとしてきたか、誰よりも間近で見てきたセリオスにとって、それは天地がひっくり返っても絶対に許されない大罪であった。

 

「今すぐあの離宮に押し入り、あの雌犬の首を刎ねてやる!! グラクト様を愚弄した罪、その命をもって贖わせてやるッ!!」

 血走った目で道場の出口へと歩み出そうとするセオリス。

 だが、ヒルデガードは悲痛な顔を作り、すかさず彼の屈強な腕にすがりつき、優しく、しかし確固たる力で制止した。

 

「いけません、セオリス! 早まっては駄目!!」

「お放しください、叔母上! この剣の誓いにかけて、あの女は絶対に生かしておけません!!」

 

「貴方の忠義は痛いほど分かります! ……ですが、彼女は帝国の公爵令嬢。もし明白な理由もなく命を奪えば、強大な帝国との間に取り返しのつかない戦争が起きます! それこそ、グラクトの王としての立場も、命すらも危うくしてしまうのです!!」

 ヒルデガードの言葉に、セオリスの足がピタリと止まった。

 

「帝国との戦争」や「外交問題」といった複雑な政治的リスクを彼が深く理解したわけではない。ただ、「グラクトの立場と命が危うくなる」という一点だけが、彼の暴走に強烈なブレーキをかけたのだ。

 セオリスが奥歯を噛み締め、悔しげに顔を歪めるのを見計らい、ヒルデガードはさらに彼を深く洗脳の沼へと引きずり込む。

 

「それに……よく考えてみなさい、セオリス。ただ一太刀で殺したところで、グラクトの傷ついた心は救われるでしょうか?」

「……え……?」

 

「一瞬の死など、あの女にとっては『苦痛からの逃避』に過ぎません。命を奪ったところで、あの子が受けた『見下された』という屈辱の記憶は決して消えない。殺すだけでは……グラクトの奪われた誇りは、永遠に戻ってこないのですわ」

「な……ならば、どうすれば……! あの女に、グラクト様の受けた屈辱をどう償わせろというのですか!!」

 血の涙を流さんばかりのセリオスの叫び。

 

 ヒルデガードの放った毒は、完璧に彼の「忠義の形」を歪め、そして彼自身に「最悪の答え」を導き出させるための土壌を完成させた。

 

 

 

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