誰も彼女を知らない。   作:ヘルタ様万歳

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空が青かった

煙の匂いが、こんなにも重いものだとは知らなかった。

 

最初はただ焦げたような、遠くのどこかで何かが焼けているだけの匂いだった。それが気付けば喉の奥に貼りついて呼吸の度に熱を運んでくる。

 

扉は、開かない。何度叩いたか覚えていない。指先はもう感覚が薄くて、叩いているのか触れているのかも曖昧だった。ただそこにあるという事実だけを頼りに手を当てている。鍵をかけられたのは何時だったか。放課後、人気のない旧校舎、滅多に誰も来ない場所。理由はもう思い出せない。あるいは最初から理由なんてなかったのかもしれない。

 

気づけばそういう役だった。

 

笑い声、靴音、遠ざかる気配……その後の、静寂。焦げる匂い。

 

窓の外が、少しだけ明るい。最初は気付かなかった。煙が充満して視界はほとんど灰色だったから。壁際に寄って視線を上げた時、ひび割れた窓ガラスの向こうに目に留まる様な、この世で最も美しい色があった。

 

青、あまりにも澄んだ色だった。こんな状況で、どうしてそんなことを思うのか分からない。ただただ、目を離せなかった。

 

炎が、近い。熱さに燻された身体が芯から黒焦げていく。床を這うように広がった炭は、やがて煙となり立ち上がっていく。赤と橙が混じった不安定な色が壁を舐めるように揺れている。熱はもう逃げ場をなくして部屋の中に溜まり続けていた。

 

呼吸が浅くなる。肺に入るのは空気じゃなくて、何か別の重たいものだった。咳をする度に胸の内側が削られていく感覚がある。それでも、視線は窓に向いたまま離れなかった。

 

青空とは、こんなにも遠かっただろうか。

こんなにも綺麗で、触れられないものだっただろうか。

 

思い出そうとしても、うまくいかない。教室の窓から見た景色。誰かと並んで見上げたこと。そんな断片の数々が煙の中で薄くなってぼやけていく。熱が、腕に触れる。遅れてじわじわと痛みが体伝いに登ってくる。それもどこか他人事みたいだった。確かに焼かれているのに、その事実が自分に結びつかない。境界が曖昧になっていく。

 

わたし、だったもの。

 

そういう輪郭がゆっくりとほどけていく。でも不思議と恐怖はなかった。ただ少しだけ、惜しい、と思うだけ。

 

誰かと話してみたかった。あの青の下でもう少しだけ普通に歩いてみたかった。だから少しだけ残念に思う。ひとしずく程度の未練が残る。私はこんなにも生きてみたかったのだと。そんな、ごく当たり前のことを。

 

炎が、視界を埋める。

 

それでもやっぱり、空は綺麗だった。

 

 

そう思ったのが、最後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後の校舎はどこか現実から一歩だけ遠ざかったように見える。光は和らぎ、壁や床の輪郭は曖昧にほどけて、すべてが静かな膜の内側に収められていく。

 

人の気配が引いた後の空間には奇妙な余白が残る。そこに在った時間や声の残響が、薄く、しかし確かに残留していた。

 

廊下に落ちる足音は、一拍遅れて耳へと残る。階段に返る反響も昼間より僅かに遠く、現実との距離を測る指標としてはよほど頼りない。

 

聖園ミカは校舎の入口でふと足を止めた。理由はない。ただ、意識の流れが緩やかにほどけた先で、自然と視線が外へと流れていっただけだ。

 

漂わせた視線の先には見慣れない、美しい少女が立っていた。

 

門の内でも外でもない、境界の曖昧な座標。踏み出せば容易に越えられるはずの線の上で、彼女はまるでそこに留まる事そのものに意味があるかのように静かに佇んでいた。

 

夕光がその髪を淡く照らす。海のように深く長い青が、風もないのに僅かに揺れている。澄んだ青空にも似たその瞳は校舎の方へと向けられているが、その焦点は定まらず、どこか遠くを見ているようでもあった。

 

美しい、とミカは思った。

 

それは直感に近い感想だった。お世辞抜きに今までに見たものなど比較にならない程に美しかった。酷く整った輪郭や均衡の取れた立ち姿、その総てが過不足なくそこに在る美を象徴していた。けれど同時にその均衡は現実の中で成立するものとは少しだけ異なっている。あまりにも静かで、まるで揺らぎのない――この場所に、うまく溶け込めていないかのような、例えばテクスチャが1人だけバグっているかのような不自然さ。

 

そんな、言葉にならない違和感が胸の奥を掠めた。

 

「ねぇ、何してるの?」

 

ミカは思わず声をかける。考えるより先に言葉がこぼれるのはいつもの事だった。たった今声を掛けられた少女はミカの存在に気付いたように、ゆっくりと振り返る。

 

その動きは滑らかで、どこにも引っかかりがない。まるで時間の流れから僅かに遅れて、こちらへと接続されたような印象。薄く、形だけのような笑みが浮かぶ。けれど次の瞬間、その輪郭がふっとほどけて、柔らかな光のような笑顔へと変わった。

 

花がひらくような、という比喩がふとよぎる。

 

「さあ? 自分でもよく分からないの」

 

声音は軽い。自分の言葉でありながら、自分のものとして強く握っていないような、不思議な響き。

 

ミカは首を傾げる。

 

分からない、という言葉に違和感はない。どうしてかむしろその曖昧さはどこか心地よくさえあった。ただそれよりも、そこに立ち止まっている理由としては少しだけ足りない気がした。

 

「入ればいいじゃん。だってそんな所にいる意味、なくない?」

 

ミカからすればそれは当然の指摘と言えた。少女は僅かに目を細める。その仕草は光を測るようでもあり、言葉の輪郭を確かめるようでもあった。

 

「……中に入ってもいいの?」

 

少女の遠慮がちな様子にますますミカは分からなくなる。

 

「え? なんでダメなの?」

 

本当に分からない、という顔。

ミカにとっては疑問そのものが軽く、世界の側が複雑である事など想定していない。

 

「入っちゃいけない理由なんて、なくない?」

 

胸に溜まった疑問を上手く言語化する自信がないミカの言葉はそこで終わる。そもそもそれ以上を付け足す必要もミカは感じていない。

 

少女は、その場に静かに留まる。時間が一拍だけ遅れる。周囲の空気が彼女の内側で起きている何かに耳を澄ませるように、僅かに沈黙を深める。

 

やがて、ほんの僅かに頷く。

 

「そうだね。君の言う通りかもしれない」

 

その声は落ち着いていた。何かを決めるというより、すでにそこに在ったものをそっと手のひらで確かめるような調子だった。与えられた言葉を拒まず、ただそのまま受け入れる。水が器の形に従うような静かな肯定。

 

やがて、一歩。足はためらいなく前へ出る。境界は触れる前まではただの曖昧な気配でしかなかったのに、踏み越えられたその瞬間にだけ微かな輪郭を帯びていた。存在しなかった筈の線が、越えられたという事実によって後から意味を変えたかのように色付いていく。

 

ミカはその光景に心を奪われた。

 

理由は分からない。ただ、ほんの一瞬だけ世界の継ぎ目のようなものが露わになった気がした。それは説明できる種類の違和ではなく、もっと深い感覚の底に触れるものだった。捉えてもすぐにほどけてしまう、夢の名残のような。

 

少女は振り返る。

 

水色の瞳がまっすぐにミカを捉え、それまでどこか遠くに漂っていた視線がしっかりと現実を結んでいる。触れれば消えてしまいそうなほど淡い影なのに、それでも確かに何かがそこに在ると感じさせる質量があった。現実に指先をかけた時だけ生まれる、あの微かな感触。

 

「ありがとう」

 

その言葉は、やわらかくほどけて空気の中へと滲んでいく。触れれば壊れてしまいそうなほど淡いのに、確かにそこに在ったと分かる痕跡を残した。まるで今この瞬間に、ほどけかけていた世界を結び直したかのような幻想的な光景。

 

依然として少女の笑みは変わらない。最初からそこにあった形を保ったままだ。けれど、少女自身から語られた短い言葉だけがほんの僅かに揺れていた。それは感謝というにはどこか不完全で、むしろ何かを許された事への、かすかな確証のようにも思えた。

 

ミカはきょとんとする。

 

「え、なにが? 別に大した事してないよ?」

 

首を傾げる仕草はあまりに素直で、その動きに引きずられるように疑問そのものまで軽くほどけていく。言葉の重みを受け止めるより先にその形だけをそのまま返してしまうような、無垢で曇りのない反応だった。それも当然の事だった。ミカにとってはただ思った事を口にしただけに過ぎない。そこに意味を重ねる理由もなければ、誰かから返礼を受け取るような行為をしたという自覚もない。

 

世界はもっと単純で、もっと即時的なものだ。感じたままに触れ、触れたものをそのまま手放していく。だからこそ、その「ありがとう」は、どこか場違いな重さを帯びていた。

 

けれど少女は、それ以上何も言わなかった。

 

ただ、同じ笑みのまま。変わらない筈の表情がほんの僅かにだけ、ミカの方を見つめながらやわらいだように見えた。それが実際の変化だったのか。それとも光の加減による錯覚だったのか確かめる術はない。ただそう見えた、という感覚だけ。

 

「じゃ、私もう行くね」

 

ミカは軽く言う。どこか他人事のような軽さで、けれどそれが彼女にとっての自然だった。変な人だなぁ、と心のどこかで思いながら。その感想すら長く留めておく事なく次の思考へと滑らせていく。

 

くるりと踵を返したその動きに躊躇いはない。さっきまでのやり取りは既に半分ほど意識の外へと流れ出すように思考は別の方向へ移る。そういえば駅前に新しいカフェが出来たんだっけ、と、何の脈絡もなく浮かんでは移ろい変わっていき「新作のコスメが出たらしい」「そういえばこの間買いそびれた髪ゴムは残っているだろうか」「帰りに寄ってみてもいいかもしれない」と、そんなどこにでもある日常の断片が自然に意識を満たしていく。

 

そのまま少女から背を向けて歩き出した。

 

そこに向けられた視線には気付かないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トリニティの廊下を歩くのは、実に久々のような気がした。

 

足を踏み出す度に床が僅かに小気味良い音を返す。その響きはどこか遠く、自分のものではないようにも感じられる。確かに触れている筈なのに、触れているという実感だけが少し遅れてついてくる。

 

光が、やわらかい。

 

窓から差し込む夕方の光は角を削がれて廊下の奥へと静かに流れている。長く伸びた影の中に自分の影があるのかどうかふと確かめたくなったけれど、何となく視線を落とすのはやめた。

 

「まぁ、いっか」

 

小さく呟く。

 

意味を求めるほどの事でもない。

確かめた所で何かが変わるわけでもないのだから。

 

歩く。

 

「懐かしいなぁ……」

 

どうしてそう感じるのかは分からない。ここに来た事があるのか、ないのか。その境界すら曖昧で、記憶はどこか水に溶けたように輪郭を失っている。それでも足取りは自然だった。

 

迷う事はなかったし、階段の位置や教室の並びも、考えるより先に確かに身体が覚えていた。

 

「変なの」

 

薄く笑う。自分の事なのにまるで他人事みたいだ。

 

廊下の奥で誰かの話し声がする。

遠く、微かに。

 

それがどこか現実から浮いて聞こえるのは、きっと距離のせいだけじゃない。壁や床、窓に至るまで。全て確かな形を保って、同じ時間を繰り返しているように見えた。

 

その中を、私は歩いている。

それが少しだけ寂しかった。

 

「……そっか、私は死んじゃったんだ」

 

ぽつりと零れた言葉は、宙に触れる前にほどけていった。誰に届くでもなく、ただ空気の中に沈んでいく残影のようなもの。

 

一歩、もう一歩。

 

進んでいる筈なのに、どこにも行けないような感覚がある。

ふと、それが可笑しくなる。

 

「あ~ぁ……馬鹿だなぁ、もう」

 

呟いてみる。生産性なんて言葉がここで意味を持つとは思えないけれど、何かを得るために動くのならきっとこれは無意味な行為だ。頭ではしっかりと分かっているのに、止まろうとはどうしても思えなかった。

 

歩く度に空間との距離が僅かにズレていく。踏みしめている筈の床はどこか遠く、足裏に触れているという感触だけが遅れて追いかけてくる。視界に収まる壁も確かにそこに在るのに、その輪郭だけが不自然なほど曖昧に漂っているだけ。チャンネルの合わなくなった雑音だらけのラジオのように、ずっと聞いていたいとも思えないノイズの塊。

 

それが、今の私なんだろう。

 

「……あはは、は」

 

乾いた笑いが喉の奥でひたひたと響いていた。

 

どうでもいい、というよりは。

どうしようもない、から。

 

 

「死んで終わりで良かったのに」

 

きっとこれも無意味な雑音の1つだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の話をしよう。

まだ生きていた頃の、私の話を。

 

入学したばかりの頃から視線は絶えなかった。それは好奇でも、憧れでも、少しの悪意でもない、もっと曖昧で混ざり合った不気味なものだった。

 

教室や廊下、窓越しの中庭。どこにいても誰かの視界の端に私はいた。

理由は分かっている。

 

鏡を見れば否応なく理解できる。酷く整った顔立ち、均衡の取れた輪郭。水色の瞳と、海のような青い髪。

 

綺麗だ、と言われた事は一度や二度じゃない。

 

それがどれだけ価値のあるものなのかは私にはわからない。鏡で姿を映しても、自分の顔だ、と思うだけで。それが特別なものには思えなかった。そうして彼女たちの言葉や多くの眼差しが少しずつ私を削っていった。綺麗だと向けられたその視線の先に私の感情など含まれていなかったから。

 

 

「ねえ、■■さん!」

「一緒の班にならない?」

「少し話したい事があるのですが」

 

柔らかなものもあれば、押しつけるように近付いてくるものもある。遠くからそっと差し出される視線もあった。そのどれもが、形を変えただけの同じ願いだった。

 

私を見てほしい。

私を選んでほしい。

私を、特別にしてほしい。

 

言葉は違えど行き着く先は変わらない。それは色を変え、温度を変え、何度も繰り返されるだけ。誰かのものにならなければどこにも属せないとでも言うような響きが至る所から聞こえてくるようだった。その繰り返しの中で私は少しずつ、誰のものでもない居場所を失っていった。

 

美しさとは罪である。そんな馬鹿げた妄言をどこで聞いたのかはもはや覚えていない。当時はどこか大げさな比喩だと思っていた。自尊心の高い人間が自己陶酔の果てに宣っているだけの妄想を垂れ流しているだけだと。

 

けれど今なら少しだけ分かる気がする。美しさそのものが誰かを傷つけるわけではない。ただ、それらを視界に入れた人間が真面目でなくなるというだけの誰も救われない話。匂いや音のような、暴力的なテロのようなものなのだ。

 

なんてくだらないのだろう。

 

馬鹿げている。

本当に、どうしようもなく。

 

生まれた事すら選べなかったのに。その形で在るだけで苦痛のような意味を背負わされる事への遣る瀬無い苛立ちが私という人格を磨り潰していく。豊かな青空の下をただ歩くだけの事さえ許されない。何も考えずに、何も求められずに、ただそこにいる事すら出来ない事がどれだけ惨めで息が詰まるか。穏やかに生きられないもどかしさが、憎悪という情報を脳内に伝えてくる。

 

当然のように、事件は絶えなかった。

 

取るに足らない些細なものから、笑えないほど深刻なものまで。理由はいつも曖昧で、けれど終着点だけははっきりしている。

 

また、私の所為で誰かが言い争いを始める。

また、私の所為で誰かが泣いてしまう。

また、私の所為で誰かが傷付いた。

 

望んだわけでもないのに。けれど当人である以上、否定する事もできない。私がそこに在るという事実だけが、それそのものが罪であるという裏付けとなるだけだった。

 

やがて、私の周りには、たった一人だけが残った。

 

幼い頃から知っている顔。記憶の中に自然に溶け込んでいる存在。彼女だけは私を特別として扱わなかった。綺麗だとも、欲しいとも、奪いたいとも言わなかった。ただ普通に接してくれた。それがどれほどの救いだったか。どれだけ言葉を尽くしてもきっと伝えきれない。私は彼女を親友と呼んでいた。

 

「大丈夫ですよ」

 

その言葉はいつも同じ調子で差し出される。柔らかく、穏やかで、触れればほどけてしまいそうなほどに優しい。

 

彼女は笑う。その笑顔はよく出来ていた。角度や温度も、すべてが過不足なく整った美しい微睡みだった。見ているだけでつい安心してしまうような、そんな形をしていた。

 

事実、何度もその言葉に救われた。

 

それは私が一番欲しかった言葉だったから。誰かを傷付けたかもしれないという罪悪感。抱く必要のないその重さをほんの少しだけ薄くしてくれる唯一の処方箋。

 

だから、気付くのが遅れたのだろう。

 

最初は、本当に些細な違和感から始まった。私が他の誰かと話していると、彼女の機嫌が僅かに下回った。誰かが声をかけてくると、自然な顔でその間に入り込み、些細な言葉の応酬が、いつの間にか小さな衝突へと変わる事もあった。

 

「どうせ邪な感情を以て接してくるに決まってます」

 

優しさを伴った声音で彼女は私に寄り添う。

 

「彼女は貴女には合いませんよ」

 

気遣いの形を借りた嘘を丁寧に塗り重ねていく。そのどれもが見過ごせる程度のものだった。むしろ守られているような錯覚すらあった。

 

けれど、それは少しずつ形を歪ませていく。

 

気づいた時には、選択肢という概念そのものが私の中から中身の骨ごと削ぎ落とされていた。私が大事に抱えていたものは、いつの間にか取るに足らないと切り捨てた者たちと同じ色をしていた。宝石だと思っていたそれはただの見慣れた石ころに過ぎなかったのだ。

 

光は、最初からなかったのかもしれない。

 

求めて止まなかった当たり前。誰かと笑う事。誰かと放課後に食べ歩きをしながら次は何処に行こうかと笑い合うような日常。大きな意味など何一つなく、誰かに名前を呼ばれる事。

 

そのどれもが、ただ虚しく、静かに切り落とされていく。

残されたのは、最初からそこにあった唯一の関係だけ。

 

それ以外を選ぶ理由も、手段も、もうどこにもなかった。

 

「貴女には私だけが居ればいいでしょう?」

 

その声はあまりにも穏やかだった。

優しくて、柔らかくて、どこか寂しそうで。

 

私は、その時になってようやく思い知る。

 

「大丈夫です。貴女には私が居ます」

 

繰り返される地獄。

一見して何も変わらない調子で。

 

ぐるりと一周する度に、世界は少しずつ狭くなっていく。

 

私が限界に近付き、壊れそうになる度に逃げ場を失った地獄の底で、あの声は優しく迫る。私が限界に近付く度に。壊れそうになる度に。逃げ場をなくした所をあの優し気な声で迫ってくるのだ。拒む理由を丁寧にひとつずつ奪っていくような。少しずつ指が首元を覆い尽くしては口元からあぶくが零れていく。呼吸は出来るのに自由なんてどこにもない。

 

誰かに助けを求めようとしてもそれらは意味を持たなかった。手を伸ばすという行為そのものがどこか空虚に感じられた。だから私は、誰も選ばなかった。選ばないという選択だけが、唯一残された自由のように思えたから。例え選んだとしても、その先にあるのは別の形をした同じ場所だと、もう知っていたから。

 

息をするように繰り返される関係。逃げ場のない優しい檻。どこまでも続く似たような地獄。その輪の外に出る術は最初からなかった。

 

 

 

 

 

「最初から最後まで、誠に最低で酷い人生だった」

 

後は語るほどの事でもない。

結末はあまりにも単純で、呆気ないものだった。

 

部屋に閉じ込められて、火事が起きて。逃げ場なんてなくて、そのまま焼かれて死んだだけ。けれど今はもう、そのどれもが、どこか遠い昔のように思えてしまう、なんて。

 

「呆気ない」

 

呟く。本当に、それだけだった。あれほど長く続いた時間が最後は一瞬で過ぎ去ってしまった。

 

何も残らず、何も変わらず。

ただ、途切れるだけ。

 

私は死んだ。

 

 

――ただ、それだけだった。

 

 

 

 




懲りもせず新しいものを書いてしまった……。
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