『鳳凰』とは何であろうか?
『鳳凰』は『伝説上の霊鳥』である。
新しき世を治める天子の出現に合わせ、その姿を見せる『瑞獣』のひとつに数えられている。
遡れば古く、『鳳』という字は『風』という字の原型であり、すなわち『鳳凰』は『風の神』である。それから時代は下り、五行説の興りは、その説の中で南方を守護する霊鳥『朱雀』と『鳳凰』を結びつけ、『鳳凰』は赤という色と火という属性を備えた。そして、火という属性を持つ東洋の霊鳥は、自らが焚いた火に身を投げて蘇るという西洋の霊鳥『フェニックス』とも同一視され、『鳳凰』は『不死鳥』とも見られるようになった。
『鳳凰』は時代とともに姿と性質を変えながら、東アジア全域の物語や説話などに現れ、装飾や絵図などにその姿を残している。『鳳凰』を『神話世界の渡り鳥』と呼ぶのも言い過ぎではないだろう。
では、麻雀における『鳳凰』とは何であろうか?
麻雀牌に描かれる『鳥』は{1}であるが、麻雀の前身に当たる
馬弔から麻雀となり、一索は『鳥の頭』からまるまる一羽の『雀』が描かれるようになった。そして『雀』からより鮮やかな『孔雀』が描かれるようになり、その流れで『鳳凰』も描かれるようになる。
また、一説には三元牌の「発、『中』、白」は元々「龍、『鳳』、白」であったという。何故にそのような変化が起こったかというと、政変により前王朝の象徴であった「龍」の字に「発」を当て、その流れで『鳳』は『中』になったという。
本来、麻雀に『鳳凰』はいなかった。しかし、時の流れは『鳳凰』を卓上に行きつかせた。今も『鳳凰』は、麻雀にいる。
「宣誓。我々は競技者精神に則り、己に舞い降りた行幸に驕らず、また降り掛かった理不尽に腐らず、最後の一打まで健闘することを誓います。
選手代表、
初老の婦人、熊倉 トシの品のある穏やかな声はマイクを通して隅々までしみ渡った、天井までの高さは10メートルあり、40メートルの奥行きと30メートルの幅、柱の一本もない走りまわるのに適したホール、体育館の中に。
熊倉 トシの後ろには、1列約30人が8列の総勢239人の女性が整列していた。彼女達、総じて日本人ではあるものの一律ではなく、年齢は上と下で15歳ほどの開きが見受けられ、身長の差はそれ以上の開きで30どころか50センチの差はあろうかという程、肌の色合いも白桃のような瑞々しく色白い人もいれば、キャラメルのような濃い色合いの人もいて、まさに十人十色であった。そんな彼女達の誰かが拍手をし、間もなく、一人また一人と拍手は広がた。
しばらくして、トシも含めた彼女達が向かい合う体育館ステージ上に立つ白髪の男性が、拍手が落ち着き始めたのを見計らってマイクを口元に持っていく。
「では、これより
はたして、背中に三点の○を太い線で結んだ図形に『三元杯』の文字がプリントされた銀色のジャンパーを着用した大会運営スタッフが、待機していた体育館の壁際から動き出した。
列を崩した240人の選手達に残る人と残らない人に「ああして」「こうして」と声を掛ける人、人がはけたのを確認してから同じく壁際で待機していた雀卓を指定の位置まで押していく人、その雀卓の周りに映像機器を設置していく人などなど。
こうして、『三元杯』開会式の静謐を保っていた体育館は、250人超の雑談と雑踏の音に埋め尽くされた。
映像は止まり、切り替わる。映ったのは、机ひとつに並んで座った二人の女性の姿、一人は短く整えた髪にスーツを着込んで佇む二十半ばの女性、もう一人は長い髪を背中に流して着物を着こなした二十そこそこの女性。
最初に口を開いたのは短い髪の方だった。
「………はい。以上が開会式の模様でした。これより実況はわたくし、
「いやぁ~、本当にトシさんが出るんだねぇ。こういったちゃんとした映像が残る大会に出るなんて、いついつ振りだろうかねぇ~」
「その通りです。実業団の監督、高校の顧問とそのどちらも指導者として結果を残してきただけに、ご本人が明言こそしていませんでしたが、一線を退いたというのが一般の認識でした。
それが今大会での参加表明。『熊倉監督』ではなく『熊倉選手』という響きを耳にするのは往年の熊倉 トシファンならずとも胸が熱くなるのではないのでしょうか?」
「でも、もったいないよねぇ、普通にプロの大会に出るんなら私達が全力でお持て成ししたのに。中規模のアマチュア大会じゃ、な~んの山場もなくトシさんがサクサク勝って終るんじゃないの?」
開始早々、大会レベルを疑問視する発言を無造作に現役のプロが繰り出し、間近でその直撃を食らった実況は、目眩に見舞われながらもそれを一瞬で抑え込み、フォローの言葉を投げ返す。
「た、確かに総参加人数240人で大規模という訳ではありませんし、現役のプロはいません。しかし、参加者は元実業団選手やインターカレッジ、インターハイの全国経験者を選りすぐっています。本大会はそのアマチュアの中で最高クラスといっても過言ではありません」
言いきって、ふんと鼻を鳴らした針生 えりを横目に、三尋木 咏は投げ返された言葉に少し付け足す。
「まあ、プロ志望とかプロ手前とかの中から厳選された面子の大会ってなら、トシさんもプロとアマの境界線の上でフラフラしているところがあるし、そーゆー意味じゃ、あの人が参加するのに相応しい大会かもしれないねぇ、知らんけど」
それを最初から言え、という怒声を飲み込んで。
「……本大会注目度ナンバーワンの熊倉選手ですが、本日の試合予定はありません。放送第一回の今日は、特別編成でこのまま『三元杯』の模様を生放送でお送りします」
「で、卓は八つ立ってるけど、どこ見るんだい」
「はい。大会初戦のAブロック第一試合、チームAAとチームABの模様をお送りします」
「その{一索}、ロンします」
{白白発発発中中中23} {横⑤④⑥} ロン・{1}
うっすら蒼白い肌の彼女は、眼鏡越しの上目づかいに相手を見据え、丁寧に手牌を倒した後、静かに声を置く。
「12000です」
小麦よりも濃い茶色い肌の女性は眼鏡の焦点を合わせ、自分が{1}を河に放って倒された相手の牌を見、そして自分の手配を見直した。
{六七⑧34白白} {横東東東} {裏③③裏}
(相手に槓ドラが乗らなくてよかった、なんて無邪気に喜べない。当たっても中ドラドラと高をくくるのが油断、まだ予選第一試合で……)
放送席では、えりが目を丸くして言葉をなくし気味で、咏が口を丸くして感心していた。
「あ、え~と………Aブロック第一試合三回戦オーラスですが、いきなり終わってしまいました」
「あれで{⑤}チーか」
「その……、やはり、あの手配では跳満をかわすのは厳しかったのでしょうか?」
「あ、ごめん。さっきの対局の牌譜みてるから適当につないで~」
生放送の最中にも発揮される解説・三尋木 咏のマイペースぶりだが、そこからにじみ出る、やる気を感じ取った実況・針生 えりは、安堵をもって仕事に戻った。
「では、第四戦が始まるまでに、この『三元杯』の特殊ルールについておさらいしておきます。
この『三元杯』は3vs3のチーム戦。基本、二人参加、一人控えの形で一回戦毎に選手を交代し、東風四回戦を行います。席順は対局開始時に東南と西北をチーム別に連座し、それを一回戦毎に交代していきます。
一人の持ち点は3万点、また0点未満の選手一人につき、ペナルティとしてチームの総合得点から、さらに1万点のマイナスとなります。それと、同チーム間での放銃は、通常の支払いとは別に放銃した人間が供託に4000点を積まなければいけません。同時に、ロンアガリしたチームメイトも供託棒を受け取る権利はありません。なお、ツモアガリは通常通りの処理が行われます。
また、ラス親のアガリ止めはありですが、オーラスのみ供託棒が一本でもある場合、親がノーテン流局でも親番続行で連荘をします。繰り返しますが、これはラス親のみに適用されます。
そして、赤アリ、裏アリ、槓ドラアリのクイタンなしで試合は行われます。一回戦毎のオカやウマはありません。いくつかの例外はありますが、純粋に四回戦オーラス終了時点で点数の高いチームが勝利です」
一通り説明しきって区切りがついたところで、意識をとなりに向けると、頬杖ついて自分の横顔をじっと見ていた咏と目が合った。えりは少しびっくりしたが、それは声色におくびにも出さず。
「それでは三尋木プロ、三回戦オーラスの解説をお願いいたします」
「三風刻を説明し忘れてるよぉ~」
「おっと、失礼しました。本大会では公式大会の役の他に、風牌の刻子もしくは槓子が三つで成立する三風刻を採用しています。
例・{北北北西西西} {横南南南} {裏裏裏} {裏裏}
三風刻単体では二飜ですが、役の性質上、オタ風のみで作る以外は自風もしくは場風が複合する為に3~4飜となる可能性が高い役といえるでしょう。
それでは三尋木プロ、改めて先程の対局の解説をお願いします」
促されて、どう口火を切るか思案する咏は、Aブロックの麻雀卓が選手交代を終えて滞りなく席が埋まっていく様子を目に収める。
「まあ、時間もあんまりないっぽいから、解説はざっくりいくけど、跳満に振った……ええっと、
「しかし、新井選手はラス親でチームも600点とはいえ負けている状態、第四戦のラス親が相手チームで確定していることも考えますと、それに途中で古塚選手は{発}をツモ切りしていますし、この最悪の放銃も仕方がないのではありませんか?」
「ん~、どうだろうねぇ。チームの仕上がり具合からするとアシスト期待でもう少し踏み込んだ打ち方が出来たかもね。まあ、安易なベタオリをしなかったのは良かったけどねい」
「ん?三尋木プロ、本大会のチーム結成は選手達が顔合わせをした今朝から開会式までの間ですよ、細かいルールを知ったのも今日。しかも、今は第一試合です。そんな状況で、いくらなんでもチームの仕上がり具合を考慮して打ち回せというのは酷ですよ」
「あ~、言われてみりゃそーだねー、こりゃ一本とられた、あはははははー」
咏は大声で笑い飛ばした後で。
「………でもさ、この場合の最悪ってーのは大三元くらって根こそぎ持っていかれる事でね。そーゆー意味じゃ、トドメは差されちゃいないんだよねぇ」
「な、なるほど、まだ勝負の行方はわからないという事ですね。さて、両チーム共、得点が一万点代のチームメイトを交代、チームAAが7万7400点、対するチームABが10万2600点で、4回戦が始まります」
Aブロック第一試合四回戦東一局 ドラ・{⑤}
その七順目。
「ポン」
親は発声から{九}を切り、卓上を横切って伸びた手は、{七}をつかみ取り、あらかじめ倒してあった二枚の{七}に加えた。
左側で行われた一連のアクションをその目に収めた南家の
(クイタンはないから……)
さっと考えをまとめてから、引いてきた牌と13枚の手配を見比べる。
{七八②③④⑤⑥⑦⑦⑧346} ツモ・{2}
やえは迷わず{⑦}を切った。
その瞬間、やえの正面は目を丸くし、右が顔を曇らせ、左からは声が上がった。
「ポン」
三枚の{七}の上に{⑦}が三つ並び、河に{五}が放たれた。
二つ目のポンに人知れず息を飲んだのは鳴いた人間の正面に座していた古塚 梢だった。
上家の河に新しく{6}が流れたのを確認してから、梢は牌を取る。
{1227789南南西西発発} ツモ・{東}
(ダブ東か三色同刻のみで2900。両方ならトイトイも確定の18000。
……いや、この状況、かえって開き直れる。私は、七対子で突き進みます)
梢は引いて来た東を手配に収め、{8}を抜いた。
そして大いに悩んでいるのは、梢のチームメイトにして次に番が回ってきた
{三四五八八4568東東中中} ツモ・{②}
(これはツモ切りでいいとして、目指すはポンして1000点。{7}がきたら{八}落とし。敵チームの連荘が一番怖いし、ここは最後までアガリを狙おーか)
「よーし。じゃ、この牌だ」
{②}が切られる。その後で上がる声はなく、そのまま次に回った。
次の一巡、やえが手牌から{⑧}を出した事以外、全員がツモ切り。
その次の一巡も、鳴いた親以外がツモ切り。しかし、その四人目の花子が{九}を切った、その時。
「ロン」
やえが牌を倒した。
{七八②③④赤⑤⑤⑤⑥⑦234} ロン・{九}
「え、そっち?」
「うん、こっち。8000点ね」
「へへ、もったいねーな。リーチするか高い方かで跳ねてたじゃん」
「あっそ」
素っ気ない態度の合間に、やえは自分の安い方で上がった手配に目を落とした後、上家のチームメイトを一瞥してから、雀卓の真ん中にぽっかり空いた牌の投入口に手牌と河や山の牌を落としていく。
(ま、『連荘にこだわらず、三回のアガリで勝ちきる方が大事』ってのは納得してるから、ちょっとらしくないアガリをネタに揺さぶられてもどうって事ないけどね)
やえが一人納得した頃には、卓上に牌はせり上がってきた。
放送席では、眉をひそめる実況と鼻歌を唄いそうな解説がいた。
「小走選手、対面の浅見選手から満貫直撃。これでチームの点数を85400点にし、相手チームとの点差を9200まで詰めました。しかし、その、ちょっと勿体ないアガリのような気もしますが……」
「ん~、どこらへんが?」
「その、満貫止まりもそうですし、一聴向のチームメイトの親を蹴っちゃってるしで……」
「そう?{7}ポンがセットプレイとして不成立、その上、肝心の親が生牌の{発}を掴まされて手詰まり。むしろ、高め一通多面張とかにこだわらず、ピンフを貫いてアガれる時にアガった小走選手を誉めるべきなんじゃないの。
ああ、その論法でいったら切りたい牌を切らずに鳴き合いを抑え込んで、小走選手一人だけが真っ直ぐアガリに向かえる状況を演出した強い意志も誉めるべきなんかねぇ、知らんけど」
「な、なるほど、悪手に見えた子の満貫にもそのような深い攻防があったのですね。しかし、親の連荘と跳満の可能性を捨ててのアガリ、点差もほぼ1万点、追う側としては依然として厳しい状況が続きます」
「おいおい、距離感、間違えてるぜ。こいつは1位から4位までを決める通常の四人麻雀と違って、計6人で入れ替わっても卓上で競ってんのは2チームのみだっつーの」
「は、はあ……」
えりは生返事で返してしまったが、咏の指摘を受けて簡単なイメージを思い描く。
通常の四人麻雀は四つに分かれて四つ巴、今大会は二つに分かれて対決する。そこで妙な引っ掛かりを覚えた弾みで、えりは卓上を飛び交う点棒の総和が基本的に同じである事を思い出した。その途端、思わず「あ」と声を漏らした。
「失礼しました。先程『ほぼ1万点差の9200点を追い上げるのは厳しい』と実況しましたが訂正します。
2チーム間のみで点棒のやり取りをしている以上、自チームがプラスした分は必ず相手チームのマイナス分として数字に反映されます。よって、表示される点差が9200点でも、チームの総合得点で4600点を稼いだ時点で同点となります。つまり、両チームの点差は実質4600点です」
「はい、よくできました」
最後に添えられた一言で沸騰しかけた苛立ちを飲み込んで、えりは実況のプロとして咏に話を振る。
「さて、第一試合も残り三局、実質4600点差で逆転も充分に射程距離圏内です」
「ま、赤ありな上にクイタンなしだから、かえって4600点なんて簡単に吹っ飛ぶ展開目白押しだしねぇ」
「つまり、これより先、両チームともにミスの出来ない領域に入ったといってよいでしょう」
Aブロック第1試合4回戦東2局 ドラ・{西}
鳴きもなく、全員の手が面前で進む中、北家が{②}を手牌から切った時、実況席が色めいた。
「{②}……ですか」
「う~ん。こういうのは、きついよねぇ」
えりと咏が見る画面に移った手牌、それは……。
{一二三六七八②⑥⑦⑧678}
「{一}のツモアガリ拒否は、やはり親被りを避けての事でしょうか?」
「うん、普通にそうだろーね。まあ、ツモアガリの場合、動く数字は1300・2600でもチームとしてのプラスは2600点止まり。実質2000点差まで詰め寄れるけど、残り2局とも相手チームの親番ってことを考えると、最低でも今回のアガリでプラマイ0くらいにはしておきたいよねぇ」
東家・小走 やえ
{一二三四②③③8889西西} ツモ・{③}
(リーヅモ三暗。ふふふ、これぞ王道……いやいや待て待て、リーチのみから大連荘の方が恰好いいかなぁ?ま、いいや、とにかくアガろう)
打・{9}
南家・古塚 梢
{七九九②③④⑤⑥⑦⑧発発東} ツモ・{八}
({発}を鳴くのが最良。しかし、私から見える{発}は手配の二枚のみ。期待はしないでおきましょう)
打・{東}
西家・浅見 花子
{一三三⑥⑦⑨122377発} ツモ・{7}
(う~ん、タンヤオのみかなぁ)
打・{発}
「ポン」
「ひゃっ!?」と変な声を発してしまった花子だが、鳴きの相手が上家のチームメイトから発せられた物と知って、ほっと胸を撫で下ろした。そして、{九}を打ち、梢が鳴いた{発}を取る最中、それとなく、花子に微笑んでみせた。
軽く見回して誰も鳴いてこないと確認してからすぐに回ってきた花子のツモは{⑧}。
(んじゃ、タンヤオや~めたっと)
手牌から{2}を打った。
北家が少しの間を挟んで{一}を切ってから、鳴きのないままそれぞれの手は進んでいた。
そして、声が上がる。
「リーチ!!」
「その{②}、ロンします」
小走 やえの力強い宣言は、その直後に差しこまれた古塚 梢の静かな勧告に上書きされた。
{七八九②③④⑤⑥⑦⑧} {発発横発} ロン・{②}
放送席。今度はどちらも平常な二人。
「発のみ、1000点です。これはどうですか、三尋木プロ」
「大きいんじゃないの?振り込んだチームにしてみたら、逆転を狙ってツモアガリを拒否と高目を追求した挙げ句の放銃だし。まあ、点数が1000点ってーのが不幸中の幸い。実質5600点差は全然安全じゃないけど、ここできっちり突き放すあたりが強豪・劔谷高校の元部長だねぇ」
「さあ、逃げ切るか、差し切るか、残り2局です」
Aブロック第一試合四回戦 東3局 ドラ・{三}
5巡目。
北家のやえは牌に悩まされていた。
{北北白白⑦⑧一一三四六七八} ツモ・{五}
(ん?んん~~………。
ま、いいや、奇襲云々は相方の仕事。私は一直線に押していきましょう)
やえが悩みを振り切って打った牌は{⑧}だった。
次巡、6巡目の親の梢は、顔が強張っていないかどうかを意識しながら牌を取った。
{一三五六①③⑥⑦⑧⑨5東西} ツモ・{5} 打・{西}
(ツモがききませんね。平時ならこの惨状を嘆いていた所ですが、幸いにも今はコンビ打ち。自力で突き放す事が望めない現状、理想は浅見さんが総合得点に8000点以上のプラスでアガリ、私の親を流してくれる事。それが叶わないのなら、最悪、浅見さんへの差し込みも視野にいれましょう。オーラス以外なら、味方への差し込みでも親は流れた筈)
梢が考え事をしている最中、下家の花子は手牌から{7}を切った。
(ドラの受け入れを捨てたその一打、期待していいですか?浅見さん)
事件が起こったのは10巡目の最後。やえが{一}の隣に、横に倒した{横一萬}を並べた。
「リーチ!!」
回ってきた梢の手番。
リーチ宣言のあった相手の捨て牌。
{①2南4⑧⑦中赤⑤一横一}
それと手に取った牌と面前の13牌を見比べる。
{一三五六六③③⑥⑦⑧⑨55} ツモ・{七}
(萬子は{一}以外、打てそうにもありませんね)
{⑨}を切る。当然、何事もない。
{4}、{2}、{⑧}の順で全員がツモ切り。
ぐるりと回ってきた梢が引いたのは{南}。やえの河を一瞥し、一枚切られている事を確認。
(見えていた{南}はその一枚だけ。リーチ者の現物である事は魅力ですが、対面が索子に染めている可能性を考慮すれば打てない牌。しかし、その上で、万が一にも浅見さんが私の様に{南}を掴んでしまえば、そうなると二人して沈む事になる。その挙げ句に高い手をツモられたら………)
{南}を打つ。
発声は「ポン」。
声の上がった先に目を向けた梢は、{南南③}の3枚を倒した浅見 花子の姿を目に収めた。
「任せて、軽く蹴っ飛ばしてやるから」
{二二二 九九 ④④④⑤⑥} {横南南南}
嬉しい誤算を見守った梢は、その後に続いた意外な打牌にも目を奪われる。
対面が取った牌を手配に加え、一枚抜く。そうして、薬指に押されて河に並んだ牌は{赤5}だった。
(え?)
やえは{⑨}を切り、親の梢は{②}をツモる。梢は対面の河、特にひとつ前に捨てた{赤5}に視線を注ぐ。
(意外ですね。味方のアガリ牌濃厚な萬子を掴んだとしても真っ先に{赤5}を切る道理はない筈。単純な降りではなく、テンパイかイーシャンテンは警戒しておきましょう。
染まっていないのなら三色。逆に染まり過ぎて溢れたのならチャンタ混一。清一はない、あったとしても愚形でしょう)
梢はそのまま{②}を捨てた。
「カン」
警戒していた対面からその声が上がった瞬間、落雷のような閃きが梢を駆け抜けた。
(まさか、大明槓責任払い!?嶺上牌でアガられたら、私の一人支払い)
ドラ表示牌である{二}の隣の牌が表に返る、現れたのは{8}。その後に起こった事は河の{赤5}の隣に、引いて来たもうひとつの{5}が河に並んだだけだった。
梢がほっと息をつく合間に、やえから再び梢、そして浅見の全員がツモ切りして、ぐるりとひと回り。しかし、カンした西家は一人違い、手牌から{①}を捨てる。梢はその捨て牌に眉をひそめた。
果たして。
「ツモ」
何処か神妙なやえの宣言が、卓上に響いた。
{北北北白白白三四五六七八九} ツモ・{三}
「リーチ、門前、混一、白、北………」
やえの手が{二}と{8}の二枚の牌をどかし、下の二枚の牌をめくる。{8}の下から現れた{西}が目に飛び込んでくると、気持ちと一緒に声まで突き抜けた。
「ドラ5!!
6000は12000!!」
梢は目眩を覚えた。
やえの強烈なアガリもそうだが、それとは別の意味で、対面の最後の捨て牌に目を奪われた。手出しの{赤5}、リンシャンツモ切りの{5}、手出しの{①}。その向こう側には、{②}の大明カン。
(………嶺上開花、アガリ損なったのか、捨てていたのか。それとも私の考え過ぎ、でしょうか)
放送席の第一声は針生 えりの張った声だった。
「決まりました!!三倍満ツモ!!親被りの12000と子の6000で合計18000点のプラス、これによりチームAAは総合得点を10万2400点とし、実質1万2400点差で逆転しました!!」
「気持ちのいいツモアガリだったねぇ。一通の倍満確定だけど{二}のペンチャン待ちを最終形とはせず、飜数を下げても三面張リーチ。そっから高目をツモアガって裏ドラまでしっかり乗せての三倍満。いやはや」
そこで解説に区切りが入ったのを確認してから。
「実際、{二}は浅見選手が三枚、ドラ表示牌に一枚で完全に枯れていましたから、その一点だけでも小走選手の判断の素晴らしさがうかがえます。こうなると、ひとつ前の嶺上開花・ドラ3をアガリ損なった事が返って良い結果になったと言えるでしょう」
「ま、{赤5}切る前はこんな感じ(下記参照)だったから、ダマのイーペーコーよりもトイトイで追撃する方が面白い形だったねぇ」
{①②②赤5666778899}
「しかし、その前に味方がツモアガってしまったのは嬉しい誤算だったのではないでしょうか?」
「いやいや、本当の誤算は{6}をカン出来なかった事かもしんないよぉ」
「三尋木プロ、いくらなんでもそこまでのエンターテイメントを求めるのはどうかと思いますよ」
「ははは、確かにそうだねぇ~」
「さて、試合は残り一局。実質1万2600点差、子の古塚選手は跳満直撃でも逆転は出来ない状況と…………」
隣のえりの実況をよそに、三尋木 咏は前局の思考を少し遊ばせる。
(見てる側はエンターテイメントで楽しんでいるけど、当事者はどうなんだろうねぇ)
Aブロック第一試合4回戦・オーラス ドラ・{南}
7巡目。北家、古塚 梢。
{白中2346678899発}
(跳満は、見えて来ましたが……)
{3}をツモる。{白}を打つ。
{発}をツモる。{中}を打つ。
(………………)
梢は、かすかな指の震えと共に、心の中さえも息を殺す事に努めた。
下家の花子の{6}をポンする。{9}を切る。
{発}をツモる。間を置かず、{9}を切る。
{8}をツモる。{7}を切る。
梢は、そうして、自らの行いを見詰める。
{2334888発発発} {66横6}
放送席。
「りゅ、緑一色テンパイです。待ちは{3}のみと薄いですが、この場合、親被りを考慮してもチーム総合得点に1万6000点のプラスでツモアガリでも逆転勝利です」
「ダマの三倍満とかを狙うくらいなら、いっそ役満を狙った方が楽だしねー」
12巡目。東家、浅見 花子の手牌。
{東東④④⑥⑦⑧一二三赤五七九}
(欲しいマンズ出ね~し、ダブ東鳴けね~し、平和つかね~しで、散々だな、こりゃ。これでリーチすら掛けらんね~しだったら、泣いちゃうぞ、全く。
ここは東以外でも鳴いて仮テンにとって連荘を狙うのが戦略ってもんなんだろーけどさ。相手は1万点台っつー理由だけでソフィーが交代させられるようなチームだろ。対面のコバヤシさんだっけ……は一応、インハイで見た事あるよーな気もするからまだしも、全然見覚えのない下家も結構な腕前なんだろーし、半端な流局狙いじゃ、すんなり終わらせちゃくれないんだろーな、きっと)
{9}をツモ。
(ツモ切り。東が鳴けないのなら、一通の目だけでも残さないと鳴きで戦えない)
意を決して{9}を切った花子だが、その{9}から指を離した瞬間に、気に掛けた下家からからの鳴きが入った時は肝をつぶした。
「チー」の後に晒された牌は{9}をくわえた{7}と{8}。河へは{六}。
(ぎゃあああああああああ!!!索子で染めてんの下家かよ。
つーかドラの{南}が全然見えてなくてマジ怖いんスけど。いや、これでオーラスだけどさ)
12巡目。小走 やえ。
{一二三①②③⑦112南南南} ツモ・{4}
(テンパイね~。嬉しいね~。………はぁ)
心中の溜め息はおくびにも出さず、{4}を入れて{⑦}を抜く。
(配牌からオタ風のドラ暗子を抱えて今まで、鳴いて上がれる形を目指したら、まさか出来あがりがリーチのみとは驚き。
後引っかけも期待して即リーしたいのは山々なんだけど、ミーティングでの『引っかけリーチは味方が一番引っ掛かる』が妙に説得力があったし、ツモのみでも今は融通の効くダマ)
それから他家の捨て牌が{4}、{4}、{四}。
再びやえにツモ巡が回る。
(手出し、ツモ切り、手出しで4、4、4っと、親の対面に至っては{4}が河で対子だし。もしかして、皆してすごい事になってるのかな?)
と思っていた矢先に引いて来た牌は{1}
(あ………)
零れてしまった苦笑い。その上の双眸にひとつの決意を宿らせ、やえは己の様相を不敵な笑みに塗り替えた。そして、{4}を横にして並べ、高らかに宣言。
「リーチ!!」
やえもまた、{4}を切った。しかも、リーチまでつけて。
{一二三①②③1112南南南}
放送席。
「ダマではなく、リーチ。これは強気です、小走選手。
『三元杯』のルール上、場にリーチ棒が出た時点でラス親の連荘は確定します。二人が鳴いて、面前は親の浅見選手と西家の小走選手の二名という中での、このリーチ。自分の手で決着をつけようという強い意志が伺えます」
「これでルールど忘れしててリーチしちゃった、とかなら面白いんだけどねぇ」
台無しな、それでいていかにも有りそうな咏の指摘を無視して、えりは実況を進める。
「さて、リーチを掛けた小走選手。緑一色をテンパイした古塚選手。さらに親の浅見選手もまだ二枚眠っている{東}をポンすれば即テンパイと、オーラスはこの三者の争いに絞られました」
次巡、古塚 梢。
(そうですか、追い付きますか。いえ、この手で先制できただけでも喜びましょう)
{2233888発発発} {66横6}
梢のツモは{6}。それ以降の動作に迷いはなかった。
(この役満には、確信がある。
この手をアガリ切れるのなら、私達は頂上まで一気に駆け上がれる)
梢が掴んだ{6}は渡河を果たし……
(ならば、一歩でも前へ)
3枚の{6}に、四枚目を重ねた。
「カン!!」
「ロン……」
卓上が凍りついた。
小走 やえが上家を見た。
浅見 花子が下家を見た。
古塚 梢が対面を見た。
放送席を含めた対局視聴者全員が倒した南家の手牌を見た。
{一二三⑥⑥⑦⑧⑨57} {横789} ロン・{6}
「
放送席では、えりが言葉を失くし、咏が黙ってその卓を見詰めていた。
「………チャンカンです。強豪・劔谷高校の正レギュラーにして部長でもあった古塚選手の緑一色{23}待ちは……」
えりは口を動かしながらも傍らの出場選手の資料に目を走らせるも、開いた当該項目から飛び込んできた眩しいくらいの空白が口籠らせた。しかし、それも一瞬。
「完全無名のダークホース・
しかし、そこで口は止まり、えりは次の言葉を探していた。
実況の声が途絶えると、解説の三尋木 咏の呻きごとのようなか細い独り言を、マイクが拾った。
「加治木 ゆみ……。ああ、やっぱり、加治木 ゆみでいいのか。うろ覚えだし、珍しい名前でも同姓同名の可能性があったけど、加治木 ゆみ本人で間違いないんだねぇ」
「ご、ご存知なんですか?三尋木プロ」
「私はよく知らんけど、去年のインハイ全国出場者の間じゃ、意外に有名人だよ、あの子。少なくとも、本人知らんでも牌譜は知ってるって子は結構多いと思う」
「具体的にどういう事でしょうか?」
「う~んとねぇ……」
えりがうろたえ、咏が記憶をさらっている様子はそのまま生放送の電波に乗っていた。
その様子は同じ学校の2階、視聴覚室で上映され、本日出番のない多くの選手が観る所でもあった。そして、えりと同じような、冷静を欠いたざわつきも起こっていた。
ただし、全員が全員ではない。そんな数ある静かな所のひとつの、ちょっとした会話。
「今のお話は、本当なのですか?」
「………私は、参考程度に、軽く牌譜に目を通したぐらいだ」
「有名かどうかは知りませんけど、ちょっとだけですが、すごくお世話になりました」
「ふぅん。そう、ユミがねぇ」
その頃、対局の終わったAブロック第一試合の卓では、何やら怒号が飛んでいた。
「こらー、おまえー!!ニワカか?ニワカなのか、お前は!!
なんだ、あのアガリは!!今回は運が良かったけど、あんな麻雀ばっかり打ってたら勝てるものも勝てなくなるぞ!!」
「とりあえず落ち着いて下さい、リーダー。それも含めてこの後の反省会で説明しますから」
「当たり前だ!!なんの説明もなかったら絶対に許さないからな!!変な説明でも許さないからな!!」
浅見 花子は勝った側がなんか揉めているのを横目に、チームメイトが卓上をぼんやりと見詰めたままでピクリとも動かない事が気になった。自身も狐につままれた様な決着の為、実際に振り込んだ梢本人はもっと呆けているだろうと思い、励ましの言葉をいくつか用意してから立ち上がって背後に回る……が、その際、梢の手牌を見て仰天のあまり硬直してしまった。
その直後、正気を取り戻した梢が顔を上げ、その先に居る女性、加治木 ゆみに向けて声を発する。
「加治木さん、私の手をどう読みましたか?」
ゆみはやえを軽く落ち着かせてから、柔らかく語り始める。
「{6}ポンは少なくとも、仲間にひとつでも多くツモらせたいという健気なアシストではないと読んだ。だから、私は最悪のケースをケアしようと思った。そうしたら、運が良かった。それだけだよ」
梢は、ゆみの言葉を噛みしめ、再びうなだれた。一方、ゆみの耳元で声にならない声で「やっぱり運じゃないか」と、やえの非難が始まり、同じ声量で「狙いはあっても半分以上が運ですから」と、ゆみも弁解を始めた。そんな二人に見向きもせず、出遅れたながらも沈みこんだ梢を花子は励ます。
やえは、知り合って間もないチームメイトを元気づけようとする相手チームの様子を見て、変に長居をしては悪いと思い、やはり絞った声で「早く行くよ」と、ゆみに退場を促した。心遣いを察して、ゆみも返事をするより早く行動に移っていた。
ところが。
「ちょっと待った」
そんな二人を後ろから呼びとめたのは、誰あろう浅見 花子だった。二人が立ち止まって振り返ったところで、ぎゅっと握った拳を突き出す。
「ソフィーにも伝えとけよ、この借りは決勝トーナメントで返す」
やえは鼻で笑うように、どこか軽く。
「やれるもんなら、やってみな」
しかし、ゆみはそう言われた一瞬、ここではない遠くを見詰めた。それから一回、瞼を閉じた後すぐに、花子に向き直った。
「正直、その約束はしかねる……」
予想外の返しだった。それが悪い意味を含めての謙虚さから来るものではなく、もっと真面目に、冷静な、確信に満ちた語感だった。
お陰で、花子とやえは二人とも、ゆみがその後に続けた言葉を聞き逃しそうになった。
「この大会には『鳳凰』がいるからな」
つづく