溶岩近くの着陸ポートに、〈シナトベ〉が爪のような脚を食い込ませるように降り立った。ナーシャが先導し、アスタラはバブ・フラワーの入った貨物を抱えてランプウェイで降りてくる。
ところが外に出た瞬間、アスタラの鼻の奥に刺さるような腐臭が広がった。
「きついな……」
「確かにね。私はもう慣れちゃった」
ナーシャは〈シナトベ〉の燃料パイプに、ポート備え付けの給油用のパイプを差し込む。メーターの数値が上がっていく。
「これは取引での報酬で足りるから。さあ行きましょ」
そう言ってポートを歩く二人。背後の〈シナトベ〉のコックピットでは留守番を命じられたダイスが不満げに両アームを振り回していた。
「あんたはここで待機。
ナーシャが
そこには、赤茶けた荒野には不釣り合いなほど、無数のネオンで飾られた巨大な城のごとき建物がそびえ立っていた。
「ユヤは火山惑星。地下を流れる水が地熱で温められて、極上の温水になるの。銀河中の客が、疲れを癒しにこの『グランドホテル・アブラヤ』の温泉にやってくる」
「まるで山だな……」
「中は欲望の街よ。くれぐれも飲まれないようにね。さあ、行きましょ」
城門のようなゲートを潜ると、途端に硫黄の臭いが消えた。巨大な換気ファンが唸り、清浄な空気を絶え間なく送り込んでいた。
内部は、ペテの騒がしい混沌とはまた異なる、洗練された狂乱に満ちていた。演劇、芸術、スポーツ、そして際限のないギャンブル。建物に近づくにつれ、
風俗店の前で、アスタラが異星人の女性たちから熱い視線を送られると、ナーシャがすかさず間に入って追い払った。
「──金さえあれば快楽も買える。食事や
彼女が意味ありげに笑った──どこからか悲鳴と、粘着質な何かが丸呑みにする音が響いた。壁には触手を伸ばす巨大な怪物の影が揺れている。
「あれは……まあ、餌だけど」
ナーシャは苦笑いしながら、正面入り口を避けて、従業員用と記された勝手口へとアスタラを導いた。
「バブ・フラワーはお湯に入れるとすごくいい香りを放つ入浴剤になるの。効果も美肌やら疲労回復やら……とにかくすごくて。でも地理的にややこしい惑星にしか自生しなくて。だからクライアントは大金を出すの」
ナーシャは勝手口の端末を慣れたように操作し、ドアを開けた。
「慣れているのか?」
「まあ……昔、ここで働いてたから」
ナーシャの思わぬ経歴に驚きながらアスタラは中に誘導される。ドアが閉まると一気に薄暗くなった。ナーシャがペンダントを握りしめ大きく息を吐く。
「緊張しているようだな」
「分かる? 取引相手が昔の上司とは言えね……威圧感が凄いから。会っても驚かないでね」
そう脅かされつつ二人で横にパイプが伸びる細長い作業用通路を進む。
「……ナーシャ? ナーシャじゃねーか!」
ふと明るい声に不意に呼び止められた。見れば休憩室からピンク色の従業員服を着た、釣り目の女が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「チリさん!」
ナーシャが満面の笑みで彼女と抱き着き合う。
「元気にしてたか! 今日はどうしたんだよ?」
「ヴァバに荷物を届けに来たの」
「あぁ。ヴァバなら天守にいるはずだぜ。……ところで、こいつは?」
チリがアスタラを値踏みするように見てきた。アスタラは丁寧に会釈を返す。
「ウチの新しい船員」
「へぇ……! なかなかの男前じゃん」
するとチリがナーシャを部屋の隅に追いやった。
「もしかして……お前の『コレ』か?」
ニヤリとして親指を立てる。
「ち、違うってば!」
「ほーん──おーい、みんな! ナーシャが男を連れてきたぞー!」
「えっ⁉」
チリの叫び声に応じるように、興味を持った奥からゾロゾロと女従業員が現れた。彼女たちはアスタラを見るなり、黄色い悲鳴を上げる。
「本当だ! いい男!」
「どこから来たの?」
「名前は?」
気づけば、二十人近い女に囲まれていた。
「アスタラと申します。遠い星から参りました」
「今夜は泊まっていかないの?」
「生憎、一文無しですので」
「その腰の物、何?」
「自衛の──」
律儀に質問に答えるアスタラを救い出すべく、ナーシャが必死に割って入る。
「あーはいはい! みんな仕事に戻って! 休憩時間は終わり!」
「もう少しぐらい良いじゃない!」
騒ぎ立てる女性陣を必死に抑え込みながら、ナーシャが叫んだ。
「アスタラ……先に行って……! 廊下の突き当たりにあるエレベーターで最上階……! ドアの目が開いたら、『ヴァバに荷物だ』って伝えて!」
「目……?」
混乱したまま、アスタラは廊下奥のエレベーターへ入る。ドアが閉まる直前まで、女性たちの賑やかな声が響いていた。
エレベーターが開いた。賑やかな地上階から一転、静かな空間に出る。たくさんの調度品に囲まれながら、大きなドアの前に立つ、開けようとした──ドアの目の模様が開く。ドア用の警備ドロイドの目がアスタラに睨みを利かせる。
「……ヴァバ様に荷物を届けに参りました」
ナーシャに言われたそのままを伝えると、笑い声のような電子音と共に両開きのドアが荘厳に開いた。
これまた静かでさまざまな美術品が飾られた薄暗い廊下を進む──その内、カーテンで仕切られた広間に出た。荷箱を持ったまま辺りを見回していると、野太く低い声が響いた。
〈誰だい。ノックも無しに部屋に入ってきた礼儀知らずは?〉
一点にスポットライトが当たり、そっちに目を向けるとカーテンが開く。そこには口元に一メートル近い長キセルで
「……ヴァバ様とお見受けいたします」
〈いかにもそうだよ。あたしがユバ・ジェネバ・ヴァバだ。……なんだいお前さんは? 舞台役者になりたいなら地上階だよ〉
聞き覚えのある言葉だが、意味は分からない。
「ヴァバ様に荷物を届けに参りました」
言われたことを繰り返す。
〈……お前さん、誰からの遣いだい?〉
「ナーシャから言われました」
とりあえず雇い主の名前を出す。
〈ナーシャ?〉
「はい」
〈あいつが寄越したのかい?〉
「彼女があなたに荷物を届けろと」
会話がすれ違ったまま進んだ。部屋を沈黙が包む。
「やれやれ、ベーシックなら分かるのかい?」
「分かります」
やっと会話が成立したところで廊下を速足で歩く足音がした。ヴァバがたばこの煙とともにため息を吐く。
「まったく。廊下は走るな、って口酸っぱく言ったんだがねえ……」
「ごめん。お待たせ!」
ようやくナーシャの登場だ。どうにかアスタラについていこうとした女性陣を止められたらしい。
〈久しぶりね。ヴァバ〉
〈なんだい、飛び立った小鳥が戻ってきたのかい〉
「何よ。その言い方、仕事を頼んできたのはそっちでしょ」
軽口を叩きながら、アスタラが持っている荷物を指差す。
「はい。約束のバブ・フラワー。アスタラ、机に置いて」
言われた通りに置くと、ナーシャが蓋を開けた。中身の純度の高いバブ・フラワーを見せる。だが、ナーシャは異変を感じた。いつもなら喜ばずとも感謝はするヴァバの表情が変わらなかった。
「……ヴァバ?」
〈悪いが。お前さんにこれ以上、仕事を任せられない。ウチはここで手を切らせてもらうよ〉
「は? なんで……?」
その疑問にヴァバはタブレットを投げて寄越した。
〈お前さんがブラックリストに入ってるから〉
「……はあ⁉︎」
寝耳に水の話に、目を見開いてタブレットを確認する。アスタラも覗くと、そこにはナーシャ・ナジカと刻まれていた。
〈お前さん見ないうちに何したんだい?〉
「何もしてない! と思うけど……」
視線を泳がせるナーシャに、会話が分からず、アスタラは成り行きを見守るしかなかった。
「あり得ないって! いきなりブラックリスト入りなんて!」
〈どうせ、誰かとやりあったんだろう〉
その言葉にナーシャが黙り込む。ベルマンとの件があった。
〈やっぱりね。あんたはいつも荷物じゃなくて、トラブルを運んでくる〉
ヴァバはのそのそと巨大な体を揺らすように歩きながらナーシャの所まで来る。
〈でも、どちらにせよ。これとは別口で手は切るよ。この前、バブ・フラワーの大量生産ができるって相手が来てね〉
「量産……? バブ・フラワーを……? そ、そんなホラ吹いたのはどこのどいつよ!」
〈タドラ・インダストリアル〉
「っ⁉」
「……タドラ……」
ナーシャが息を呑み、アスタラがその名前をつぶやく。ヴァバが控えていた秘書ドロイドにコンテナを持って来させる──そこには、あの二つの歯車のマーク。中には本物と寸分違わぬように見えるバブ・フラワーがあった。
〈長持ちはしないが成分はほとんど変わらない。欲しい時に、欲しい分だけ。ノーフェイからの不確実な輸送よりよっぽど安く済む〉
「……相変わらずの利己主義で安心したわ」
〈当たり前さね。あんたと違って、こっちは何万人と従業員を雇ってるんだ。費用が安く済むならそっちの方を選ぶさ〉
「……じゃあ、これはどうなるのよ」
二人が持ってきた方を見るとヴァバはナーシャに小袋を手渡す。開いて中身を見るといくらかのクレジット。
「これって……! 燃料と食事代くらいしかないじゃない!」
〈払ってもらえるだけ、十分だろうさ〉
「……分かったわよ。つまり、私を切るってことね!」
〈これで二回目だね〉
ヴァバが皮肉交じりに笑う。
「うるさい!」
ナーシャが敷かれた絨毯を踏み潰さん限りに、足を上げ足音を立てて部屋から出ようとした。
〈……タドラには気をつけなよ〉
〈お世話になりました! クソババア!〉
ナーシャは振り返ってそう言うと、胸に手を当ててお辞儀して出て行った。ヴァバは体に対して指輪だらけの小さく細い指でその背中を指す。
〈お前さんともあろう者が、そんな言葉遣いをするんじゃないよ。あたしがハット族でも寛容なことに感謝すべきだね〉
一方で、よく分からないまま置き去りにされたアスタラ。ヴァバはナーシャの後ろ姿を見ながら言った。
「お前さんは、客としてなら迎えてやる。さあ、用が済んだんだ、とっとと出てきな。どうせあの
「……失礼します」
頭を下げて後を追う。
〈まったく、いつまで経っても子供のままだね〉
「えー、もう行くのか?」
「うん。しばらく来れないかな……」
あの休憩室の前を通りがかり、ナーシャがそう伝えると女性陣が落胆の声を上げた。
「寂しくなるぜ……ナーシャ」
「私も。チリさん」
「お兄さんはいつでも遊びに来てね!」
「機会があれば」
その答えに再び黄色い歓声が上がった。
「じゃあ待たねー!」
「うん、また! ほら行って……!」
もたもたしているとついてきそうな雰囲気だったため、ナーシャはアスタラの背中を押し、アブラヤの外に出た。
「……これからどうする気だ?」
路地裏での問いにナーシャが頭を掻く。
「私、今、所属してる会社からクビにされたも同然なの。どうなってるのか確かめるために、一旦コリコーに戻らないと……」
〈シナトベ〉が待つ着陸ポートに向かう──ナーシャの目の前をアスタラが手を置いて塞ぐ。
「何、どうしたの?」
「教えて欲しいことがある。タドラについて」
アスタラは意を決して尋ねた。もう、聞いていいだろうと思ったからだ。ナーシャは眉をひそめて答える。
「……この辺りの宙域を支配してると言ってもいい巨大企業。あちこちの星を資材にして、自然を破壊し続けてる。どうして?」
「星を殺しているということだな。これに見覚えはないか?」
例の紋章が刻まれた破片を差し出した──その瞬間、路地の空気が凍りついた。
「それ……どこで……?」
「私の故郷を襲ったウォーカーの腹に刻まれていた物だ」
アスタラの真剣な問いに、ナーシャは喉を震わせ重い口を開いた。
「……それは、タドラ・インダストリアルのロゴマークよ……」
「やはりか……」
そのままナーシャは口を
「……まだ、何か隠していることがあるのだな?」
「隠してなんか──!」
「ならばなぜ、私に悲しみと同情の念を向ける」
その指摘にナーシャはギョッとしてアスタラを凝視した。
「何言ってるの……?」
「話せ。このかけらはタドラのウォーカーが私の故郷を襲った証だ。それを倒したことで、私は故郷から追放された」
「追放⁉ どうして……?」
アスタラは右腕のグローブを外して、痣を見せつけた。それを見たナーシャは言葉が出なかった。その代わりにグローブを元に戻して痣を隠す。
「そなたも見た、力のせいだ。制御できぬ力が、私を異端へと変えた」
「そう、だったの……」
「教えろ。何を隠している」
詰問するアスタラにナーシャは口をもごもごと動かした──そこに歓楽街の喧騒を切り裂くようにエンジン音が響いた。何事かと上を見れば、一機の金の装飾が施された小型艇が通り過ぎていく。ナーシャが
「嘘っ、タドラの社長機じゃない……!」
「社長……つまりタドラの王ということか」
向こうでは社長機が人で行き交う大通りに我が物顔で着陸した。なんだなんだと大騒ぎになっている。アスタラはそのまま大通りへ向かおうとする──ナーシャが手を摑んで止めた。
「どこ行く気⁉︎」
「そなたが話さぬのなら、直接本人に尋ねる」
その手を振り払い、呆然とするナーシャを置いて、大通りへ出て行った。
傍若無人に着陸した社長機から、ビジネススーツに身を包み、純白のマントを羽織った、右腕が金色の義手の男が降りてくる。顔が色白く細面で、病弱そうな印象を与えるがその眼光は鋭い。その背後に屈強そうなドロイドの護衛が十台ほど規則正しく並ぶ。
「社長。いかがいたしましょうか?」
傍に来た秘書のプロトコルドロイドが尋ねた。だが、タドラの目は既にある一点を捉えていた。
「不要だ。向こうから来た」
ざわざわと騒ぐ野次馬たちを間を抜けて、アスタラがタドラの前に姿を見せる。
「その姿。まるで
「我が名はアスタラ。はるか彼方の星から、この地に来た」
「私たちはあの星をエイゾと呼ぶ」
「……そなたは星を殺すという国の王か?」
「ずいぶんと
タドラは古めかしい言い回しに笑いそうになり、口を黄金の手で隠した。
「ともかく、一度、君とは話がしたかった」
「私もだ。なぜ我が故郷を襲った?」
「その件だ──我が社の利益のためだ。エイゾには珍しい鉱石があることが分かった。採掘しようとして……君に邪魔された。我が社は被害を
淡々と損害を語るタドラの言葉にアスタラの目の色が変わる──赤く縁どられた黄色に。
「……そなたは機械の力を使い、さらに他の地を汚そうというのかッ!」
右手がセーバーの柄に掛かる。
「私を殺す気か?」
「ああ……その通りだッ!」
白い光のセーバーを抜く。野次馬たちが我先にと逃げ出す。
「交渉決裂だな──やれ」
タドラは苦笑した次の瞬間に、冷徹に言い放った。ドロイドたちが腕を槍のように伸ばすとアスタラに迫る。だが、一太刀で一体ずつ切り落としていく。瞬く間に十体を切り、後はタドラだけ──背後で気配がした。
振り向くと切ったはずのドロイドが互いにぐちゃぐちゃと水音を立てて一回り大きくなる。
「っ⁉」
「液体金属を相手するのは初めてか? 急ごしらえにしては悪くないだろう。対お前用の捕獲ドロイドだ」
斬るが、切断面がぬるりと動き、すぐに繋がる。理力でも水に息を吹くように、効いている様子が無い。気づけばはるかに大きくなって斬られた断面が触手のように伸びる。次の瞬間、アスタラの四肢に絡みつき、地面へと縫い止めた。
「ぐぅっ……!」
アスタラの顔の前にスラックスの足が立つ。
「名乗るのが遅れたな。私の名はタドラ・シャナック。銀河の近代化を果たす者……いずれお前たちの古き力も文明も機械化の先に消し去ってやる」
そうほくそ笑むタドラにアスタラは呻きながら叫ぶ。
「……そなたの目には……私への
「何?」
「なぜ……そのように私の力や自然を恐れる……⁉」
「……黙れ」
「でなければ、私を
「黙れ」
「恐れるな……共に……生きるべき──!」
「黙れ小僧! 貴様に私の何が分かるッ!」
無表情を貫き通していたタドラの顔色が豹変した。白い顔が、内側から燃えるように赤く染まった。握りしめられた金色の義手からは、モーターの悲鳴か、あるいは彼の激情そのものか、ミシミシと硬質なきしむ音が響いた。
タドラは感情を剥き出しにし、アスタラの髪を乱暴に引っ張り上げると、その至近距離で顔を突き合わせた。
「この右腕、ただの
手を離すとドロイドに向かって叫ぶ。
「減らず口を叩けないように首を切り落とせ!」
アスタラの首の上に液体金属のギロチンが形成される。
〈困りますよ。店の前でそんなに暴れられたら〉
野太い声が処刑を止めた。見れば、移動用のキャリアーに乗ったヴァバがブラスターを持った従業員たちとともに現れたのだ。
「……ヴァ、バ、様……!」
「構うな主人。そちらには関係の無い話だ」
ヴァバが嘲るように笑う。
〈店の前でトラブルを起こされますと、他のお客様にご迷惑がかかります〉
「ユヤにいる以上、私も客だ」
〈手前どもはアブラヤの従業員でございます。アブラヤに一歩も足を入れてない方を……客とは呼べません〉
ヴァバの声のトーンが下がった。
〈それに、捕らえておられるそれは当方の一時雇いでございますので〉
「何を言っている? こいつはブラックリストの女の仲間だぞ」
〈確かに娘はともかく、そこのはついさっき頼んだ品を配達した……これを雇いと言わずなんと言いましょう〉
屁理屈による問答の末、にらみ合いが続く──ブラスター音とともに突如としてタドラの社長機が精密射撃によって大破し、煙幕と爆風で周囲を怯ませた。空からフロントライトを点けた〈シナトベ〉が現れた。
「ナー、シャ……⁉」
この時、一瞬、ナーシャとタドラの目線が交差した。
「……まさか……」
「ダイス! あの檻に集中砲火!」
〈シナトベ〉の先端の砲塔から大きくなり過ぎたことでアスタラまで届かず、ドロイドの身体に風穴が空く──拘束が解け、転がり出る。
「早く乗って!」
開いたハッチからナーシャが叫ぶが、アスタラは難しい顔をしている。信用しきれていなかった。
「……アスタラ、お願い! もう一度だけ私を信じて!」
その悲痛な叫びに視線を動かしたアスタラはシナトベに飛び乗った。ハッチが閉まり、あっという間に機首を空に向けると大気圏を抜ける。
それをタドラは眉間にしわを寄せて見送った。
「……ヘイトーに通信を繋げ」
倒れている秘書に声を掛けると、即座にホログラムが投影された。
「殿下、小僧は見つかりましたか?」
「至急ユヤに来い。船を壊された」
「えっ、小僧にですか?」
「いや。お前がブラックリストにした娘にだ」
「……それは……」
「壊れた船の補修費は、お前の給料から天引きする」
「で、殿下──」
弁解しようとしたヘイトーの通信を切り、ヴァバを見る。
「主人」
〈はい〉
クレジットを投げ渡した。一泊二泊には多すぎる金額だった。
「これで私も客だな?」
〈……ごゆるりと〉
ヴァバはアブラヤへの道を開ける。その横をタドラが通り過ぎざま。
「ところで主人」
〈なんでございましょう?〉
「ここの従業員は主人があだ名のように決めるそうだな」
〈ええ〉
「アナスタシア、という名前に聞き覚えは?」
その質問にヴァバは口にキセルを咥えて煙を深く吸い込んだ。
〈さあ、生憎何万と従業員を抱えております。似た名前なら多くいるかと。それに辞めた者はデータを消しておりまして。お役に立てず申し訳ございません〉
「……結構」
マントを翻し、タドラはつぶやく。
「アナスタシア……その名前をここで聞くとはな……」
一方でユヤを脱出した〈シナトベ〉は沈黙に包まれていた。操縦桿を握るナーシャの隣では、アスタラが黙って座っている。
「……タドラ・シャナックは私の兄。兄って言っても義理のだけど……」
前を向いたまま意を決したように言った。アスタラの目が見開かれて、すぐに眉が下がった。
「だから……話せなかった。話したく、なかった」
いつもの様子からは想像できないナーシャのささやくような声が、暗い〈シナトベ〉の船内に、静かに落ちた。