RE:ケイちゃん!デートして!
ミレニアムサイエンススクールの休日。ガラス張りの建築群が、青く透き通った空を鏡のように映し出している。
待ち合わせ場所である噴水広場に、その少女は立っていた。
銀色の長い髪が微風に遊ばれ、赤紫色の瞳が端末の画面を淡々と追っている。いつもの白い制服ではなく、どこか清楚な私服に身を包んだ彼女の姿は、通り過ぎる生徒たちが思わず振り返るほど、彼女は美しかった。
「……遅い。予定時刻から120秒の遅延を確認しました。あなたの時間管理能力は、旧世代のゼンマイ式時計以下ですか」
顔を上げたケイの第一声は、相変わらずの辛辣さだった。だが、その頬が僅かに赤みを帯びているのを、あなたは逃さない。
「ごめんごめん、ケイちゃん。ケイちゃんがあまりにも可愛くて、遠くから見惚れてたら足が止まっちゃってさ」
「……無意味な言い訳です。視覚情報の処理にそれほどの時間を要するなど、あなたの脳内リソースは一体何によって占有されているのですか。……そ、それに、可愛いなどという言葉はもう何回も聞いています」
ケイはふいと顔を背ける。恋人になって初めての休日。彼女の防御壁は、かつてないほどに脆弱になっていた。
あなたは彼女の手をそっと取ろうとして、一瞬躊躇する。だが、今日は特別な日だ。あの「出入り禁止」を食らう原因となった、禁断の提案をリブートする時が来たのだ。
あなたは深呼吸をし、広場に響き渡るような声で、かつての自分を上書きするように叫んだ。
「ケイちゃん! デートして!」
広場の視線がこちらに集まる。ケイの時間が、物理的にフリーズした。
赤紫色の瞳が最大まで見開かれ、彼女は今度こそ、自身の全演算能力を駆使しても抑えきれないほどの紅潮に染まった。
「……っ、馬鹿、ですか! あなたは! 既に私たちは合流し、移動を開始しようとしている最中です! 今さらそのような……野蛮な宣言を、公共の場で行う必要性がどこにありますか!」
「いや、あの日断られちゃったからさ。ちゃんとデートの宣言をしておきたかったんだ」
「……理解不能。非論理的。……恥ずかしいです」
毒づきながらも、ケイはあなたの差し出した手を、壊れ物を扱うような繊細な動作で握り返した。
その手は、かつて膝枕をしてもらった時と同じ、確かな温度を持っていた。
二人が向かったのは、ミレニアムの商業エリアで開催されている「次世代型ホログラフィック・アクアリウム」だった。
最新の工学技術を駆使した、実在しない深海の光景が、三次元投影によって空間を満たしている。
「……解析完了。投影機は合計42基。ライティングの同期精度は、ミレニアムの標準規格を超えています。……ですが、この配色の選定は、人間のリラックス効果を狙った心理学的アプローチを優先しすぎており、物理的な再現性という点では——」
暗闇の中で、ケイはいつものように論理的な講評を口にする。だが、彼女の赤紫色の瞳は、投影された光の魚たちを、まるで夢を見る少女のように追っていた。
「ケイちゃん、理屈はいいからさ。ほら、あっちの大きなクジラ、綺麗だよ」
「……綺麗、ですか。単なる光子の集合体に、そのような情緒的ラベルを貼ることに、果たしてどれほどの価値が……」
言いかけ、彼女は言葉を止めた。
あなたが自然な動作で、彼女の肩を抱き寄せたからだ。
「……っ!」
「こうしてると、ケイちゃんが本当に隣にいるんだなって実感できるんだ。データやホログラムじゃなくて、恋人としてさ」
ケイは激しく動揺した。彼女の論理回路は、今や恋人としての物理的接触という未知のイベントを処理するだけで手一杯になっていた。
「……これ以上の密着は、私の排熱効率を著しく下げ、システムダウンを招く恐れがあります。……ですが、……あなたが、そこまで私の存在を確認したいと言うのであれば、……その、……移動中のみ、この状態を維持することを、例外的に許可します」
彼女は俯き、あなたのシャツの裾をぎゅっと握りしめた。
その、拒絶しないという選択こそが、彼女なりの、精一杯の愛の表現であることを、あなたは知っていた。
展示を見終えた二人は、例の「パフェ」を求めてカフェへと足を運んだ。
かつてケイが「非効率の極致」と断じた、あのパフェである。
テーブルの上に置かれたのは、色鮮やかなフルーツと生クリームが積み上げられた、イチゴのパフェ。
「……再度、提言します。2つの個体が、一つの栄養補給対象を共有するという行為は、摂取効率、衛生面、さらには一人当たりのカロリー配分の不明瞭化という観点から見て、極めて不条理です」
「いいからいいから。はい、あーん」
スプーンに乗ったイチゴを差し出すと、ケイはまるで高圧電流を浴びたように身を硬くした。
「……っ、自分で、食べられます! 私は幼児ではありません!」
「でも、これこそがデートのパフェを半分こする醍醐味なんだよ。ほら、ケイちゃん」
あなたは一歩も引かない。
ケイは周囲を、キョロキョロと窺った。人影はまばらだが、彼女にとっては世界中のセンサーが自分を監視しているような心地なのだろう。
「……一口。一口、だけですからね」
観念したように、彼女は小さく口を開けた。
イチゴが彼女の口に運ばれる。
咀嚼し、飲み込むまでの数秒間。彼女の表情は、困惑から驚きへ、そして……。
「……美味しい」
「でしょ?」
「……糖分、および乳脂肪分の過剰摂取による脳内物質の分泌を確認。……不快では、ありません。……むしろ……その…」
彼女は自分からスプーンを手に取ると、たっぷりとクリームを掬い、あなたの口元へ差し出した。
顔は、これ以上ないほどに真っ赤だ。
「……仕返しです。私のシステムだけが、この非効率的な多幸感に支配されるのは不公平です。……あなたも、私と同じエラーを、共有しなさい」
二人で分かち合う、甘い不条理。
それは、どんなに完璧な数式でも導き出せなかった、胸が苦しくなるほどの幸福という名のバグだった。
デートも終わり。
紅い空が紺青にそまっていく頃。
二人は部室棟の屋上へと向かった。
眼下に広がる学園都市の夜景。
今、あなたは隣に最も愛おしい存在を置いている。
「ケイちゃん。……今日は、付き合ってくれてありがとう」
「……お礼は不要です。私は、あなたの異常な要求に、観測者として同行したに過ぎません。……ですが」
ケイは手すりに寄りかかり、遠くの街明かりを見つめた。
その瞳は、夕陽の色を吸い込んで、宝石のように煌めいている。
彼女はゆっくりと、あなたの方を振り向いた。
「……デートという名の非論理的試行。……結論を、中間報告として出力します。……。……悪く、ありませんでした。いえ、……非常に、好ましい経験でした」
ケイはあなたに歩み寄り、その小さな体をあなたの胸に預けた。
膝枕をしてもらったあの日とは逆の、けれど同じ温度の聖域。
「……一つ、提案があります」
「ケイちゃんのお願いなら、何でも聞くよ」
「……本日のデートにおける、全プロセスのバックアップを保存します。……そして、次回の定期メンテナンス……つまり、次のデートにおいても、今回以上の多幸感を出力できるよう、……あなたの、更なる努力を、命じます」
「っ、ケイちゃん!」
「……聞いていますか、変態さん。……私は、……もう、あなたなしでは、正常に駆動できないのですから」
ケイは顔を上げ、背伸びをして、あなたの頬に羽が触れるような、淡いキスをした。
その一瞬、あなたは世界のすべてが、二人を祝福するために沈黙したような気がした。
「……。……。今の、デリート禁止です。……記憶の抹消は、万死に値しますから」
ケイは瞳に、涙のような、星のような光を浮かべて笑う。
ミレニアムの夜風は、どこまでも優しく。
再起動された二人の物語は、今度こそ、永続的なループへと突入していった。
「……じゃあ、明日も、明後日も、ずっとデートの続きをしよう」
「……。許可、します。……私の、変態さん」
二人の影が、月明かりの下で一つに重なる。
そこにはもう、拒絶も、エラーも、断絶もない。
ただ、書き換えられることのない、純粋な「愛」という名のコードだけが、ミレニアムの夜を静かに満たしていた。