加治木ゆみの物語   作:十六

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第2話 『三元杯』告知日~『三元杯』説明会直後

 10月の初旬。吹きこむ風が肌を差す様に冷たくなり、季節の移り変わりを肌で実感しながら、まだ陽の高い時間を下校する晩成高校三年の女学生二人、小走 やえと上田(うえだ) 良子(りょうこ)が並んで歩いていた。

 

「やえ、今度、熊倉さんが大会に出るんだって」

「へぇ」と、やえが気の抜けた返事をしてから、はっとして、返事を付け足す。

「それ、なんて大会?観てみたいんだけど」

「えっと、『三元杯』って名前だったかな。テレビじゃやんないと思うよ。関東でやるけど、定員割れしちゃうかも~ってくらいのちっさい大会らしいから」

 

 その一言で、やえは眼差しで「疑わしい」と訴えた。だから、友人の良子からの補足もすぐだった。

 

「いやね、親戚のおじさんから『麻雀やってるなら出てみないか』って誘われてさ。その時に熊倉さんも出場に前向きって口を滑らせたわけよ」

「ああ、それいつものパターン。なんやかんやで結局は出ないよ」

「でも、ひょっこり出る事もあるんでしょ」

「あるけどさ。期待してない」

「はは、さすがにもう食いついてこないか」

 

 何気ない友人の言葉に、やえはこの時、言いようのない出来ない衝撃を受け、自然と言葉を失くしていった。

 特に話す事もなくなった二人はしばらく歩いて、良子から。

 

「じゃ、さよなら」

「あ、うん。さよなら」

「ネト麻は程々にしとけよ、受験生」

「その言葉はお返しするよ、社会人」

 

 友人と別れてから帰宅までの短い帰り道、やえはさっき引っ掛かった言葉を反芻する。

 

『もう食いついてこないか』

 

 言われてみればそうだ、と自覚した。高校麻雀選手権、通称インターハイの前まで、やえは毎日のように麻雀牌に触って、友達とは麻雀の話をして、麻雀を競う部活動にいそしんで、それ以外の時間でも自分なりに麻雀の研究をして、暇潰しに麻雀の漫画を読んだりもしていた。

 

 今はどうか?

 

 学校の勉強道具一式と一緒に持っていた牌譜や思いついた事を綴った麻雀ノートは、勉強机で縦置き並べた本棚の一番端に追いやられて、そこが定位置になっていた。

 PCは起動してすぐネット経由でラジオを受信し、調べ物は受験勉強の参考と補強に使った。ネット麻雀は嗜む事すらせず、プロの対局情報なども組み合わせをざっくり見るだけで経過も結果も知ろうとはしなかった。

 部屋の本棚に置いてある麻雀関係の本、特に一冊一冊が分厚い漫画本『Toshi-俊爽の雀姫-』は週に一回全巻通しで読むのも珍しくなかったが、最近では掃除で埃を払う時ぐらいしか触らない。

 休日の息抜きも映画やドラマを観ても麻雀は選ばない。受験勉強を始めてから意識してそうするようになった。打ち始めて熱くなろうものなら、時間を奪われるだけでなく、神経を変に昂ぶらせた後の反動で勉強が疎かになるのが怖いからだ。

 インターハイが終わってから、二学期が始まる前に後輩の二年に部の引き継ぎをして麻雀部から引退。大学受験の追い込みの時期に差し掛かって、話題はもっぱらそっちに移って、自然と麻雀に関する会話はしなくなった。そんな調子だから、やえが麻雀牌を最後に触ったのは一カ月くらい前になる。

 小学生の頃から麻雀牌を握っていた。勝ち負けを意識しながら一所懸命。だから沢山笑ったし、涙も流した。小学校から中学校、中学校から高校、繰り上がる毎に麻雀に掛ける情熱は強まった。しかし、今はその熱も引いてしまっていた。それはたぶん、高校で頑張っている間に漠然とその上、プロになれないと確信してしまったからだ。そのせいか、大学に行って麻雀を続けて、インターカレッジに出たとしても、きっと、インターハイの時のような熱量は戻って来ないだろう。

 

 そんな事を漠然と考えているうちに、やえは自宅に到着していた。

「ただいま」に返事がないのを確認してから、やえは履いていた靴を脱ぎ捨て、玄関右脇の居間を素通りして階段を上がって自室に直行。

 勉強机の上に鞄を置いて、パソコンの電源を入れる。起動までの間に制服から私服に着替えて勉強机の前に着席、パソコンにつなげたヘッドホンを被る。

 ここで、やえの手は一旦止まる。音楽なりラジオなりを流してから、鞄の中身を整理して受験勉強を始めるのが最近の日課だが、何するよりも先にインターネットで調べてみた。

 

 とりあえず、熊倉 トシの最近の活動について調べてみたが、さっき帰り道で聞いた『三元杯』という名前にはカスリもしないし、そもそも大会に出ると言う話自体がない。

 ならばと『三元杯』のみで調べてみると、今度は関東にあるという師子名高等学校のホームページに行きついた。「なんで?」という疑問もわいて出たが、そこを開いて真っ先に目に飛び込んで来たのは、【師子名高等学校閉校のお知らせ】であった。

 思わず、お知らせに目を通す。「統廃合が云々」という説明の後に「3月に閉校します」との事、年度を確認するとそれは今年の話だった。そして、「今後の施設活用については検討中です」でお知らせは締められていたが、その後にとってつけたような一文が添えられていた。「4月頃に麻雀大会・三元杯を企画しています」と。

 それだけだった。師子名高校のホームページ上のその一文だけが、これから行われる麻雀大会『三元杯』に関する情報の全てだった。

 それで、やえはなんとなく察した。これは同窓会なんだ、その高校の卒業生達が無くなってしまう母校に集まって、一泊二日くらいで卓を囲んで昔話をする。トシさんはきっとサプライズ・ゲストか何かだ、それなら参加に前向きなのも腑に落ちる。

 やえは自分に置き換えて、麻雀大会という名の同窓会を思い描く。年を重ねた自分と友人達が集まって、近況と昔話を語りながら麻雀を打つ。そこまで具体的ではない、ふんわりとイメージした光景に「ああ、いいな」と素直に思った。将来やってみたい事をひとつ見付けて、本当なら全く関係のない高校の閉校に、ひとつの感傷を覚えて、やえは決意を新たに受験勉強へ臨んだ。

 

 その日から、ほんの少しだけ、やえの日常に麻雀の彩りが戻った。息抜きに本棚の麻雀漫画を読んだり、休みの日に録画した対局を見たりしている。ただし、麻雀を打つのはリアルもネットも禁止にしている、理由は止まらなくなるからだ。

 

 

 10月も末。

 学校からの帰り、引退した麻雀部部室を遠目に眺め、一心不乱に麻雀に打ち込む後輩達に頑張れと密かにエールを送ってから、一人、家へ帰る。

 勉強を始める前、大体5日に一回ぐらい三元杯の事を調べる習慣がついてしまった。今日はそんな風に気が向いた日なので、調べてみる。三元杯という単語を入れて検索し、一番上に三元杯を唯一扱っている師子名高等学校があるのを確認して、変わり映えしない上に味気ないホームページを眺めて、ちょっと感傷に浸ってページを閉じるのがいつもの流れだった。しかし、今日は違った。

 

「………『三元杯』特設ページ?」

 

 検索結果に見慣れない言葉が並んでいた。一も二も無く、やえは特設ページを開く。そこは白地に枠線もそこそこの中に告知内容が箇条書きにされている。ぱっと見、簡素な印象を受けるが、時折、見回っていた高校のホームページに比べれば随分と印象が違う。

 主に、連絡先や大まかな大会ルールといった項目の、文字の色や大きさを変えて強調しているだけだが、それだけで要点を飲み込むには充分だった。むしろ大半が簡素だからこそ、強調された部分に目がいった。

 そして、現在確認できる三元杯に内容は以下の通り。

 個人ではなく大会初日結成予定の3人1チーム

 大会会場は閉校になった師子名高等学校で、日数はまだ不明ながら校舎に宿泊する

 予定大会参加希望は1月31日必着で結果発表は2月10日頃の予定している

 最後に、参加選手として熊倉 トシを始め、プロではない社会人やインターカレッジの知る人ぞ知る雀士10名ほどの写真が挙げられていた。

 

 やえは突然の特設ホームページに戸惑った。そして戸惑った勢いで、あろう事か問い合わせの番号に電話をしていた。

 電話を掛けてもすぐに出てくれなかった。続くコール音に「いないのかな?」と思い始めるのと同時に、冷静になっていき、全く縁のない自分が電話している事の方がおかしいと考えるようになって、もう切ろうかと行動する直前に電話が繋がった。

 

「もしもし、えっと、三元杯の運営だけど、何か用かい?」

「あ、えっと………」

 

 冷静になり始めたところに新しい事が起こって、やえは少し慌ててしまったが、それでも会話は出来るくらいの冷静さは取り戻して。

 

「そ、その、三元杯って、同窓会じゃないんですか?」

「ああ、そういう事かい。ごめんね、最初はそういう趣向だったんだけど、色々あって結構真剣な大会になっちゃったよ。でも、元・麻雀部の子だったら選考に色をつけられると思うから、名前を教えておくれ」

「小走 やえです。じゃなくて。その、違うんです。私、そちらの卒業生じゃなくて、えっと、奈良の晩成高校というところの生徒でして……」

「あら、そうなの。じゃあ、参加希望かい?でも、ここだけの話、かなり特殊なルールになる予定だから、変な癖がついて春の大会とかに影響が出るかもしれないから、お薦めは出来ないよ」

「あ、私、これから卒業ですから大丈夫です」

 

 言った後で何を言っているんだろうと、やえは自問した。

 

「そう。それで、出たいのかい?」

 

 声が詰まった。なんで電話したのか、やえ自身もよくわかっていなかった。

 

「えっと、そのぉ………」

 

 何がきっかけの衝動だったのか、そもそもどうして三元杯をこっそり追いかけていたのかを思い返して、思ったままを口にする。

 

「あの、トシさんは真剣に打ってくれるんでしょうか?」

 

 沈黙があった。10秒程だったが、とても長く感じた。よくよく考えてみれば、受付の人が答えられるような質問ではない。

 

「本当にここだけの話、他の人には話さないでね」

「は、はい……」

「もう出るのが決まっている子達だけでも負けちゃいそうだから、ちょー真剣にやるよ」

「え?」

「出るかい?」

「………す、少し、考えさせて下さい」

「わかった。その気があるなら、卓を囲みましょう」

「はい……」

 

 電話を切って、やえはベッドの上に横になって、ぼうっとしていた。外が暗くなっても、部屋の明かりをつけずに、ずっとそうしていた。首を回して本棚の読み慣れた漫画を見た。

 今さっき、熊倉 トシと話していた。何故?どうして?といった疑問はすっかり抜け落ちていた。やえにとって、熊倉 トシは向こう側の人だ。

 初めて知ったのは漫画で、若き日の熊倉 トシをモデルにしたという主人公の活躍は少女の胸をときめかせた。

 実物を見たのはテレビで、漫画と違って白髪のお婆ちゃんが漫画のように勝つ姿は、憧れた事に後悔をさせなかった。

 麻雀に関係する仕事をしている晩成のOGが面白おかしくしてくれた社会人雀士の愚痴を「麻雀が好きなままお婆ちゃんになれた熊倉さんが羨ましい」と締めた時、プロを諦め始めていたやえは、改めて熊倉 トシが遠い世界の人だと実感した。

 その熊倉 トシが真剣に打つ一般参加の大会。自分が登れるステージで自分が立ちたかったステージに限りなく近い大会かもしれない、そして最高の状態を自力で作れるのは今のこの時期だけかもしれない。社会人になってからでは、それも叶わなくなると、先輩達は遠回しに教えてくれた。

 気持ちがくすぶっている。行動を起こそう。そうしないと、『三元杯』の存在に引き摺られて実生活の色々な事が台無しになる気がした。その日、やえは勉強を止めて、三元杯出場する為の手続きを済ませた。

 それから、勉強と麻雀を両立させる日々が始まった。しかし、比率は勉強が8、麻雀が2。メインは大学受験に全力、麻雀は勉強の気晴らしを兼ねた助走期間の位置づけ、ネットで卓を囲むのも就寝前の一時、それは出来る事なら夢の中でもう一度牌を握りたいからそうしている。少しずつ、麻雀に触れる時間が戻っていった。

 

 

 

 12月、二学期の終業式の教室。

 

「お~い、やえ。最近、麻雀に復帰したみたいじゃん」

「厳密にいうなら、麻雀から遠ざかったのも最近だけど。ま、そうだね」

「どうする、古巣に顔を出してみる?」

「行かないよ。恒例の送別会があるんだから、そこに合わせてるの」

「……本気だね。ま、勉強に障らないようにね」

「言われるまでもなく、今は程々にやってるよ」

 

 

 

 年が明けた。

 それからの三か月、忙しくはなかったが、とにかく暇がなかった。

 一月のセンター試験、二月の入試の数々と、その合間に『三元杯』参加の成否も決まる。よって、これまで行ってきた受験勉強と麻雀を嗜むという行為は、大学受験の追い込みと麻雀の勝負勘を研ぎ澄ますという努力に格上げし、その上で本番での体調不良を避ける意味で根を詰め過ぎないようにやっていこうとしたら、空き時間は綺麗に埋まってしまった。

 勉強の方はこれまで力を入れていたお陰で実際の試験も含めて大体の科目でつまずく事無く回答出来、さらに見直して訂正するという塩梅でこなしていく事もできた。一方、ネットでのみ対局している麻雀の方は、2位以上から滑り落ちない手堅さはそのままでも、一気にトップを奪う大胆さは寝惚けたままのようだった。

 これを受けて、センター試験以降、やえは勉強と麻雀の割合を5対5にした。『三元杯』に出られる事が決まった訳ではないが、決まってからでは手遅れになるような気がした。そして、やえの早めの努力は無駄にならなかった。2月10日、やえは『三元杯』の選手に選ばれた。

 勉強と麻雀の比率は変えずに日々を重ねていた。ただ、試験の2日前には勉強の割合を10にまで引き上げてから本番に臨んだ。それから2月末、全ての試験が終わった。結果を先に述べておくと、やえは第二志望以外は全部通っていたが、それはまた別の話。

 これからが麻雀の本走、次の本番、三元杯に向けて一気に駆け出す。

 

 

 3月、晩成高校の卒業式、小走 やえの高校最後の日。同じ日に、晩成高校麻雀部伝統として卒業生と在校生が卓を囲む。

 春の大会の前哨戦に位置づけられるこの催しは、具体的な目標を持って日々牌を握っている新三年生が受験勉強明けの卒業生を最終的に圧倒するのが恒例である。それは今年も例にもれなかった、ただ一人を除いては。

 やえが、ひたすら1位を取り続け、1位以外は2位のみという有様だった。

 結果、場の雰囲気はいつの間にか、小走 やえVS晩成高校麻雀部の図式になっていった。在校生は積極的に卓について対局し、やえ以外の卒業生は一歩引いて卓を見守った。遂には卒業生がアドバイスを始め、在校生はそこからやえに切り込んでいく。

 当のやえは、自分を悪役にして結束された事に呆れつつも、それが妙に嬉しくもあった。嬉しい事は他にもある。単純にトップを沢山取っている事、それは自分がしてきた努力が正しかった事に他ならない。それ以前に大学に入れた事も嬉しい、同時にこなしていた努力をどちらも完遂しきったからだ。嬉しいのは自分の事ばかりではない、対局を重ねるにつれ、やえがトップを取る事が難しくなっていった事で、可愛がっていた後輩達の成長を肌で感じる事ができた、特に最後の半荘では麻雀部現部長の(たつみ) 由華(ゆか)にラスに落とされた。

 高校生活最後の対局が終わった。全てが終わった。その時に気付いた、晩成高校麻雀部でやり残した事はなくなった、それが一番嬉しい事だった、と。

 

 後輩達の「今まで、ありがとうございました」の声に送り出されて、卒業生達は帰路についた。話のタネはもっぱらさっきの麻雀の事、やえが凄かった、在校生達を見てあんな頃もあったとかいう話をして、これからの事をちょっと話して、時には麻雀との関わりが大きく変わっていく事を語った。最後に歩く通学路でさよならをかわして、最後にやえと良子の二人きり。

 こうして一緒に歩くのも最後になると言って、その通りと頷いたきり、二人の会話はなくなって、見飽きた景色に目を配った。

 やえは、何か違って見えるかもと期待をしたがそういうのはなかった。

 そして、いつも通りに「さようなら」を言う分れ道で。

 

「あのさ、もしかして三元杯に出る?」

「あれ、言ってなかったっけ?うん、出るよ」

 

 やえが軽く言いきったその発言を、友人は噛みしめる。

 

「そっか、やえの高校麻雀はもう少しだけ続くんだ」

 

 その一言で、やえは何かを納得した。

 

「青春の延長戦だ、思いっきり打って、きっちり勝ってこい」

「うん、任せて」

 

 やえは胸を張って言える、生涯最高の状態で『三元杯』に臨める。

 

 

 やえは気持ちを新たに、三元杯とその日まで孤独な戦いに臨む………つもりでいたが、翌朝に良子経由でやえの三元杯出場を知った晩成高校卒業生の元・麻雀部の一同がやえ宅に詰めかけてきた。

 正直な所、ありがた迷惑というのがやえの本音であり、少しでもぐだぐだになるようだったら叩きだそうと、密かに決意をしていた。しかし、そこは全国常連校の元・部員。ちゃんと弁えており、最終的には荷造りの手伝いとか深夜バスの見送りまでしてもらって、逆に感謝をする羽目になった。

 バスの座席で毛布を被り、眠る前にこう思う。

 良い流れを維持できている。後押ししてくれる感覚がある。少なくとも強い自信に裏付けが出来た。なんたって、高校三年間、一緒に頑張ってきた仲間達が「最高のコンディションだ」と、太鼓判を押してくれたのだから。

 

 翌日、つまりは三元杯当日の午前7時30分前。関東に乗り込んだ小走 やえは、駅ホームの「和光市駅」と主張する案内板の前で立ち尽くしていた。

 

「ここ、どこぉ………」

 

 やえは見知らぬ所で途方にくれながらも、バスの中で目を覚ましてから今までを思い返す。

 バスを降りて目の前の地下鉄に乗ってひとつ隣の終点の渋谷に行こうとしたら何故か永田町という所を通り過ぎていて、急いで渋谷に戻って、また渋谷で迷って何とか予定の地下鉄に乗って後は乗り換えなしの一本でいけると一息ついていたら地上に出るなり電車が止まって、ここ和光市。

 

 予定では地上に出て、もう少し揺られて最寄りの駅に到着の筈だったが、何かの勘違いで途中で止まったと思って案内板で調べてみたが、今いる路線にその最寄り駅の名前は影も形もなかった。

 すると、向かいのホームから「準急・池袋行の発車です」というアナウンスが聞こえてきた。

 

(池袋………?そうだ、池袋から一本でいけるらしいからとりあえず池袋へ行こう)

 

 向かいのホームに移動してから次に来た急行電車に乗って池袋へ移動。

 地下の改札を出てすぐの所の十字路、やえはそこの天井に下がった駅案内版の前で立ち止まった。

 

(私が乗りたかった地下鉄ってどれだっけ?丸の内?有楽?副都心?JR………は地上だから違ったよね?あれ、東武って何?)

 

 やえは池袋まで来れば何となく目的地まで行けるだろうと楽観視していたが、それは駄目だと思い知らされた。やえはバックの中から大会パンフレットを取り出し、大会会場までのアクセスのページを開く。そして、現在の状況とパンフレットの内容を吟味しようとした。その時、すぐ隣でそれとなく覗き込む自分以外の誰かの存在に気付いた。

 そちらに目を向けると、こげ茶色の髪と肌をした同い年くらいの女性と眼鏡越しに目が合った。

 

「うわ、外人」

 

 その反応に、色黒の女性は少し眉をひそめる。その間に、やえは反射的に挨拶をしていた。

 

「え、あっと、ナマステ」

「え?インド人、フィリピーナじゃなくて?」

「フィリ……?何語だっけ?英語でいいかな?」

 

 少し悩んだ末に、やえは改めて向かい合い、意思疎通を再開。

 

「アイ、キャント、ヘルプ。アイム、ストレート。

 えっと、ユー、ウォンチュー、ヘルプ、イズ、アザー………」

「Please speak in Japanese.」

「えっ?」

 

 その時、あっけらかんとした同年代の女性が、やえの視界に飛び込んで来た。

 

「ソフィー、早く行こうぜぇ………って、その子、誰?」

「ああ、迷子だって」

「え、えぇ?」

 

 普通に日本語で会話する二人を前に、やえは呆気にとられる。

 

「ふ~ん。じゃあ、交番、行かんとね。どこだっけ?」

「旅は道連れだし、一緒に行くよ」

「んん?」

「へ?」

 

 やえは後からきた女性にも顔を覗きこまれた。

 

「な~んだ、同じ参加者か。で、どっから来たのぉ?」

「な、奈良………です」

「うっわ、遠いな、またそりゃ。んで、迷ったんだぁ、大変だね」

「は、はい………」

 

 簡単な受け答えをしてからやっと、やえは今出会った二人が同じ大会の参加者だと理解した。そして、その二人の申し出も遅ればせながら理解した。

 

「え?本当?ありがとう。師子名ってところに行きたかったんだけど、なんかよくわからない所に出ちゃって………」

「出たって、こっちってハズレのルートじゃね?」

「え?そうなの?」

 

 やえが絶句するのを見届けて、そのやえを見つけた焦げ茶色の肌の子が口を出す。

 

「まあまあ、立ち話はそれぐらいにして、続きは電車の中で。下りだから座れてゆっくり出来るよ」

「それもそうだねー」

「お、お願いします」

「あ、そうそう、自己紹介まだだった。私は新井 ソフィア、ちゃんと日本人。こっちは浅見 花子。で、貴女は?」

「私は、小走 やえです」

「よーし、いざゆかん決戦の地へー!!」

「お、おーう」

「ま、チーム決めもまだだけどね」

 

 早速、やえはソフィアと花子に連れられての再出発に胸を撫で下ろした。

 それから三人は、目に付く各路線の改札を素通りし、人の流れに逆らうように階段を上るなり外に出てもいないのに強い追い風が出迎えて、そこから右へと進んですぐのところにある改札とやはり向かって来る人の流れを潜り抜け、三人は離れる事なく黄色い電車に辿り着いた。

 閑散とした電車内、空いている席に三人が並んで座る。ふと、やえは電車の外で自分等と逆方向に流れていく人の流れを見ながら、自分だけだったらこのホームにいつ頃到達していただろうかと自問を始め、同時に隣のソフィアと花子に言葉に出来ないくらいの有り難さで胸がいっぱいになる。そうこうしている内に、電車も発車した。

 

 車窓の景色は特に見る物のない普通の街並みが続いた事もあり、三人は身の上話を楽しんでいた。

 まず盛り上がったのは、やえがどうして迷子になったのか?という話。直通がどうのとか、渋谷を筆頭に駅の地下が迷宮化しているとか言っている中で、やえの幸運を褒められたりもした。ソフィアと花子が言うには、この二人が当初、使おうとしていた路線が強風で止まっていたから池袋を経由したとの事。それがなければ、やえと遭遇していなかったのはもちろん、もしも、やえが東武東上線で池袋と逆の方に行っていたら止まっている路線の方に引っ掛かっていたとも脅かされた。

 それで、二人にたっぷり脅かされて、やえが怖がってみせた後、普通の町中を走っている電車の外に何かを発見した花子が声を上げた。

 

「うお、飛行機だ」

「あっ、ホントだ」

 

 やえと花子が地上にある空飛ぶ乗り物を見かけて歓声をあげる中、二人につられて同じものを見たソフィアは二人と違う感想を素直に述べた。

 

「ああ、そろそろ降りるのか」

「え?そうなの?」

 

 と、言い終わるや、車内アナウンスが響く。

 

「師子名ぁ~、師子名ぁ~。お出口は左側です」

 

 言った通り、駅に到着した。やえ達三人はホームに降り、端っこにある階段を上ってすぐのところにある改札を通る。

 パンフレットには駅前のターミナルに大会送迎用のバスが出ているというので、南口の階段を下りきった先にあるバスターミナルに出る。周囲に高層の建物はなく、代わりに木を植えられたターミナルは、ちょっとした公園を思わせるようなところだった。

 

「それで集合場所は、バス停留所の反対側で………」と、ぶつぶつとつぶやきながら出口で立ち尽くし、やえは左手すぐにあるバス停留所を見つけてから反対側の右まで見回すと、ターミナルの隅に目立つ一群がいた。洒落っ気の無い鼠色のジャンパーを着込んだ男性の前に10人ばかりの年齢と服装が不ぞろいの女性の集団だった。

 見付けるなり、花子が率先して「すんませーん、三元杯の人ですか?」と声を上げながらその集団に近付いた。「そうですよ」と返してくれるよりも若干早く、やえはこちらに向き直った男性がしていた腕章の「三元杯案内係」の六文字に気が付いた。

 

「ええっと、三人とも大会参加者ですよね。名前と出身の都道府県を教えて下さい」

「私は小走 やえ。奈良です」

「新井 ソフィア。埼玉」

「浅見 花子、埼玉でーす」

 

 スタッフの男性が手持ちの名簿で確認し、ボールペンでチェックを入れる。

 

「はい、OKです。ええっと、もう少ししたら送迎バスが来るので、それまでちょっと待って下さい」

「はーい」

 

 三人を代表するように花子が返事をして、その直後、列でひとつ前にいる同い年の女子を相手に世間話を始めた。

 それから、時間にして20分くらいだろうか、彼女達の前にマイクロバスが到着。スタッフの「順番に乗って下さい」の一声から列が動いた。

 最後尾のやえ達が乗り込む。やえも含めて20人近く乗車していても空席はそれなりにあって座れないという事はなかった。ただし、三人固まって座れる所は最前列のひとつ手前の所しかなかった。

 なんにせよ、やえ達が着席したところで、マイクロバスは名簿を持ったスタッフ一人を残してドアを閉めて出発、と思われたが、少し離れた所から届いた「待ってくれ」という声が飛び込むのと同時に、閉まりかけたドアも再度開いた。

 回るエンジン音に掻き消されて外のやり取りまで聞こえないが、ものの1分もしないうちにもう一人、マイクロバスに乗り込んで来た。

 長い黒髪の女性が入ってきた。目鼻顔立ちの整った彼女は、やえから見て少し年上に見えたが、浅見 花子のように愛想を振りまく様子は全くなく、空いている席に座った。窓際に座った彼女は誰かに話しかける事も無く、外を眺める事もなく、顔こそ前を向いているが正面を見ている風でもなかった。

 その様子に、やえは、試合前に集中力を高めている時があんな感じだったと納得する一方で、少し面食らってもいた。

 

(この人、すごい真剣だ。知らない人だけど、大会会場の学校の卒業生とかかな?)

 

 しかし、やえが気に掛けたのはそこまで、運転手の「出発しまぁ~す」の宣言してマイクロバスが発進するのと同時に、視線の先を個人の横顔から正面に見える外の景色へと向けた。

 駅前のターミナルを出て、それなりに高い建物であるスーパーやらマンションに左右を挟まれた車道を行き、偶に現れる歩道橋をくぐって、外食店や専門店を素通りする景色は、言ってみれば普通の都市部の景色だった。バスに揺られる事、15分くらい。道なりに緑が見え始めた所でマイクロバスは四車線の大通りを外れて、民家と畑に挟まれた細い道に入った。そうして見通しの良い道に入るなり、やえはここまでの途上で見かけたどの建物よりも大きい建物が目に飛び込んできた。

 横に長い綺麗な長方形のコンクリートの建築物が二つ並んで建っている。各階は通路で繋がっているが高さは違っていて、玄関のある正面は4階建てで奥の方は5階建てだった。

 その建物の左手には、先程紹介した建物に負けず劣らずの大きさの、うっすら緑色の外壁に高さは3階に至る半円状の屋根をした建築物があった。

 学校と体育館である。

 ここが、三元杯の舞台である廃校、師子名高等学校。

 

 やえを始め、大会参加者達が学校の姿を確認して間もなく、バスは正門から敷地内へと入り、すぐに停車した。

 

「付いたんで、降りて下さぁ~い」

 

 マイクロバスの運転手に促されて、乗っていた人が次々降りていく。やえ達は違ったが、一緒に降りてきた運転手がトランクから旅行鞄を引っ張り出し、他の参加者達が受け取っていた。

 

「そっち真っ直ぐいったトコに玄関ありますんでぇ」

 

 校舎と校庭の間を横切って正門から伸びる道。後者の1階真ん中という、見ればわかる所に玄関はある。その短い中での会話。

 花子は憮然とした態度でやや遠くから聞こえる民家やら畑やらの生活音に耳を傾けながら、そのまま学校周辺に目も配る。

 

「な~んかさ、廃校っていうから、山の中腹にある木造のなんちゃらってのを想像してたんだけど、町中のフツーの学校で、ぶっちゃけ拍子抜け」

 

 花子は誰に言ったでもない独り言を、ソフィアは拾う。

 

「山は飯能から向こうだよ。それに、そこそこ便利でいいじゃないか。三日で飽きる大自然より、三週間の確かな便利の方が万倍いいよ。特に大会会場の不便なんて、私達、選手が全面的に迷惑を被る羽目になるんだからさ」

 

「確かに」と心中で納得する小走 やえであった。

 

 そんな二言ばかりのやりとりをしている内に、一行は1階の広い玄関前まで来る。ずらりと並んだ下駄箱を前に「この感じ、懐かしい」と誰かが零した。やえはそれに共感してしまった、「先週卒業したばかりで他校の玄関なのに」と心の中で付け足して少し可笑しくなった。

 

「こっちです、こっち」

 

 やえも含めた20人近い一行を呼んだ声は、玄関を上がった右端の所、『受付』の三角柱を立てた折りたたみ式のテーブルを前に、これまた折りたたみのイスに座った年配の女性から発せられたものだった。

 そういう事で、やえ達は玄関の右端まで行って、正面から受付を視認すると、早速、学校に上がろうと行動に移る。

 

「どこ使ってもいいですか?」

「今はどこでもいいです。後で予選ブロック毎に入れ直してもいますから」

「は~い」

 

 ソフィアと受付のおばさんのやり取りを受けて、各々好き勝手に脱いだ靴を下駄箱に放り込む。なお、やえとソフィアと花子の三人は縦に並ぶ形で下駄箱を使用した。

 

「それでは皆さん、こちらから事前にお送りした大会の参加証を見せて下さい。もし、無いという方は2階のスタッフ・ルームで身元を確認しますので安心して下さい」

 

 催促通りに参加者個人が名前他の記入されたハガキより一回り小さい厚紙を手渡し、受け取った受付は黙々と照会をこなしていく。照会の済んだ参加証は専用の小箱に放り、代わりにその参加証と同じくらいの大きさで50ページはある小冊子を手渡した。

 全員分が終わるまで5分くらい、最後にバスに乗り込んで来た彼女の時だけ少し手間取っただけで、それ以外は参加証の紛失といった事も何もなかった。それから、受付のおばさんがこの場に居る参加者全員に簡単な説明を始める。

 

「この後の予定ですが、お昼の12時に体育館で大会の説明会をします。で、それまで各人自由行動です。ただ、あくまで予定なので、参加者の集まり次第で、12時が1時、1時が3時というずれ込みは充分にありうるので了解して下さい。で、自由時間に入る前に、これから話す2点はちゃんと守ってください。

 まず、着替えなどのまとまった大きな荷物は校舎2階の荷物置き場に預けて下さい。ちなみに、事前に送った荷物もそちらに置いてありますので、自由行動前に荷物を預ける、もしくは確認するなどして下さい。なお、財布やスマートフォンなどの貴重品は各自で管理して下さい。

 次に、今日は敷地から外に出ないようにして下さい。少なくとも説明会が終わってからのチーム決めと予選のブロック分けが終わるまでの間は我慢して下さい。

 その他のわからない事などは今お配りした大会参加者用の小冊子に目を通すか、2階のスタッフ・ルームまで来て下さい」

 

 説明を受けて、やえは思ったままを口にする。

 

「これから自由時間かぁ。でも、外、出られない訳だから微妙」

 

 すでに冊子に目を通しているソフィアがそこでフォローをいれる。

 

「1階がフリー対局室らしいから説明会までの間、退屈はしないかな」

 

 ここまでのやえとソフィアのやり取りは、ある程度は参加者達の言葉を代弁していたが、次の浅見 花子の挙手してからの発言で場の雰囲気はがらりと変わる。

 

「すいません。私達、朝食まだなんですけど、食べに出ちゃダメですか」

「え、『私達』?」

 

 受付が思わず聞き返し、やえとソフィアも己を鑑みて「ああ、そうだ」と自覚して手を上げた。その直後、そういえば自分も、自分も、といった具合に次々と手があがり、やえが見回すと、自分達から見て右に二人、左に三人、大体ここにいる半分くらいが遅めの朝食を希望していた。

 

「ええっと、食堂は……」

「パンフレットだと『今日の13時から~』ってなってます」

「あら、本当だ。どうしましょ」

 

 想定外な事で固まる受付と、返答を待つ花子を筆頭にした朝食取りたい組との間で硬直状態がほんのり見えてきた。

 

「ちょっと、いいだろうか?」

 

 受付が左に首を回し、参加者達もそちらを見た。そこには、玄関と垂直に交わる廊下の角から半身を乗り出す格好で、一人の女性が佇んでいた。

 ぱっと見、二十歳くらいの綺麗というより格好良い女の人というのが、やえの率直な感想。そして、もうひとつの率直な感想は「見覚えのない人」だった。

 やえはその時、知らない人という連想で、最後にバスに乗ってきた彼女を何気なく見た。やえが見た彼女の横顔は、顔色こそ変わっているようには見えなかったが、相手を凝視する目の色は変わっていた。その上で、「出ていたのか」とも、つぶやいた。

 

(え?知り合い?)

 

 そんな事をやえが思ったのも束の間、参上したその女性の提案が始まる。

 

「差し出がましいようだが、同じ選手という身分でもよければ私が引率して、今、挙手した全員で朝食をとりに行くというのはどうだろうか?」

「あ、えっと、ちょっと待って下さいね」

 

 受付のおばさんは自分の携帯電話を使う。繋がるなり、現状をざっくりと説明、それから頷いたり質問したりを繰り返し、最終的に「はい、わかりました」で電話を締めてから顔を上げる。

 

「………えっと、それでいいそうです。ただし、寄り道せず、必ず団体行動で、お昼の説明会開始予定時刻の30分前、11時30分までには戻って来るようにしてください。あと、すぐ電話に出られるようにもして下さい」

「わかりました」

 

 許可を貰うと、その人はやえ達の方に向き直った。

 

「それじゃあ、行きましょうか。私は加治木 ゆみ、成り行きで仕切る事になったが、行って帰ってくる短い間だけですので御容赦を」

「意義な~し、早く行こう。意識したら急にお腹が空いてきちゃった」

 

 言い出しっぺの花子の返答の後で、朝食を取りたいと手を上げていた全員が踵を返した。

 入れたばかりの靴を取り出しては履き、やえは受付のおばさんの「いってらっしゃい」に見送られて皆と一緒に外へ出る。そして、ついさっき来た道を逆方向に歩いていく。

 先頭を行く臨時引率の加治木 ゆみは、少し早足で正門の方に向き直って停車しているマイクロバスに歩み寄り、そのまま運転席をノックする。

 

「どうしたのぉ~」と、中に居た運転手が何事かと顔を出した。

「私達は朝食がまだでしたので食べに出ます。それで、よろしければ行きだけでもお願いできないでしょうか?」

「ん~、ちょっと待ってぇ」

 

 運転手は手持ちの携帯電話で20秒ばかり話すと、すぐにエンジンを掛け、出入り口のドアを開けた。真っ先にゆみがマイクロバスに乗り、他の人達も続く。やえ達もその流れで乗車し、三人は来た時と同じ席に座る。すると、最後に乗ってきたのが、行きと同じで長い黒髪の彼女だった。

 やえはその事実にこっそり驚いて、それとなく彼女の方を見てみると、集中力を高めていた行きとは違い、ぼんやりと外を眺めているようだった。その時、やえの脳裏に「腹が減っては戦が出来ぬ」という諺が過ぎって、一人で微笑ましい気分になった。

 

「どこまでぇ~」

「山田うどんで」

「あ~い」

 

 そんなやり取りの後でマイクロバスは出発した。行きの時に通った道を逆に行き、途中の歩道橋のある大きな十字路を左に曲がって真っ直ぐ進んで坂道を下って、また上った先、やじろべぇの看板がある店の広い駐車場にマイクロバスは止まる。

 

「着いたよぉ~」

「有難うございます」

「帰りはいいのぉ~?道、わかるぅ~?」

「ええ、大丈夫です」

 

 それから、ゆみを最後に降ろしてマイクロバスは発車した。

 マイクロバスを見送ってから、ゆみはこっちと促して、やえ達を連れて目の前の『山田うどん』という店に入った。

 ここでも年配の女性が出迎え、引率のゆみが応じる。

 

「いらっしゃいませ。皆さん、御一緒ですか?」

「ええ、そうです」

「では、そちらで」

 

 やえを含めた一行は二つの四人席をきっちり占領し、席に溢れた引率のゆみは近くのカウンター席に付いた。すると、やえは長い黒髪の彼女がこちらの四人席ではなく、カウンター席、もっと具体的にいうと、ゆみの隣に着席するのを見た。

 やえはそれを見て、「ああ、やっぱり二人は知り合いなんだ」と思った。ソフィアはそれを見て、軽く周囲を見渡してから首を傾いだ。ちなみに花子はそんな事よりメニューに気がいっていた。

 間もなくして、全員が食事の注文を済ませたのを見計らってから、ゆみは次のような事を尋ねる。

 

「ところで皆は、この大会のチーム決めが本人達で希望を出す形を取っている、というのは知っているか?」

 

 唐突に飛び出した一言に一同困惑し、やえが反射的に聞き返した内容が皆のその時の心情を代弁する。

 

「えっ、何が言いたいの?」

 

 すると、ゆみの隣にいた長い黒髪の彼女が言う。

 

「チーム結成は運任せのくじ引きではなく、お見合いで決める、と言いたいのだろう?」

 

 ゆみの表情が露骨に曇った。

 

「変な物言いにしないでくれ。これから予定されている自由時間の間に、麻雀に対する考え方を語り合ったり、実際に腕前を披露したりしてチームを組むかどうか考えていく、と言っているんだ」

「相手の人となりと麻雀のお手並みを確かめ合って大会期間中寝食を共にする相手を選ぶ訳だから、やっぱり『お見合い』だよ」

 

 ここで「なるほど」と声を上げたのは花子だが、他の皆も頷いていて『お見合い』という言い回しにすっかり納得しているようだった。そんな雰囲気を察してかどうか、ゆみの隣にいる彼女は追い打ちをかける。

 

「で、いきなり見合い話を切り出してどうするつもりだ」

 

 ゆみは観念した。

 

「要するに、今の内から『お見合い』をしていくのも良いかもしれないな、という話だ」

「気が早い上に仕切るじゃないか」

「そうでもない。大会ルールがこの冊子を通じて、ようやっと分かったんだ。ルールの吟味とメンバー決めが同時進行なら今からでも時間が足りないくらいだ」

 

 カウンター席の二人から投げ出された話に触発されて、ついさっき受け取った大会手帳を開き、細々書いてあるルールを確認。

 『クイタンなし』や『赤ドラあり』といった複数の大会経験者なら見慣れたルールが並んでいる中に、『オーラスの親のみ供託棒が積まれていたらノーテンでも連荘出来る』とか『同チーム間での放銃は放銃者はさらに4000点の供託を積まなければならない』などの全く見覚えのない三元杯独自のルールがある一方で、『最終戦終了時に両チームの点差が5000点未満だった場合は南入する』など見慣れたようでよくよく考えると三元杯用に地味な味付けの見受けられるルールがあったりと、確かに一筋縄でいかない感じだった。

 

 お見合いがどうのという話をして、それなりに納得はしていたが、結局はやえもソフィアも花子も全員が文字を追い始めて無言の時間が訪れた。

 その所為で気付かなかったが、来店するなり、こちらに気付いて近付いて来る人物が複数名いて、代表して妙齢の女性が声を掛けてきた。

 

「あ、もしかして三元杯の参加選手の皆さんですか?」

 

 場の静寂はその人が破った。

 ゆみはすぐさま振り返り、今し方、話しかけてきた女性と、その後方に並ぶのは自分等と同じように年齢のばらつきのある集団を一瞥してから答える。

 

「私は引率の加治木です。一応、聞きますが、どちら様で?」

「失礼しました。私はこの大会のアナウンサー兼ルポライターの針生 えりです」

 

 その瞬間。

 

「ルポライター?」

 

 間髪いれずに声を鋭くして尋ねたのは、ゆみの隣に座る女性だった。

 

「えっと、本業はアナウンサーなんですが、今回はルポライターも兼業というか、その、試合以外の日常風景とかを大会用のブログでアップするのも仕事に割り当てられましたから、この大会期間中はルポライターもしています」

 

 えりから一応の自己紹介が済んだ所で、ゆみは一歩踏み込んだ質問をする。

 

「では、どうして学校ではなく、こちらに?」

「それなんですが、熊倉さんも含めて今はまだ学校に全然人が集まっていないみたいで。それで、送迎の運転の方からお話を伺ったら、ここで朝食を取っているとの事。それでよろしければ私達も同席しようかなと思いまして………」

 

 ゆみはえりから、やえ達に向き直った。

 

「という事で面子が増えるが、皆はどうだ?」

「別にいいんじゃない」

 

 やえは、何となく答えてしまったが、異議は出なかった。また、どっちにしても学校に戻れば結局は同じ事はするだろうしで、早いか遅いかの違いでしかないからだ。

 

「それじゃ、失礼します」

 

 一言断ってから、後から来た組みは四人席を一つ占領して4人・4人・4人と並んだ。最後に、えりは二つの四人席にまたがった長椅子に着席した。大体その時、最初から居た組みの注文していた朝食が届き始め、それをきっかけに談笑が始まった。

 すんなり打ちとけ合っている中、やえはふとした弾みで、カウンター席の二人を見る。姿勢を正した結果、二人してこちらに背を向ける恰好になったのが妙に印象的だった。

 

 それからは朝食を楽しむ関係で、針生 えりが質問してそれに答えるという形が主流となり、結果的にえりが場を仕切る形になった。各人の簡単な自己紹介から始まり、「注目選手は誰ですか?」とか「注目する理由はなんですか?」といった質問を食事の邪魔にならないよう、全員に満遍なく行われた。

 全員の食事が終わる頃には、この場に居る全員は通り一辺倒のプロフィールだけではなく、自分の知らない注目選手に関する情報を共有し、その情報を提供してくれた人が何に注目する人かである程度の麻雀観も分かった。

 結果、情報交換している内に何となく馬の合いそうな人の目星がついたり、何となく馬の合った人をこの場で見つけたりと、大会に臨むにあたって非常に有意義な時間となった。

 

 

 時間は10時過ぎ、カウンター席のゆみが「そろそろ帰ろうか」と促し、雑談に興じていた一同が現在の時刻を確認。過ぎた時間の早さに驚きながら席を立つ。

 お会計は、ゆみが全員分を済ませてくれた。ゆみ曰く、「運営が立て替えてくれるから大丈夫」との事。本当に大丈夫なのかと、やえは気になったが、ソフィアが「気にしなくていいでしょ」と諭してくれたので、そうする事にした。

 何にせよ、車も走る陸橋を踏み越えての帰り道は20分を経過していたが、新しく見付けた友人達と途切れることない談笑はその苦労を払拭させるに充分であった。

 ゆみを先頭に一同は師子名高校の正門を通り抜ける。大体その辺りで誰もが変化に気付いた。行きは静かだった校舎から、足音、話声、牌の音などが漏れ聞こえてきたのだ。

 玄関に入ったところで「おかえりなさ~い」と、受付のおばさんの声が出迎えてくれた。それで早速、下駄箱に靴を入れようと思ったが、行きはガラガラだった右端の下駄箱は埋まっており、ひとつ隣の下駄箱を使う事になった。

 そして、引率のゆみが受付のおばさんに帰校報告。

 

「今、戻りました。もしかして、全員、集まっていますか?」

「ん~、まだ半分ぐらいかな。ほら、今日、風が強いでしょ、それで電車が止まってたりするところがあるみたいなのよ。もしかしたら正午の説明会が遅れるかもよ」

「そうですか」

 

 世間話を済ませてから、ゆみは全員の方に向き直る。

 

「それではここで解散です。一応、大会運営への報告は私がしておきます。そして、針生さん、ついでにスタッフ・ルームまで案内します。貴女の到着報告は必要でしょうから」

「ありがとう。もう少しだけ、お世話になります」

 

 そんな感じで、面倒を一手に引き受けてくれた加治木 ゆみに向けて、一同は口々にお礼を述べ、それが一通り済んだ所で、ゆみがえりを連れて2階へ移動したのを皮切りに解散が始まった。

 既に二人一組のコンビを作っているのもいれば、そうでない個人も冊子の顔写真を確認しながら、庭と呼ぶのもおこがましい中庭を挟んだ玄関の向かい側にあるにある元・1年の教室、現フリー対局室に移動していく。

 そんな中、ソフィアと花子の同窓生二人は。

 

「んじゃ、ソフィーも頑張ってね」

「ハナもね」

 

 ソフィアと別れた花子、その隣には色白で眼鏡をした同い年くらいの女の人が付き添っていた。

 やえは花子と一緒にいる人物が劔谷高校の元・部長、古塚 梢なのはさっきの自己紹介で知ったが、二人はいつの間にかチームを組める程、仲良くなっているとは知らなかった。

 それはそれとして、受付のおばさんを除いてこの場に残っているのは、やえとソフィアの二人だけ。

 

「あれ、行かないの?」

「うん?まあ、これも何かの縁だし、そっちがよければチームメイト(仮)でもいいかなって思っているけど」

「ま、まあ、別に拒む理由も無いけど、せめて腕前披露はしてからね」

「ああ、いいよ」

 

 言った後で気付いたが、今の発言、やえは随分と上から目線で無礼だと思った。そして、それを軽く流してくれたソフィアとは、チームメイトとして上手くやっていけるかもしれないと、気持ちは傾いていた。

 

 やえとソフィアはとりあえず、現在、フリー対局室として使われている元1-1の教室に入る。中は小ざっぱりしていた。前と後ろの黒板はそのまま、しかし机は全て片付けられ、代わりに麻雀卓が横3×縦2と並び、部屋の隅には麻雀卓用の予備の椅子とパイプイスの2種類の椅子がまとめて置かれている。

 やえが思った事は「誰もいない時の部室って、こんな感じだったなぁ」である。

 六つの卓はすでに埋まっていたが、席が空くのを待っている人はいない。やえ達が入室した際、後ろの出入り口に一番近い卓で打っている上は白に下は緋色の巫女装束に身を包んだ三人の女性の内の一人が真っ先に声を上げた。

 

「おはようございます」

「あ、おはよう」

 

 やえは少し面食らった。巫女が麻雀を打っている光景を目の当たりにするのもそうだが、その驚きの大半は一方的に知っている人が実際に居る事に対する驚きだった。

 挨拶をしてきた巫女は石戸(いしと) (かすみ)。小さい口に黒糖を頬張っている巫女が滝見(たきみ) (はる)。小麦色の肌をしている幼い見た目の巫女は薄墨(うすずみ) 初美(はつみ)。やえは流し読みした三元杯の小冊子にある参加選手の項目、そこに記載されているプロフィールに改めて目を通すまでも無く、彼女達がどこの誰かはわかっていた。彼女達は去年のインターハイ団体戦参加校、それもシードの正レギュラーの三人だった。やえもインターハイ常連校の正レギュラーの一人ではあるが、世間の注目度などを鑑みれば、彼女達はランクが二つ上くらいの人達だった。

 

「打ちますか?ちょうど終わった所ですから変わりますよ」

 

 霞が席を立とうとするよりも早く、ソフィアが答える。

 

「おおぅ、それは有り難い。それじゃ、小走さんはこっちで。あ、良かったら石戸さんも一緒に」

 

 名指しでお願いされた霞がこっそり座りなおして、ソフィアが一足早く卓に歩み寄る。腕前を見せてと言った手前、やえは何も言わずに卓を囲む事にした。面子は滝見 春が残り、薄墨 初美ともう一人と変わって、やえとソフィアが卓に着く。なお、三元杯ルールに基づいた対局は正午の説明会以降にしようという提案の元、今回のルールは単純にクイタンなしで始まった。

 始まってすぐの事、やえが何の気なしに教室の出入り口の所を見ると、そこには朝食の引率を買って出てくれた人、加治木 ゆみの姿があった。彼女は出入り口の所で室内を軽く見渡すと、すぐ様、踵を返して行ってしまった。やえはそれが、人を探しているように見えた。きっと、カウンターで隣に座っていた人を探しているんだろうと結論付け、そのまま麻雀に集中した。

 

 とはいえ、設定したルールの時点で本番を見据えた模擬戦ですらない、もっぱら談笑の潤滑油としての麻雀を打っていた。面子は基本的に1-1内にいる人間で入れ替わり立ち替わり、ソフィアがその度に「そういえばさ」と朝食時のお見合い話云々を切りだすと皆かなり話に食いついてきた。気付けば、卓を囲まずに雑談に励む一群もちらほら。

 しばらくして、誰かの「熊倉さんが来たよ」という報せが、やえの耳に入った。程なくして、チャイムが鳴り、次いでアナウンスが流れる。

 

「大会説明会15分前です。皆様、到着時に受け取った大会手帳をご持参の上、体育館へ移動してください」

 

 1-1対局室の面々は手を止め、おしゃべりを止め、正面黒板上のスピーカーに目を向けた。

 

「繰り返します。大会説明会15分前です。体育館へ移動してください」

 

 おしゃべりをする雰囲気を残したまま、1-1対局室から一人また一人と出ていく。注意にあった大会手帳を片手に「体育館に移動という響きが懐かしい」とか、「それ以前に体育館自体が懐かしい」とか口々に言っている。

 その中で、やえとソフィアは連れだって行動し、加えて、その隣には卓を囲んだ石戸 霞と薄墨 初美に滝見 春の三人もいた。

 

 1-1対局室の隣、1-2対局室のすぐ前の丁字に交わる廊下を曲がって進み、下駄箱へ行く曲がり道は素通りし、廊下はそのまま校舎の外へ続く。コンクリートの足場に鉄板の屋根を拵えた10メート程度の渡り廊下に繋がる。道なりのL字を左、そのすぐの所にある右と左の分れ道、左は食堂、そして右にあるのが体育館。

 鉄の引き戸を全開にした出入口から中に入るなり、運営スタッフから声が掛かけられる。

 

「来た方からステージ前にお座り下さい」

 

 やえが見る限り、先に来ていた人達は体育館ステージの5メートルくらい手前、ちゃんとした列は作らず、ステージの幅から少しはみ出す範囲内に横へ並んでまばらに座り、あぐらをかいたり、体育座りをしたりしていた。そして、冊子に目を通したり、おしゃべりをしたりしながら、時間を潰している。やえ達もそれに倣った。

 

 そうこうしている内に初老の男性が一人、ステージの上に立つ。マイクを片手に、自らを三元杯実行委員会の人間と紹介した彼は、今の集まりは参加者に向けて三元杯の説明する集まりで開会式ではない事と開会式は後で改めて行う事を断った上で、三元杯についての説明を始めた。

 まずは試合のルール、チーム戦である事から始まり、クイタンがない事や三風刻を採用している事などなど。

 次いで大会の大まかな流れ、予選は10チームの総当たり戦を8ブロックで行って、各ブロック上位3チームの計24チームによる勝ち抜き戦で優勝チームを決定する。

 最後に改めて3人1チームである事を述べ、以下の言葉につなげた。

 

「チーム結成は慎重に行って下さい。チームとして同卓することもそうですが、皆さんの宿泊する部屋はチーム毎の個室ではなく、予選ブロック毎の大部屋で割り振ります。さらに試合以外の時間、特に外出の場合はチーム単位での行動を義務付けています。よって、最長で三週間、寝食及びプライベートも一部共有する事をよく考慮した上で、チームを組んで下さい」

 

 壇上のスタッフからは特に強い言い方はされなかったが「適当に選ぶな」と遠回しに言っているんだろうな、というのが、やえの率直な感想だった。そう感じたのは、きっと朝の外食時に『チーム結成』を『お見合い』と表現して、それをきっかけに、みんなが自分の事を話し始めた雰囲気が、どこか柔らかかったからだろう。

 ああ、そういえば、あの時、引率を買って出てくれた女性、加治木 ゆみは、結局、隣にいた人としか話してなかった事に気付いた。きっと、彼女等でチームを組むのだろうと漠然と思った。

 やえがそんな事を思っている間にも、説明は続いている。

 

「以上の事を踏まえた上で本日の日程の説明をします。

 これから皆さんには3人1組のチームを作って貰います。タイムリミットは今日の18時までです。それまでにチーム申請のなかった選手は、ランダムでチームを組みます。

 次に今日の19時に体育館で開会式を予定しています。その開会式が終わり、試合の準備が出来次第、そのまま各ブロックの第一試合を始めます。ちなみに、第一試合のない方は就寝まで自由時間です。なお、就寝時間は22時頃を予定しています。

 では、ここまでで質問は?」

 

 質問と言われてから、やえは考え始める。すると、真っ先に手を上げた人がいた、ゆみだった。質問自体は他愛もないものだったが、それを皮切りに、他の人からも、ぽつぽつと質問が寄せられる。大体、以下ようなやりとりがあった。

 

 チーム申請はどこでやれば~~2階の元・職員室ことスタッフ・ルームで

 申請は取り消せるのか~~混乱の原因になるので極力しないで

 外出について~~今からはしないで、するならチームの申請後に。

 フリー対局室は~~好きに使って

 などなど。

 

 色々な質疑応答はあったが、あまり印象が残らなかったというのが、やえの正直な感想。特にチーム決めに関する質問は割と細かく出たけれども、知れば知る程に「寝食と苦楽を共にする相手を探す」、要するに「お見合い」という印象を補強する結果にしかならなかった。そして、お見合いなら理詰め一辺倒ではなく、フィーリングも大切にしたいなぁ、などと、やえは思っていた。

 なんにしろ、そんなこんなしている内に、説明会は予定の13時よりも前に終わった。

 これから開会式まで体育館に立ち入り禁止を言われて外に出る。

 

 

「それでは、私達はチームの申請に行きますので、ここで一旦お別れです」

 

 やえが石戸 霞からそう言われたのは、体育館を出てすぐの事だった。やえが不意をつかれて立ち止まったのに合わせて、5人の足が止まる。その時、ソフィアが「邪魔になるから」の一言で全員体育館の出入口正面から脇へと移動して、そこで顔を突き合わせる。

 その時、やえとソフィア、霞と初美と春、で向かい合う形になって、やえは確信した。

 

「ああ、やっぱり、そっちは顔なじみだけで組むんだ。初美ちゃん、欲しかったんだけどなぁ」

「ふふ、駄目ですよ。私達は私達で一丸になって頑張る為に来たんですから」

「どうする、お昼御飯は一緒にとる?」

「ごめんなさい。ここだけの話、先約がいますから外出します」

 

 そういえば、今日の外出について細かく聞いていたのは霞達だった。

 

「あ、そう。まあ、頑張ってね。って、あんまり頑張られても、私が困るかもしれないから、そこそこ頑張ってね」

「はいはい、善処しますね。では、行きましょう」

 

 真っ先に「はーい」と答える初美と、その後ろで会釈をする春。そんな彼女達に手を振るソフィアであった。

 

 巫女装束の三人がコンクリートの渡り廊下をいく、文字通り一足先を行く三人を見送ってから、残った二人、やえはソフィアに話を振る。

 

「で、これからどうしようか?」

「いや、その前にさ。私、チームメイトでいいの?」

「え?それは今更すぎるでしょ。石戸さん達にもチームメイトって紹介してる訳だし」

「してたっけ?」

「してた…………と思う」

「なんでもいいや、そういう事なら、大会期間中、よろしく」

「よろしくね、新井さん」

「ソフィーって呼んで。友達は皆そう呼んでるから」

「ん。じゃあ改めて、よろしくね、ソフィー」

 

 ぎゅっと握手をしてから、今度はソフィアから、やえに。

 

「で、チームメイトの目星ってどうなってる?私は今回の出場者でちゃんとした友達なのは花子ぐらいで、あとは顔見知りが何人かいるくらいだけど」

「私の場合はソフィーよりもっと知り合いはいないんだけど………」

 

 チームメイトの単語で真っ先に脳裏をよぎったのは、遅めの朝食の引率を買って出てくれた彼女、加治木 ゆみのカウンターに着席した後ろ姿を思い浮かべた。同時に、その傍らの女性と談笑している所も思い出し、「お互い、あと一人かぁ」などと思った。

 

「勝ちにいくんならトシさんとかなんだろうけど、倍率がすんごい事になってるだろうし、トシさんもトシさんで一人は組む相手が決まっていると思うから、私達でチームを組める可能性は低いよ、きっと」

「あれ?やる前からやめちゃうの?」

「いや、その、雲の上の人とは変にチームを組みたくないっていうか、するんだったら全力でぶつかる方を選びたいというか。それにさ、トシさんがこの大会の注目度含めてナンバーワンとは思うんだけどさ、その、実力的には結局、誰でもいいって気はするんだよね。この大会に出られる時点で悪い意味で変なのっていないと思うし」

「ふ~ん、なるほどね」

 

 すると。

 

「あれ、晩成さん?」

「あ、千里山の」

 

 振り返った先に居るのは、やえにとって既知の二人。

 関西の高校麻雀の名門・千里山高校の昨年度団体戦選手、先鋒・園城寺(おんじょうじ) (とき)と大将・清水谷(しみずたに) 竜華(りゅうか)だった。ここで話しかけてくるのは、竜華の方。答えるのは、やえの方。怜は一歩引いた所で口をつぐみ、ソフィアがその怜をじっと見つめていた。

 

「こんなところで会うなんて奇遇やねぇ」

「それはこっちの台詞でしょ、千里山の正レギュラーは卒業してからも忙しいって聞いたよ」

「熊倉さん出るし、友達も薦めるしで、問い合わせてみたらチーム戦で好きな人と組めるゆうから、一緒に参加したんよ。なー、怜」

「ふ~ん。パートナーは決まってるんだね」

「うん、まあ。最後の一人を求めて説明会始まる前に熊倉さんを訪ねてみたんだけど、駄目やったわぁ」

「あら~、私達はこれからチャレンジなんだけど、そっちの二人でもトシさん無理だったの?やっぱり、ハードル高いなぁ」

「いやいや、ハードルうんぬんやなくって、熊倉さんはタイムアップ後のランダム抽選でチームメイトを決めるって」

「どういう事?」

「一番の注目選手やし。一応、うちもそうだけど、大なり小なり熊倉さん目当てで参加決めた人も結構いてるしで、そんなんで一番角が立たへん方法って事でそうするって言ってた。あと、はっきり言わんけど、ハンディキャップって意味もあるんやと思うわ」

「そっかぁ。その分だと、やっぱり私達が入り込む余地ないかぁ」

「ま、そこら辺はしゃあないわ。お互いラスト一人、頑張って探そな」

「んじゃ、お互い頑張ろうね。あ、そうそう、トシさん、どこにいるかわかる?」

「う~ん、フリー対局室のどれかやないかな、お昼は済ませてきたらしいから食堂にはおらんよ。

 って、行くのん?」

「まあ、ちょっと挨拶に行くだけ」

「そっか。じゃ、行こうか、怜」

「うん」

 

 軽く挨拶を交わして別れる。やえとソフィアはその場に留まり、竜華と怜はやえ達を通り過ぎて校舎ではなく、食堂の方へと歩いて行った。

 

 行った後で。

 

「知り合いなんだねぇ」

「まあね。一応、晩成と千里山で交流あるし」

「で、三人目、どうする?誰でもいいって言ってたけど、誰彼構わずチームメイトにならないかって呼び掛けるのはちょっと」

「そうだねぇ。まあ、強いて希望あげるなら年齢の近い人がいいかな、話が合うって意味で」

「同い年。じゃあ、辻垣内(つじがいと) 智葉(さとは)なんて、どう?」

 

 やえは、思考が停止した。そして頭が回り始めた時、辻垣内 智葉の情報を脳裏に並べていく。

 

 辻垣内 智葉。

 激戦区・東東京地区の中にあって都大会予選16連覇を為した臨海女子高校。はたから見ると団体戦に異常なまでに注力するこの学校は、海外の大会で既に結果を出した人達を留学生として引っ張ってメンバーを構成していた。昨年ついに「先鋒を日本人にする事」が決まり、臨海女子高校団体戦唯一の日本人枠を勝ち取ったのが彼女、辻垣内 智葉である。それは制度の変更が全てではなく、実力で選ばれた事は昨年のインターハイで明らかになった。

 臨海女子団体戦の正レギュラーを実力で務めあげた彼女は、インターカレッジを素通りし、プロの門も潜らず、世界の舞台を目指すのではないか?と真しやかに囁かれてもいた。

 

「え?マジで?ガチで世界がフィールドの人じゃん。ホントに居るの?」

「普通に載ってるよ。参加選手の欄の、ほら、ここ」

 

 今朝貰った大会手帳の1ページ、大会参加者達のいわゆる証明写真が並ぶ中、ソフィアが指差した先には、長い髪を後ろで結い、TV越しに見慣れた眼鏡で仏頂面の辻垣内 智葉の写真があった。

 

「ホントだ……。朝食の時、話題に出なかったのに」

「直接の知り合いがいなかったから話題に上らなかっただけでしょ。針生さんが来る前から自己紹介と友達紹介の流れだったし」

「ああ、言われてみればそういう流れだった。だから、トシさんの話題もほとんど出なかったんだ。とはいえ、そのトシさんよりも話題に出ないって事は、辻垣内 智葉って人は冗談抜きに一匹狼なんだね」

 

 やえがひとりで納得する一方で、ソフィアは首をひねった。

 

「気難しいはともかく、人当たりが悪いなんて話は聞かないんだけどなぁ」

「う~ん。自分も出といて言うのもなんだけど、何なの、この大会」

「まあ、確かにそこら辺は気になるっていえば気になるけど、そういうのは針生さんあたりがまとめてくれるんじゃないの。今はそれよりも、するべき事をしましょうよ」

「じゃあ、トシさんに挨拶をしてから、辻垣内さんにアタックだ」

 

 と、やえは結論付けたところで、ふと思い出した事がひとつ。

 

「ごめん。その前にさ、私の荷物が着いたかどうか確認してもいいかな?」

「あ、それ重要。私も郵送したから付き合うね」

 

 すんなりOKが出て、今度はやえが不安になった。

 

「でも、いいのかな。早く行かないと、辻垣内さんのチームメイト決まっちゃいそう」

「大丈夫じゃないのぉ?見るからに堅~い感じの人だし、今みたいに『チームメイト決め』イコール『お見合い』って考えに染まってたら時間ギリギリまで悩みそうじゃない?」

「ん~。言われてみると、辻垣内さんに限らず、それが普通よね。じゃ、2階………で、いいんだっけ?」

「スタッフ・ルームに行きたいんでしょ。なら、2階、元・職員室だね」

 

 体育館の出入り口から食堂へは行かず、渡り廊下を行き、校舎に入る。ここまでは人の往来もあったが、外の渡り廊下から元1年教室のフリー対局室への途中、玄関へ行く左の廊下の真向かいにある階段を一段上った時点で人気が一気になくなった。

 だから、1階から2階の踊り場に立った時点で、下は多くの人と一緒に喧騒が横切って、上は人がいない故の静寂が横たわっていると感じ取れた。

 ところが、踊り場から2階へいくにつれ、人の話し声が聞こえてきた。内容までは聞き取れないから、やえは特に気にせず、ソフィアは「二人で少し言いあっているかな?」くらい気は回して、2階に上がると………。

 

「………今、何と言った」

 

 鋭くも静かに放たれた声と一緒に伸びた手が、向かい合った人物の肩を掴んだ瞬間を目撃した。

 やえにとって問題は、そこにいる二人が知っている人という事だった。肩を掴まれている側が朝食の引率を買って出てくれた加治木 ゆみで、肩を掴んでいる側が朝食の間ずっとゆみの隣にいた女性という事だった。

 しかし、二人がやえ達を気にする素振りも無く、ゆみが肩を掴まれたまま答える。

 

「気を悪くしたのなら謝ろう。ただ、答えは変わらない。貴女方とだけは、チームを組まない」

「私が聞いているのはそういう事じゃない………」

 

 お見合いだとか何だとか言った張本人が真逆の空気を発している。ソフィアは軽く流そうかと思った矢先に、やえは二人に歩み寄って声を掛けていた。

 

「こんにちは~。朝はどうも~」

 

 二人はやえを一瞥して、肩を掴んでいた手を離し、それから黙ってしまった。話題が出ず、やえもそこで固まっている。仕方ないのでソフィアが。

 

「とりあえず、チームメイトを探している者同士、ちょっと打ってみない。なんだかんだで、私達と加治木さん達は朝のうちに自己紹介出来なかったし」

「なんだったら、静かな所とかでもいいよぉ」

 

 やえの付けたしに、ゆみは眉をしかめた。

 

「その提案は君達のチームメイト選びに差し障……」

 

 しかし、もう一人の方が食いついた。

 

「本当にいいんだな?」

 

 食いついた上での念押しに、やえは少しひるむも、きっちり胸を張り直す。

 

「も、もちろんよ」

「では、甘えさせてもらおう。そういう事だが、加治木はどうする?」

 

 少しの間を置く。

 

「わかった、付き合おう」

「素直に聞いてくれるんだな」

「4人で睨めっこするよりは有意義だろう」

「では、早速、色々と頼んでいいかな?」

「わかった、何とかしよう。だが、駄目だったら諦めろよ」

「ああ、もちろんだ」

 

 それだけを言うと、ゆみは早速、行動した。ここまでの流れを見て、ソフィアは二人の関係を少し不思議に思った、「さっき仲違いをしている風だったのに、何で今はお願いを聞いてもらうのが当たり前という雰囲気なんだろう」と。

 何にせよ、ゆみは道なりに廊下を左折せず、正面右角にあるドアをノックする。ゆみは「失礼します」と声を掛けてすぐ、返答を待たずに入室する。中からは「早いね」とか「まだ準備が出来てない」とか言われた後で、ゆみは「そうではなくて」と切り出した辺りで、ドアは閉まった。

 ドア越しでも何か喋っている事はわかるが、はっきり言えば不明瞭で、わざわざ聞き耳を立てるまでもないと、やえは思った。

 少ししてドアが開くと、ゆみはカギを持って戻ってきた。

 

「今回だけ、向こうの会議室を使って良いそうだ」

「会議室?」

「今は物置。こっちだ」

 

 ゆみの案内で廊下を道なりに進み、校舎の吹き抜けを回り込むように左折を二回。やえ達が登ってきた階段のちょうど反対側にある階段を通り抜けてすぐの突き当たり、その左側の部屋に会議室の札が掛けられていた。

 ゆみはカギを開けて中に入り、あとの三人も続いた。

 やえが会議室に入って真っ先に思った事は、少し埃っぽいと臭いで感じ、次いで暗幕の掛かった暗い部屋の一角で白い布を被った複数の机が固まっているのが目に飛び込んで来た。

 

「卓は適当に用意してくれ。あ、それと鍵はすぐ締めてくれ。一応、試合以外の対局は1階のフリーでするのが推奨されているから見られるとマズイ」

 

 そう言うと、ゆみは置物と化している備品群をかわして真っ直ぐ壁際までいき、暗幕のカーテンを開け、ついでに窓も開ける。その合間、長い髪の彼女が白い布をひとつ外して、適当にひとつの麻雀卓を見繕い、ゆみとの軽口をたたく椅子の用意も始める。

 

「変に注意を取ってつけると、かえって説得力が欠けて聞こえるものだな」

「手間を増やした張本人がそういう事を言うのか?」

「悪いとは思っているさ。反省はしないがね」

「冗談と思って聞き流すよ」

 

 言われた通り会議室のカギを掛けながら、やえは思った。さっきの悪そうな空気はなんだったんだ、と。ちなみにソフィアは一人黙々と、用意した全自動麻雀卓の大きな穴に麻雀牌を流し込んではがらがら回していた。

 

「こういう無茶は、これっきりにしてくれ」

「この調子で、さっきの話も聞き入れて欲しいんだがな」

「断る」

「お前の立場で、はっきり、そう言うんだな」

「ああ」

「何なら、麻雀で決めるか?」

「麻雀で決める事ではないがな」

 

 そのやり取りでソフィアは察した。「麻雀で決める気だ」と。

 やえの心の中で今、大きな存在感を放つ四文字は「前言撤回」。やっぱり空気が悪い上に、どこか一触即発の雰囲気。これ以上、二人に何かを喋らせる前に、やえが口を開いた。

 

「よし。じゃ、三元杯ルールでやろうよ」

 

 全員が一斉にやえを見た。その一瞬、全員の行動が止まったのを確認し、やえは畳み掛けて主導権を握るべく二の句を継げようとしたが。

 

「親決めはどうする?本番ではドラが乗った方が後だが」

 

 先手を取られた上に話が噛み合わなかったが、やえは頑張って答える。

 

「そ、それなら、えっと、言い出しっぺだし、私が起家やるよ」

 

 この時のやえの思考。ドラが乗った方が後だからドラが乗ってない方が先、ドラは乗っていないより乗っている方が絶対いいので、親は後の方がいい、転じて自分から先の親を選ぶのは遠慮にあたるのだ、と。しかし、やえは思った。「それにしても、親がドラってなんだろう?」と。

 やえはどうあれ、ソフィアはそこから話を進める。

 

「じゃあ、話の流れ的に私は南家って事で」

「西家には私が入ろう」 

 

 ソフィアが言い終わらぬ内に意思表示をしたのは、ゆみだった。そして残った席は必然的に最後の一人に。

 

「私がラス親か。連荘のあれは当然ないとして、正直、アガリ止めもいらないんだが」

「アガリ止めがある前提でラス親を譲ったんだ。これ以上、我がままを言わないでくれ」

「ソ、ソフィーはどう思う」

「え?ああ、それでいいよ、それで」

「じゃ、じゃあ、アガリ止めありで始めるよー」

 

 やえは、周りがさばさばし過ぎていて、自分がから回っている様な気もしたが、気にせずサイコロを回した。

 

 

 とても静かだった。

 寡黙な性分が二人いて、空気の読んだソフィアがそれにならって、やえは話相手がいなさそうなので静かにしている。そして、部屋の中は牌が慣らす音しかしなかった。

 

 東一局。

 ゆみがアガる。

 

「ツモ、あがっておこう。300・500だ」

「うわ、親蹴られた」

 

 東二局。

 続いて、やえ。

 

「ツモ。跳満」

 

 

 東三局。

 再び、やえ。

 

「ツモぉ、満貫」

 

 東四局。

 ソフィア、ゆみの捨てた牌にポンと鳴いての一巡後。

 

「ん~、悪いね。ツモ、1000・2000」

 

 

 東場が終わった。

 4万8500点のトップ。この結果を前に、やえは思う。

 

(やっぱり、いい調子だ)

 

 気持ち頬を緩めて、やえはさらに心の独白を続ける。

 

(本番前にこういった所で勝負して運を使うのは良くないって考え方はあるけど、本番前にちゃんと打てているかどうか確かめないとね)

 

 すると。

 

「そういえば、色々と決めないまま始めてしまったが、3万点スタートはいいとして、対局はこれで終わりか」

 

 一人だけアガっていない、長髪の彼女がそんな事を口にした。

 やえは、思わず噴き出しそうになった。打っている間、例え親番があっさり蹴られても眉ひとつ動かさず涼しげに構えていた彼女が、その実一度もアガれなくて少しムキになっている感じがして、どこか微笑ましく思った。

 

「じゃあ、仕切り直してもう一回……」

「いや、続けるなら、このまま南入でいい。加治木は、それでいいか?」

「構わない。と、言うより、東風四回戦でなくていいのか?」

「ああ、これは半荘でいい」

 

 納得した二人を見守ってから、やえは気付いてソフィアに話しかける。

 

「そういう事だから、南場もお願いね」

「あ、いいよ」と、一見してソフィアは安請け合いをしたように見えるが、内心、誰も言わなければ自分から延長を申し出るつもりだった。了解も得たところで、もう一言添える。

「確認しとくけど、小走さんが4万8500で私は2万5700。そっちが2万3100と2万2700でいいんだよね」

「うん、そうだよ」

「間違いはない」

「私もだ」

 

 

 南一局  ドラ・{⑨}

 

  {346二二三五六八②③⑥⑦東}

 

(さあ、突き放すよ。12・13の安全運転じゃなしの、14枚使ってのフルスロットルで!!)

 

 親の一打目、やえが叩いた{東}に声が上がった。

 

「ポン」

 

 北家が倒した三枚は、{東東五}だった。

 

(え、オタ風ポン?ドラでもないのに鳴ちゃうんだ。トイトイとか役牌バックかな。でも、ここで変に回っちゃうより真っ直ぐ真っ直ぐ)

 

 その2巡後、再び北家から声が上がる。

 

「カン……」

 

 四枚目の{東}が、{七}を二枚目のドラにする。

 それを見たソフィアが思った事。

 

(微妙なところにドラが乗ったか。チャンタのみが満貫に化けたかも、ね)

 

 数巡後、やえはツモった指先の感覚だけで嫌な顔をしそうになった。

 

({⑨}………。困る方のドラを掴まされた。ソフィーにチーされるならまだしも、甘い打牌で上家にロンされるのは当然したくないけど、ポンされて跳満しちゃうのも絶対イヤ。

 あ~、いやいや待て待て。鳴かれるとは限らないし、私達だけしかいない卓だし、本戦前の模擬戦でしかないし、自分の都合だけでごりごり打っても………)

 

 考え事している最中に手は動く。悩むのとは裏腹に、やえは{⑨}と{⑥}を入れ替えた。

 

  {34二三四五六八八②③⑦⑨}

 

(安易に振り込んで肝心の本戦で見下されてるのはまっぴらゴメンです!!)

 

 同順、ゆみは、やえが{⑥}を気持ち強く叩いたのを見逃さなかった。そして、{八}が重なったのに合わせて、テンパイを崩す{⑥}を打った。

 

 流局。

「テンパイ」と声を上げて牌を晒したのはソフィア一人だけで、あとの三人は「ノーテン」と手牌を伏せた。やえとソフィアがその事に釈然としないと態度を示す一方、ゆみはぽつりと一言。

 

「カンはやりすぎになったな」

「ああ、やりずぎにされてしまったよ」

 

 親が流れての南二局もカンがないだけで似たような展開、鳴いた親と対面がテンパイして流局となった。

 

 南二局・一本場  ドラ・{⑤}

 捨て牌の列が二段目に行く前に、ゆみはやえの切った牌に対して手牌を倒した。

 

「ロン、満貫」

 

  {三三44②②赤⑤⑤西西南南1}  ロン・{1}

 

「んも~、リーチしてよぉ」

「ケアすべきは三色か一通かを決めかねていたのでな」

「あはは……、まあ、正解だけどね」

 

  {22234③④二三四五六六}

 

 ソフィアは違う受け止め方をしていた。

 

  {①①②③④⑤24赤579南南}

 

(私がピンズ・ソウズで絶一色のバ~ラバラ。となると、余ったマンズはどこいたんだろうね)

 

 ソフィアの対面が伏せた手、それは………

 

 {一一二四赤五六七八九⑥⑦⑦⑦}

 

 

 続く南三局、ドラは{⑤}だったが、親番のゆみがドラとは無関係のアガりをあっさり決める。

 

「ツモ。1600オール」

 

  {一一一二二①①666} {横978}  ツモ・{二}

 

 やえは{赤⑤}をきっちり使えた手牌を伏せて内心そっと悔しがる。

 一方、ドラもアガリにも絡めなかったソフィアは少し不思議な感覚を覚える。

 

(随分と強引なアガリ。意地でも親を生かして2位………そんなんじゃないね、誰かに一歩先を行かれる前に無理矢理半歩先を行ったという所か)

 

 

 南三局 一本場 ドラ・{3}

 12巡目にやえのリーチが炸裂。ソフィアがツモ切りを済ませた直後、親のリーチ、さらにそれを追いかける無筋のリーチが通った。

 誰がツモるか、誰が振るかの三軒リーチ。場の熱量は一気に跳ねあがったが、しかし、決着は早かった。

 やえが一発を逃した直後。

 

「よぉっし、ツモ。1400・2700、リー棒まとめて、ごっつぁんです」

 

  {123二三四四四四五北北北}  ツモ・{三}

 

 一旦驚いてから、やえは改めて納得する。

 

「ああ、ダマだったんだ」

「うん。この大会じゃ一番レアな途中流局の四人リーチを、と思ったけど、普通にツモれた」

「で、結局、何点になったの?私は3万3700」

「今のアガリで3万8100.一応、トップ」

 

 すると、ゆみがそれに続いた。

 

「3万ちょうど」

「1万8200。オーラスだな」

 

 

 南四局 ドラ・{5}

 

 やえの胸は高鳴っていた。

 送別会から揺らがなかった勝てるという確信がぼやけて、かわりに勝ちたいという欲求が燃え始めていた。その燃え上がる感覚こそ、やえが三元杯という大会に求めていたモノだった。

 

(さ~て、オーラスの配牌は………)

 

  {一二四五八九⑦149白白中}

 

(白が鳴ければいいけど、一通はド真ん中を鳴いたら一発で手が透けそうだなぁ)

 

 やえが考えをまとめた頃に親が{①}を切り、やえが引いたのは{⑧}

 

(三色の芽が出てきたし、ツモ次第じゃチャンタもいける。けど、一打目はこっち)

 

 やえが切ったのは{1}だった。

 

 

 全員が無言で進んだ5巡目、親が{⑥}を手出ししたのを見た後で、やえ自身は{五}を手牌に加えて{⑦}を切る。それから下家のソフィアが{中}のツモ切り。そこまで見てから、改めて上家と下家の捨て牌、それと自分の手配に目を配った

 

 上家・親の捨て牌

{①②発④⑥}

 

 下家・ソフィアの捨て牌

{⑨発⑨赤五中}

 

(上家の親もそうなんだけど、ソフィーもソフィーでよからぬ気配を出しまくりなのよね。鳴いてくれるならソフィーでって思ったけど、空振りかぁ。対面の加治木さんからも何時リーチが飛んでくるかわからないし)

 

 やえの手牌

  {一二四五五六八九⑧4赤5白白}

 

(そうだねぇ。{⑧}をアンパイと決め打って、重なればダマも視野にいれるって感じでいいかな)

 

 しかし、やえの想定したような事件は特になく、沈黙を破るのはそれから4巡後の事。

 

「ポン」

 

 ソフィアが叩いた{南}を親が鳴いた。そして、やえは新たに{2}の並んだ親の河を見る。

 

{①②発④⑥⑦}

{①1八2}

 

 回ってきた次巡のやえは。

 

  {一二四五六八九⑧4赤56白白}  ツモ・{四}

 

(ひとつ前の{八}は確かツモ切り、そして今、鳴いて切ったのが{2}。シンプルにソウズに染めているでいいかな。変に悩まず、ここはマンズを切ってくれる事をお願いして、しれっとツモ切りだ)

 

 やえの{四}はあっさり通って、それから手出しが二連続でソフィアが{⑥}、ゆみから{七}と続いて切られ、再び親に回る。何を切るのかなと、やえが注意を向けた所、少し予想を外れた行動が行われた。

 

「カン」

 

 四枚目の{南}が親の手の中に収まり、ドラ表示牌{4}の隣をめくって{八}を表に。その直後、新たにリンシャンより引いた牌は、一瞥されただけでそのまま河に放たれた。

 

 それは{白}

 

「ポン」

 

(よし、枷が外れた)

 

 やえが手牌の孤立牌を叩いた瞬間、親の声は上がった。

 

「ロン」

 

  {678西西西北北北⑧} {南}{横南(横南}){南}  ロン・{⑧}

 

(うわ、仮テンに刺さ………って、私が鳴いたの{白}じゃん。点数を2000ぐらいまで下げて連荘を………)

 

「南、三風刻。11600」

「あ………」

 

 このアガリのは、やえのみならず、全員が目を見張った。

 

「点数も含めて、問題ないな?」

 

 この念押しには、ゆみが答えた。

 

「ああ、問題ないよ。60符3飜の11600だ」

 

 やえが未だに呆然とする姿を流し見てから、ソフィアは自分の手牌も含め晒された牌を一通り眺める。

 

 ソフィアの手牌。

  {二三四六七八33388③④}

 

(これで親の某さんは29800、加治木さんは30000。あとリーチ棒一本分でも加点すれば加治木さんを捲って、二人の勝負は決着だったけれど、その手間を省いて牌を倒したのは南を鳴かせた私への警戒か。もっと単純に………)

 

 ゆみの捨て牌

{11発東⑤九}

{②②七}

 

(確か、東以外は全て手出しの加治木さんを相応の手と読んで、高く仕上げている間に競り負けると考えたから、か)

 

 ゆみが伏せた手牌は

  {④赤⑤⑥五六七445667白}

 

 ソフィアの答え合わせは行われないまま、全ての牌は中央の穴に消えていく。

 

 

 南四局 一本場 ドラ・{東}

 

 ソフィアの一回の「チー」を一回挟んで12巡目。あくまで、それは静かに行われた。

 

「リーチ」

 

 親の捨て牌

{白中東②3⑨}

{19⑨⑦8横5}

 

 しかし、リーチを掛けた側が、自らの手牌に溜め息をつきそうになっていた。

 

  {⑥⑦六六六八八九九九123}

 

(連荘はしないし、高くも仕上げない。加治木、これは、お前に勝つ為だけのリーチだ)

 

 

 やえの捨て牌

{中⑧白一⑨8}

{7七東①}

 

 やえはよく考えた上で、引いて来た{④}を「えいや」と打った。すると、「チー」の声が上がった。

 

 ソフィアの晒した手牌は

  {裏裏裏裏裏裏裏} {横④③⑤} {横二三四}

 

 さらに捨て牌は

{北1白9白1}

{8赤53東6①}

 

 ソフィアは、心の中で火花散らす二人に語りかける。

(………大丈夫、ちゃんとルールはわかっているから)

 

 そして、ソフィアの手牌は

  {⑤⑥⑦南南発発} {横④③⑤} {横二三四}

 

(さて、加治木さんと親の某さん。何やら、お二人は浅からぬ因縁をお持ちのようですが、卓を囲んだ以上、私も私の手で決着をつけるつもりですので、あしからず)

 

 ゆみはただ、ツモった{②}を切った。

 

  {四五赤五八八445566⑧⑧}

 

(不思議なものだ。順位度外視で嫌がらせをしていたつもりが、普通にトップを争っている、か)

 

 何もなく、そのままツモ番は親へ。

 親の彼女は、ゆみの捨て牌を見ていた。

 

{東北中③⑤2}

{一北89⑦②}

 

 リーチする直前の手出しの{⑦}で、イーシャンテン以上を確信しながら、引いて来た{中}を切る。

 やえが、その次に切った牌でも波は立たなかった。やえが切った牌、それは生牌の{発}だった。

 

(アガれないな、いくらなんでも)

 

 ソフィアは{一}をツモって、切った。

 しかし、ゆみはソフィアの僅かな揺らぎを見逃さなかった。そして、牌をツモる。

 

(そういう遠慮はしてくれるのか。なら、これを手拍子で切るのは失礼だな)

 

 ゆみは己の手牌から{5}を抜いて{西}を加えた。

 ゆみがした手変わりを見届けてから、親はツモる、{五}を。「今更か……」という言葉が脳裏をよぎると同時に、そのまま{五}を切る。

 

 リーチしてからここまで、何も起きなかったし、何も起こさなかった。

「あっ……」と、やえは声を上げてツモった牌、{③}を表に置き、隣の13枚の牌も倒した。

 

  {234二二二②②③④④西西}  ツモ・{③}

 

「ツモ。600・1100」

 

 そのアガリに、やえ以外の三人が驚きを隠せずにいた。

 やえの点数は2万2100に3300をプラスしても2万5400、3着にすら届かない。

 これだけでも充分呆気にとられるが、一番の衝撃はその次の台詞。

 

「これで私達の勝ちィ」

 

 やえ以外の三人が声もなく、互いに互いを見合わせた。そして、ゆみ達と目の合ったソフィアは、自分とやえを二回指差してから、今度は親とゆみの二人を二回指差した。二人はそのジェスチャーに、頷いた。

 どうやら、やえ以外の三人は「三元杯ルールでやろう」の含みを「赤あり、クイタンなし、三風刻採用」と理解していたが、やえはさらに「コンビ戦」と認識して打っていた。

 そうして、得点を計算すると62800と57200で、やえ達の勝利であった。

 

 確認しあってから、ソフィアは笑った、苦笑いとも愛想笑いともとれる曖昧な笑みではあったが。ゆみは溜め息をついて、おもむろに目を閉じた。最後に、ラス親の彼女は大いに仰け反って体を伸ばし、天井を仰ぎ見た。

 で、次に察したのは、やえ。

 

「あ、あれ?もしかして、私、勘違いしてた?ごめん。もう一回、もう一回やろう。今度は勘違い抜きで」

「ああ、いいよいいよ。ここで仕舞いにしよう」

 

 引け目からか、やえは真剣に再戦を希望するが、事の張本人は体を仰け反らせたまま手をぷらぷら振って答えた。かと思えば、途端に体を起こし、ゆみをじっと見た。

 

「そういえば、加治木。お前、私の誘いを断るのはいいとして、他に当てはあるのか?」

「お前、わかってて言ってるだろ?ない、全然ない」

 

 尋ねた彼女が「ふむ」と唸ってから、やえとソフィアに向かい合う。

 

「小走さん、新井さん、ものは相談だが、そちらに三人目の心当たりがないのなら、こいつの面倒を見てくれないか?」

 

「え?ええっと、私は………」

 

 やえの目配せに気付いてソフィアは軽く。

 

「別に反対しないよ」

「まあ、そういう訳だから私達は全然いいけど……、その、逆にいいの?加治木……さん…と、すごく、チームを組みたかったんでしょ、外へ食べに行った時も、ずっと二人で話していたし」

 

 それを聞くなり、提案者は「ああ」と呻いてから。

 

「さっきの対局が私と加治木の間を取り成す意図があったのなら、気を使わせてしまって悪かった。こういってはなんだが、さっきの対局とは関係なく、こいつに少しでも迷う素振りがあれば無理矢理にでもチームを組んだんだが、ああも完璧に拒否されてしまってはな」

「『チーム決めはお見合い』だしねぇ」

 

 ソフィアの軽口にその台詞を言った本人は苦笑した。そして、ゆっくりと席を立つ。

 

「さて、私は先に失礼する。最後のチームメイトも探さないといけないしな」

「お、おう。じゃあ本番で会おうね」

「右に同じで」

「………待て」

 

 少しの間を置いて、ゆみが呼び止めた。呼び止められた側は、ドアノブに掛かけた手を止めて振り返るという動作で応えた。

 

「何だ?」

「私に意見を求めず、私のチーム決めを勝手にした事は別にいい。それと、対局の結果に関わらずチームを組むと言った事も聞き流す。だが、………いや、だからこそ、訊きたい。お前は私に、何を求めていたんだ?」

「言えば、チームを組んでくれるのか?」

「いや、断る」

 

 ゆみの二つ返事の拒否に、肩をすくめた。

 

「なら、私達の悩みの種になってくれ」

「わかった。いや、元より、そのつもりだ」

「またな」

 

 一区切りついた所で、ゆみが。

 

「あ、待て」

「今度は何だ?」

「いや、そのままで勧誘にいくのか?」

 

 ゆみが、目じりの辺りを指でトントンと叩いたのを見て、「ああ」と呻いてドアノブから手を離し、別の作業に移った。

 出入り口を前に、彼女が取りだしたものは二つ。最初に紐、うなじのところで長い髪を結えると、広がりを失くした後ろ髪は背中に隠れた。次に眼鏡は、目を細めずとも為される鋭利な眼差しの上に被せた。そうして、どこか上品で毅然とした見知らぬ女性は、妙に野暮ったい仏頂面の見慣れた女性、やえとソフィアがついさっき大会手帳で容姿を確認した、辻垣内 智葉その人に変わっていた。

 

「今度こそ、またな」

「ああ、良いパートナーが見付かるといいな」

「お前が言うな」

 

 冗談めかした捨て台詞をひとつ残して、智葉は物置部屋と化した元・会議室から出て行った。

 ゆみが困った顔をする一方で、やえは未だ忘我の域にいて、ソフィアは一人考え事。そういう状況なので、最初に口を開いたのは、ゆみ。

 

「成り行きでチームメイトになったが、少しでも気が乗らないなら、今すぐ私を外してくれても構わない」

 

 声を掛けられてやっと、やえの意識が戻ってきた。

 

「そ、それは反対しないって、………けど、えっと、辻垣内さんとはどういう関係なの?」

 

 ゆみは気持ち首を傾けた。

 

「智葉とは、今朝、知り合ったばかりだが」

「え?そうなの」

「そうだが。もしかして、そういう勘違いもしていたのか?」

「う、うん」

 

 この時、ソフィアは意識して口を堅く閉じた。片や激戦区・東東京の全国常連校の大エースと、片や長野の無名校の県予選止まり。言い寄る側と言い寄られる側が逆なら、ゆみの説明でもすんなり納得出来たが……と少々失礼にあたる考えをうっかり口にしないようにする為に。

 そして、ソフィアはこの問題を保留する事にした。なら、チームメイトと認めた相手にする事はひとつ。

 

「んじゃ、これからよろしくね。私は新井 ソフィア、友達はソフィーって呼んでる」

「よろしく、ソフィー。加治木 ゆみ、加治木でも、ゆみでも、どちらでもいい」

 

 唐突に交わされた自己紹介に、やえも釈然としない気持ちを蹴り飛ばして二人に倣う。

 

「あ、えっと、私もよろしく。私は小走 やえ、だ」

「お世話になります、リーダー」

「へ?」

「違うのか?」

「お、それいいな。そういう事で、リーダー、お世話になりまーす」

 

 一気に外堀が埋まったのを実感したが、やえは気にしない事にした。

 

「と、突然、勝手に決めないでよ。まあ、頼られるのは別にいいけどさ」

「では、リーダー。チームの抱負などを」

「その前に、善は急げでチーム申請。そして、チームとして最初の活動はここの後片付け、いいね」

「はいはい」

「では、行きましょうか」

 

 三人は立ち上がり、出口を目指す。やえがチーム申請一番乗りと意気込んで、ソフィアが石戸さん達が先だから早くても二番手と嗜める。

 

 ゆみは少し出遅れた。と言っても、やえとソフィアが出入口の近くに居て、ゆみがまだイスから余り離れていないという程度。

 ふと、そのままになっている卓上、智葉の手牌が目に入った。気紛れに裏ドラを見る。

 {1}だった。

 ゆみはそれ以上、何も確めず、これから共に闘う仲間達の後を追った。

 

 

                                     つづく


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