明らかに猛者揃いの集団の中で、リーダーとして認められているモブ顔の人 作:べにべにベニヤ板
冷静さを取り戻した星人が、鼓膜を裂くような咆哮と共に床を蹴った。
標的は――合流したばかりの姫川。
「ギィィィシヤァァァッ!!」
だが、姫川は微塵も慌てることなく、流れるような動作で刀を振り抜いた。
しかし、斬れたのは漆黒の残像だけだった。
異常な身体能力を得た化け物は、刃の軌道を紙一重で躱し、姫川の背後で控えていた瑞原へ襲い掛かった。
凶悪な顎が彼女の首筋に迫る。
瑞原は落ち着きながらも重力銃を手放し、同様に刀を抜き放った。
あえて自身の右肩を差し出すような体勢をとり、相打ち覚悟で、真っ二つに切り伏せようと踏み込む。
だが、それは悪手だった。
この星人の能力は割れていた。
高い反応速度、内部破壊、増殖、群体の操作。
よくある
ただ、厄介なのはこいつには即死能力があること。
「噛まれるな!
その声に反応し、瑞原が咄嗟に踏み込みを止め、肩を引く。
だが、その僅かな躊躇いが幸運となった。
躱しきれなかった瑞原の右腕に、巨大な顎がガッチリと食らいつき飛び退く。
スーツの黒い表皮から肉を食いちぎる、嫌な軋み音が響く。
奴が噛みついた傷口の隙間から、無数の小さなゴキブリがワラワラと湧き出してくる。
「佐伯ちゃんッ!」
姫川が叫ぶが、瑞原の瞳にパニックの色はなかった。
彼女は顔をしかめながらも、空いた右手でホルスターから短銃を引き抜くと、自分自身――噛みつかれた自身の腕と肩の境目へと銃口を向け、躊躇なくトリガーを引いた。
増殖が腕を伝って肩へと届く寸前、増えたゴキブリに重なるように腕が破裂した。
致命傷こそ免れたものの、痛みに呻きながら数歩退く。
「無茶しやがって……!」
舌打ちした直後、羽ばたく人型ゴキブリは頭部の長い触角を不気味に震わせた。
その瞬間、地下空間の空気が震える。
無数の羽音と足音。
壁の亀裂から、ホームの縁から、先ほどまでとは桁が違う程のおびただしい数のゴキブリの群れが再び波のように押し寄せてきた。
「全員、重力銃に切り替えなさい!」
姫川の声に呼応し、黒川と立ち上がった瑞原がが重力銃を展開する。
自身も長銃を床に落とし、捨て去った重力銃を拾い上げる。
四つの銃口による攻撃。
不可視の超重力がホームを埋め尽くし、押し寄せる黒い波を次々と圧殺していく。
床が陥没し、黄色い体液が海のように広がった。
だが――。
「な……ッ!?」
黒川が驚愕の声を上げた。
絨毯爆撃の雨の中、人型ゴキブリは重力の着弾範囲と発生のタイムラグを完全に読み切っていたのだ。
円形にひしゃげる床の僅かな隙間を縫うように、一切のダメージを受けずに猛烈な速度で接近してくる。
狙いは――最前線に立つ俺だった。
「来やがれッ!」
迎え撃とうと腕を振り上げた瞬間、人型ゴキブリが低い姿勢から飛び込んでくる。
だが、その直線的な突進の軌道は、ハッキリと見えていた。
踏み込みのタイミングをドンピシャで合わせ、奴の顔面めがけてカウンターを叩き込んだ。
完璧な一撃。
鋼鉄の拳が甲殻を粉砕し、凄まじい衝撃で奴の片腕が根元からちぎれ飛ぶ。
「ギィィィッ!!」
「チッ、しぶとい野郎だッ!」
だが――片腕を吹き飛ばされてなお、奴は止まらない。
逆にその衝撃すら推進力に変え、勢いそのままに懐へと潜り込んできた。
巨大な顎が、俺の首元を食いちぎろうと迫る。
噛まれればハードスーツごと肉を抉られる。
上体を反らして致命傷を躱し、すぐさまフックを返す。
だが、デタラメな敏捷性で避けられる。
打っては躱され、躱しては打つ。
顎の殺傷圏内での、息の詰まるような超近接戦闘。
その最中、焼き直しのように周囲の空気がひときわ嫌な音を立てて震えた。
暗闇の奥、トンネルの深部から、無数の羽音が響いてくる。
「鬼塚さん――距離を!」
重力銃を構えた黒川が焦燥の声を上げた。
俺たちがこれほど密着して動き回っていては、広範囲を押し潰す重力銃は使えない。
俺ごとペシャンコになってしまうからだ。
さらにこのまま時間が経てば迫り来る波に飲み込まれる。
そうなったら全滅もありえる。
それを察してだろう。
姫川が俺に向かって指示を出した。
「貴方
それだけをいうと、迫り来る無数のゴキブリの波へ姫川と黒川の二人が対処に当たる。
そのおかげで完全にひとつへ集中できた。
もつれ合う足元に落ちていた長銃を邪魔だとばかりに蹴り飛ばし、胴体を狙う。
だが、それすらも漆黒の残像を残して躱され、逆に鋭い爪が俺の装甲を掠めた。
速すぎる。
このままじゃ埒が明かない。
なら、確実に動きを
一瞬、意図的にガードを下げた。
無防備になった俺の左腕を、奴の目の前にわざと晒す。
「グァァァッ……!」
狙い通り、人型ゴキブリは俺のハードスーツに容赦なく食らいついた。
装甲を砕かれ、生身の肉に牙が食い込む激痛に視界が明滅する。
だが、これで捕まえた。
噛みつかれた左腕を引き、無事な右腕を使って、締め上げた。
完全に動きを封じられ、化け物が俺の腕の中で暴れ狂う。
食らいつかれた腕から増殖がはじめるが離さない。
連携は取れている。
「今だ! 撃てェッ!!」
叫んだ先。
俺が先ほど蹴り飛ばした長銃を拾い上げ、銃口をこちらにピタリと定めている小柄な影があった。
重力銃を置き、長銃を構えた瑞原だ。
瑞原が躊躇なくトリガーを引いた。
青い閃光が薄暗いホームを貫く。
俺の腕を抱え込んだまま硬直した化け物の頭部は数秒のタイムラグの後、内側から激しく弾け飛び、無惨な黄色い肉片となって四散した。
頭が弾け、痙攣する体をそのまま絞め潰す。
そのまま増殖するゴキブリを巻き込む形で手のひらからレーザーを放った。
強烈な熱が体を焼く。
ハードスーツは防御力に優れる。
自身の熱線で融解することがないことは実証済み。
ただ、むき出しとなった肉体はそうとはいかない。
痛みに呻きながれも周囲へと視線を向けた。
そこには黒川の重力銃の一撃で、残ったゴキブリの残骸が潰れる光景が目に入った。
「ふぅ、ギリギリだったな……これで終わり――」
「鬼塚くん――!」
俺の言葉は姫川に遮られた。
同時に言葉の途中で、背筋に強烈な悪寒が走った。
気配は完全にゼロだった。
だが、背後の空間が異常なプレッシャーで歪んでいるのを肌が察知する。
振り返ろうとした視界の端に映ったのは、音もなく頭上に振り上げられる中華包丁とそれを持った、新たな成体の人型ゴキブリだった。
完全に不意を突かれた。
レーザーの放熱と左腕の激痛で、満身創痍の体は硬直している。
迎撃の体勢どころか、防御すら間に合わない。
――クソッ、避けられねぇ――!
直撃を覚悟し、奥歯を噛み締めた次の瞬間だった。
突如として、俺を真っ二つに引き裂くはずだった化物の頭部が、内側から勢いよく弾け飛んだ。
頭を失った化け物の動きがピタリと硬直する。
一拍置いて。
ズレるような悍ましい音と共に、新たな成体の体が左肩から右脇腹にかけて、見事な袈裟斬りで両断され、左右に崩れ落ちた。
真っ二つに割れた化け物の背後から悠然と姿を現したのは、刀を片手に下げ、漆黒の長銃を持った男だった。
「
ようやく合流を果たしたリーダーの多田が、息一つ乱さない淡々とした声でそう告げた。
「遅いわ」
そう不満げに訴えたのは姫川さんだった。
彼女はすぐさま瑞原さんのもとへ向かい、手際よく傷の手当てを始める。
この漆黒のスーツは、着用者を超人へと変える。
劇的な身体能力の向上に加えて、身を守る強固な鎧としての機能。
多少の負傷であればスーツの補助機能が働き、痛みを和らげ、戦闘に支障が出ないよう身体機能を維持してくれる。
だが、それはあくまで誤魔化しであり、傷そのものが回復するわけではない。
大きな負傷、それこそ部位が欠損するほどの重傷を負ったまま戦えるほどの魔法の代物ではないのだ。
ましてや、まだ少女といえる瑞原さんが腕一本分の血液を失いながら、意識を保っているだけでも奇跡に近い。
すぐに止血しなければ命に関わる。
ただ、このミッションもこれで終わりだと考えれば、部屋に戻って全快するまでの応急処置で済むはずだ。
僕は、鬼塚さんの足元に転がっている人型ゴキブリの死骸へと目を向けた。
鬼塚さんの背後に現れた新たな星人の存在など、誰も予見できていなかった。
本当に、間一髪だった。
普段あれだけ頼もしい鬼塚さんの絶体絶命の危機。
それを間一髪で救ってくれた多田さんの登場に、恐怖が嘘のように弛緩していく。
多田さんは、このチームのリーダーだ。
作戦の指揮は姫川さんが執ることが多い。
矢面に立って前線を張るのは鬼塚さんだ。
そして、瑞原さんと僕がその後方支援に回るというのが、いつものチームの役割分担だった。
多田さんは単独で動くことが多く、チームの輪にはあまり入らない。
けれど、いつも誰よりも高い点数を叩き出し、僕らが死に物狂いで戦うような星人をあっという間に単独で処理してしまう。
そして、今回のように必ず僕らを窮地から救い出してくれるのだ。
多田さんはどこか覇気のない雰囲気をしているが、どこにいても変わらないようなその在り方が僕たちチームにとっての希望だった。
多田さんは、ガンツソードにこびりついた黄色い体液を静かに振り払いながら、淡々とした声で言葉を紡いだ。
「油断しないように。まだ、復活する」
多田さんの言葉に、弾かれたように視線を向けた。
薄暗いホームの奥、蠢く影の中から姿を現したのは――先ほど鬼塚さんが死闘の末に倒した個体や多田さんが袈裟斬りにしたのと同じ、完全な人型ゴキブリだった。
「『くろ!うるしぃC』」
多田さんはその星人の名前を口にする。
「強力な親と幼体、そしてそれが操るゴキブリからなる群体タイプの星人。攻略には手順がいるタイプだけど――」
そう言って、多田さんが指にかかる長銃のトリガーを静かに引いた。
数秒のタイムラグの後。
突如として、地下ホームの暗がり、天井の裏、通風孔の奥、果ては瓦礫の影など、ありとあらゆる死角から連続して破裂音が響き渡った。
隠れて機を窺っていた幼体や、群れを形成していた無数のゴキブリたちが、次々と内部から弾け飛んだのだろう。
暗闇から真っ黄色の体液が雨のように降り注ぎ、床へとドロドロに滲み出していく。
僕たちが死闘を繰り広げている間に、多田さんはすでに分析を終えて、潜むすべての端末や残機を捕捉し、一撃で一掃したのだ。
「これで残りはコイツだけだ」
多田さんは長銃を投げ捨て、たった一体だけ残された星人を見据えて言った。
「良守くんは佐伯ちゃんの護衛を、姫川さんと鬼塚くんは詰めを頼むよ」
その落ち着き払った指示に、僕たちの中に残っていた微かな恐怖は完全に消え去った。
重力銃を構え直して痛みに耐える瑞原さんの前に立つ。
鬼塚さんと姫川さんが広がるように多田さんの後ろへ展開する。
「久しぶりだね『くろ!うるしぃC』……といっても君は僕を知らないだろうけど。あの時の借りを返させてもらうよ」
多田さんは一言だけそういうと一気に踏み込んだ。
右手に握った漆黒の刀と、ホルスターから流れるような動作で引き抜いた短銃を使い、先手を取って人型ゴキブリを圧倒し始めた。
化け物が怒り狂って鋭い爪を振り下ろすより早く、多田さんの刃が閃き、その腕の一部をあっさりと削ぎ落とす。
短銃のトリガーが連続で引かれる。
放たれた射線を嫌がり、化け物がデタラメな軌道で回避しようとするが、多田さんはまるでその動きを完全に予測していた。
逃げ道を塞ぐように先回りして銃口を向け、バランスを崩したところへ刀の鋭い斬撃を容赦なく叩き込んでいく。
撃って、斬る。
躱して、また斬る。
ただ、単純で一切の無駄がない動作の繰り返し。
僕たちをあんなにも苦しめた異常な敏捷性と凶暴性が、多田さんの前ではまるで児戯に等しかった。
反撃の糸口すら掴ませず、化け物は甲殻をボロボロに砕かれながら、防戦一方となってジリジリとホームの隅へと追い詰められていく。
化け物の動きが、ふと止まった。
威嚇の鳴き声とは違う、何かを無理やりこじ開けるような異質な音が響く。
見れば、奴の顔面――ゴキブリ特有の複雑な口器が、骨格を無視したありえない方向へとメキメキと開き始めていた。
幾重にも重なった黒い大顎が左右に限界まで裂けるように割れ、その奥から、黄色い体液と粘液に塗れた人間のものによく似た舌と喉の肉がズルリとせり出してくる。
それは空気を吸い込むようにヒューヒューと不快な音を立て、ひきつるように痙攣しながら、ひどく歪で不器用な音を紡ぎ出した。
「ふざ、ふざける、な……さ、さ、先に、こうげ、きしてきたのは、お前、たちのほうだ」
「……えっ?」
思わず、口から呆然とした声が漏れた。
知性など欠片もないと思っていた害虫の口から、拙く歪な発音で、明確な人間の言葉が紡がれたからだ。
あまりの不気味さに背筋が凍りつく。
「た、だじずか、に、くら、し、て……い、たのにッ!」
だが、多田さんはその異様な言葉にも微塵も動揺していなかった。
「そうだね。理不尽だと思うよ」
剣撃の手を休めることなく、ひどく冷めた声で淡々と返す。
「でも、殺し合えって命じられているんだ。僕たちも生き残らなきゃいけない。恨むなら、このふざけたゲームを恨んでくれ」
静かな宣告と共に、多田さんの刀が一閃し、化け物の胸の甲殻を深く斬り裂いた。
「ギィィィィシヤァァァッ!!」
問答無用の追撃を受け、ついに逃げ場を失い追い詰められた化け物が、ヤケを起こしたように鼓膜を裂く咆哮を上げた。
そして、死に物狂いの推進力で、正面の多田さんへと真っ直ぐに飛びかかろうとする。
だが、多田さんが完全に作り出したその隙を、味方が見逃すはずがなかった。
「甘いわ」
死角となる真横から、姫川さんが刀を構えて鋭く踏み込んだ。
真一文字に両断される――化け物がその死の気配を察知した瞬間、背中から不気味な羽がバサリと展開した。
姫川さんの刃を紙一重で躱し、凄まじい羽ばたきと共に頭上の空間へと逃れる。
「飛んで逃げるなんて、ワンパターンなんだよッ!」
頭上から、野獣のような怒声が降ってきた。
その声はハードスーツの驚異的な脚力で柱を蹴り、あらかじめ空中へと跳躍していた鬼塚さんだった。
鬼塚さんは逃げようと羽ばたく化け物の頭上を完璧に陣取り、残された右腕の鋼鉄の拳を、渾身の力で奴の脳天へと叩き落とした。
「ギ、ギャァァァ……ッ!?」
空中で完全に姿勢を崩された化け物が一直線に落下し、大理石の床へと激突する。
激しい地響きと粉塵が舞う中、そこに待っていたのは、すでに短銃と刀を収め、武器を構えた二人の姿だった。
多田さんの手にはいつの間にか重力銃が握られていた。
「あの時のより弱いね……君は100点には届かない」
多田さんと姫川さんが並び立ち、床でもがく化け物へと冷徹に重力銃の銃口を突きつける。
「終わりだ」
「チェックメイトよ」
二丁の重力銃から放たれた不可視の超重力が、寸分の狂いもなく交差した。
凄まじい圧力が標的を逃さず捉え、分厚いコンクリートの床ごと完全にすり潰す。
ペシャンコになった漆黒の甲殻から大量の黄色い体液が四方へ弾け飛び――今度こそ、最後の人型ゴキブリは跡形もなく消え去った。