明らかに猛者揃いの集団の中で、リーダーとして認められているモブ顔の人 作:べにべにベニヤ板
足元から頭上へ、青いスキャン光が通り抜ける。
無機質な転送の感覚が消え、重力を感じたその瞬間――。
真っ先に鼓膜を打ったのは、異常な咀嚼音と、生身の肉が引き裂かれる音だった。
薄暗い地下鉄のホーム上。
俺たちのすぐ目の前で転送されたばかりの、私服姿の新人がすでに事切れていた。
その首から下を、小学生ほどもある黒光りする二足歩行の人型ゴキブリが、文字通り貪り食っている。
それも一体ではない。
複数の人型ゴキブリが集っていた。
「……ッ!」
黒川が息を呑んだのに気づき、血まみれの眷属たちがピタリと食事を止めた。
頭部の長い触角が、不気味に揺れる。
ホームには静寂が訪れた。
食事を中断した群れの中の一体が、血塗れの顎を大きく天井へと向けた。
「ギイィィィィシヤァァァアアアアアアッ!!」
そして、ガラスを引っ掻くような金属音と、人間の断末魔を混ぜ合わせたような悍ましい絶叫をホーム全体に響き渡らせた。
直後、叫んだ人型ゴキブリの更に先のトンネルの奥深くから、耳の奥を掻きむしりたくなるような悍ましい羽音が反響した。
暗闇の先から、カサカサと壁や天井を這い回る音が重なり合い、やがて視界を埋め尽くすほどの黒い波となって押し寄せてくる。
それは、数え切れないほどのゴキブリの群だった。
「チィッ……!」
その光景に対し、身に纏った漆黒の鎧――ハードスーツの両腕を突き出した。
掌の射出口を展開し、極太のレーザー光線を一気に解き放つ。
強烈な閃光と超高熱がホームを舐め払い、迫り来る黒い波と人型ゴキブリを容赦なく焼き尽くしていく。
焦げた甲殻と、油の腐ったような悪臭が周囲に充満した。
だが、その焦熱の波を縫うように、死角から飛び出してきた一体が俺の顔面めがけて鋭く跳躍してきた。
「甘ぇよッ!」
レーザーの掃射を止め、ハードスーツの圧倒的なパワーを乗せた右拳でカウンターを叩き込んだ。
硬い甲殻を砕く確かな感触。
しかし、次の瞬間には人型ゴキブリじゃ顔面を砕かれながらも、巨大な顎が俺の右拳をガッチリと捉え、そのまま強引に食いちぎった。
極めて頑強なはずのハードスーツの装甲が、まるでビスケットのように砕け散り、一部がごっそりと欠損する。
同時に噛まれた箇所から小さなゴキブリが内部から食い破るように出現する。
「この野郎ッ……!」
「鬼塚さんッ!!」
背後から黒川の叫び声と共に、短銃の青い閃光が連続して走る。
直後、腕に食らいついていた人型ゴキブリは胴体から破裂し、黒い体液を撒き散らして潰れた。
人型ゴキブリの残骸を振り払うと同時に、噛まれた箇所に向けてハードスーツの手のひらを向ける。
調整された熱線が増殖しようとするそれを焼き払った。
「鬼塚さん、腕は無事ですか!?」
「スーツの装甲が食われただけだ……問題ない。だが油断するな、こいつ内部から食い破ろうとしていた。接近戦で噛ませるな」
話が終わると同時に大きく蠢く音が聞こえる。
羽が重なり合うような不快な音。
「上から来ますッ!」
黒川の警告と同時、少し先の天井に張り付いていた数体の人型ゴキブリが、こちらを目掛けてボトボトと落下しながら羽ばたいてくる。
黒川は即座に刀を振り抜き、迫る一体を両断した。
真っ黄色な体液を撒き散らしながら床に落ちた上半身だけの奴は、それでもまだ執拗に顎を鳴らして黒川の足首へ這い寄ろうとする。
それをハードスーツの巨体を深く沈み込ませ、這い寄る奴の頭上から無事な拳を容赦なく叩き落とした。
「黒川!頭を狙え!」
「わかりましたッ!」
二人で四方八方から押し寄せる黒い波を、距離を取りながら迎え撃つ。
黒川のトリガーを引き続けられ、数秒遅れで次々と破裂音がホームに響き渡る。
自身もハードスーツの装備ですかさず対処する。
息の詰まるような猛攻を凌ぐこと数十秒。
ようやく足元に黒い残骸の山が築き上げられ、動きがピタリと止んだ。
「……ふぅ。残りのあれで終わりですかね?」
黒川が軽く息をつき、幾分か余裕を見せるように短銃の銃口を下げて、肩の力を抜いた。
視線の先には焦げた小さなゴキブリの山に、数体の人型ゴキブリが立っていた。
生き残っていた数体の人型ゴキブリは、こちらへ襲いかかってこない。
「油断するな……こういうタイプは――」
言葉を言い終える前に、視線の先で動きがあった。
人型ゴキブリは、ゴキブリの死体の山と、新人の肉塊に群がり始める。
無惨に散らばった同族の死骸すら躊躇なく貪り食う、悍ましい共食い。
咀嚼音に混じって、甲殻の軋む不快な音が響く。
目を疑った。
同族の血肉を啜る奴らの黒光りする背中が、異様な速度で隆起し始めたのだ。
喰えば喰うほど、その体躯が一回り、また一回りと膨張し、より太く、より凶悪な姿へと変異していく。
「捕食による成長……」
余裕を見せていた黒川の顔が、青ざめ、引き攣っている。
底知れない生理的嫌悪感に、腹の底から強烈な吐き気がこみ上げてきた。
だが、それを強引に飲み込み、欠損したハードスーツの腕をゆっくりと下ろした。
同時に腕に装着されたコントローラーを操作した。
操作を終えると同時に自身の手元に転送の光が現れる。
出現したのは長銃。
それを残った一体となった人型ゴキブリの頭部へと向け、引き金を絞った。
同時に起きる発砲音。
人型ゴキブリの頭部はあっさりと弾け飛んだ。
「これで終わりか?」
足元から頭上へ、青いスキャン光が舐め回すように通り抜け、深夜の冷たい空気が肺に流れ込んできた。
シャッターの降りた店舗が並ぶ駅構内は不気味なほど静まり返り、待ち合わせの定番である『銀時計』だけが、無機質に時間を刻んでいる。
「名駅内の裏通りかしら」
「みたいですね……」
漆黒のスーツに重力銃を持った女子高生――佐伯ちゃんが周囲を警戒しながら同意した。
転送タイミングがずれたからだろう。
鬼塚くんや良守くんとは別々に転送されてしまった。
合流をしようと思えばできる。
そのために連絡手段をミッションへ持ち込んでいるのだから。
ただ、まずは現状把握が重要だ。
「佐伯ちゃん。まずはコントローラーの確認を」
指示を出すとともに、自身も周囲を警戒する。
ふと、銀時計の側に座り込んでいる人影が視界の端に映った。
ボロボロのコートを着たホームレス風の男だ。
その男は微動だにせずうずくまっている。
不自然すぎる。
この時間、名駅にはシャッターが降りている。
なのにもかかわらず人が内部にいることへ違和感があった。
私が油断なくそちらへ視線を向けた瞬間、男がゆっくりとこちらを向いた。
男は立ち上がると同時にこちらへ静かに歩いてきた。
ただの浮浪者ではない。
歩幅や関節の動きが、どこか決定的に人間からズレている。
「玲香さん……星人です」
「わかったわ」
私が手に持つ重力銃を水平に構えた、次の瞬間だった。
歩いていた男の頭部が、内側から風船のように異常に膨れ上がった。
嫌な音と共に男の頭が破裂し、血と脳漿を撒き散らす。
首の断面から黒光りする悍ましいものが這い出してきた。
人間の胴体に、頭部だけが巨大なゴキブリそのもの。
蠢く長い触角、カチカチと鳴る鋭い顎。
「キモい……」
「銃を構えて、佐伯ちゃん。ただの的よ」
嫌悪の表情を浮かべる佐伯ちゃんの前に立ち塞がり、私は冷徹に告げる。
同時に手にした重力銃のトリガーを引いた。
凄まじい轟音と共に、星人は不可視の圧力によって床に圧殺された。
「次が来るわよ」
柱の陰から、通路の奥から、同じように虚ろな足取りで人間たちが現れる。
深夜徘徊者、サラリーマン、旅行客風の若者。
その全てがこちらの視線に気づくと同時に頭部を弾けさせ、あのグロテスクな寄生体を露出させる。
「ギチィィッ!!」
今度は同時に三体のゴキブリ人間が、デタラメな動きでこちらへ突進してきた。
「キモイのよ」
佐伯ちゃんが冷静に重力銃の狙いを定める。
強烈な圧力が二体をひしゃげさせた。
だが、三体が同時に散開したことで範囲から漏れた残る一体が、半身を潰されながらも、執念深く這いずりながら迫ってくる。
「ギシヤァァァァァッ!!」
頭部がゴキブリの人間が、ひときわ大きく、裂けるような咆哮を上げた。
ブブブブブブブブブブブッ!!!
その声に応えるように、コンコースの隅の暗闇、閉じたシャッターの隙間、通風孔から、黒光りする無数のゴキブリの波が、カサカサと耳障りな音を立てて沸き溢れ出してきたのだ。
「……数が多いわね。通路へ下がるわよ」
「はい」
私は短く告げ、佐伯ちゃんと共に後退する。
開けた場所を捨て、狭い通路口へ。
追従してきた黒い群れは、自然と一直線のうねりとなって私たちの正面に密集した。
二人で重力銃を向け、佐伯ちゃんと並んで黒い波に銃口を向けた。
二丁の重力銃が淡々と唸りを上げる。
上空からの強烈な圧力が、通路を埋め尽くす群れを次々と床に叩きつけていく。
床が凹み、ひしゃげた無数の残骸から黄色い体液が噴き出した。
波は一瞬でひしゃげ、ただの体液の水溜まりへと変わる。
だが、事切れたかと思われたその直後。
「ギシヤァァァァァッ!!」
水溜まりから飛び出るように隠れていた、三体のゴキブリ人間が猛烈な勢いで飛び出してきた。
追加でまたいくつかのゴキブリの波が現れる。
ホルスターへ手を伸ばし、武器を重力銃から刀へと持ち替えた。
そのまま最小限の動きで踏み込み、迫り来るゴキブリ人間の胴体を流れるように両断した。
分厚い肉と硬い甲殻を切り裂く感触。
黄色い体液を避けながら、さらに二体、三体と的確に斬り伏せていく。
背後では、佐伯ちゃんが重力銃を床へ向けて連射し、押し寄せる黒い波を次々と圧殺している。
ほどなくして、構内を埋め尽くしていた不快な音は完全に沈黙した。
「……ハァ。これだけですかね?」
佐伯ちゃんが額の汗を拭いながら、重力銃を下ろす。
「どうかしらね」
刀の体液を払いながら、周囲を一瞥した。
突如として、私が斬り落としたゴキブリ人間の腕が。
佐伯ちゃんが重力銃で潰し損ねた足の残骸が。
本体から切り離されているというのに、それ自体が独立した生命体のようにピクピクと蠢き、バネのように跳躍して襲いかかってきた。
「……ッ!?」
「慌てないで」
冷徹に刀を一閃させ、顔面へ飛んできた腕を真っ二つに叩き割り、宙を舞う足を正確に切り伏せた。
「これで終わり?」
黄色い体液が床に散らばり、今度こそ肉片は完全に沈黙した。
だが、視線の奥で背後で粘着質な水音が響いた。
ズズッ……ズリリッ……。
そこには、先ほど両断したゴキブリ人間の上半身が、ちぎれた断面から黄色い体液を撒き散らしながら、凄まじい速度で床を這いずっていた。
向かっているのは、地下鉄への下り階段だ。
「逃げる気ですね」
「……みたいね」
そういうと佐伯ちゃんはホルスターから短銃を取り出し、引き金をひいた。
しかし、ゴキブリ人間は勢いよく階段へ飛び込むと、残った羽を広げ、地下へと下って行った。
一撃が当たるも仕留めるには至らない。
佐伯ちゃんが淡々と銃身を下げる。
逃げているだけか、あるは何か目的があるのか。
「完全に息の根を止めるわよ。地下には鬼塚くんたちがいるかもしれないし」
「はい」
刀の汚れを軽く振り払う。
私たちは床に点々と続く黄色い粘液の跡を辿り、嫌な羽音が微かに響いてくる地下鉄の暗がりへと、足音を殺して下りていった。
ホームは、むせ返るような悪臭と残骸にまみれていた。
共食いをして肥大化していた人型ゴキブリを、破裂させた直後だった。
上の階層に続く階段の方から、バサバサと不快な羽音が響いてきた。
見上げると、薄暗い空間からそれが黄色い体液を撒き散らしながら不様に舞い降りてきた。
下半身を丸ごと切断され、全身がボロボロになった人間の上半身。
その首から上にはゴキブリの頭部が乗っており、背中には破れかけた薄気味悪い羽がバタバタと痙攣するように動いていた。
「……やり損ねか?」
這うようにしてホームに激突した奴は、すぐ傍に転がっていた別の死骸――頭部が弾け飛んで首の断面を晒している人型ゴキブリの残骸へ這い寄り、悍ましい音を立ててその肉に食らいつき始めた。
半分しかない体をビクビクと痙攣させながら、なりふり構わず同族の肉を貪っている。
長銃を構え、一心不乱に肉を貪るその怪物へ照準を合わせる。
躊躇なくトリガーを引いた。
だが、銃口から青い閃光が放たれた瞬間。
射線を察知したのか、奴はボロボロの羽を激しく震わせ、両腕で食いかけの死骸の肉塊をガッチリと抱え込んだまま、異常な跳躍力でトンネルの天井へと飛び退いた。
数秒のタイムラグの後、床に残された死骸の一部だけがギチィッと嫌な音を立てて内側から爆ぜる。
「チッ……」
舌打ちしながら銃口を上げる。
空中に逃れた上半身だけのゴキブリ人間は、トンネルの天井へベチャッと張り付いたまま、食事を止めていなかった。
ちぎれた腹の断面から黄色い粘液を滴らせながら、両腕で抱え込んだ同族の肉を、カチカチ、ズチュズチュと、逆さまの状態でひたすら貪り続けている。
「鬼塚さん……ッ!」
「わかってる!」
照準を合わせ直し、長銃のトリガーを連続で引いた。
同時に黒川も同じように銃の引き金を引く。
青い閃光が薄暗いトンネルを幾度も照らし出す。
だが、天井から壁へ、壁から柱へと、狭いホームの地形を縦横無尽に利用してデタラメな軌道で飛び回り、放たれた射線をことごとく躱し続けた。
着弾した壁面や柱が数秒遅れで次々と爆ぜ、コンクリートの破片がバラバラと降り注ぐ。
その粉塵の中を、奴は両腕で抱え込んだ肉塊に齧りつきながら、ゴキブリ特有の異常な敏捷性でカサカサと這い回っていた。
「当たらねぇッ! 鬼塚さん、アイツ動きが早すぎます!」
「チィッ、チョコマカと……!」
黒川の叫びに舌打ちし、さらに銃口を追従させる。
だが、視界の先で、信じられない現象が起き始めていた。
同族の肉を嚥下するたび、切断されていたはずの腹の断面から、黄色い粘液と共に悍ましい赤黒い肉芽がボコボコと膨れ上がってきたのだ。
喰らう端から、欠損部位が異常な速度で再生していく。
ただの再生ではなかった。
隆起した肉は人間の下半身ではなく、黒光りする硬質な甲殻へと変異し、節立った昆虫の脚がメキメキと突き出してくる。
さらには、残っていた人間の上半身すらも内側から黒い殻に飲み込まれ、元の姿など見る影もなく塗り潰されていく。
壁から床へと着地した時には、奴はもはやゴキブリの頭を乗せた人間ではなかった。
完全な漆黒の甲殻に覆われた、二足歩行の人型ゴキブリ。
先ほどまで戦っていた人型ゴキブリの成体へと成長していた。
肥大化した筋肉と凶悪な羽を備えたその完全体は、血塗れの顎をガチガチと鳴らしながら、俺たちを見据えて低く威嚇音を漏らした。
「ギ、ギギギ……ッ」
「上等な化け物に成ったじゃねぇか……」
ハードスーツの拳を握り直し、黒川が刀を構え直した、まさにその瞬間だった。
「……こちらのミスね」
背後の階段から、場違いなほど冷静で、涼やかな声が響いた。
視線を向けると、刀の血糊を払う姫川と、巨大な重力銃を構えた佐伯が、静かな足取りでホームへと降り立ってくるところだった。
「お前たちの狩り残しかよ」
「申し訳ないわ。上の掃除は終わった。逃げた的を追ってきたのだけれど……ずいぶんと可愛げのない姿に成長したものね」
姫川は完全体となった人型ゴキブリを冷徹な目で見据え、佐伯は無言で重力銃の銃口をそちらへ向けた。
狭く悪臭に満ちた地下鉄のホームで、完全な姿を取り戻した異形と、俺たち四人が対峙した。
「ちょうどいいところに来やがった。囲んで殺すぞ」
「そうね……さっさと終わらせましょう」