ミレニアムサイエンススクールの午後。
部室には、先ほどまでの甘酸っぱい空気など微塵も感じさせない、冷ややかな空気が舞い戻っていた。
「……目覚めましたか、変態」
デスクに戻ったケイが、キーボードを叩く手を止めずに言い放つ。その背中には「これ以上の接触は物理的排除の対象となります」という見えない警告文が浮き出ているようだった。
「ケイちゃん! 最高の目覚めだよ! まるでOSをクリーンインストールしたみたいに頭がスッキリしてる!」
「それは逆に扱いづらいのでは?では、次回の実地試験用シミュレータの構築を開始してください。あなたの脳機能が回復した以上、一秒の遅延も許容されません」
相変わらずの辛辣な言葉。だが、あなたは知っている。今、彼女の銀髪の隙間から見える耳の先が、まだほんのりと朱に染まっていることを。膝枕の余韻は、彼女の中にも確かに残っているのだ。
あなたは調子に乗った。三徹の疲れが取れ、生存本能よりも欲望が優先順位のトップに躍り出た。
あなたは椅子のキャスターを全力で回転させ、彼女の隣に滑り込んだ。
「ねえ、ケイちゃん。さっきの膝枕で確信したんだ。僕たちの相性の良さは10000%を超えてる。……だからさ、次はもっと高度な関係を目指すべきだと思うんだよ!」
「……。不吉な予感しかしません。その支離滅裂な論理を展開する前に、三回ほど自問自答をして、自身の異常性に気づくことを推奨します」
…1…2…3、異常なし!あなたが口を開こうとした時ケイがようやくこちらを向いた。その目が、蔑むようにあなたを見つめている。
だが、あなたは最強の「提案」を口にした。
「ケイちゃん! デートしよう! ミレニアムの外に出て、最新のホログラム展示を見たり、パフェを半分こしたりするんだ! これぞ究極のメンタル・アップデートだよ!」
部室の空気が、今度こそ完全に凍結した。
ケイの指がピタリと止まり、彼女の周囲にほのかな熱気がが渦巻き始める。
「……デート? パフェを、半分こ…?」
「そう! ついでに、その、……外でなら、人目があるから僕も少しは理性を保てると思うし……いや、やっぱり保てないかもしれないけど、とにかく! ケイちゃんと『特別』な時間を共有したいんだ!」
あなたはさらに前のめりになった。
「膝枕が応急処置だったなら、デートは……そう、正規のシステム監査みたいなものだよ! 君が僕という人間を、外の世界で正しく評価するための——」
「——黙ってください!」
短い、氷のような声だった。
ケイがゆっくりと立ち上がる。その瞳には、先ほどまでの優しさなど欠片も残っていなかった。
「……あなたは、一度の例外的な温情を、全権の譲渡と勘違いしたようですね。私が膝を貸したのは、あくまで緊急事態における人道的支援に過ぎません。それを『デート』などという、論理の欠片もない不潔な単語に結びつけるとは……」
「えっ、でもケイちゃん、顔がまた赤くなって——」
「……黙れと言っているのです、この肉の塊!!」
ケイがデスクの上のタブレット端末を起動した。
「度重なるセクハラ、及び私の論理回路への深刻なノイズ混入。……事態は深刻です。これ以上の対話は無意味と判断。物理的な距離の確保を最優先事項として実行します」
「待って! ケイちゃん! デートがダメなら、せめてもう一回猫吸い——」
「有罪!!死刑!!」
次の瞬間、部室のドアが凄まじい勢いで自動開放された。
同時に、あなたの椅子のキャスターに内蔵された緊急脱出用?のブースターが、ケイのハッキングによって強制点火される。
「うわあああああ!!?」
「一週間……いえ、一ヶ月は私の視界に入らないでください! この、……この、救いようのない、変態!!」
廊下へと射出されるあなた。
視界の端で、部室のドアが「バタン!!」とこれ以上ないほどの音を立てて閉まるのが見えた。
自動ロックがかかる音が、静かな廊下に響き渡る。
あなたは廊下の突き当たりで派手に転んだが、不思議と衝撃は軽かった。
閉ざされたドアの向こうで、ケイが真っ赤な顔をして自分の膝を抱え、「……信じられません、パフェを半分こなどと……」と小声で毒づいていた。
ミレニアムの午後は、今日も少しだけ騒がしく、そして絶望的に甘い「拒絶」に満ちていた。