あなたは、部室の隅のデスクに座る一人の少女に、ずっと視線を向けていた。
その少女の名前はケイ。
特異現象捜査部の頭脳明晰で容姿端麗な生徒。
眼鏡の奥の瞳はいつも冷静で、口調は容赦がない。
でも、それが彼女の魅力だった。
放課後の静寂を切り裂くのは、規則正しいキーボードの打鍵音と、一人の少女が吐き出す冷徹なため息だけだった。
デスクに座るその少女、ケイは、赤紫色の瞳をモニターに向けたまま、背後からの視線にピシャリと言い放った。
「....何をじろじろ見ているんですか、変態」
第一声から、一切の容赦がない。
だが、その罵倒こそがあなたにとっては日常の挨拶であり、彼女の魅力そのものだった。
あなたはめげずに、にこにこと笑みを浮かべながら彼女の隣へと椅子を引き寄せた。
「ケイちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「却下です。あなたの「お願い」は九九%が不毛、残り一%が有害ですから」
前より悪化してる自らの風評を遺憾に思う。
彼女は気怠げに椅子を回転させ、こちらを一瞥した。白い制服に包まれた細い体。完璧に整えられた銀髪。
無名の司祭が残した超高度AIでありながら、今は一人の女子生徒として目の前に存在する彼女の姿は、今日も今日とて神々しいまでに完成されていた。
「えー、聞いてよ!宇宙の真理に関わる大事なことなんだって!」
「大事なら、まずはその大事だと言う理由を論理的に説明してください。もっとも、私にとってはどうでもいい、非効率的な欲望の垂れ流しなんでしょうけど」
ケイの口調は前より一層刺々しい。
だが、あなたは知っている。彼女はこう見えて、筋の通った(と彼女が判断した)要求には、驚くほど脆いということを。
あなたは深呼吸し、最大限の真剣な顔を作った。
「じゃア論理的に説明するね。ケイちゃんはミレニアムでも一番賢くて、演算も速くて、デザインのセンスも抜群で……それでいて、この学園で一番「猫」に近い存在だと思うんだ」
「猫……?私は高等な自律型プログラム、あるいはその実体化形態です。四足歩行の愛玩動物と混同するなど、カテゴリーエラーも甚だしいですね」
「いや、そこがいいんだよ!普段はツンとしてるのに、たまに隙を見せるところとか、スタイルも良くて…うすほそで...一番可愛いじゃん?」
「うすほそって褒めてるんですかそれ?」
「褒めてるよ!だからさ、その…」
あなたは両手を合わせ、部室の壁が震えるほどの声で叫んだ。
「ケイちゃん!猫吸いさせて!!」
部室の空気が、絶対零度まで凍りついた。
ケイの指がキーボードから完全に離れ、空間に静寂が満ちる。
「.....は?」
「ケイちゃん!猫吸いさせて!君のうなじとか背中に顔を埋めて、スーハーしたいんだ!」
ケイは無言で立ち上がった。そして、近くにあったクッションを手に取ると、一切の躊躇なくあなたの顔面に叩きつけた。
「痛っ!」
「変態!死んでください!この部屋から出ていけ、この肉の塊!変態!変態!!」
罵詈雑言の嵐。だが、その声は微かに上ずっている。本当に怒っている彼女はもっと静かで、もっと怖い。今の彼女は、ただただ困惑し、羞恥しているのだ。
「えー、ただケイちゃんのことを知りたいだけなのに!ケイちゃんのうなじの匂いを嗅いだり、背中に触れたりしたいだけなんだよ!そういう、軽いスキンシップを通してしか得られない、特別な情報があると思うんだ!」
「軽いスキンシップ.....?他人の頸椎付近の空気を吸引するのはどこがどう軽いんですか!そもそも、私は猫ではありませんと言っています!」
ケイは激しく詰め寄ってきた。スカートの裾が揺れ、彼女から漂う無機質で清潔な香りが鼻腔をくすぐる。その香りが、あなたの猫吸い欲にいっそう火をつけた。
「ケイちゃん。お願い一回だけ!五秒!五秒でいいから!絶対に動画とか撮らないし、ただ肺にケイちゃんの成分を充填するだけで.....!」
「その時点で立派な事案です!馬鹿!」
「事案じゃないよ!健全なリフレッシュだよ!ケイちゃんはいつもゲーム開発部やみんなをリードしてくれてるよね。そのアドバイスのおかげで、プロジェクトだってスムーズに進んでる。そんな頑張り屋なケイちゃんを、僕も癒やしてあげたいんだ!僕が吸うことで、ケイちゃんのストレスも一緒に吸い取ってあげるから!」
「…意味が分かりません!ストレスはデータのクリーンアップで解消されます」
ケイは黙ってあなたを睨みつけた。視線が痛い。だが、ここで引けば一生「猫吸い」の権利は得られない。
「ケイちゃん!お願い、一生のお願い!」
「却下です!そんな恥ずかしいこと」
「そこをなんとか!ほら、この前言ってた最新の高級メンテ用オイル、奢るから!」
ケイの眉がピクリと動いた。
彼女は自分のメンテナンスに異常なこだわりを持っている。
「.....」
ケイは周囲を軽く確認した。放課後の部室、人影はない。
彼女は小さくため息をつき、おもむろに立ち上がると、部室のドアを施錠し、カーテンを引いた。
あなたの心臓は早鐘のように鳴り始めた。
「いいですか、よく聞いてください。一度しか言いませんから。二度とこんな不潔な真似を頼むんじゃないですよ。それと、絶対に誰にも言わないでください。.....約束、ですからね」
「う、うん......!」
ケイがあなたの正面に立つ。彼女は深呼吸をして、震える声で告げた。
「変態、最低、頭の中が野生動物でできている馬鹿。……でも、あなたがそんなに必死に頼むなら。……特別に、一度だけ、許可します。感謝してください」
ケイはゆっくりと背を向け、銀色の長い髪を両手で持ち上げた。
あらわになった白い、あまりにも白く細い首筋。
「……さあ、早く。5秒だけですからね」
あなたは慎重に、だが情熱を持って近づいた。
そこにあるのは、冷徴なAIとしての彼女ではなく、一人の少女としての温度だった。
鼻先を髪に触れさせ、そのまま吸い込む。
「スー……ッハー…ッ!」
「ひゃっ!?」
ケイの口から、可愛らしい悲鳴が痛れた。
彼女の肩がびくんと跳ねる。
「っ、何を…そんな、全力で…!」
「スー...ハアァ。最高だ.....ケイちゃん、いい匂いがする…おひさまの匂いと、女の子の匂いが混ざって……」
「や、やめてください!変な感じです、演算回路がオーバーヒートしちゃいます!くすぐったい、です」
ケイの手が、あなたの肩を押し返そうとする。でも、その力はいつもの彼女からは考えられないほど弱々しい。彼女の首筋は、みるみるうちに赤く染まっていく。
「……さん、に、…いち、ゼロ!終了です!!」
ケイがあなたを突き飛ばした。
あなたは床に転がったが、その顔には達成感が満ち溢れていた。
「……満足しましたか?変態」
「うん…すごく、生き返ったよ、ケイちゃん、ありがとう!」
「は?生き返った?さすが変態は感想の次元が違いますね!」
ケイは叫び、顔を背けた。だが、その耳の先まで真っ赤になっているのを見て、あなたは確信した。彼女は嫌がっているだけではない。
「変態!最低!でも……あなたが、そんなに嬉しそうな顔をするなら、まあ、今回だけは、貸しにしておきます」
彼女はそう言って、あなたの胸を軽く叩いた。
ケイは再びデスクに戻り、モニターに向かった。ブラインドの隙間から差し込む夕陽が、彼女の赤い類を照らしている。
「これで貸し1つ、ですからね。来週からの新プロジェクトが始まるのであなたも手伝ってください。」
「えー、多分来週もさっきの余韻で胸がいっぱいで…」
「死ね!」
ケイはマウスを投げつけてきた。
でも、その一言の後には、ほんの小さな、誇らしげな笑みが浮かんでいた。
ミレニアムの放課後は、今日も少しだけ甘く、不潔で、そして明るい空気に包まれていた。
「……ケイちゃん、もしかして、来週もやっていいってこと?」
「あなたは本当に、救いようのない変態ですね!!」
その日から一週間、あなたはモモトークをブロックされた。